癒しの乙女の永久なる祈り

トウリン

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第一章:破られた日常

覚悟①

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 エディたちの背をほんの一瞬見送って、ベリートはすぐさま踵を返してきた道を戻った。
 守るべき者達との距離を、できる限り開いておかなければならないのだ。
 灯かりを失った彼の視界は真の暗闇に陥ったが、まるで昼間の平野を歩いているような足取りで進む。
 さほどかからぬうちに向かう先がぼんやりと光を持ち始めた。まだ半分程度戻ったくらいで、隧道の出口の明かりが見えているわけではないことは明白だ。

 ベリートは足を止めて通路の中央に立つ。
 光源は次第に近付いてきて、それを携えた者達の姿も見えてきた。彼らは立ちはだかるベリートの姿に気付き、立ち止まる。
 マギク兵――その数、三十名ほどはいるか。
「この狭い通路で愚かだな」
 ベリートはボソリと呟く。
 彼には『奥の手』があり、それを使えば確実に追手を封じることができる。だが、もう少し、時間を稼いでおきたいところだった。できる限り、エディ達を遠ざけておきたい。

「さて」
 改めて、ベリートは前方を見渡した。
 追手は先頭の数名が炎の魔晶球を手にしており、それによって隧道の中は煌々と照らし出されている。それでも、後方の兵士の姿を確認することはできなかった。
 元々、魔法は魔力の放出に若干の時間がかかる為、遠距離攻撃向きだ。近接武器なら力を使われる前に息の根を止めることができる。
 その上、これほど詰めかけていれば、巻き添えを警戒してそう易々と力を放つことはできまい。

 ベリートは手甲の仕掛けを操作し、そこに仕込んである両刃の仕込み刀を飛び出させる。
 マギクの兵士は鎧を身にまとってはいない。だが、身軽そうに見える彼らのローブは魔法がかけられていて、下手な攻撃では通用しないことをベリートは知っていた。正確に急所を突くか、力任せに押し切るか。
 彼は、そのどちらも得意とするところだった。

「貴殿はエデストルの者だな? ……王子はどこだ?」
 恐らく、この追撃隊の隊長なのだろう――上級兵士のローブをまとった男が、魔晶球を掲げてベリートの後方を探る。
「ここにはいらっしゃらない」
「何と、貴殿一人を残してお逃げになったのか。あの勇猛なレジール王のご子息とは思えぬな」
 揶揄する男に、ベリートは肩を竦める。
「何、こんな所で小物を相手にするよりも遥かに大事なお役目がおありなのでな」
「は! たった一人でこの数を殲滅できると?」
「そうだな」
 うそぶくベリートに、マギク兵がざわめき立つ。
「その刃だけでか? 随分と甘く見られたものだ」
「すでに引退した身だが、五年前までは儂も貴殿らと共にそこそこ活躍したものだよ」
 ベリートのその台詞は、隊長の記憶に触れたようだった。彼は眉をひそめ、ベリートの顔を見つめる。と、ハッと息を呑んだ。

「もしや、貴殿は……」
「ご存じか?」
 表情を改めたマギクの隊長に、ベリートは薄く笑む。隊長はしばし目を細めて彼を見つめていたが、やがてゆっくりと言った。彼の表情は、それまでと明らかに違っている。
「貴殿があのベリート殿であるならば、少し気を引き締めてかからねばならぬでしょうな」
 と、それが号令であったかのように。

 ふわりと感じた空気の動く気配。頭よりも身体が先に動き、ベリートはわずかに上体を傾けた。刹那、彼の頬に二筋の赤い線が走る。
 さながら――いや、実際に、見えない刃がベリートを襲ったのだ。
 風の魔法は発動が早い。牽制するには最も適しているだろう。
 ベリートはざっとマギク兵の用いる魔法の特性を思い出す。
 この狭い隧道の中という状況では、使われるとしたら風と炎だ。水も大地も、効果範囲が広すぎる。
 風ならば、距離を詰めれば使えない。
 炎ならば、彼らの中に入ってしまえば巻き添えを狙える。

 ベリートは一足飛びにマギク兵の眼前に迫り、一番手前、右端でギョッとした顔をしている兵士を狙う。一瞬後には喉から血を吹き出し、一人、そしてもう一人、ローブ姿が崩れ落ちる。
 それは、瞬き二回ほどの間に起きたことだった。
 わずかな間、隊長はポカンと倒れ伏した部下の姿を見下ろしたが、音もなく動いたベリートに我を取り戻すと、後方の部下の間に身を捻じ込みながら指示を飛ばす。

「ええい、多少の同士討ちは構わん、やれ!」
 マギクの隊長の怒号から一拍遅れて、隧道の温度が微かに高まる。と思った瞬間、ベリートの左手が火を噴いた。
 肉と布の焦げる臭い。
「チッ」
 小さな舌打ちと共にベリートは左腕を鋭く一振りし、そこにまとわりつく炎を払う。チラリと見下ろすと、拳の皮は焼け落ち、赤い肉が剥き出しになっていた。
 だが、別に剣を握っているわけではない。
 手甲の刃は若干くすんでいたが、鋭さには何ら変わりはない。

