癒しの乙女の永久なる祈り

トウリン

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第七章:叶えられた再会

戦場②

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 上り始めてみるとそれは思った以上に幅が狭く急峻で、うっかりよろけたら真っ逆さまに落ちてしまいそうだった。
 壁の手すりをしっかりと掴んで、ルゥナは着実に一歩一歩踏みしめていく。
 いかにも無力そうな少女は『敵』とみなされないのか、幸いにもルゥナに襲いかかってくる獣はいなかった。

 だが。

 半分ほどまで来て、ルゥナがホッと一息ついた時だった。

 バサリという羽ばたきの音と共に、不意に彼女の視界が暗くなる。
 ハッと顔を上げると、すぐ間近に巨大な鳥のような何かがいた。それはバサバサと羽を打ち振るいながら中空にとどまっている。
「チッ」
 ピシカが小さく舌打ちをするのが聞こえたけれど、魔鳥の視線に射抜かれて、ルゥナは指先一つ動かすことができなかった。
 ルゥナと魔鳥が見つめ合ったまま、いくばくかの時が流れる。
 魔鳥はしげしげと彼女を見ているものの、何故か襲いかかってこようとはしなかった。まるで、何かを確かめているかのようにも見える。

「何なの?」
 ひげをピクつかせたピシカが鼻の頭に皺を寄せながら呟く。と、変化は唐突に訪れた。

「ルゥナ!」
 耳に飛び込んできた自分の名前に、彼女は我に返る。
 刹那、魔鳥の身体がパッと輝き、歪なくちばしから鼓膜を貫く悲鳴が迸った。
 それは宙に留まろうと力なく一つ二つ翼を振るい、叶わず、あえなく地面に打ち付けられた。

 何が起きたのか判らずに呆然と遥か下方の石畳を見下ろすルゥナの名が、また呼ばわれる。
「ルゥナ!?」
 突かれたように顔を上げ、彼女はその声の主を探した。
 ――いた。

「トール」
 弦のない聖弓を携えた少年が、通りを挟んだ建物に造られた見張り台に立っている。
「君、こんな所で何をやってるんだい!? 危ないじゃないか!」
 いつものトールらしくない尖った声で言いながら、彼は無造作に左方に向けて弓を構え、瞬時に具現した光の矢を放つ。ルゥナを睨んだままでのその攻撃は、彼に向けて鋭い爪を繰り出そうとしていた怪鳥を狙い違わず射落とした。
「早く建物の中に入るんだ!」
 叱責する彼に、ルゥナは手すりに縋ったままかぶりを振る。
「わたし、この上に行かないと! あの子に……あの子に会って、話をしなくちゃ! これをやめさせなくちゃいけないの!」
「あの子って?」
「これをさせているのは、きっとあの子だから――ッ」
 トールの真上から急襲をかけた魔物が視界に飛び込んできて、ルゥナは警告の悲鳴を上げようとした。が、喉が引きつって声が出ない。
 空を舞っていた怪鳥が落としていったその魔物は四足で、トールの他に数人のトルベスタ兵がいる見張り台にクルリと身体を捻って着地する。

「あっちゃぁ……あれはまずくない?」
 台詞の内容とは裏腹にあまり危機感のない声で、ピシカが呟く。
 けれど、彼女の言うとおりだった。あんな距離では、弓では戦えない。
 息を詰めてルゥナが見守る中、トールは腰に手をやり短刀を取り出した。他の兵士も同様だ。
 馬ほどもある大きさの魔物の動きは柔軟で、ネコ科の動物じみている。兵士達に向けて繰り出す爪の動きは速すぎて、ルゥナの目では追えなかった。
 トルベスタの兵士達は、斬り付けては離れ、また刃を振るって跳び退すさる。
「へえ、やるわねぇ」
 絶え間なく攻撃を仕掛けては距離を取るその絶妙な動きに、ピシカが感心したように言う。
 四方八方から繰り出されるその攻撃に、魔物は翻弄されていた。
 やがて、悲痛な断末魔の声が響き渡る。
 魔物が斃れ伏し、少しして、またひょこりとトールが姿を見せた。
 怪我は無さそうな彼の様子に、ルゥナはホッとし、そして同時に胸が痛む。

