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第二章:すれちがい
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一美のその日の午後は外来がなく、病棟も落ち着いていた。
暇つぶしがてらにインターネットで文献検索をしていた彼は、不意に鳴り始めた院内PHSを手に取った。
液晶画面に表示されているのは、『整形外科 有田』の名前だ。
朗が遊びの誘いやら何やらのくだらないことでPHSを使うことはないから、小児科医としての一美に用があるのだろう。
通話ボタンを押して、耳に当てる。
「岩崎だ。何だ?」
「ああ、今大丈夫か? 時間があるなら、ちょっと救急外来に来て欲しいんだけど?」
「わかった」
整形外科からコンサルト、しかも救急外来に召集だ。あまりいい予感はしない。
点滴が入らないから処置して欲しい、というパターンもあるが、それなら今の電話でそう言う筈だ。
医局を出て朗が待つ救急外来へ向かいながら、一美はいくつかの可能性を考える。
――整形外科絡みとなると、一番確率が高いのは、やはり『アレ』か。
常日頃から、彼は最悪の事態を想定しつつ動いている。
(俺の予想が外れていればいいがな)
表情には出さず、胸の内でそう呟きながら、急いだ。
救急外来に着いた一美が看護師に訊くと、その患児は観察室に寝かされているとのことだった。
各ベッドは天井から下げられているカーテンで、中が見えない。
彼は教えられたベッド番号に歩み寄ると、そっとカーテンをよけた。
中にいるのは、朗とベッドの上に寝かされている子どもだけだ。
「一美! 手間取らせて悪いね。この子なんだけど。腕の骨折の処置で麻酔をかけたから、今は寝てるんだけどね。どう思う?」
ベッドの上で穏やかな寝息を立てているのは、一見するとせいぜい四歳前後の体格の少年だ。だが、病院の寝間着越しにも判るその異様さに、一美は眉をひそめた。
朗がそんな彼にチラリと目をやると、少年に視線を戻して状況を話し出す。
「下田健人君、五歳ね。母親と車に乗っていて事故に遭った。母親の酒酔い運転で電信柱にドスン、だ。彼女の方は肝脾裂傷、軽度肺挫傷、全身打撲、ろっ骨三本骨折で入院一ヶ月はかかる。結構重傷だけどね、ま、死にはしない。問題は、この子の方なんだよね。健人君はシートベルトをしてたから、怪我は左腕の骨折だけ。ぽっきりだから、そんなに厄介じゃない。入院の必要もない――整外的には」
その説明を聞きながら、一美は昏々と眠る少年の服をめくる。その身体の有様に、眉間に皺を寄せた。
カルテを見れば、身長九十七センチ、体重十一キロとある。どちらも、五歳児の標準を大きく下回っていた。
子どもを見慣れている一美が年齢を見誤ったのは、その体格の所為だった。特に、痩せが著しい。肋が浮いて見え、肌は不潔だ。
ただ汚れているだけではなく新旧の痣が散在し、その中には二重条痕もあった――それはただの内出血とは違う。よほど強く打ち据えなければ、見られないものだ。
最悪の予想が見事に的中した一美は、ボソリと呟く。
「虐待だな」
「やっぱり? 今回のヤツとは別に、治癒済みだけどろっ骨に骨折の痕二ヶ所あるんだよね」
滅多に表情を変えない朗も、流石にどこか渋い顔をしている。
「母親は当分入院したままなんだな? じゃあ、子どもも小児科に入院させよう。それで時間を稼いで、児相に連絡をつける」
事故の時に一緒にいたのは母親だけのようだが、子どものこの様子を放置しているようなら、父親もろくなものではないだろう。
いずれにせよ、児童相談所に調査に入ってもらわなければなるまい。
虐待の疑いがあれば通告するのは法律で定められた義務だ。いや、たとえ義務付けられていなくても、これだけ明白な所見があれば、一美の中に連絡をためらう要素は微塵もない。
「そっか……」
朗は痛ましそうに子どもを見下ろし、溜息をつく。
「親なのになぁ」
