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仔猫の日常は終わりを告げる
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「最近、なんか、人が少なくない?」
ケイティは眉間にしわを寄せて食堂を一望した。
彼女の疑問に、隣に立つフィオナも、お盆を胸に抱きながら頷く。
「やっぱりケイティもそう思う?」
「うん」
ケイティは、まさに昼食時真っただ中であるにも拘らず人もまばらな食堂をもう一度しげしげと眺めた。
隊員たちの日常は、訓練を除けば外回りの業務が基本だから、昼間に建物の中が閑散とするのは以前と同じだ。けれども、いつもなら食事時には少なくとも三十人は入れ代わり立ち代わり食堂に訪れるところが、ケイティがここでの仕事に復帰してからというもの、明らかに、常に半分程足りない感じがする。
「取っといたのはなくなってるから、ちゃんと皆食べてはいるみたいだけど」
残った食事は、いつでも食べられるようにと保冷庫に入れておく。それは、いつの間にか消えているのだ。
むぅと唇を尖らせたケイティに、フィオナが思案深げに言う。
「ケイティが帰ってくる少し前からこんな感じだったの」
「ふぅん、そんな前から? 何か事件が起きてるのかな。でも、街がそんなにバタバタしてるようにも見えないんだけど……」
言いながらも、ケイティは小首をかしげた。買い物に行っても、街はいつもと変わりがないようにしか見えない。隊員の半分以上がひっきりなしに出回るほど、大きなことが起きているようには思えなかった。
けれど、ケイティが帰る前からと言うと、もう一週間くらいにはなる。そんなに前からなら、何か噂話の一つや二つ流れていてもよさそうなものなのに、街中は至って平和だ。少なくとも、ケイティにはそう見える。
「まあ、いいか。取り敢えず、買い物に行ってくるね」
隊員の動向は気になるけれど、たとえこっそりとでも食材は着実に減っていくので、補給は必要だ。
「あ、うん。いってらっしゃい」
にこりと笑ったフィオナに手を振り、ケイティは前掛けを外して代わりに買い物かごを手に取った。肉や野菜などの量が多いものは店の人に届けてもらうので、かごは臨時で購入する細々とした日用品などの為だ。
ケイティが詰所を出ようとしたところで、アレンがふらりと現れる。
「あれ、買い物かい?」
「はい。でも、そんなに荷物はないはずだから一人でも大丈夫ですよ」
「俺も欲しいもんがあるから。一緒に買ってくれたら経費で落ちるんじゃね?」
「物によりますね。何ですか?」
首をかしげて彼を見上げると、アレンはニヤリと笑った。
「男の必需品」
「……まあ、いいですけど。落ちるかどうかはだんな様に確認してください」
やれやれとかぶりを振って、ケイティは歩き出す。
詰所を出たケイティとアレンは、徒歩で商店街に向かう。昼下がりのウィリスサイドの街並みは活気に溢れていた。
いつもの店を巡って注文を出しながら、毛色の変わったものが置かれた露店を冷やかす。アレンは一緒にいて楽しい人で、あっという間に半刻ほどが過ぎてしまった。
「あたしの方は終わりましたけど、アレンさんはいいんですか?」
一通り回り終え、そろそろ帰路に就かなければと彼を見上げた時だった。
「ケイティ!」
不意に、名前を呼ばれる。
隣でアレンが「しまった」とか何とか呟いたのが耳に届いたけれども、ケイティは飛びついてきた者に気を取られ、彼にその一言を問い返すことができなかった。
「ファニー?」
ケイティは声の主を見て眉をひそめる。
ファニーはケイティやフィオナと共に娼館に囚われていた少女で、この街に残った者のうちの一人だ。小さな食堂で給仕をしていて、時々、フィオナと一緒に会っている。
「どうしたの、そんなに――慌てて」
ケイティは束の間言い淀んだ。
慌ててというよりも、怯えてという方が正しいかもしれない。
いぶかしむケイティの腕を、ファニーがすがるように掴んでくる。そして、切迫した口調で囁くように言った。
「ベティーが、死んだって!」
「……え?」
ベティーもまた、あの件の被害者の一人で、この街に残った少女だ。
(その、ベティーが……?)
