獅子隊長と押しかけ仔猫

トウリン

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仔猫は鼠に噛み付く

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「連れて来い」
 悦に入った顔でデリック・スパークはそう言うと、踵を返して隠し部屋の戸口から姿を消した。

 目方も背丈もケイティの倍以上はありそうな男たちが両側から彼女の腕を掴み、隠し小部屋から引きずり出す。振り返れば、フィオナも同じようにされていた。彼女は怯えきっていて、顔色は蒼白だ。
 ケイティは精一杯身体を捻って、フィオナを捕まえている男のうち、近い方の脛を蹴り飛ばした。
「痛ッ! 何すんだ!」
「あんたこそ何してんのよ、乱暴にしないでよ! その子はあんたたちと違って繊細なんだから!」
「このアマ!」
 男はフィオナを放して拳を振り上げた。ケイティは息を吸い込み相手を見上げる。実際にそれが使われるなら噛みついてやろうと身構えて。
 けれど、今にも殴りかからんばかりになっていた男を、うんざりしたような声が制する。デリック・スパークだ。
「やめろ。傷もんにしたらしばらく使えなくなるだろうが」
「へぇ……」
 いかにも渋々という風情で男が手を下げた。デリック・スパークは彼をひと睨みし、次いで、ケイティにその目を移す。
「やれやれ、とんだじゃじゃ馬だな。こいつらは気が荒いからな、あんまり苛つかせると儂でも手綱を取れなくなるぞ?」
 デリック・スパークの眼と声にあるのは、断じて、ケイティを案じるものではない。彼は彼女の虚勢を見抜いて面白がっているのだ。

 何とかして逃げないと。
 ケイティは奥歯をきつく噛み締めた。
 けれど、そうは思っても出てすぐの貯蔵庫にはむさくるしい男たちがひしめき合っていて、そこをすり抜けるなど透明人間にでもならない限りは不可能だ。彼らに押し出されるようにして厨房まで来ると、ケイティはそこで放るように解放された。次いで同じようにされたフィオナが彼女に身を寄せてくる。
「大丈夫、心配しないで」
 ブラッドたちが助けてくれるから。
 それは声には出さなかったけれども、フィオナには伝わったらしい。彼女は震えながらも小さく頷いて、その健気さにケイティはそっと笑みを返す。

 そんな二人の前に、デリック・スパークが立った。黒髪黒目、頬を覆うむさくるしい髭。牢屋でも悠々自適に暮らしていたのか、三年前よりも恰幅が良くなったように見える。背丈はブラッドよりも頭一つ分低いくらいだけれども、目方はきっと同じくらいあるに違いない。
「手間かけさせやがって」
 不満そうな台詞でも、彼のその声、その表情はニヤついている。余裕綽々、ケイティたちが逃げられるとも、ブラッドたちが助けに来るとも、微塵も思っていないらしい。

 けれど、ブラッドたちは来てくれるはずだ。
 必ず。

(でも……)
 彼らが間に合うためには、今、なんとしてでもその時間を稼がなければならない。
(どうしたら、いい?)
 ケイティは自問しながら懸命に頭を働かせる。ここは厨房、彼女たちの背後にあるのは洗い台だ。トムが火事の報せをもたらすまで、ケイティとフィオナは夕食の後片付けをしていた。

 ケイティは、記憶を探る。
(確か、桶の中に――)
 彼女は振り返りもせず洗い台の中にある、泡混じりの水がたたえられた桶にそっと手を沈めた。水音は立てなかったけれども、不自然な動きには気付かれてしまう。
「何してる?」
 デリック・スパークは咎めるというよりも揶揄する口調で言った。ケイティはそれを無視して指先に触れた棒状の物を掴み、引き上げる。彼女が手にした物を目にしたデリック・スパークの眉が上がった。

「おいおい、それでどうしようってんだ?」
「もちろん、あんたたちをやっつけるのよ」
 ケイティは、その唯一の武器――小さな肉切りナイフを両手で握り締め、刃を前に向ける。
 当然、それでこの山のような男たちをどうこうできるとは彼女だって思っていない。誰か一人が手を伸ばしてくれば、簡単に取り上げられてしまうだろう。そんなことは判っているけれど、ケイティはこの中で一番小さな背を精一杯に反らして、ニヤニヤと嗤う男たちをねめつけた。

「おお、怖い怖い」
 デリック・スパークが両腕で自分の身体を抱き締め、大仰に震えて見せる。
 ケイティは片手でフィオナを庇い、もう片方の手でナイフを握り締めながら、じりじりと動いて壁伝いに食堂に出た。そこには、厨房の三倍の人数の男たちがずらりと肩を並べている。
 ケイティは絶望に膝がくずおれそうになった。
 自力でここから逃げ出すなど、到底できそうにない。
 けれど、諦めたらおしまいだ。
 彼女は震える膝を叱咤して、辛うじて真っ直ぐに立つ。そうして、悠々と厨房から出てきたデリック・スパークを見据えた。
 彼は余裕に満ちた態度でケイティを見返し、酷薄な光をその眼に浮かべる。