 まだ、やれる。

 ニヤリと嗤ったベリートに、マギク兵が心持ち後ずさる。
 彼は地面を強く蹴り、再び目の前の敵に迫った。
 中途半端に形作られた風の刃が首を、上腕をかすめていったが、ベリートはよけようともしなかった。
 猫のように手を伸ばし、魔法を放とうか身をかわそうかと惑う兵士の喉元に突き入れる。
 再び燃え上がる炎。
 今度は右腕だ。
 ベリートは腕に火をまとったまま、次々に敵を屠る。素早く的確な彼の動きは、一撃で確実に息の根を止めていく。
 一人倒すごとに、エディ達はより遠くへ行けるのだ。ここから離れ、安全な所へと。
 無意識に返り血を避ける彼の頭の中には、それだけしかない。
 風に切り裂かれた傷口から血を滴らせ、炎に焼かれた肌から嫌な臭いをさせていても全く動きを鈍らせることのないベリートに、マギク兵は次第に狼狽の色を濃くしていく。
 いくら魔法を放っても、彼の動きを鈍らせることすらできないのだ。

 両腕を焼け焦がせ、全身を紅く染めたベリートを、マギク兵は恐怖を帯びた目で見つめる。
「どうした? もうおしまいか?」
 いっそ楽しげとすら感じられる声音で、ベリートが歌う。足元に十を超える骸を転がせて。
「貴殿らも、戦場で命を賭してきた者ばかりだろう? 何を怯む?」
 そう言いながら、ベリートは一歩踏み出す。それに応じて、円舞を踊っているかのようにマギク兵はズサリと下がる。
 戦意を失った彼らに、ベリートは微かに唇を歪めた。
「マギクは何故エデストルを裏切った? 何がそうさせたのだ? 死への恐れか、生への諦めか? だが、魔物に隷属しても幸福な未来は待っていないだろうよ」
 そう彼らを嘲笑いながらも、ベリートには判っていた。
 彼らが屈したのは、魔物ではない――『絶望』に対してなのだ、と。

 戦場にいた頃から、ベリートの鼻はマギク兵の間に漂う暗いものを嗅ぎ取っていた。
 倒しても倒しても現れる魔物。
 防戦一方で、根本的な解決にはならない日々の戦い。
 いずれマギクは諦めるのではないか。
 レジール王はマギクを信じていたが、そんな予感が、ベリートにはあった。
 際限のない戦いに倦み始めていたマギクを後押しするような何かが、北の地で起きたに違いない。郷土を踏み荒らされるのに疲れた彼らがそれに跳び付いたとしても、責められないのかもしれない。
 だが、たとえ絶望的な戦いだとしても、レジール王と同胞はマギクを信じて戦っていたのだ。
 彼らは、それを踏みにじった――ベリートにはそれが何よりも赦し難かった。

「魔物の奴隷となることは、我がエデストルの信を蹴り飛ばしても良いほどに、魅力的なことなのか」
 ベリートの嘲りに、後方に下がっていたマギクの隊長が部下の間から身を乗り出して歯を剥きだす。
「黙れ! 魔物に従うわけではない! 我らは我らの王に従うだけだ!」
「なるほど、王の忠実な兵士というわけだな。うむ、儂もそうだ」
 頷き、ベリートは懐に手を入れる。乾燥し始めた指は強張り動かしにくかったが、それでも目当ての物を掴んで取り出した。
「お互い主君への忠心を抱き、仲良く旅立つとするか」
 晴れやかに笑うベリートの手にある物をマギクの隊長はまじまじと見つめ、そして目を見張る。
「それは、地の――」
「そう、魔晶球だ。現役だった頃に、貴殿らから貰い受けた。まあ、少々地面を揺らす程度しか効果はないと聞いているが、ここならそれで充分だろう」
「バカな、そんなものを使えばここは――」
 恐怖を露わに口走る隊長は、言い掛けてハッとベリートの目に視線を戻した。
「はなからそのつもりだったのか? 我らと共に、生き埋めに――?」
「追わせるわけにはいかぬのでな」
「王子達とて、無事には済むまい!」
 ひび割れた声で叫んだ隊長に、ベリートは肩を竦めた。
「何、もう充分離れてくださっているだろう。儂の息子どもは優秀でな」
 何でもない事のようにそう言ったベリートを、隊長は信じ難いものを見る目で見つめる。
 戦いの末に敵の刃の元に斃れるのではない。ベリートの行動は、マギクの隊長には単なる自殺行為としか思えなかったのだ。
「主君の為とは言え、自害とは愚かな――退け、出口へ急げ!」
 押し合いへし合いする彼らは団子になって停滞していた。背を向けたマギク兵に、ベリートは呟く。

「無様な」

 そして。
 手にした魔晶球を、マギク兵がひしめく辺りの天井めがけて投げつける。
 足裏に感じる地響きと、ピシリ、と何かが弾けるような音。
 パラパラと小石がベリートの頭に降りかかってきた。

 未練がないと言えば嘘になる。
 王となったエディが聖剣を携える姿を見たかった。
 花嫁衣装に身を包んで幸せな笑顔を溢れさせるフロアールを見たかった。
 スクートとサビエの子どもを、この腕に抱き取りたかった。
 その場にいられないことが、ベリートには口惜しい。だが、それらはいつか必ず叶えられることだ。

「ご武運を」
 確かな未来を信じて、彼は呟く。
 次の瞬間、全てが暗闇に陥った。
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