耳に入ってきた言葉を受け止めきれずにいるケイティに、ファニーが畳みかけてくる。
「あの子が殺されたって、知ってる!?」
知らない。
パッとアレンを見上げると、彼の顔には一瞬しまったと言うような表情がよぎり、消えた。アレンはケイティから目を逸らし、ファニーが来た方へそれを向ける。つられてそちらを見ると、ケイティもよく知っている隊員の姿があった。けれど、どうしてか、彼は制服を身に着けていない。
駆け寄ってきた隊員に、アレンが渋面を向ける。
「ゲイル」
「すまん。急な動きで止められなかった」
ゲイルと呼ばれたのはアレンよりも十近く年長の隊員で、彼は申し訳なさそうに頭を掻いている。
「まあ、やっちまったもんは仕方ないですけど。取り敢えず、彼女を連れて帰って落ち着かせてやってくださいよ」
「ああ。さあ、おいで、ファニー」
「でも――」
「説明するから」
ファニーは不安に満ち満ちた顔でケイティを振り返ったけれども、彼女が話してあげられることは何もない。
「ファニー、お行きなさいな」
「だけど……」
「あの人が説明してくれるって、言ったでしょう?」
言いながらケイティはファニーの腕をそっと解いて、ゲイルに任せる。
「ケイティ」
心細そうに身を寄せてきたファニーに、ケイティは励ますように笑顔を浮かべた。
「説明してあげたくても、あたしは何も知らないから。大丈夫、ゲイルさんは警邏隊の人だから安心して」
そう言って促すと、ファニーはチラリとゲイルを見た。彼はニコリと彼女に笑い返す。その笑顔が功を奏したのか、ファニーは小さく頷いた。
「ケイティ……うん、わかった」
ファニーは幾度かケイティを振り返りながら、ゲイルに連れられて行った。
人波の中に消えるまで二人の背中を見送って、ケイティはアレンを睨み付ける。
「で、どういうことなんですか?」
今の短い遣り取りから察するに、ゲイルはファニーについていたのだ。しかも私服で、こっそりと。
それはつまり、隠れて彼女の身を守っていたということになるのではないだろうか。
加えて、ベティーが殺されたというファニーの台詞。
二人の共通点と言えば、あの娼館のことしかない。
唇を引き結んでアレンの返事を待ったけれども、彼は気まずげに眉根を寄せた。
「あ……と、ごめん、俺からは言えねぇわ」
「アレンさん!」
「隊長に訊いてくれよ。俺から話したりしたら隊長に殺されちまう。まあ、知られちまったからにはもう半殺しは確実かもしれねぇけど」
後半はブツブツと、アレンが言った。
ケイティはヒタと彼を睨み、ヘラリと笑い返され、荒く息をつく。
確かに、アレンやゲイルに命令を下しているのはブラッドだ。彼に全てを訊くのが筋というものだろう。
「じゃ、今すぐ戻りましょう」
その言葉を言い終えるより先に歩き出したケイティの耳に、アレンのため息が届いた。
ケイティは眉間にしわを寄せて食堂を一望した。
彼女の疑問に、隣に立つフィオナも、お盆を胸に抱きながら頷く。
「やっぱりケイティもそう思う?」
「うん」
ケイティは、まさに昼食時真っただ中であるにも拘らず人もまばらな食堂をもう一度しげしげと眺めた。
隊員たちの日常は、訓練を除けば外回りの業務が基本だから、昼間に建物の中が閑散とするのは以前と同じだ。けれども、いつもなら食事時には少なくとも三十人は入れ代わり立ち代わり食堂に訪れるところが、ケイティがここでの仕事に復帰してからというもの、明らかに、常に半分程足りない感じがする。
「取っといたのはなくなってるから、ちゃんと皆食べてはいるみたいだけど」
残った食事は、いつでも食べられるようにと保冷庫に入れておく。それは、いつの間にか消えているのだ。
むぅと唇を尖らせたケイティに、フィオナが思案深げに言う。
「ケイティが帰ってくる少し前からこんな感じだったの」
「ふぅん、そんな前から? 何か事件が起きてるのかな。でも、街がそんなにバタバタしてるようにも見えないんだけど……」
言いながらも、ケイティは小首をかしげた。買い物に行っても、街はいつもと変わりがないようにしか見えない。隊員の半分以上がひっきりなしに出回るほど、大きなことが起きているようには思えなかった。
けれど、ケイティが帰る前からと言うと、もう一週間くらいにはなる。そんなに前からなら、何か噂話の一つや二つ流れていてもよさそうなものなのに、街中は至って平和だ。少なくとも、ケイティにはそう見える。
「まあ、いいか。取り敢えず、買い物に行ってくるね」
隊員の動向は気になるけれど、たとえこっそりとでも食材は着実に減っていくので、補給は必要だ。
「あ、うん。いってらっしゃい」
にこりと笑ったフィオナに手を振り、ケイティは前掛けを外して代わりに買い物かごを手に取った。肉や野菜などの量が多いものは店の人に届けてもらうので、かごは臨時で購入する細々とした日用品などの為だ。
