癒しの乙女の永久なる祈り

トウリン

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第五章:それぞれの思い

体温②

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 ――自分が、消えていくんだ。すごく怖い。助けて、助けてよ。
 ――お前はアレの対なる者だろう?
 ――お前にはそうする義務がある。
 ――お前は……
 ――お前の……
 ――……ピシカ? ねえ、ピシカ?

 怯えた声、冷淡な声、はねつける声――それらに混じって、柔らかな声が彼女の名前を呼んでいる。

(……誰?)
 ピシカはピクピクと耳を震わせ、そしてゆっくりと目を開けた。まるで泥沼の中で泳いでいたかのように、身体がだるい。
(ああ、なんだ、夢か)
 無秩序に襲ってくる記憶の波から逃れ出て、ピシカは小さく身震いした。
 次第にぼんやりとしていた焦点がゆっくりと絞られてきて、暗闇の中で気遣わしげに彼女を見つめている目と視線が合った。星を宿したその瞳に、はからずも安堵の念が胸に湧く。
(何で、こんな気持ち……)
 自分の胸の中が相手に伝わった筈はないけれど、何だか弱みを見せてしまったような気がしてならない。
 重い頭を一振りして、ピシカはうっとうしそうに彼女の名前を口にする。

「何よ、ルゥナ」
「何って……」
 ムスッとしたピシカの声に怯むことなくルゥナは彼女の背に手を置いてきて、そこが、じんわりと温かくなった。そういう肉体的な感覚はない筈なのに、確かに、温もりを感じる。
 遥か昔に、同じような感じが常にピシカのすぐ傍に存在していた――それは失われてしまって、もう二度と戻ってはこないけれど。
「ピシカ、震えてたよ?」
 ひそひそとそう囁かれながらそっと撫でられて、ピシカは初めて自分が小刻みに震えていたことに気が付いた。

「何でもないわよ」
「だけど――」
 更に言い募ろうとするルゥナを、ピシャリと遮る。
「夢! ――そう、夢見が悪かったんだわ」
「夢?」
 問い返しながら、ルゥナの手がゆっくりとピシカの毛並みを撫でる。それが、やけに気持ち良かった。
 ルゥナの手に自分を委ねそうになって、ピシカはハッと我に返る。
「大きな金色熊ウルズに食べられそうになる夢だったのよ」
「金色熊?」
「そう。だから、もう平気。それより、アンタの方は、何の話だったの? エデストルは何だって?」
「え――えっと……うまく、説明できないの。でも、すごく迷ってた。力になれたら良かったんだけど、多分、全然ダメだったんだと思う」
「ふうん……」
 鼻を鳴らしてみたけれど、別に興味はないのだ。
「まあ、アイツの問題はアイツのモノだから。アンタに何もできなくても、仕方ないんじゃないの? アンタも余計なこと考えてないで、さっさと寝なさいよ」
 そう言ってさっさとルゥナに背を向けて丸くなる。ピシカとしては「もう終わり」と言う意思表示のつもりだったのに、ルゥナの手はまだ彼女を撫で続けていた。
 それが気持ち良くて、イライラする。

「何なのよ?」
 軽く毛を逆立てて、フゥッと唸りながらピシカはルゥナを睨み付けた。
 確かに、ルゥナの手は心地良い。もしかすると、無意識のうちに癒しの力を使っているのかもしれない。
 けれど、それに甘んじているのは、ピシカの望むところではなかった。
 ピシカに怒られて、ルゥナの手が一瞬止まる。
「何って……何となく……」
「アンタに労わられるほど、アタシは落ちぶれちゃいないわよ。さっさと寝なさいよ」
「だけど、夢、怖かったんでしょう?」
「夢は夢よ。現実じゃないわ」
 にべもなくはねつけたピシカに返事はなくて、背中に手は置かれたままだったけれど、撫でてくることはなかった。これで終わりかと彼女はまた腹の辺りに鼻面を突っ込む。

 しばらくは、静寂。
 宥めるように毛並みを撫でる手も、止まったままだった。

 それが何となく寂しく感じられて、ピシカはそんな自分に胸の中で罵りの声をあげる。
 が、彼女の心の揺れを感じ取ったかのように、また、その手がゆっくりと動き出した。

「アンタね――」
 パッと顔を上げてルゥナに食ってかかろうとしたピシカを、静かな声が制する。
「現実でも、わたしがピシカを守るよ」
「は?」
 ピシカは、思わず頓狂な声を出してしまう。そんな彼女に、ルゥナが囁き声で続けた。
「わたし、昔も今も、みんなに守られてばっかり。でも、ピシカはわたしが守るから」
「アンタなんかに守られるほど、アタシは情けなくないわよ」
「うん、そうなんだけど……でも、何かあっても、わたしがピシカを抱いて、逃げるから。ほら、わたしは死なないんでしょう?」
 死ななくても、怪我したら動けなくなるじゃない。
 そんなふうに言ってやりたかったけれど、ピシカの口は動かなかった。
 彼女の背を撫でる手の動きは、次第に緩慢になっていく。

「ソワレも、わたしが守ってあげれば良かった……」

 小さな呟きを最後に、ルゥナの手が完全に止まる。

 微かに重みを増してからも、彼女の手は、ピシカの背に置かれたままだった。ちょっと身じろぎすれば、それから逃れることができる。けれど、身体の上にあるその温もりを振るい落とすことが、ピシカにはできなかった。
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