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第一章:破られた日常
隧道①
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崖にぽっかりと口を開いた隧道は暗く、ほんの少し先に進んでしまえば、一歩先すら見通すことができなくなりそうだった。
エディは小さく身震いする。彼自身の未来とこの隧道の中と、果たしてどちらの方がより闇が深いのだろうと、ふとそんな考えが彼の中をよぎった。
「ここから先は馬を降りて進みましょう」
そう言ったベリートが、率先して地に足を着ける。他の者も皆彼に倣って馬から降りた。
最後にスクートがフロアールを抱き下ろすのを待って、ベリートが懐の中を探って何かを取り出す。それは彼の手のひらに載るほどの無色透明な珠だった。一見するとただの水晶球のようだ。
フロアールが小さく首を傾げてしげしげとベリートの手を見つめる。そうして、呟いた。
「それは……火の魔法?」
魔力を持つ彼女には、そこから発せられる微かな波動が感じ取れたのだ。フロアールの疑問に、ベリートは頷きを返す。
「そうです。マギクはこのように魔力を込めた道具をいくつか作っています。これは魔晶球といいまして、火の魔法が込められていて、こうやって使います」
彼はそう言うと、指先でその珠を軽く弾いた。途端、それは仄かな輝きを放つ。
「……すげぇな」
サビエの呟きは一同のものだった。皆の視線を集めたまま、ベリートがスクートにその珠を差し出した。
「光が弱くなったら、さっきのように弾けばまた輝きが戻る。中は馬と並んで歩くのがせいぜいだ。スクートが先頭、次いでフロアール様、エディ様、そしてサビエ、儂の順で一列になって進もう」
「判った。フロアール、大丈夫か?」
エディは妹を振り返って尋ねた。エデストルでは男女の隔てなく幼い頃から剣を持たされるが、希少な治癒魔法を扱えるフロアールは剣技よりも魔力を磨くことが優先されてきた。おしとやか、とは程遠いが、軽やかな身のこなし、というわけにもいかない。
隧道の入り口ですでに濡れた岩に足を取られてふら付くフロアールには、かなり難しい行程になりそうだった。
だが、心配そうな兄を、彼女は顎を上げて見返した。
「大丈夫です」
きっぱりと頷いたフロアールの手を、スクートが取る。
「フロアール様、私の外套をしっかり掴んでいてください」
「でも、それではわたくしが転んだ時にあなたも転んでしまいます」
「まさか、フロアール様お一人くらい、仔猫が飛びかかってきたようなものです」
ニコリともせず言いながら、スクートは自分の外套の裾を彼女に握らせた。そうして、父を振り返る。
「では、行きましょう」
「うむ……これから先、頼んだぞ」
ベリートは鋭い眼差しを更に光らせて、言った。その重々しい口調にスクートはふと予感――不安にも似たざわめきを覚えたが、きっと普段動じることのない父でもこの状況は緊張するのだろうと、グッと顎を引き締める。
「では、エディ様も足元に気を付けて」
スクートはもう一人の守るべき存在に一声かけて、暗闇の中へと足を踏み入れた。
隧道は狭く、曲がりくねっていて、入口の光はすぐに届かなくなる。火の魔晶球の仄かな輝きだけが光源だった。低い天井は、長身のスクートやサビエでは馬に乗っていたら頭をこすってしまうだろう。幅も両手を一杯に伸ばせば両方の壁に届いてしまいそうだ。
しばらくは皆濡れた岩に気を集中していなければならなかったから黙々と歩くしかなかったが、慣れてくると周囲の様子に気を向ける余裕ができてきた。むしろそれが良くなかったようで、ふと顔を上げたエディは四方の壁がのしかかってくるような感覚に襲われて思わず呟く。
「なんか、息苦しいな」
誰にともなくこぼした台詞に応じたのは、サビエだった。軽く笑い、言う。
「まあ、空気はちゃんとありますから。死にゃしませんよ。気を失ったらお姫さま抱っこして連れてってやりますよ。あ、それともおんぶがいい?」
「されてたまるか」
振り返れば、きっとニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべていることだろう。判っているのにそれを目にするのはしゃくで、エディは振り返りもせずに答えた。
案の定、忍び笑いが背後から響いてくる。エディは足でも踏み付けてやろうと思ったが、ふとあの不快な圧迫感が消え失せていることに気付いて、ムッと唇を尖らせた。
妹の様子はどうだろうかとエディがフロアールに目をやると、左手でしっかりとスクートの外套を握り締めてはいるものの、だいぶ足取りの心許なさは無くなってきていた。もっとも、それでも一歳児が三歳児になった程度のもので、まだまだおぼつかないものであることは火を見るよりも明らかだ。しかし、それも当然だろう。彼女は整えられた城の庭の小道くらいしか歩いたことがないのだから。