ケイティが詰所を出ようとしたところで、アレンがふらりと現れる。
「あれ、買い物かい?」
「はい。でも、そんなに荷物はないはずだから一人でも大丈夫ですよ」
「俺も欲しいもんがあるから。一緒に買ってくれたら経費で落ちるんじゃね?」
「物によりますね。何ですか?」
首をかしげて彼を見上げると、アレンはニヤリと笑った。
「男の必需品」
「……まあ、いいですけど。落ちるかどうかはだんな様に確認してください」
やれやれとかぶりを振って、ケイティは歩き出す。
詰所を出たケイティとアレンは、徒歩で商店街に向かう。昼下がりのウィリスサイドの街並みは活気に溢れていた。
いつもの店を巡って注文を出しながら、毛色の変わったものが置かれた露店を冷やかす。アレンは一緒にいて楽しい人で、あっという間に半刻ほどが過ぎてしまった。
「あたしの方は終わりましたけど、アレンさんはいいんですか?」
一通り回り終え、そろそろ帰路に就かなければと彼を見上げた時だった。
「ケイティ!」
不意に、名前を呼ばれる。
隣でアレンが「しまった」とか何とか呟いたのが耳に届いたけれども、ケイティは飛びついてきた者に気を取られ、彼にその一言を問い返すことができなかった。
「ファニー?」
ケイティは声の主を見て眉をひそめる。
ファニーはケイティやフィオナと共に娼館に囚われていた少女で、この街に残った者のうちの一人だ。小さな食堂で給仕をしていて、時々、フィオナと一緒に会っている。
「どうしたの、そんなに――慌てて」
ケイティは束の間言い淀んだ。
慌ててというよりも、怯えてという方が正しいかもしれない。
いぶかしむケイティの腕を、ファニーがすがるように掴んでくる。そして、切迫した口調で囁くように言った。
「ベティーが、死んだって!」
「……え?」
ベティーもまた、あの件の被害者の一人で、この街に残った少女だ。
(その、ベティーが……?)
耳に入ってきた言葉を受け止めきれずにいるケイティに、ファニーが畳みかけてくる。
「あの子が殺されたって、知ってる!?」
知らない。
パッとアレンを見上げると、彼の顔には一瞬しまったと言うような表情がよぎり、消えた。アレンはケイティから目を逸らし、ファニーが来た方へそれを向ける。つられてそちらを見ると、ケイティもよく知っている隊員の姿があった。けれど、どうしてか、彼は制服を身に着けていない。
駆け寄ってきた隊員に、アレンが渋面を向ける。
「ゲイル」
「すまん。急な動きで止められなかった」
ゲイルと呼ばれたのはアレンよりも十近く年長の隊員で、彼は申し訳なさそうに頭を掻いている。
「まあ、やっちまったもんは仕方ないですけど。取り敢えず、彼女を連れて帰って落ち着かせてやってくださいよ」
「ああ。さあ、おいで、ファニー」
「でも――」
「説明するから」
ファニーは不安に満ち満ちた顔でケイティを振り返ったけれども、彼女が話してあげられることは何もない。
「ファニー、お行きなさいな」
「だけど……」
「あの人が説明してくれるって、言ったでしょう?」
言いながらケイティはファニーの腕をそっと解いて、ゲイルに任せる。
「ケイティ」
心細そうに身を寄せてきたファニーに、ケイティは励ますように笑顔を浮かべた。
「説明してあげたくても、あたしは何も知らないから。大丈夫、ゲイルさんは警邏隊の人だから安心して」
そう言って促すと、ファニーはチラリとゲイルを見た。彼はニコリと彼女に笑い返す。その笑顔が功を奏したのか、ファニーは小さく頷いた。
「ケイティ……うん、わかった」
ファニーは幾度かケイティを振り返りながら、ゲイルに連れられて行った。
人波の中に消えるまで二人の背中を見送って、ケイティはアレンを睨み付ける。
「で、どういうことなんですか?」
今の短い遣り取りから察するに、ゲイルはファニーについていたのだ。しかも私服で、こっそりと。
それはつまり、隠れて彼女の身を守っていたということになるのではないだろうか。
加えて、ベティーが殺されたというファニーの台詞。
二人の共通点と言えば、あの娼館のことしかない。
唇を引き結んでアレンの返事を待ったけれども、彼は気まずげに眉根を寄せた。
「あ……と、ごめん、俺からは言えねぇわ」
「アレンさん!」
「隊長に訊いてくれよ。俺から話したりしたら隊長に殺されちまう。まあ、知られちまったからにはもう半殺しは確実かもしれねぇけど」
後半はブツブツと、アレンが言った。
ケイティはヒタと彼を睨み、ヘラリと笑い返され、荒く息をつく。
確かに、アレンやゲイルに命令を下しているのはブラッドだ。彼に全てを訊くのが筋というものだろう。
「じゃ、今すぐ戻りましょう」
その言葉を言い終えるより先に歩き出したケイティの耳に、アレンのため息が届いた。
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