5 / 7
信号
しおりを挟む
車の信号は流石に守るけど、歩行者用の信号って、どのくらいの奴がきちんと守ってるんだろうなぁ。目の前が赤信号でも、左右を見て、車が来てなかったら行っちまうってのが、大多数だと思う。
俺もその口。
だってさぁ、夜中で誰もいないんだぜ? 車が来たら、ライトですぐに判るし。なのにボケッと一分近く待つ方がバカじゃね?
だから、さっさと渡っちまったよ、その時も。赤信号を。
そうしたら、半分くらい進んだ時かな。
あの感覚を、どう表現したらいいんだろう。
サワサワ? シャクシャク? ヒソヒソ?
とにかく、こう、耳のすぐ後ろで囁かれているような――でも、ヒトの声ではない。何かが何かを言っているようなそれと、腰の辺りが子どもの手でくすぐられるような、ゾワゾワとした感じ。
まるで、昼間の渋谷の交差点を歩いているような、大勢がうごめく気配。
そして、臭い。何だろう。これは……そう、海だ。この町は内陸で、海なんか何十キロも先だってのに、生ぐさい、淀んだ潮水の臭い。
そんなのが、赤信号を無視して横断歩道の上を歩く俺の周りに溢れ返ってた。
何も、見えなかったんだ。何も。
だが、間違いなく、何かがいた。
走ってさっさとその場から逃げたくても、足がやけに重くて、まるで水の中を歩いているみたいだった。焦れば焦るほど、その見えない水が足に絡みついてくる。前へ、前へと、無意識のうちに空気を掻いた俺の手が、何かに触れる。温かくも冷たくもない、こう――泥の中にヌルッと手を突っ込んじまったような、感触だった。
必死になって、這う這うの体で横断歩道を渡りきると。
それは、不意に全部消え失せたんだ。音も、感触も。
もう、何もない――何も。そこにあったのは、いつもと変わらない、交差点。
残っているのは、臭いだけ。
それだけは、周囲から消えてもしつこく俺の鼻の粘膜に滲みついている。
今渡ってきた方向は、青になっていた。そして、横を向くと、そこは赤信号。
俺は、それに背を向けて歩き出した。
きっと、気のせいだったんだ。
まだ脳裏を震わせている囁きも、鼻腔の奥深くにこびりついたままの臭いも、手のひらに残るぬめった感触も。
全部、気のせい。
――そう思ったけれど、俺は二度と赤信号を渡ることはなかったよ。
俺もその口。
だってさぁ、夜中で誰もいないんだぜ? 車が来たら、ライトですぐに判るし。なのにボケッと一分近く待つ方がバカじゃね?
だから、さっさと渡っちまったよ、その時も。赤信号を。
そうしたら、半分くらい進んだ時かな。
あの感覚を、どう表現したらいいんだろう。
サワサワ? シャクシャク? ヒソヒソ?
とにかく、こう、耳のすぐ後ろで囁かれているような――でも、ヒトの声ではない。何かが何かを言っているようなそれと、腰の辺りが子どもの手でくすぐられるような、ゾワゾワとした感じ。
まるで、昼間の渋谷の交差点を歩いているような、大勢がうごめく気配。
そして、臭い。何だろう。これは……そう、海だ。この町は内陸で、海なんか何十キロも先だってのに、生ぐさい、淀んだ潮水の臭い。
そんなのが、赤信号を無視して横断歩道の上を歩く俺の周りに溢れ返ってた。
何も、見えなかったんだ。何も。
だが、間違いなく、何かがいた。
走ってさっさとその場から逃げたくても、足がやけに重くて、まるで水の中を歩いているみたいだった。焦れば焦るほど、その見えない水が足に絡みついてくる。前へ、前へと、無意識のうちに空気を掻いた俺の手が、何かに触れる。温かくも冷たくもない、こう――泥の中にヌルッと手を突っ込んじまったような、感触だった。
必死になって、這う這うの体で横断歩道を渡りきると。
それは、不意に全部消え失せたんだ。音も、感触も。
もう、何もない――何も。そこにあったのは、いつもと変わらない、交差点。
残っているのは、臭いだけ。
それだけは、周囲から消えてもしつこく俺の鼻の粘膜に滲みついている。
今渡ってきた方向は、青になっていた。そして、横を向くと、そこは赤信号。
俺は、それに背を向けて歩き出した。
きっと、気のせいだったんだ。
まだ脳裏を震わせている囁きも、鼻腔の奥深くにこびりついたままの臭いも、手のひらに残るぬめった感触も。
全部、気のせい。
――そう思ったけれど、俺は二度と赤信号を渡ることはなかったよ。
0
あなたにおすすめの小説
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2025/12/24:『おおみそか』の章を追加。2025/12/31の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/23:『みこし』の章を追加。2025/12/30の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/22:『かれんだー』の章を追加。2025/12/29の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/21:『おつきさまがみている』の章を追加。2025/12/28の朝8時頃より公開開始予定。
2025/12/20:『にんぎょう』の章を追加。2025/12/27の朝8時頃より公開開始予定。
2025/12/19:『ひるさがり』の章を追加。2025/12/26の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/18:『いるみねーしょん』の章を追加。2025/12/25の朝4時頃より公開開始予定。
※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる