らいおんはうさぎにおぼれる

トウリン

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第一部:らいおんはうさぎによりそう

過去よりも

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 土曜の午後、駅前のカフェの扉をくぐった司はグルリと店内を見渡した。先に来ていた金古はすぐに彼に気付き目も合ったが、もちろん、会釈の一つもしない。
 司は彼女が座る席の向かいに腰を下ろし、間を置かず水を持ってきてくれたウェイトレスにコーヒーを頼んだ。

「で、用って?」
 前置きなく切り出してきた金古は愛想もそっけもない。
 まあ、休日にわざわざ呼び出した相手が司ではこういう態度にもなるだろう。その用の中身が花のことでなければ、彼女も絶対に応じなかったはずだ。
 司も金古と世間話に興じるつもりもないから、同じように単刀直入に訊きたいことを口にする。

「高校に入る前、宇佐美はいじめを受けていたことでもあるのか?」
 彼のその問いに、金古は眉をひそめた。
「はあ? あの子が、あのキャラが、そんなことがあるはずないでしょ」
 心底呆れた理解できんと言わんばかりにスッパリと疑惑を切り捨てられ、司も眉間にしわを刻んだ。彼とてそう思っていたが、万が一ということもあるし、いじめは何がきっかけになるか判らない。可愛らしいというだけでも、その対象になってしまった可能性はあるではないか。

 学生時代に遭遇し得る可能性が最も高い暴力沙汰はいじめだろうが、そうでないとなれば他に何があるだろう。
 ――きっと、何かある筈だ。

(なけりゃ、おかしいだろ)
 声に出さずに呟いた司の脳裏によみがえるのは、先日目にした花の怯え方だった。
 寝起きだったとは言え、目の前にそびえる司に対して見せた、あの反応。
 あんな反応は、余程のことがなければ見せないはずだ。
 あれは、司が『大きな』『男』であることに因るものが大きいのではないだろうか。誰かそういう者から脅かされたことがあるから見せた、恐怖。
 普通に暮らしていてそんな場面があるとしたら中学辺りでのいじめくらいだろうと思ったのだが、もしもあったとして、これほどべったり過ごしている金古が気付かないはずがない。

 いじめではないとしたら――

「じゃあ、何か、男に襲われたことがあるとか」
 花ほど可愛らしければ痴漢やらストーカーやらに眼を付けられてもおかしくはないし、世の中、頭がおかしい男はごまんといる。
 渋面で司が呟くと、金古が手にしていたカップがソーサーにぶつかりカチリと音を立てた。
「金古?」
「どうしてそう思うの?」
 金古を見ると、彼女の眼は手元のコーヒーカップを睨み据えるように落とされていた。低い声での問いかけに、司は答える。
「この間、俺を見て怯えていた」
 刹那、金古は顔を上げ、爛々と光る眼差しで彼を射抜いてきた。
「何したの!?」
「何も」
「何もしてなくてそんなことになるはずがないでしょ!?」
「部室で寝ていた彼女が目覚めて俺を見た、ただそれだけだ」
「それだけ?」
「ああ」
 静かに頷くと、金古の肩から力が抜け、椅子の背もたれに崩れるように身をもたれさせた。

「……まだ、そうなんだ」
 彼女は、そう囁いたと思う。だがそれはかすれた小さな声で、はっきりとは聞き取れなかった。
「何かあるなら、教えてもらえないか?」
 請うた司に、金古がノロノロと眼を上げる。
「……なんで?」
 彼女のその眼は、興味本位は赦さないと告げている。
 もちろん、司はそんなものの為に知りたいと思っているわけではなかった。

「うかつにあいつを傷付けたくないからだ」
 本当は、花のことなのだから花自身に訊くべきなのだと思う。だが、あの彼女を見てしまったら、できなかった。何か触れてはいけないものに触れてしまうのではないかと思うと、怖くて訊けなかった。
 花の過去を根掘り葉掘り聞き出したいわけじゃない。
 ただ、二度とあんな彼女を見たくなかった。
 自分が彼女にあんな顔をさせる原因には、二度となりたくなかった。

 司の答えに金古が唇を噛んでうつむく。
「……あの子は昔、男からひどい目に遭わされたの。私からは、それだけしか言えないわ」
 けっして短いとは言えない時間を置いてから出てきたのは、苦いものを含んでいるような声だった。
 普段は不躾なほどに率直な彼女がたったそれだけ吐き出す為にそれほどためらったのは、余程嫌な記憶だからなのだろう。
「判った」
 その一言だけを返した司に、金古が衝かれたように顔を上げる。
「この間は突然目の前に俺が立っていたからビビらせたんだと思う。今後はそういうことがないように気を付ける。他に、あいつが怖がるようなシチュエーションはあるか?」
 訊ねると、呆けたように司を見ていた金古がハッと息を呑み、かぶりを振った。
「多分、不意打ちにならなかったら大丈夫だと思う。……今は、もう」
「そうか。気を付ける」
 頷いた司を金古は奇妙なものを見る眼差しで見つめてきた。

「何だ?」
「何があったか、知りたくないの?」
「対処方法が判ればそれでいい」
「そんな、もの?」
「ああ。原因は、もう終わったことだ。俺にはどうにもできない」
「それは、そうだけど……」
 同意しながらも、金古は複雑な顔をしている。
「まあ、でも、そうなのよね。過去は、変えられないもんね」
 苦い笑みを浮かべた彼女はそう呟いて、少しばかり棘が落ちた眼差しを司に向けた。

「私はね、あの子が大事なの。私も、もう二度と傷ついて欲しくないの」
 静かな、だが、確かな決意を感じさせる声だった。同じ、いやそれ以上の決意を秘めて、司は頷く。
「俺もだ」
 応えた司に、金古が微かに笑う。それは、彼に向けられた初めての笑顔だった。
「きっとね、いつか、あの子自身が話すと思うわ……あんたになら」
 花が大事に想う者からのその言葉に、そうであればいいと、司は思った。
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