癒しの乙女の永久なる祈り

トウリン

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第一章:破られた日常

隧道②

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「父上、どうされましたか?」
 足音が止まったことに気付いて振り返ったサビエを無視して、彼は突然しゃがみこみ、地面に片耳を押し付ける。
「追い付かれたか」
 スクートが緊張のみなぎる声で、呟く。彼の外套を握るフロアールの手にギュッと力が込められた。
「スクート、サビエ、先に行け」
「はい?」
「このままでは追い付かれる」
 厳しい老武将の声音に、フロアールが小さく息を呑んだ。
 マギクは体術を武器に戦うわけではないが、それでも兵士だ。対して、こちらには歩くことすらままならないフロアールがいる。移動速度の違いは歴然としていた。

「お前まで置いてはいけない!」
 声を荒らげたエディに、ベリートが静かに答える。
「個人として考えてはなりません。言ったでしょう? 最も正しい選択をするのだと。貴方はいずれ王になる。これはその予行練習のようなものだ」
「お前を餌にするのが正しいというのか!?」
「そうです。儂は年老いている。残りの十年をエディ様とフロアール様、そしてその愚息どもの為に使えるのであれば、それに勝る喜びはありません。儂の十年と、貴方方の数十年――どちらの方を、より優先させるべきだと? 老いた者は若い者の命をつなぐ為にいるのです」
「イヤだ!」
「エディ様……そもそも、どうして儂が死ぬと決めてかかっているのです? 剣はけっして魔法に劣るものではありません。儂の腕前はまだまだ錆び付いておりませぬ」
「それは判っているけど……でも、相手がどれくらいいるのかも判らないだろう?」
「この狭い通路では、実際に相手にするのは数人ずつですよ」
「だけど――ッ」
 激昂したエディの声が、唐突に途切れる。クタクタと崩れ落ちたまだ細い身体を、彼のうなじに手刀を叩き込んだその手でサビエが支えた。

「まったく。エディ様のこういうところ、確かに好きなんですけどね」
 意識を失ったエディの身体を馬の背に乗せ、サビエはため息をつく。そんな息子に、ベリートは目じりを微かに緩めた。
「すまないな。憎まれ役を負わせた」
「まあ、二、三発くらいは殴られてやりますよ」
 肩を竦めて父に応じたサビエに、フロアールが言う。
「そうしたら、わたくしが治して差し上げますわ」
 冗談めかしてはいるが、その声が微かに震えているのは隠しきれていない。きつく握り締められた小さな拳をスクートの指がそっとほぐし、その手のひらの中に包み込んだ。
「頼みますよ。いや、でも、エディ様の拳なんかじゃ鼻血も出ないかもですけどね」
 そう言って軽く笑ったサビエとフロアールの手を取っているスクートに、ベリートが穏やかな眼差しを向ける。

「スクート、サビエ」
「は」
「お二人を頼んだ」
 短く、しかし信頼の溢れるその言葉に、二人の息子はただ黙って頭を下げる。父と子の視線が交差したのは一瞬だったが、その一瞬で充分だった。
 スクートは目を下げ、フロアールに手の中の輝く珠を差し出す。
「では、フロアール様、これをお持ちになってください」
 彼女がそれを受け取ると、おもむろに身を屈めた。
「失礼します」
 その一言で、フロアールをすくい上げるようにして右腕の中に抱き上げる。そうして左腕で馬の手綱を持ち、サビエに振り返った。
「行くぞ」
「おう」
 馬の鞍の上で伸びているエディの身体をサッと結わえ付けたサビエは、残る三頭の馬の手綱を握り締める。

「それでは父上、ご武運を」
「お前たちもな」
 三人は小さく頷き合い、そして後は振り返ることなくそれぞれの方向へと足を踏み出した。その先が二度と交わることがないのは、皆知っている。だが、彼らの足取りに躊躇いは微塵もなかった。
「あの、わたくし――ごめんなさい」
 段違いに早くなった足取りに揺さぶられながら、スクートの首にしがみ付いたフロアールが小さく囁く。
「何が、です?」
「だって、わたくしが――いえ、何でもありません」
 消え入りそうな細い声に、スクートは眉をひそめる。この小さな姫の言わんとしていることは、口に出されずとも彼には判った。
 スクートは、淡々と説く。
「フロアール様、我々は――私とサビエ、それに父は、エディ様と、そしてあなたをお守りする為にいるのです。我々自身がそうすると決めているのですから、それによって起こるどんなことも、あなたに責のあるものではありません」
 戻ってきたのは、しばしの沈黙。そして、力を取り戻した声。
「あなたたちにとって、お兄様やわたくしを守るのが当然のことだとしても、わたくしは守られるのが当然のことだとは思いたくありません」
 きっぱりとした口調はいつものフロアールのものに近くて、スクートは微かに笑んだ。

「フロアール様はフロアール様のやり方で、我々を守ってくださればいいのです。駄々っ子のエディ様を叱り付けたりとか、ね」
 堅物の彼らしくない冗談めかした台詞に、強張っていたフロアールの頬も緩む。
「それなら、任せておいてください」
 スクートには彼女の顔を見ることはできなかったが、そこに微笑みが浮かんでいるのは感じ取れた。
「あなたはそうやって笑顔でいてください」
(それを守る為なら、我々はどんなことでもできるから)
 残りの台詞は、スクート自身の胸の中に押し込める。口に出してしまえば、フロアールに新たな重荷を背負わせてしまうだろうから。ただ、彼女に回した腕に力を込めた。

 そうして、どれほど進んだ頃だろう。
 不意に足元から感じられた微かな地響きと、遠雷のような轟き。
 スクートが立ち止まって振り返ると、同じく足を止めたサビエと目が合った。言葉もなく交わした視線で、互いの思考が通じ合う。

 父は己の本分を全うした。
 それだけだ。
 喪ったことを悼む暇は、今はない。

「行くぞ」
 スクートはサビエにそう残し、再び出口を目指した。
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