獅子隊長と押しかけ仔猫

トウリン

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獅子隊長は降参する

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 ブラッドたちが詰所に着いてみると、全ての部屋に煌々と灯りがともされていた。
「奴ら、私たちが戻るとは思っていなかったようですね」
 窓を見据えたブラッドの隣で、若干の呆れを含んだ声でルーカスが呟いた。
 これでもかと灯りをつけていることといい、外に見張りを一人も付けていないことといい、ルーカスが言う通り、侵入者たちは警邏隊の存在をすっかり頭の外に追い出しているようだった。きっと、今でも火の扱いにきりきり舞いをしていると思っているに違いない。
 甘く見られたものだが、実際のところこれほど早く消火に至ることができたのは、常日頃から住人に徹底して叩き込んでいた訓練の賜物だろう。

「中に入るぞ」
 低い声でのブラッドの指示に、ルーカス、ティモシー、アレン、フランク、ジェス、ディーンが声なく頷いた。彼らをグルリと一瞥してから、ブラッドは音を殺して両開きの玄関扉を押し開ける。
 玄関広間にも、人の姿は見当たらなかった。だが、確かに、邸内には一人は二人ではない人の気配がある。
 ブラッドたちは身を潜めながらそれを辿り進んだ。どうやら、奴らは食堂に集まっているらしい。
(ケイティ達は見つかってしまったということだろうか)
 たまたまであればいいのだが、さっぱり侵入者に遭遇しないということは奴らは一か所に集まっているということで、つまりそれはもう探す必要がなくなった、探していたものを見つけたのだということになるのではなかろうか。

 ブラッドの胸の中に渦巻くその嫌な予感は、食堂に近付くにつれ耳に届き始めた声で現実のものとなる。
「だんな様がそんな卑怯な手に負けるわけがないでしょ。第一、あんたたちなんて人質取ったところでだんな様たちの足の裏にも及ばないわよ。ていうか、それが判ってるから人質なんて取るのよね。最初っから吠え面かいてんの、あんたたちの方じゃない」
 良く通る澄んだ声があからさまな嘲りを含んで響いてくる。
 ブラッドの全身からサッと血が引いた。
(あいつ、何挑発してるんだ!?)
 一瞬覚えた眩暈は、続くだみ声で一掃される。
「このくそアマ。さんざ慰み者にしてぼろくずみてぇになったお前を若造に送り返してやる」

 一刻の猶予もない。
 刹那ブラッドは手で皆に合図を出し、食堂内に飛び込んだ。

「動くな!」
 彼のその制止の声に、むさくるしい男どもが一斉に振り返った。束の間全てが静止した中、動いたのはケイティだった。
「フィオナ走って!」
 ケイティの一声に押し出されたように、フィオナが駆け出す。男たちの間を擦り抜ける彼女に向けて伸ばされた男の太い腕にケイティが飛びついた。その信じがたい行動に、ブラッドは一層目を剥く。

「ケイティ!?」
(どうして自分も逃げないんだ!?)
 無謀としか言えないケイティの行動に目を疑い思わず彼女の名前を叫んだブラッドだ。その横からルーカスが一歩を踏み出し、駆け込んできたフィオナを受け止めた。
「隊長!」
 フィオナを抱き込んだルーカスの鋭い叱責に、ブラッドは瞬時に我に返る。
 そうだ、呆けている場合じゃない。
「行くぞ!」
 振り返りもせずに告げ、ブラッドは、ケイティの元へ向かうべく押し寄せてきた下郎どもの中に飛び込んだ。

 取り敢えず手近な一人を固めた拳で殴りつけると、その男が他の数人を巻き込んで吹き飛んでくれる。それを避けようと身をよじった次の相手を掴み、混み合う真っただ中に投げ飛ばした。その巨体の下敷きになった数人の男が、蛙が踏み潰されたかのような呻き声をあげる。
 ブラッドに引き続き食堂に踊り込んだ他の隊員たちも、手当たり次第、力任せにならず者どもをのしていく。鍛え抜かれた彼らにとって、いくら数が上回っていようとも、侵入者たちは取るに足りない烏合の衆に過ぎなかった。三倍以上の数の差などないも同然、見る見るうちに、立って動く賊より床に伸びている方が多くなっていく。
(ケイティは……)
 一騎当千の部下たちに雑魚どもを任せ、一瞬視界から外してしまった彼女の姿を探したブラッドは、その時、壁に向かって飛ばされる小さな身体を見た。

