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第二章:すれちがい
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予想通りの展開だった。
バーのカウンターでカラカラとウィスキーの氷を回しながら、一美は日数を数えてみる。
下田健人が入院して、十日。
そして、萌とプライベートで逢っていないのも、それと同じ日数だ。
彼女と逢えていないのは、良しとしよう。いや、良くはないが、仕方がない。一美が気に入らないのは、また、彼女が自分自身の事をおろそかにしていることだった。
三日前に病棟で一瞬だけ抱き締めた萌の身体は、わずかにその柔らかさを損なっていた。多分、また、寝食を削っているに違いない。
そう思うと心の中がジリジリとして、数年ぶりに煙草をのみたくなる。
一美が『そのこと』に気付いたのは、五日ほど前のことだった。
病棟にいたところを外来に呼ばれてそちらに向かっていた彼は、廊下の先に私服姿の萌を見かけたのだ。時刻は昼も間近、しかも彼女は夜勤明けの筈だというのに。
呼び止めるには距離があり、急いでいた一美は、後ろ髪を引かれつつその場は見過ごした。
その後、外来での用事を済まして病棟に戻った彼は、武藤師長に声をかけた。夜勤明けの萌を病棟で見かけたが、何かあったのか、と。
一美のその問いに、彼女はケロリとした口調で、答えたのだ。
「ああ、健人君のところに行ってたみたいですね」
「夜勤明けだろう? 残業じゃないか」
霞谷病院は残業に厳しく、就業時間内にキッチリ仕事を上げることを指導している。当然、看護師長である武藤は、他の看護師が残業することを見て見ぬ振りをしていてはならない筈だ。
一美の追及に、武藤師長は肩をすくめた。
「私服で、個人的に行っているから、あれはただの『面会』」
「だが、あの子は面会制限しているだろう?」
「小宮山は許可されてますよ。健人君を連れ去る危険は皆無ですもん。南先生からの指示は、面会謝絶じゃないですからねぇ。ただでさえ会いに来る人は殆どいないんだから、問題なければできるだけ許可を出してあげて、と言われてますよ」
「……」
残業でもなく、面会も許可されているとなれば、医療スタッフとしては何も言うことができない。
不機嫌そうに黙り込んだ一美に、武藤師長は苦笑しながら続けた。
「まあ、確かにまた無茶やってるみたいですが、もう少し、あの子の好きなようにさせてあげてくださいよ。あの子を信じてね」
そう言われてしまっては、一美は動けなくなる。決して、萌を軽く見ているわけではない。ただ、心配なだけだ。その心配が不要なものなのか、妥当なものなのか、客観的に彼女を見ることができない彼には、判断できなかったが。
それ故に、一美は、どの段階で手を出すべきかを決めかねていて、いつの間にか十日も経ってしまっていた。
よりにもよって病棟の廊下で思わず手を出してしまったあの時に彼を頼るように告げたけれども、これまた予想通り、萌は何も言ってこない。本当にまだ大丈夫なのか、あるいは、彼女が限界に気付いていないだけなのか。
亡くなった樫本康太の時とは違い、今回はタイムリミットがある。長くてもあと三週間というところで、だからこそ、一美はまだ見守るだけに留めているのだが、その辛抱もそろそろ限界に近付きつつあった。
「ちょっとぉ、隣にこんな色男がいるっていうのに、ガン無視はひどいんじゃないのぉ?」
口を付けようともせずグラスを弄んでいた一美に、隣から能天気な声がかかる。物思いを中断されて、彼はチラリとそちらに視線を送ったが、また無視を決め込んだ。
独りで家にいるのも落ち着かないから誘いに乗っただけであって、彼の玩具になるつもりは更々ない。
存在を認めてもらえなかった彼――朗は、大袈裟に派手なため息をついた。
「おいおい、マジでシカトしないでよ。オレがバカみたいじゃんか」
「バカだろう?」
「そりゃそうだけどね。まったく、カリカリしてるなぁ。せっかく、人が気晴らしに連れ出してやったのに。欲求不満? やっぱ、女の子呼ぼうか?」
「いらん」
「うっわぁ、変われば変わるもんだねぇ」
にべもなく突っぱねた一美に、朗は何やらしたり顔でニヤ付く。一美はそのにやけ面へ向けてグラスの中身をぶちまけてやりたくなる。不穏な気配を察したのか、彼は少し身を引きながら言った。
「また萌ちゃんのことなんだろう? っていうか、元はと言えばオレがコンサルトしたあの子のことだろうけど」