 魔物は、死んだのだ。
 たくさん、殺されているのだ。

 ルゥナはキッと階段の先を見つめ、そしてまた登り出す。
(どうせ、落ちても痛いだけ。死にはしないんだから)
 さっきまでよりも速く、断固とした足取りになる。
 トールが彼女の名前を呼んでいるのが聞こえたけれど、構わずに進んだ。

 とにかく、早く何かをしなければ。
 無駄に命が失われるのを止める為に。

 それだけを胸に、ルゥナは階段を一歩一歩踏みしめる。
 奇妙なことに、空には多くの魔物が舞っているというのに、それきり、ルゥナが襲われることは一度も無かった。まるで彼女がそうする事を、この状況をもたらしている何者かが望んでいるように。

 やがて、ルゥナは壁の上に辿り着く。
「あなたは……なぜ、こんな所に!?」
 突然現れたルゥナに、階段の警護に当たっていた兵士が驚きの声を上げる。彼女は、擦り抜けるようにして彼の脇を通り抜けた。
 大通り並みの広さがある壁の屋上には他にもたくさん兵士がいて、中には馬に乗っている者もいる。その誰もが皆、場違いなルゥナの姿に目を見張っていた。
 彼らに説明できる言葉を持たないルゥナは、その視線を無視して壁の外側の縁へと駆け寄った。彼女の胸元ほどまでの高さがある手摺壁に手を置き、そこから半ば身を乗り出すようにして外を見渡した。
 眼下に広がるのは、広大な平原。そしてそこには、未だに無数の魔物がひしめき合っている。
 その光景に、その数のあまりの多さに、ルゥナは呆然とした。

(まだまだ、終わらない)
 この魔物を全滅させるだなんて、そんなにたくさんの命を喪わせなければならないだなんて、ルゥナにはとてもではないけれど受け入れられなかった。
 ルゥナは、大きく息を吸い込む。

 そして。

「ソワレ……ソワレ!」
 声を限りに、ルゥナは大事な分身の名を呼ばわった。
 この喊声かんせいの轟く中、彼女の声が彼の耳に届くとは思わない。
 けれど、ソワレは必ず現れる。
 ルゥナは、そう確信していた。
「ソワレ! わたしはここよ!」
 喉が痛い。
 それでも、ルゥナは叫ぶ。
「お願い、ソワレ!」

 ――やがて。

 バサ、という羽音と共に一瞬陽が陰る。
 何かが頭上を通り過ぎ、ルゥナはハッと振り返った。
 彼女が完全に向き直る前に響いた、声。
 聞き覚えがあるようでいて、初めて耳にする、声。
「やあ、ルゥナ」
 そこにいるのは、飛竜ほどもある巨大な有翼の魔物と、その傍らに立つ長身の男。
 背丈は遠巻きに剣を構えている兵士達よりも、頭一つ以上高い。
 長衣の被り物は頭からはだけられていて、その容貌は日のもとに露わになっていた。
 漆黒の髪に、深紅の縦長の瞳孔を有する漆黒の瞳。口元から覗く鋭い牙。

 何一つ、ルゥナの記憶の中の少年とは重ならない。
 けれど、ルゥナは一つの名前を呟いた。確信を持って。

「ソワレ」
 喧騒の中でも彼女の声は彼の元に届いたようで、異形の男は心の底から嬉しそうな笑顔になる。
「ルゥナ、心配してたんだ。ずっと、捜していたんだよ」
 その言葉と共に差し伸べられた手を――鋭い爪が光るその手を、ルゥナはただ見つめるしかできなかった。
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