「ケイティ!」
 吠えると同時に、そちらに走る。邪魔になる下衆を殴り倒すのは、ほとんど無意識の行為だった。
 壁に叩き付けられへたり込んだケイティの前に膝を突いたはいいが、どう触れたらいいのかが判らずブラッドは伸ばしかけた手を止める。
「ケイティ……」
 不安でひび割れた囁き声での呼びかけに、細い肩がピクリと震えた。動きを見せてくれたことに死ぬほど安堵したブラッドの前で、伏せられていたケイティの面が上がる。

「だんな様」
 彼を認めると同時に、場違いに、彼女が笑った。心の底から嬉しそうに。
 そこにあるのは、そして全幅の信頼だった。ブラッドが助けに来ることをケイティは微塵も疑っていなかったことが、ヒシヒシと伝わってくる。

(オレは、間に合ったのか)
 今度こそ。
 ブラッドはケイティの笑顔を食い入るように見つめた。その視線に応えるように、彼女が小首をかしげる。
 一見したところ、彼女の身体に怪我らしい怪我はない。見返してくる眼差しに曇りはなく、内面的にも大きな損傷を受けているようには見えなかった。
(オレは、間に合った)
 声には出さず、ブラッドはもう一度繰り返した。
 ケイティはブラッドを信じ、彼はそれに応えることができたのだ。彼は、愛おしく大事な者の信頼に応え、その人を守ることができたのだ。

 そう、実感した時。

 ――抱き締めたい。

 喜びと安堵が呼び水となったのか、ブラッドの中には唐突にそんな衝動が込み上げてきた。しかし、それはあまりに強過ぎて、彼女を抱き締めるどころか彼の動きの全てを止めてしまう。

 固まるブラッドにケイティの笑みが曇り、案じる色が取って代わる。
「だんな様? 大丈夫ですか……?」
 その問いかけに、ブラッドは深々と息をついた。それが引き金になったようで、彼の頭と体が通常運転を再開する。
「それはこちらの台詞だ。君こそ怪我はないか?」
 ごまかすための咳払いと共に問い返せば、ケイティの頬が安堵で緩む。
「ちょっと肩が痛いですけど、だいじょう――ッ!」
 不意に彼女の顔が強張り、そして弾かれたように飛び起きた。
 どうしたとブラッドが訊ねるよりも先にケイティが彼に覆い被さってくる。その理由は直後に響いた声で理解した。

「このクソガキがぁ!」
 怒号が耳に届くと同時にブラッドは背をよじりながら彼を庇わんとしているケイティを引き剥がし、腕の中に抱え込む。振り返った彼の目に入ってきたのは、ナイフを振り上げるデリック・スパークの姿だった。
 身を捻ったブラッドを、鋭い刃がかすめていく。彼は転がる勢いを生かしてケイティを抱えたまま立ち上がり、すかさずまだ体勢を立て直せていないデリック・スパークの背中に踵を叩き落とした。

「ぐぅッ」
 呻き声と共にデリック・スパークの身体が沈む。しかし、のしきれてはいなかったようで、もがきながら立ち上がろうとしたでっぷりとした背中を、ブラッドは力を込めて踏みつけた。
「くそ、てめぇ!」
 ジタバタともがく醜態を見下ろしているといっそこのまま背骨を砕いてやろうかという気持ちがふつふつと込み上げてきたが、それを実行する前にティモシーとアレンが来てしまう。見れば、侵入者たちは皆縛り上げられ床に転がされていた。
「隊長、やり過ぎたらいけませんよ?」
 ブラッドを見て眉をひそめたティモシーの顔と声は、たった今まで大乱闘のさ中にいたとは思えないような涼しげなものだ。
 唸りながらブラッドが足をどかすと、すかさずアレンがデリック・スパークに縄をかける。捕縛の為というよりも、ブラッドから守るためのようにも見えたのは気のせいか。
 少しばかり冷静になって、ブラッドは食堂内を見渡した。壊れた椅子や食卓が散乱して惨憺たる有様だが、隊員たちに怪我はなさそうだ。彼らは縛り上げた賊を一か所に集めている。デリック・スパークもアレンとティモシーに引きずられ、その中に放り込まれた。
「覚えてろよ、クソガキがぁ!」
 負け犬の遠吠えよろしくがなり立てたデリック・スパークの口に、ぬるい笑みと共にティモシーが丸めた手巾を突っ込んだ。それを最後に、食堂内に聞こえるのは痛みに悶える野郎どもの呻き声だけとなった。