「まあ、こっちとしてもゆっくり遊んでやりたいところなんだがな、取り敢えずさっさと場所を変えとこうか。邪魔が入らんところでたっぷり相手をしてやるよ」
「ケイティ」
 彼の台詞に、フィオナがケイティの腕を握り締める。ケイティは頬の内側を血が出るほどに噛み締めた。
 ここから連れ出されるわけにはいかない。ブラッドたちが戻るまでは、何が何でもここに留まっておかないと。
 ケイティは腹いっぱいに空気を吸い込んだ。

「あんたたちなんて、だんな様たちが来たら爪の先で潰されちゃうのよ。あ、そうか、それが判ってるから早くここから逃げ出したいのよね」
 ピンと伸ばした髪の毛さながらに張り詰めた気持ちを押し隠して鼻で嗤って見せると、デリック・スパークの眼の色が変わった。
「何?」
「三年前だってひとたまりもなかったものね。いつだんな様たちが帰ってくるか、気が気じゃないんでしょ? 怖くてたまらないのよね」
 これ見よがしに肩をすくめてかぶりを振ったケイティに、デリック・スパークが一歩詰め寄りかけた。が、すぐにせせら笑いを浮かべる。
「あんな若造、恐れるに足りんわ。お前なぞこの場でこいつらにくれてやってズタボロになるまで玩具にしてやってもいいんだが、それだとこの手に残るもんがないんだよ。お前たちのせいでちと懐具合も寒くなっておるしな、フランジナに連れて行って三年前にやるはずだったことをやらせてやる」

 つまり、身体を売って彼に金を稼がせろということか。

 フランジナは海を越えた隣国だ。そんなところに連れて行かれるなど、たまったものではない。
 ケイティはナイフを握り締めた。
「あんたの好きにはさせないわよ」
 唇を引き結んでデリック・スパークを睨みつけるケイティに、彼が嘲りの眼差しを向ける。
「させねぇもくそもねぇ。するんだよ。何、こいつらの相手をひと通りこなしゃ、嫌がる気力も失せるってもんさ。そっちの娘は価値が下がっちまうと困るが、お前は使い古しでも別に構わんからな」
 ふん、と、デリック・スパークは忌々しそうに鼻を鳴らした。
「三年前にチョイと欲の皮を突っ張らしちまったんだよな。まあ、あれだけご執心だったんだ、多少遅れたところでまだ欲しがるだろう」
 彼の台詞に、ケイティは内心で眉をひそめる。まるで、フィオナはケイティと――当時捕らえていた他の少女たちとは扱いが違うような言い方だ。
 けれど、ケイティがそれを問い返す前に、デリック・スパークが苛立たしげな声で続ける。

「それにな、借りを返してやりたいのはタレこみやがったお前にだけじゃねぇんだよ。儂を地面に這いつくばらせたあのクソガキにも泣きっ面かかせてやらねぇと気が済まねぇ。あいつはずいぶんとお前を大事にしてるようだからな、できたら目の前でヤッてやるのが一番なんだが、まあ、仕方がねぇ。取り敢えずは……」
 話しているうちに理性を取り戻してきたのか、彼は今にも撤収しそうな雰囲気を漂わせた。

(いけない)
 ケイティは再びデリック・スパークの関心を引き寄せようと声を上げる。
「さっさと尻尾巻いて逃げ出したいってわけか。それにしては、吠えるのだけはずいぶんと勇ましいのね。よくここまで乗り込む気概が持てたもんだわ」
 バカにしきったケイティの嘲笑に、再びデリック・スパークの気が彼女に向けられる。彼はギラリと目を光らせ、ケイティを見た。
「言ってくれるな。そうだな、奴らが戻ってくるのを待ってもいいぞ。お前たちを人質にすれば手出しができないだろうからな。指くわえて儂らを送り出すしかないってなもんだ」

 確かに、ブラッドなら絶対そうなるだろうけれど。

「だんな様がそんな卑怯な手に負けるわけがないでしょ。第一、あんたたちなんて人質取ったところでだんな様たちの足の裏にも及ばないわよ。ていうか、それが判ってるから人質なんて取るのよね。最初っから吠え面かいてんの、あんたたちの方じゃない」
 ケイティがそう言ってのけると、デリック・スパークの眼の色が変わった。

「このくそアマ。さんざ慰み者にしてぼろくずみてぇになったお前を若造に送り返してやる」
 ぼってりと肉厚の手が、ケイティに向けて伸びてくる。
 それに掴まれたらどうなるか、想像に難くない。

(いざとなったら、刺し殺してでも抵抗してやる)
 ケイティはナイフを握り締める両手に力を込めた。フィオナが、背中の身ごろをギュッと掴んでくる。

 デリック・スパークの指先が、今にもケイティに触れんばかりになった、その時だった。

「動くな!」
 それまで近づいてくる足音など一つもしなかったのに、突然、食堂の中にそんな一喝が響き渡る。

「だんな様!」
 振り返った先に待ち焦がれていた姿を目にしたケイティは思わず声を上げ、すぐに我に返る。
「フィオナ走って!」
 反射的にその声に従って駆け出したフィオナに向かって伸ばされた男の手に、ケイティは力いっぱいしがみついた。その拍子にナイフが落ちてどこかに行ってしまったけれど、そんなものに気を留める余裕などない。

「ケイティ!」

 しがみついた太い腕に振り回されながら、ケイティは、吠えるような声で彼女の名を呼ぶブラッドの姿を目の端でとらえていた。
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