天使と狼

トウリン

文字の大きさ
33 / 92
第二章:すれちがい

3-2

しおりを挟む
 小児科病床がある四階西病棟では、今、小児科病棟医長の南医師と武藤看護師長、そして一美が額を集めていた。

「じゃあ、僕が主治医をやるから。虐待対策委員会にもかけないとなぁ」
 緊迫した状況だというのに、南の口調はいつもと変わらずのんびりだ。

 この霞谷かすみだに病院には病院内の組織として虐待に対応する為の委員会があり、メンバーには医師や看護師だけでなく、ソーシャルワーカーや事務方、時には病院付きの弁護士も入ってくる。
 虐待は様々な要因が絡んでくる為、小児科医師個人や小児科内だけで対処するのは難しく、『病院』として対応することになっているのだ。
 うっかりすると警察沙汰になったり、あるいは、親の恨みが医師個人に向いてしまったりもする。関連機関も多岐に渡るので、一人の医師のみが担うには、荷が重過ぎるのだ。

「児童相談所にも通告しとかないとだねぇ。『疑わしきは通告せよ』だから仕方がないけど、やっぱりイヤなものだよ」
 そう言った南医師の背中を、武藤師長が叩いた。
「まあまあ、ホントに虐待なのかどうなのかは児相じゃないと判定できないし。仮にホンモノの虐待だとなっても、それであの子が今よりマシな人生歩めるなら、その方がいいでしょうに」
「そうなんだけどね。親を疑わなきゃいけないというのは、イヤなものなんだよねぇ」
 はあ、という溜息が続く。南医師のぼやきに、一美は肩をすくめる。
「まあ、状況証拠から言ったら、限りなく黒に近いですよね。親権喪失は無理でも、これだけはっきりしていたら、親権停止くらいにはして欲しいところですけどね」
 どんな経緯があろうとも、現在のこの子どもの状況を見ればその母親に親としての権利があるとは、一美にはとうてい思えない。
 彼からすれば、一度虐待した者であれば、親権を取り上げるのに期限付きの『停止』ではなく、剥奪してしまう『喪失』で全然構わないと思うのだ。

 手厳しい一美に、南は苦笑と共に返す。
「まあ、その辺はきっちり調べてもらおうよ。身長はぎりぎり四歳レベル、体重はせいぜい二歳並み、かな。三歳くらいから始まったのかなぁ。今までお役所が関与してないなら、三歳児健診まではちゃんと行ってたんだと思うけど。今のご時世、定期健診に行ってなかったら、保健所がチェックしてくれるもんねぇ。児相が入れば、その辺は判るかな」
 そうして、南はパソコンの電子カルテを開く。
「まあ、とにかく、僕たちは念の為に身体の病気の方をチェックしとこうか。もしかしたら、成長障害をきたすような病気があるとか、痣ができ易い病気があるとか、骨が折れ易い病気があるとかあるかもだしね」

 確かに、『小児科医』としてやるべきことは、そこだ。
 いくら疑わしくても、客観的に、淡々と対処すべきなのだ。

「そうですね」
 一美は小さく息を吐き、むっつりと頷いた。
 彼は、自分自身を子ども好きだと思ったことはないし、実際にそうではないと思っている。が、好きとか嫌いとかではなく、子どもがつらい目に遭っていると腹立たしくなるのだ。
 と、そんな彼の耳に小さな笑い声が入ってくる。

「君って、ホントに見かけによらないよねぇ」
 クスクスと笑う南に、一美は憮然とした目を向ける。
「何がですか?」
「別にぃ。さ、オーダーしないと。あ、看護師さんは誰になるの?」
 一美の仏頂面をさらりと流し、南医師は武藤師長に問いかける。
「そうですねぇ」
 武藤師長が看護師の名前が書かれている一覧表を眺めながら呟いた。そこに、声がかけられる。

「あの!」

 姿を見なくても、一美にはその声の主が誰なのかはすぐに判った。
 振り返れば思った通りの姿があって、彼は溜め息をこぼしそうになる。
(何も好き好んでこんな面倒な役を背負わなくてもいいだろうに)
 一美の内心のぼやきなどには全く気付かず、立候補してきた看護師――萌が、武藤師長に真っ直ぐな眼差しを向けた。
「あの、わたし、担当やってもいいですか?」
「小宮山」
「わたし、やりたいです。ダメですか、武藤師長?」
 生真面目な顔で懇願する眼差しを武藤師長に注ぐ萌に、師長は珍しく迷いを含んだ目を向ける。即断即決の彼女がそんなふうになることは、滅多にない。