 と、それを待っていたかのように、トントンとブラッドの背中が叩かれる。
 ケイティだ。

「あの、そろそろ下ろしてもらえませんか?」
 言われて気付く。ブラッドは、ケイティの細い背中に手を当て彼の肩口に押さえつけるようにして抱えたままでいた。
「ああ……」
 生返事はしたものの、彼女の脚を抱え込んだ腕も、背中に広げた手も、ブラッドは緩めることができない。
 仄かな重みと柔らかさと。何よりその温もりは彼女が無事な証で、もしかしたらこれが失われていたのかもしれないと思うと、目の前が真っ暗になるようだった。
 本当に、危ないところだったのだ。
 手放したくない、可能であれば死ぬまでこうしていたいが、そうもいかない。
 ブラッドはしばし無言で瞑目し、そして、そっと下ろしてやる。

 自分の両脚でしっかりと立ったケイティは、キョロキョロと食堂内を見回して声をあげた。
「これ、片付けるの大変ですよ」
 能天気この上ないその台詞に、ブラッドの中で何かがブツリと音を立てて千切れる。そして、脳裏に一気に記憶がよみがえった。
「お前は、何を考えていたんだ!?」
 突如向けられた叱責に、ケイティは目をしばたたかせている。心底、何故叱られているのかが解からないという風情で。
 ブラッドからしてみたら、どうして彼が怒っているのかを彼女が理解できていないことが理解できない。
 もう一度怒鳴り飛ばしそうになるのを深呼吸で堪え、多少は声を抑えて続ける。

「君が、オレを庇ってどうする? 何だって、あんなことをしたんだ? オレ『に』守って欲しいと言っただろう、君は。それが何故、オレ『を』庇うことになるんだ!?」
 ほんの一瞬のことだったが、本気で心臓が止まるかと思ったのだ。彼に覆い被さるケイティの向こうに刃先が煌いて見えた時は。
 安堵を通り過ぎた先の怒りを覚えながらブラッドはケイティを睨み据えたが、彼女はキョトンと目を丸くしている。その口が、「あ……」という形に開いた。そしてそれは、愛らしい、はにかむような笑みに変わる。
「えっとぉ、……つい?」
 その返事に、ブラッドはその場にくずおれそうになった。
「つい?」
 つい、で、死にそうな思いを味合わされたのか。
「あの、だんな様?」
 表情を消したブラッドを、軽くつま先立ちになったケイティが覗き込んでくる。
 軽く眉根を寄せた彼女は、無邪気で、無垢で、まったく――たちが悪い。

 いったい、どうしてくれよう。
 屈託なく見上げてくる彼女を、絞め殺したいような気分だ。
 そんなことを考えたブラッドは、いや、違うと、奥歯を食いしばる。
 自分は、彼女のことを、抱き締めたいのだ。潰してしまいたいほど、全身で――渾身の力で。
 ケイティの全てをこの手の中に入れ、何一つ取りこぼしたくないのだ。

 それが不適切な想いだと認識しながら、その欲求、願望を、今、ブラッドは素直に受け入れた。それは、もう長いこと彼の胸の奥にあり、けっして外には出すまいと抗い続けてきたものだった。

(伝えられなくても、受け入れることはオレの自由だ)
 何かが吹っ切れた心持ちで、そんなことを胸の中で呟いた。
 が、吹っ切れたと同時に何かのタガが外れてしまったらしい。

「オレは、君を失えない」

 気付いた時には、言葉が口から転げ出していた。

(まずい)
 自分の中で想いを受け入れることと、吐露することとは全く別の話というもので、ブラッドはそれをケイティに告げるつもりはなかったのだ――少なくとも、今はまだ。

 固まったブラッドの前で、ケイティが目を丸くする。次いで、パッと満面の笑みが花開いた。
「それは、絶対ないですから。あたしは、ずっとだんな様のお傍にいますよ」
 ブラッドがどんな想いでいるのかも知らずに真っ直ぐな眼差しであっさりとそんな返事をよこすケイティに、彼は一瞬息を詰め、そして深々とそれを吐き出した。
 彼が言うのは、これから一生、ありとあらゆる意味で、ということなのだ。『傍にいる』の重さが、全然違う――その重さの差が、つらい。

(まあでも、オレの本心が伝わっていないということは、むしろいいことなのかもしれないな)
 惜しみなく屈託のない笑みを投げてくるケイティに、諦め半分、安堵半分――いや、諦め八割か――でブラッドはそんなことを考えた。
 ケイティにとって、ブラッドは『尊敬するだんな様』だ。そんな彼が我欲に塗れた利己的な想いを抱いているなどと知ってしまったら、きっと幻滅するに違いないだろうから。

 胸の内でそう自分を納得させて、ブラッドは、抱き締める代わりにケイティの巻き毛をクシャリと掻き混ぜる。柔らかなその感触を心地良く思いながら、くすぐったそうな声で笑う彼女を見守った。
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