下手に声をかけたら転ばせてしまいそうで、エディは彼女の背中を見守るのにとどめておく。前をスクートが歩いているせいか、フロアールの後ろ姿はより一層小さく見えた。
(守ってやらないと)
不意に、エディの胸の中にその想いが込み上げてくる。
いつもはこまっしゃくれて彼の方が言い負かされてしまうことの方が殆どだ。けれども、今目の前にある妹の姿はとても頼りなく見える。
(何が何でも、もう一度母上と父上に逢わせてやる)
エディは強く心に誓う。父も母も生きていると、彼は信じていた。二人が死ぬ筈はないと、信じなければならないと思っていた。隙をついて染み込んでくる疑念は、頭の中から弾き出さねばならない。
ともすれば目の前の闇よりも暗い不安が込み上げてきて、エディは現実に目を向ける。
(あとどのくらいでここを抜けられるのだろう)
目を眇めて、エディはスクートの向こうを見通そうとした。
暗く、先が見えない場だと、時間の感覚がなくなってくる。普通の状況であればかなりの距離を稼いだ筈だが、殆ど進めていないような気もする。
「どのくらい来たかな」
エディは肩越しにベリートに向けて問いを放った。
ややして、答えが返る。
「おそらく、三分の一ほどかと」
「まだ、そんななのか……。でも、ここ、いつからあるんだろう? 崩れたりはしないのか?」
「隧道自体は自然のものなので、エデストル建国前からあると言われています。崩れるかどうかは――壁をよくご覧になってください」
エディはベリートに言われるまま、壁に目を凝らす。
と。
等間隔で立てられている木枠に気付く。
「補強してあるのか?」
「はい。もしも天井が落ちても一部分で済むようになっています。まあ、多少は走ってもらう必要はありますが。……清青石をご存じでしょう?」
「清青石? ……ああ」
日常でよく見かける石のことを唐突に問われて、戸惑いながらもエディは頷く。ベリートが言うのは透明な青い石のことだ。美しいが高価ではなく、安い装飾品などによく使われる。
「ラウ川の上流では、あれが良く採れるのです。昔は希少な石だったのですよ。この隧道を通って採取しに来る者が増えたので、危険だから、と先々代の王が指示を出されて補強させたのですが、そうすると流通量が増えましてね。今ではごくありふれたものになってしまいました。価値が下がったので、わざわざこの道を通って取りに行く者も、もうおりません」
「へえ……綺麗なのは同じなのにな」
「手に入らないものは欲しくなるものです」
どこか不服そうなエディに薄く笑ってそう答えたベリートだったが、次の瞬間、立ち止まった。
エディは小さく身震いする。彼自身の未来とこの隧道の中と、果たしてどちらの方がより闇が深いのだろうと、ふとそんな考えが彼の中をよぎった。
「ここから先は馬を降りて進みましょう」
そう言ったベリートが、率先して地に足を着ける。他の者も皆彼に倣って馬から降りた。
最後にスクートがフロアールを抱き下ろすのを待って、ベリートが懐の中を探って何かを取り出す。それは彼の手のひらに載るほどの無色透明な珠だった。一見するとただの水晶球のようだ。
フロアールが小さく首を傾げてしげしげとベリートの手を見つめる。そうして、呟いた。
「それは……火の魔法?」
魔力を持つ彼女には、そこから発せられる微かな波動が感じ取れたのだ。フロアールの疑問に、ベリートは頷きを返す。
「そうです。マギクはこのように魔力を込めた道具をいくつか作っています。これは魔晶球といいまして、火の魔法が込められていて、こうやって使います」
彼はそう言うと、指先でその珠を軽く弾いた。途端、それは仄かな輝きを放つ。
「……すげぇな」
サビエの呟きは一同のものだった。皆の視線を集めたまま、ベリートがスクートにその珠を差し出した。
「光が弱くなったら、さっきのように弾けばまた輝きが戻る。中は馬と並んで歩くのがせいぜいだ。スクートが先頭、次いでフロアール様、エディ様、そしてサビエ、儂の順で一列になって進もう」
「判った。フロアール、大丈夫か?」
エディは妹を振り返って尋ねた。エデストルでは男女の隔てなく幼い頃から剣を持たされるが、希少な治癒魔法を扱えるフロアールは剣技よりも魔力を磨くことが優先されてきた。おしとやか、とは程遠いが、軽やかな身のこなし、というわけにもいかない。
隧道の入り口ですでに濡れた岩に足を取られてふら付くフロアールには、かなり難しい行程になりそうだった。
だが、心配そうな兄を、彼女は顎を上げて見返した。
「大丈夫です」
きっぱりと頷いたフロアールの手を、スクートが取る。
「フロアール様、私の外套をしっかり掴んでいてください」
「でも、それではわたくしが転んだ時にあなたも転んでしまいます」
「まさか、フロアール様お一人くらい、仔猫が飛びかかってきたようなものです」
