闇に飛ぶ鳥

トウリン

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カワセミ

与えられたもの

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 何故、と問うカワセミに、少女は困惑の眼差しを向けていた。
 心底から、そう問われる理由が理解できないかのように。
 カラスに手を離せと言われた時も、少女は拒んだ。触れ合う場所から毒が滲みこもうとも、いや、カラスの手が間に合わず、カワセミと共に谷底へ落ちようとも、少女は手を離さなかったかもしれない。
「あたしに触れたら死ぬって、判ってたのよね? なのに、何で手を離さなかったのよ?」
 尖った声で再び訊ねたカワセミに、少女はまだ毒の影響が残るかすれた声で答える。
「そうしたら、あなたが落ちてしまうから……」
 平行線だ。
 己の命を顧みずにカワセミを助けた理由を知りたいのに、少女はカワセミの命を助けることが至極当然のことのように言う。まるで、そこに理由など必要がないかのように。

(何で)
 人は皆、自分のことが一番大事なはずだ。
 ましてや、カワセミのことなど――敵であるカワセミのことなど、見殺しにして当然のはず。
 なのに、何のためらいもなくカワセミを助けようとしたこの子どものことが、彼女は理解できなかった。

「おい、もういいだろ。こんなの、放っておけば」
 うんざりしたような声で、カワセミは我に返った。もちろん、その台詞を放ったのはカラスだ。黒い髪、琥珀の瞳の小娘を、彼はまるで大切な宝物のように腕の中に掻い込んでいる。
 その様に、カワセミの腹が再び煮えた。
 この小娘は、あれほど彼女が求めたものを手に入れているのだ。
(何で、あたしではダメなの? 何で、このガキが――)
 カワセミはギリと唇を噛む。
 うつむき地に爪を立てた彼女に、ためらいがちな声がかかる。

「あの、カワセミ、さん?」
 顔を上げると、琥珀の瞳が真っ直ぐにカワセミを見つめていた。

 そして、続いたのは。

「あなたも、一緒に参りませんか?」

 少女の台詞に、カワセミとカラスが同時に声を上げる。

「……――は?」
「おい?」

 カラスは、カワセミが一度も目にしたことがないような面食らった顔をしていた。少女はそんな彼の腕の中から抜け出して、カワセミの前に膝をついた。
「おい、巴、近寄るなって――」
「あなたはわたくしを連れて行くことを、使命を果たすことを望んでいるわけではないとおっしゃいました。ならば、本当は何を望んでいらっしゃるのですか?」
 確かに、そんなことを口走ったような気がする。こんな小娘に対して本心を吐露するつもりなどなかったのに。
 カワセミは、ツ、と視線を逸らしてぼそりと応じる。
「そんなこと、訊いてどうすんのよ」
「あなたが今されていることを本当は厭うておられるのなら、わたくしたちと共に参りませんか?」
 思ってもみなかったその台詞に、カワセミは思わず顔を上げた。少女の眼には、真剣そのものの光が浮かんでいる。
「お前、何バカなこと言ってるんだ?」
 呆れ返ったカラスの声を無視して、少女はカワセミだけを見つめている。その揺らぎない眼差しに、カワセミはたじろいだ。

「な、によ、同情……? あたしを憐れんでんの? こんな身体だから? やりたくもない任務を唯々諾々とやるしかないから?」
 無言は、肯定だ。
 カワセミの頭にカッと血が昇る。
 疑念と苛立ちと不満と、長い間心の奥底に溜め込んでいたあらゆるものが、一気に噴き出した。
「あんた、自分が恵まれてるからって、あたしにも施してやろうっての!? いいうちに生まれて、ちゃんと守ってくれる人がいたからって!? 殺されそうになったって、カラスを手に入れて――ッ!」
 叫んだカワセミの声が、木々の間を響いていく。
「あたしだって、こんなふうに生きたいわけじゃなかった! こんな身体になんて、なりたくなかった!」
 血を吐くように放った台詞に、歯止めが利かなくなる。
「あんた、ズルいわよ! なんであんたばっかり! 親が死んだってちゃんと守ってもらえて! あたしには誰もいない! あたしは、死ぬまで独りよ!」
 子どもじみた妬みだった。だが、カワセミには、自分が欲しいと思うものを手に入れている少女が、妬ましくてならなかった。
 そう、カワセミが欲しかったものは、カラスそのものではない。
 庇護者だ。彼女を独りにしないでいてくれる者だ。
 泥沼のような『伏せ籠』から助け出して守ってくれる者なら、誰でも良かった。この身体を厭うことなく傍にいてくれるなら、誰でも良かった。
 それを叶えてくれる力を持っている唯一の存在だから、カラスを求めただけだった。

(だって、仕方ないじゃない。『伏せ籠』の外じゃ――独りじゃ、生きていけないのだもの)
 地面に突っ伏したカワセミの頭に、そっと何かが触れる。
 衝かれたように顔を上げると、少女の手が伸ばされていた。髪に触れている分には、カワセミの毒は害を為さない。だが、この娘は、それを知っているのだろうか。
 知っていながら、こんなにもためらいなく触れることができるのだろうか。
 毒に慣れた『伏せ籠』の者でさえ、誰一人触れようとしなかったというのに。
 目を見開いたカワセミに、少女は嫌悪や怯えの欠片もない、静かで、そして温かな琥珀の瞳で見返してきた。

「おい、無暗に触るなと言っているだろう」
 カラスが苛立たしげに言ったが、少女は振り返りもしなかった。彼女はカワセミと目と目を合わせ、告げる。

「確かにわたくしは恵まれていました。幼い頃は父と母が、二人を喪ってからは祖父母が、今は、カラスがいてくれます。――誰かが傍にいてくださること、その素晴らしさを知っています。だからこそ、同じものを他の方にも与えたいと思ってはいけませんか?」
「同じ、もの……?」
 繰り返したカワセミに、少女が頷く。
「人には、大切に想ってくださる人が必要です。わたくしはそれを知っています。父や母、祖父母から教えていただいたそれを、わたくしは、引き継いでいきたいのです。他の方にも、伝えていきたいのです」
「でも、あんた、あたしのこと、なんとも想ってないじゃない!」
 大切に想うも何も、カワセミは、ほんの少し前まで自分を狙っていた相手ではないか。
「ええ、そうですね。今は、まだ。だから、一緒に参りましょう? まずは、あなたがわたくしのことを知って、わたくしがあなたのことを知ることからです。わたくしは非力で、守るには力不足かもしれませんが、あなたの傍にいることはできます」

 幼さが残された、けれども、心の奥底に浸み込んでくるような声で語られた少女の言葉に、カワセミは目を見開く。

「あたしの、傍に……?」
 呆然と、カワセミは呟いた。

 この誰も触れようとしない呪われた身体を、疎まずにいてくれるのだろうか。

 声に出さないカワセミの問いかけに応えるように、少女が彼女の頭を撫でる。小さな手から、微かな温もりが伝わってきた。その感覚に、カワセミの胸がキュッと痛くなる。
 そんなふうにカワセミに触れるものは、誰もいなかった。
 きっと、この先もいない。
 この少女以外には。

「あたし……」

 この手を、受け入れてもいいのだろうか。
 琥珀の瞳を見つめれば、返されたのは温かな微笑み。

 少女の隣で、カラスが諦めのため息をこぼすのが聞こえてきた。
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