「親にも色々いるさ。色々な。取り敢えず小児科が引き受ける。ご苦労さん」
「ああ、頼んだ」
朗に手を上げて応えると、一美は入院の手配をする為に、病棟へ向かった。
暇つぶしがてらにインターネットで文献検索をしていた彼は、不意に鳴り始めた院内PHSを手に取った。
液晶画面に表示されているのは、『整形外科 有田』の名前だ。
朗が遊びの誘いやら何やらのくだらないことでPHSを使うことはないから、小児科医としての一美に用があるのだろう。
通話ボタンを押して、耳に当てる。
「岩崎だ。何だ?」
「ああ、今大丈夫か? 時間があるなら、ちょっと救急外来に来て欲しいんだけど?」
「わかった」
整形外科からコンサルト、しかも救急外来に召集だ。あまりいい予感はしない。
点滴が入らないから処置して欲しい、というパターンもあるが、それなら今の電話でそう言う筈だ。
医局を出て朗が待つ救急外来へ向かいながら、一美はいくつかの可能性を考える。
――整形外科絡みとなると、一番確率が高いのは、やはり『アレ』か。
常日頃から、彼は最悪の事態を想定しつつ動いている。
(俺の予想が外れていればいいがな)
表情には出さず、胸の内でそう呟きながら、急いだ。
救急外来に着いた一美が看護師に訊くと、その患児は観察室に寝かされているとのことだった。
各ベッドは天井から下げられているカーテンで、中が見えない。
彼は教えられたベッド番号に歩み寄ると、そっとカーテンをよけた。
中にいるのは、朗とベッドの上に寝かされている子どもだけだ。
「一美! 手間取らせて悪いね。この子なんだけど。腕の骨折の処置で麻酔をかけたから、今は寝てるんだけどね。どう思う?」
ベッドの上で穏やかな寝息を立てているのは、一見するとせいぜい四歳前後の体格の少年だ。だが、病院の寝間着越しにも判るその異様さに、一美は眉をひそめた。
朗がそんな彼にチラリと目をやると、少年に視線を戻して状況を話し出す。
「下田健人君、五歳ね。母親と車に乗っていて事故に遭った。母親の酒酔い運転で電信柱にドスン、だ。彼女の方は肝脾裂傷、軽度肺挫傷、全身打撲、ろっ骨三本骨折で入院一ヶ月はかかる。結構重傷だけどね、ま、死にはしない。問題は、この子の方なんだよね。健人君はシートベルトをしてたから、怪我は左腕の骨折だけ。ぽっきりだから、そんなに厄介じゃない。入院の必要もない――整外的には」
その説明を聞きながら、一美は昏々と眠る少年の服をめくる。その身体の有様に、眉間に皺を寄せた。
カルテを見れば、身長九十七センチ、体重十一キロとある。どちらも、五歳児の標準を大きく下回っていた。
子どもを見慣れている一美が年齢を見誤ったのは、その体格の所為だった。特に、痩せが著しい。肋が浮いて見え、肌は不潔だ。
ただ汚れているだけではなく新旧の痣が散在し、その中には二重条痕もあった――それはただの内出血とは違う。よほど強く打ち据えなければ、見られないものだ。
最悪の予想が見事に的中した一美は、ボソリと呟く。
「虐待だな」
「やっぱり? 今回のヤツとは別に、治癒済みだけどろっ骨に骨折の痕二ヶ所あるんだよね」
滅多に表情を変えない朗も、流石にどこか渋い顔をしている。
「母親は当分入院したままなんだな? じゃあ、子どもも小児科に入院させよう。それで時間を稼いで、児相に連絡をつける」
事故の時に一緒にいたのは母親だけのようだが、子どものこの様子を放置しているようなら、父親もろくなものではないだろう。
いずれにせよ、児童相談所に調査に入ってもらわなければなるまい。
虐待の疑いがあれば通告するのは法律で定められた義務だ。いや、たとえ義務付けられていなくても、これだけ明白な所見があれば、一美の中に連絡をためらう要素は微塵もない。
「そっか……」
朗は痛ましそうに子どもを見下ろし、溜息をつく。
「親なのになぁ」
「親にも色々いるさ。色々な。取り敢えず小児科が引き受ける。ご苦労さん」
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