道路の七不思議

トウリン

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信号

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 車の信号は流石に守るけど、歩行者用の信号って、どのくらいの奴がきちんと守ってるんだろうなぁ。目の前が赤信号でも、左右を見て、車が来てなかったら行っちまうってのが、大多数だと思う。

 俺もその口。
 だってさぁ、夜中で誰もいないんだぜ? 車が来たら、ライトですぐに判るし。なのにボケッと一分近く待つ方がバカじゃね?

 だから、さっさと渡っちまったよ、その時も。赤信号を。

 そうしたら、半分くらい進んだ時かな。

 あの感覚を、どう表現したらいいんだろう。

 サワサワ? シャクシャク? ヒソヒソ?

 とにかく、こう、耳のすぐ後ろで囁かれているような――でも、ヒトの声ではない。何かが何かを言っているようなそれと、腰の辺りが子どもの手でくすぐられるような、ゾワゾワとした感じ。
 まるで、昼間の渋谷の交差点を歩いているような、大勢がうごめく気配。
 そして、臭い。何だろう。これは……そう、海だ。この町は内陸で、海なんか何十キロも先だってのに、生ぐさい、淀んだ潮水の臭い。

 そんなのが、赤信号を無視して横断歩道の上を歩く俺の周りに溢れ返ってた。

 何も、見えなかったんだ。何も。
 だが、間違いなく、何かがいた。

 走ってさっさとその場から逃げたくても、足がやけに重くて、まるで水の中を歩いているみたいだった。焦れば焦るほど、その見えない水が足に絡みついてくる。前へ、前へと、無意識のうちに空気を掻いた俺の手が、何かに触れる。温かくも冷たくもない、こう――泥の中にヌルッと手を突っ込んじまったような、感触だった。

 必死になって、這う這うの体で横断歩道を渡りきると。

 それは、不意に全部消え失せたんだ。音も、感触も。

 もう、何もない――何も。そこにあったのは、いつもと変わらない、交差点。
 
 残っているのは、臭いだけ。
 それだけは、周囲から消えてもしつこく俺の鼻の粘膜に滲みついている。

 今渡ってきた方向は、青になっていた。そして、横を向くと、そこは赤信号。

 俺は、それに背を向けて歩き出した。

 きっと、気のせいだったんだ。

 まだ脳裏を震わせている囁きも、鼻腔の奥深くにこびりついたままの臭いも、手のひらに残るぬめった感触も。
 全部、気のせい。

 ――そう思ったけれど、俺は二度と赤信号を渡ることはなかったよ。
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