無言は肯定だ。朗も、一美の返事を待つことなく続ける。
「ホントに、萌ちゃんって、何かを目指したらわき目を振らずにまっしぐら、だよね。恋人を十日間も放っておくなんて、つれないよなぁ」
一美は、本気で、本当にウィスキーを――いや、割水をバケツごと頭のてっぺんにかましてやろうかと思った。その横で、朗がクックと笑う。
「お前もさ、『患者ばかりじゃなく、俺も見ろ!』とか、駄々をこねてみたらいいのに」
「そんなこと言うか」
「余裕だねぇ。でも、あんまり達観していると、しくじるぞ?」
「仕方がないだろう。彼女は子どものことになると目の色が変わる」
「それって、我が子に奥さん取られた夫の台詞じゃん」
まさにピッタリだ、と笑い声をあげる朗が腹立たしい。彼を無視して、一美はグラスを口元に運んだ。そして、一口含む。
その時。
「お前ってさ、まだ萌ちゃんに手ぇ出してないだろ」
一美はヒュッと息を引き込み、そして、次の瞬間、彼の胸は焼けつくような痛みに襲われた。
激しく咳き込む一美に、朗は澄ました顔で訊いてくる。
「でもさぁ、何で? 別に、彼女だって嫌がらないんじゃないの? 付き合い始めて何ヶ月だっけ……三ヶ月……もうじき四ヶ月か。……うわぁ……よく我慢できてるねぇ。あ、もしかして、何かの病気? ッて!」
一美は、よく回る朗の口を、その後頭部を拳で殴って閉じさせた。
確かに、ひと月以上ご無沙汰なのは一美にとってもギネス級の新記録だが、彼にも思うところがあるのだ。
萌には、触れたいと思う。
キスをすれば止められなくなるし、深みにはまり込みそうにもなる。一度《ひとたび》その柔らかな肌に触れれば、彼女の全てを知りたくなる。
だが――一美は、ある一線を越えることができないのだ。
その壁が何なのか、彼には判っている。判ってはいるが、どうにも壊せずにいる。
一美は、半ば自棄《やけ》のようにグラスの中身を一気に呑み干した。それをカウンターに置くと、バーテンダーに声をかける。
「もう一杯くれ」
そんな彼の横で、朗が頬杖を突いて自分のウィスキーを舐めている。そのしたり顔が、どうにも腹立たしい。
しばらく互いに無言で、それぞれのグラスの中身を減らしていく。
再び口を開いたのは、朗の方だった。
「あのさぁ……お前の気持ちは、解からないでもない。相手があの萌ちゃんだからねぇ。解からないでもないが――そりゃちょっと違うんじゃないの?」
「何が」
むっつりと応えた一美に、朗が小さく笑った。
「お前さ、ビビッてんでしょ?」
「……」
「付き合ってきたの、『経験』豊富な子ばっかだったもんなぁ。女の子の初めてはスッゴイ痛いらしいし、いつもと同じように気楽に……とはいかないか」
「……」
「ま、いいけどさぁ。あんまりがっつり真綿で包んでると、『いいお兄さん』になっちゃうよ? それに、もしかしたら、『わたしって、女として見られていないかも……』とか、思われちゃったりしてね」
そう言って朗は残りを全て呑み干すと、立ち上がった。
「だいぶマシになったけどさ、お前って、相変らず彼女のことを子ども扱いしてるよね。護ってあげたくなっちゃうんだろうけど、ちゃんと『恋人』としても扱ってやったら?」
またイタズラじみた笑みを浮かべているのかと思ったが、振り返って見た朗は滅多に見ない真面目な顔をしていた。らしくない表情に、一美は眉をひそめる。そんな彼に、朗は肩をすくめて寄越した。
「お前よりは色んなタイプの子と付き合ってきたオレからの忠告。たまには『君が欲しいんだ!』ってとこを見せてあげた方がいいんじゃない? 今のままじゃ、『岩崎一美』よりも『仕事』の方が彼女を必要としているように思われちゃうかもよ」
「どういう意味だ?」
「そのまんま。人ってさ、『ああ、私って必要とされている!』感が大事だと思わない?」
「俺は別に、彼女に興味がないから放置しているわけじゃないぞ」
「そりゃ、当たり前だけどさ。思ってるだけじゃ伝わらないことも多いだろ? ちゃんと判るように表して欲しいことってあるじゃない。それは、お前も良く知ってるだろうに」
そう言って、朗は苦笑する。
「……どういう意味だ?」
「さあね。取り敢えず、親友からのありがたいアドバイスはおしまい。オレは帰るわ。やっぱ、飲む時にゃ野郎だけじゃ味気ないし」
ヒラヒラと手を振って朗が去っていき、一美はカウンターに独り残された。
言いたいことを言い逃げしていった友人に、一美は苦虫を噛み潰した顔になる。
自分よりも仕事の方が、彼女を必要としている?
違う、彼女が仕事を必要としているから、一美は指を咥えて見守っているのだ。
彼も萌を傍に置いておきたいと思っているが、彼女の意思を尊重して距離を取っているだけだ。
それのどこがいけないというのか。
まだ手を出していないのも、彼女を想えばこそ、だ。
萌のことは、ほんのわずかも傷付けたくないと思っている。何ものからも、護ってやりたいと思うのだ。そして、その『何もの』には、一美自身も含まれる。
彼女は、まだ幼い。一美が自分の思いの向くままに行動すれば、きっと戸惑い、怯えるだろう。
彼が萌から何かを奪ったり、彼女を傷つけることになったりするような羽目には、決して陥りたくはなかった。
だから、うかつに手を出せない。
時機を待つことの、どこが間違っている?
萌が今まで付き合ってきた女たちとは別物なのだということは、明らかなのだ。だから、一美は彼女のペースに合わせている。
それが正しい方法なのだということを、一美は信じて疑わなかった。
バーのカウンターでカラカラとウィスキーの氷を回しながら、一美は日数を数えてみる。
下田健人が入院して、十日。
そして、萌とプライベートで逢っていないのも、それと同じ日数だ。
彼女と逢えていないのは、良しとしよう。いや、良くはないが、仕方がない。一美が気に入らないのは、また、彼女が自分自身の事をおろそかにしていることだった。
三日前に病棟で一瞬だけ抱き締めた萌の身体は、わずかにその柔らかさを損なっていた。多分、また、寝食を削っているに違いない。
そう思うと心の中がジリジリとして、数年ぶりに煙草をのみたくなる。
一美が『そのこと』に気付いたのは、五日ほど前のことだった。
病棟にいたところを外来に呼ばれてそちらに向かっていた彼は、廊下の先に私服姿の萌を見かけたのだ。時刻は昼も間近、しかも彼女は夜勤明けの筈だというのに。
呼び止めるには距離があり、急いでいた一美は、後ろ髪を引かれつつその場は見過ごした。
その後、外来での用事を済まして病棟に戻った彼は、武藤師長に声をかけた。夜勤明けの萌を病棟で見かけたが、何かあったのか、と。
一美のその問いに、彼女はケロリとした口調で、答えたのだ。
「ああ、健人君のところに行ってたみたいですね」
「夜勤明けだろう? 残業じゃないか」
霞谷病院は残業に厳しく、就業時間内にキッチリ仕事を上げることを指導している。当然、看護師長である武藤は、他の看護師が残業することを見て見ぬ振りをしていてはならない筈だ。
一美の追及に、武藤師長は肩をすくめた。
「私服で、個人的に行っているから、あれはただの『面会』」
「だが、あの子は面会制限しているだろう?」
「小宮山は許可されてますよ。健人君を連れ去る危険は皆無ですもん。南先生からの指示は、面会謝絶じゃないですからねぇ。ただでさえ会いに来る人は殆どいないんだから、問題なければできるだけ許可を出してあげて、と言われてますよ」
「……」
残業でもなく、面会も許可されているとなれば、医療スタッフとしては何も言うことができない。
不機嫌そうに黙り込んだ一美に、武藤師長は苦笑しながら続けた。
「まあ、確かにまた無茶やってるみたいですが、もう少し、あの子の好きなようにさせてあげてくださいよ。あの子を信じてね」
そう言われてしまっては、一美は動けなくなる。決して、萌を軽く見ているわけではない。ただ、心配なだけだ。その心配が不要なものなのか、妥当なものなのか、客観的に彼女を見ることができない彼には、判断できなかったが。
それ故に、一美は、どの段階で手を出すべきかを決めかねていて、いつの間にか十日も経ってしまっていた。