ニコリともせず言いながら、スクートは自分の外套の裾を彼女に握らせた。そうして、父を振り返る。
「では、行きましょう」
「うむ……これから先、頼んだぞ」
ベリートは鋭い眼差しを更に光らせて、言った。その重々しい口調にスクートはふと予感――不安にも似たざわめきを覚えたが、きっと普段動じることのない父でもこの状況は緊張するのだろうと、グッと顎を引き締める。
「では、エディ様も足元に気を付けて」
スクートはもう一人の守るべき存在に一声かけて、暗闇の中へと足を踏み入れた。
隧道は狭く、曲がりくねっていて、入口の光はすぐに届かなくなる。火の魔晶球の仄かな輝きだけが光源だった。低い天井は、長身のスクートやサビエでは馬に乗っていたら頭をこすってしまうだろう。幅も両手を一杯に伸ばせば両方の壁に届いてしまいそうだ。
しばらくは皆濡れた岩に気を集中していなければならなかったから黙々と歩くしかなかったが、慣れてくると周囲の様子に気を向ける余裕ができてきた。むしろそれが良くなかったようで、ふと顔を上げたエディは四方の壁がのしかかってくるような感覚に襲われて思わず呟く。
「なんか、息苦しいな」
誰にともなくこぼした台詞に応じたのは、サビエだった。軽く笑い、言う。
「まあ、空気はちゃんとありますから。死にゃしませんよ。気を失ったらお姫さま抱っこして連れてってやりますよ。あ、それともおんぶがいい?」
「されてたまるか」
振り返れば、きっとニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべていることだろう。判っているのにそれを目にするのはしゃくで、エディは振り返りもせずに答えた。
案の定、忍び笑いが背後から響いてくる。エディは足でも踏み付けてやろうと思ったが、ふとあの不快な圧迫感が消え失せていることに気付いて、ムッと唇を尖らせた。
妹の様子はどうだろうかとエディがフロアールに目をやると、左手でしっかりとスクートの外套を握り締めてはいるものの、だいぶ足取りの心許なさは無くなってきていた。もっとも、それでも一歳児が三歳児になった程度のもので、まだまだおぼつかないものであることは火を見るよりも明らかだ。しかし、それも当然だろう。彼女は整えられた城の庭の小道くらいしか歩いたことがないのだから。
下手に声をかけたら転ばせてしまいそうで、エディは彼女の背中を見守るのにとどめておく。前をスクートが歩いているせいか、フロアールの後ろ姿はより一層小さく見えた。
(守ってやらないと)
不意に、エディの胸の中にその想いが込み上げてくる。
いつもはこまっしゃくれて彼の方が言い負かされてしまうことの方が殆どだ。けれども、今目の前にある妹の姿はとても頼りなく見える。
(何が何でも、もう一度母上と父上に逢わせてやる)
エディは強く心に誓う。父も母も生きていると、彼は信じていた。二人が死ぬ筈はないと、信じなければならないと思っていた。隙をついて染み込んでくる疑念は、頭の中から弾き出さねばならない。
ともすれば目の前の闇よりも暗い不安が込み上げてきて、エディは現実に目を向ける。
(あとどのくらいでここを抜けられるのだろう)
目を眇めて、エディはスクートの向こうを見通そうとした。
暗く、先が見えない場だと、時間の感覚がなくなってくる。普通の状況であればかなりの距離を稼いだ筈だが、殆ど進めていないような気もする。
「どのくらい来たかな」
エディは肩越しにベリートに向けて問いを放った。
ややして、答えが返る。
「おそらく、三分の一ほどかと」
「まだ、そんななのか……。でも、ここ、いつからあるんだろう? 崩れたりはしないのか?」
「隧道自体は自然のものなので、エデストル建国前からあると言われています。崩れるかどうかは――壁をよくご覧になってください」
エディはベリートに言われるまま、壁に目を凝らす。
と。
等間隔で立てられている木枠に気付く。
「補強してあるのか?」
「はい。もしも天井が落ちても一部分で済むようになっています。まあ、多少は走ってもらう必要はありますが。……清青石をご存じでしょう?」
「清青石? ……ああ」
日常でよく見かける石のことを唐突に問われて、戸惑いながらもエディは頷く。ベリートが言うのは透明な青い石のことだ。美しいが高価ではなく、安い装飾品などによく使われる。
「ラウ川の上流では、あれが良く採れるのです。昔は希少な石だったのですよ。この隧道を通って採取しに来る者が増えたので、危険だから、と先々代の王が指示を出されて補強させたのですが、そうすると流通量が増えましてね。今ではごくありふれたものになってしまいました。価値が下がったので、わざわざこの道を通って取りに行く者も、もうおりません」
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