「でもなぁ、あんたは……」
「師長」
 一歩も引かない構えの萌に、師長は肩をすくめた。そして、いつものようにニッと笑う。
「まあ、いいか。やってみな」
「ありがとうございます!」
 師長の許可に、萌はパッと顔を輝かせた。

 早々に片が着いてしまったやり取りに、静観していた一美が横槍を入れる。
「ちょっと待て、また厄介なのを彼女に任せるのか?」
「またですか」
 武藤師長が呆れた声を出すが、一美は続ける。
「前のあの子も、小宮山さんが担当しただろう? 他にも看護師はいくらでもいるのだから、今度は他の者に当てたらいい」
「彼女が自分で希望してるんだから、いいじゃないですか」
「けどな――」
 更に言い募ろうとした一美だったが、いつぞやと同じパターンで肩を叩かれた。

「ちょっと、岩崎君?」
「南先生」
 振り返った先にいる上司は、ニッコリと微笑んだ。
「僕の奥さんも看護師さんだったから職場恋愛は禁止しないけど、それが仕事の邪魔になるなら、良くないなぁ。職場に私情は入れちゃダメだよ?」
 やんわりとした口調だが、それは明らかな『叱責』だ。
「……すみません」
 不承不承そう答えた一美に、南は宥めるように微笑む。

「それに、あの時だって、彼女は見事にやり遂げたでしょ? 君が過保護すぎるんだって」
 南医師の台詞に、一美が否定できるところは一つもない。最後の一言まで。
 そしてダメ押しは萌からの言葉だった。彼女もあっけらかんと断言する。
「岩崎先生、大丈夫です。わたし、ちゃんとやりますから」
 一点の曇りもない朗らかな笑顔を、一美は目を細めて見下ろした。

 確かに、彼女は『ちゃんとやる』だろう。
 だが、その『ちゃんとやる』のを『やり過ぎる』ところが、彼の心配の種なのだ。
 またどっぷりとはまり込みそうで、気が気ではない。

 ムッと黙り込んだ一美の肩を、もう一度南医師が叩く。
「あはは。君も苦労性だねぇ。僕の若い頃を思い出すよ。僕も奥さんが大事で大事で……」
「判りました、俺は口出ししませんよ」
 南が余計なことを言い出す前に、一美は彼の言葉を遮った。彼が言うように、萌に対しては馬鹿みたいに過保護になってしまう。
 それは、一美自身も重々承知しているのだが、判っていても止められないのだから、どうにも仕様がないことなのだ。

 どうせ、あの子はここにはそう長くはいない。
 長くても一ヶ月。
 その間、自分が彼女の事に気を配ってやればいいことだ。

 一美はチラリと萌に目を走らせると、ため息一つの後に、そう気持ちを切り替えた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

チョイス伯爵家のお嬢さま

cyaru
恋愛
チョイス伯爵家のご令嬢には迂闊に人に言えない加護があります。 ポンタ王国はその昔、精霊に愛されし加護の国と呼ばれておりましたがそれももう昔の話。 今では普通の王国ですが、伯爵家に生まれたご令嬢は数百年ぶりに加護持ちでした。 産まれた時は誰にも気が付かなかった【営んだ相手がタグとなって確認できる】トンデモナイ加護でした。 4歳で決まった侯爵令息との婚約は苦痛ばかり。 そんな時、令嬢の言葉が引き金になって令嬢の両親である伯爵夫妻は離婚。 婚約も解消となってしまいます。 元伯爵夫人は娘を連れて実家のある領地に引きこもりました。 5年後、王太子殿下の側近となった元婚約者の侯爵令息は視察に来た伯爵領でご令嬢とと再会します。 さて・・・どうなる? ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

王宮侍女は穴に落ちる

斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された アニエスは王宮で運良く職を得る。 呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き の侍女として。 忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。 ところが、ある日ちょっとした諍いから 突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。 ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな 俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され るお話です。

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。 そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室? 王太子はまったく好みじゃない。 彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。 彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。 そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった! 彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。 そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。 恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。 この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?  ◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 R-Kingdom_1 他サイトでも掲載しています。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

処理中です...