よりにもよって病棟の廊下で思わず手を出してしまったあの時に彼を頼るように告げたけれども、これまた予想通り、萌は何も言ってこない。本当にまだ大丈夫なのか、あるいは、彼女が限界に気付いていないだけなのか。
亡くなった樫本康太の時とは違い、今回はタイムリミットがある。長くてもあと三週間というところで、だからこそ、一美はまだ見守るだけに留めているのだが、その辛抱もそろそろ限界に近付きつつあった。
「ちょっとぉ、隣にこんな色男がいるっていうのに、ガン無視はひどいんじゃないのぉ?」
口を付けようともせずグラスを弄んでいた一美に、隣から能天気な声がかかる。物思いを中断されて、彼はチラリとそちらに視線を送ったが、また無視を決め込んだ。
独りで家にいるのも落ち着かないから誘いに乗っただけであって、彼の玩具になるつもりは更々ない。
存在を認めてもらえなかった彼――朗は、大袈裟に派手なため息をついた。
「おいおい、マジでシカトしないでよ。オレがバカみたいじゃんか」
「バカだろう?」
「そりゃそうだけどね。まったく、カリカリしてるなぁ。せっかく、人が気晴らしに連れ出してやったのに。欲求不満? やっぱ、女の子呼ぼうか?」
「いらん」
「うっわぁ、変われば変わるもんだねぇ」
にべもなく突っぱねた一美に、朗は何やらしたり顔でニヤ付く。一美はそのにやけ面へ向けてグラスの中身をぶちまけてやりたくなる。不穏な気配を察したのか、彼は少し身を引きながら言った。
「また萌ちゃんのことなんだろう? っていうか、元はと言えばオレがコンサルトしたあの子のことだろうけど」
無言は肯定だ。朗も、一美の返事を待つことなく続ける。
「ホントに、萌ちゃんって、何かを目指したらわき目を振らずにまっしぐら、だよね。恋人を十日間も放っておくなんて、つれないよなぁ」
一美は、本気で、本当にウィスキーを――いや、割水をバケツごと頭のてっぺんにかましてやろうかと思った。その横で、朗がクックと笑う。
「お前もさ、『患者ばかりじゃなく、俺も見ろ!』とか、駄々をこねてみたらいいのに」
「そんなこと言うか」
「余裕だねぇ。でも、あんまり達観していると、しくじるぞ?」
「仕方がないだろう。彼女は子どものことになると目の色が変わる」
「それって、我が子に奥さん取られた夫の台詞じゃん」
まさにピッタリだ、と笑い声をあげる朗が腹立たしい。彼を無視して、一美はグラスを口元に運んだ。そして、一口含む。
その時。
「お前ってさ、まだ萌ちゃんに手ぇ出してないだろ」
一美はヒュッと息を引き込み、そして、次の瞬間、彼の胸は焼けつくような痛みに襲われた。
激しく咳き込む一美に、朗は澄ました顔で訊いてくる。
「でもさぁ、何で? 別に、彼女だって嫌がらないんじゃないの? 付き合い始めて何ヶ月だっけ……三ヶ月……もうじき四ヶ月か。……うわぁ……よく我慢できてるねぇ。あ、もしかして、何かの病気? ッて!」
一美は、よく回る朗の口を、その後頭部を拳で殴って閉じさせた。
確かに、ひと月以上ご無沙汰なのは一美にとってもギネス級の新記録だが、彼にも思うところがあるのだ。
萌には、触れたいと思う。
キスをすれば止められなくなるし、深みにはまり込みそうにもなる。一度《ひとたび》その柔らかな肌に触れれば、彼女の全てを知りたくなる。
だが――一美は、ある一線を越えることができないのだ。
その壁が何なのか、彼には判っている。判ってはいるが、どうにも壊せずにいる。
一美は、半ば自棄《やけ》のようにグラスの中身を一気に呑み干した。それをカウンターに置くと、バーテンダーに声をかける。
「もう一杯くれ」
そんな彼の横で、朗が頬杖を突いて自分のウィスキーを舐めている。そのしたり顔が、どうにも腹立たしい。
しばらく互いに無言で、それぞれのグラスの中身を減らしていく。
再び口を開いたのは、朗の方だった。
「あのさぁ……お前の気持ちは、解からないでもない。相手があの萌ちゃんだからねぇ。解からないでもないが――そりゃちょっと違うんじゃないの?」
「何が」
むっつりと応えた一美に、朗が小さく笑った。
「お前さ、ビビッてんでしょ?」
「……」
「付き合ってきたの、『経験』豊富な子ばっかだったもんなぁ。女の子の初めてはスッゴイ痛いらしいし、いつもと同じように気楽に……とはいかないか」
「……」
「ま、いいけどさぁ。あんまりがっつり真綿で包んでると、『いいお兄さん』になっちゃうよ? それに、もしかしたら、『わたしって、女として見られていないかも……』とか、思われちゃったりしてね」
そう言って朗は残りを全て呑み干すと、立ち上がった。
「だいぶマシになったけどさ、お前って、相変らず彼女のことを子ども扱いしてるよね。護ってあげたくなっちゃうんだろうけど、ちゃんと『恋人』としても扱ってやったら?」
またイタズラじみた笑みを浮かべているのかと思ったが、振り返って見た朗は滅多に見ない真面目な顔をしていた。らしくない表情に、一美は眉をひそめる。そんな彼に、朗は肩をすくめて寄越した。
「お前よりは色んなタイプの子と付き合ってきたオレからの忠告。たまには『君が欲しいんだ!』ってとこを見せてあげた方がいいんじゃない? 今のままじゃ、『岩崎一美』よりも『仕事』の方が彼女を必要としているように思われちゃうかもよ」
「どういう意味だ?」
「そのまんま。人ってさ、『ああ、私って必要とされている!』感が大事だと思わない?」
「俺は別に、彼女に興味がないから放置しているわけじゃないぞ」
「そりゃ、当たり前だけどさ。思ってるだけじゃ伝わらないことも多いだろ? ちゃんと判るように表して欲しいことってあるじゃない。それは、お前も良く知ってるだろうに」
そう言って、朗は苦笑する。
「……どういう意味だ?」
「さあね。取り敢えず、親友からのありがたいアドバイスはおしまい。オレは帰るわ。やっぱ、飲む時にゃ野郎だけじゃ味気ないし」
ヒラヒラと手を振って朗が去っていき、一美はカウンターに独り残された。
言いたいことを言い逃げしていった友人に、一美は苦虫を噛み潰した顔になる。
自分よりも仕事の方が、彼女を必要としている?
違う、彼女が仕事を必要としているから、一美は指を咥えて見守っているのだ。
彼も萌を傍に置いておきたいと思っているが、彼女の意思を尊重して距離を取っているだけだ。
それのどこがいけないというのか。
まだ手を出していないのも、彼女を想えばこそ、だ。
萌のことは、ほんのわずかも傷付けたくないと思っている。何ものからも、護ってやりたいと思うのだ。そして、その『何もの』には、一美自身も含まれる。
彼女は、まだ幼い。一美が自分の思いの向くままに行動すれば、きっと戸惑い、怯えるだろう。
彼が萌から何かを奪ったり、彼女を傷つけることになったりするような羽目には、決して陥りたくはなかった。
だから、うかつに手を出せない。
時機を待つことの、どこが間違っている?
萌が今まで付き合ってきた女たちとは別物なのだということは、明らかなのだ。だから、一美は彼女のペースに合わせている。
それが正しい方法なのだということを、一美は信じて疑わなかった。
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