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最終章:乙女の祈りが叶うとき
集結
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エディはほんの少しも振り返る素振りも見せずに、社の扉を開け、その中へと消えていく。
自分にできることなど何もないことは判っているけれど、ルゥナは素っ気ない彼のその態度に、何故か少し寂しいような物足りないような気持ちになった。
(……なんで……?)
そんなふうに感じてしまったことが理解できず、そして図々しいような気がしてしまって、彼女は視線を下げて唇を噛む。
と。
「あ」
ルゥナは、隣から聞こえた小さな声に振り向いた。
見れば弟は、先ほどまでのルゥナと同じく建物に目を向けて、微かに眉間にしわを寄せている。
「どうかした、ソワレ?」
不安を掻き立てられたルゥナがソワレの長衣の裾を引きながら問いかけると、彼は彼女を見下ろして小さく微笑んだ。
「何でもないよ。ただ、魔法の発動を感じたんだ」
「え?」
眉をひそめたルゥナに、ソワレが建物の方を見つめながら呟く。
「幻術かな」
「……どういうこと?」
それが本当なら、ソワレ以外にも魔法を操るものがこの場にいるということになる。
それは、つまり――
「マギクの人が、ここにいるの?」
「ん? ああ、違うよ。元々アレにかけられてたんだ」
ルゥナは思わず辺りを見回したけれど、事もなげに肩をすくめつつ彼が顎をしゃくったのは、エディが入っていった建物だ。
「アレって……あそこに?」
「ああ。どうせ今頃『試練』とやらを食らっているんだろうな」
「そんな」
パッと建物に目をやっても、そこはシンと静まり返っている。中で何かが起きている気配は全くない。
「でも、静かなもんだけど?」
ルゥナの気持ちを代弁したように口を挟んできたサビエに、ソワレは打って変わっていかにも面倒くさそうに答える。
「幻とでも戦っているんだろう」
――彼が少し前にサビエ達に対してそうしたように。
「!」
ソワレの言葉でルゥナの脳裏に浮かんだのは、あの時の狂ったような皆の様子だった。とっさに駆け出しそうになった彼女を、トールが引き止める。
「ちょっと、ルゥナ、どこに行くの」
「エディが……エディを……」
しどろもどろに答えにならない呟きを返したルゥナに、サビエが苦笑する。
「大丈夫だって。今まで剣を引き継ぐ時に死んだ王族はいないんだから」
「でも――」
ルゥナは、心配だった。
エディがたった独りで戦っているなんて。
静かなのは、もしかしたら、もう倒れているからかもしれない。
落ち着きなくエディがいる建物と一同との間で視線をさまよわせるルゥナの頭を、サビエがポンポンと叩く。
「まあまあ、もう少しうちの王子を信じてやってくれよ。結構、やればできる子なんだから」
宥める響きのその台詞にルゥナは振り返ったけれど、それに返事をする間は与えられなかった。
彼の言葉尻をすくうようにして、トールが呟いたから。
「ルゥナは、基本的に他人のこと信じてないよねぇ。そこの弟君も含めて」
一瞬、ルゥナは言葉を失った。
そんなふうに思われているとは、夢にも思っていなかった。
「信じて……るよ?」
おずおずと答えた彼女に、トールは小さく首をかしげる。
「じゃあ、何でそんなに『自分が何とかしなくちゃ!』てなるの?」
トールが言わんとしている事が、ルゥナにはよく解からない。
「えっと……でも、中で怪我してたら治してあげないと……」
「多少の怪我は、わざわざルゥナの力を使わなくても治るよ。第一、幻相手じゃ怪我しないでしょ。この間みたいに他の人間がいたら同士討ちもあるかもだけど、今は中にはエディ一人だし。僕らはエディがへとへとになって出てくるのをのんびり待ってたらいいんだよ」
ルゥナはキュッと唇を噛んだ。
トールの言うとおり、なのかもしれない。
助けてあげなければ、と思うのは、ルゥナの驕りに過ぎないのかもしれない。
目を落とした彼女に、ふう、と小さくため息のようなものを漏らしたトールが続ける。
「僕には、君が何でもかんでも自分独りでやろうとしているように――そうしなければならないと思っているように見えるんだけど。邪神のことだってさぁ、やっぱりまだ、自分がやらなくちゃって思ってるんでしょ?」
「でも、前に、トールは自分が持っている力を使うんだって、言っていたでしょう? わたしも同じよ?」
戸惑うルゥナに、トールがくしゃくしゃと頭を掻く。
「まあ、そうなんだけど、僕は自分独りで何でも背負おうとは思っていないよ。確かに僕は僕が持っている力を使う。僕ができることには手を尽くす。でも、父上にも母上にも兄上にも、サルキーにも助けてもらうよ」
そう言って、トールはニコリと笑う。
「僕は、自分が全てしなくちゃいけないんだ、とは思っていない。そんなことは不可能だ。人間っていうのは、本来とても非力な生物なんだよ。たった独りじゃ、飛竜や金色熊どころか、一匹の剣歯狼にすら勝てないんだから」
そこで彼は、異議がありそうに眉を上げたヤンに目を向けて片手を上げた。
「ああ、ヤン王は別ですよ? 一般的な能力しか持たない人間はってことです」
少しおどけた仕草でお辞儀して、トールはまたルゥナに目を戻す。
「とにかく、一部の特殊な人々を除いて、個々のヒトは非力なんだ。だから、集まる。お互いに力を出し合ってより大きな力を作っていくのが、人間なんだよ。そして時には、特別な力を持った一人よりも、遥かに大きな力を発揮できるようになる。誰かを助けて、そして誰かから助けてもらう――人との関わりっていうのは、一方通行じゃないんだ。君が皆を助けようとするなら、君も皆から助けてもらうべきなんだよ」
トールの言葉に答えられずにいるルゥナに、普段はあまり彼女へ声をかけることのないスクートが続ける。
「解かっているとは思うが、ルゥナが邪神を封じるのは、別に『義務』ではない。それは君が『しなければいけない』ことなのではなくて――君が僕たちに『してくれる』ことだ。だからむしろ、君以外の人間が君を助けることの方こそ、『しなければいけない』ことであると思う」
「だけど、わたしはいつもみんなに助けてもらってるよ?」
ルゥナが戸惑いと共にそう言うと、トールは苦笑を浮かべる。
「――多分、僕らが思ってる『助ける』と君が思ってる『助ける』は、微妙に違ってると思うよ」
「違う?」
トールに言われたその言葉を、ルゥナは繰り返した。
「そう。同じ言葉だけど、ちょっと違うんだよね」
「わたしには、判らない……」
「それを判ってもらえないことに一番イラッとしてるのは、エディなんだろうなぁ」
そのエディがいる建物の方へとチラリと目を走らせながらのトールの台詞に、ルゥナは眉を下げる。
「わたし、エディを怒らせてるの?」
「そこもね、ちょっと違うんだな。そのイライラの向いている先とかさ」
トールの言葉は解からないこと尽くしで、困り果てたルゥナは他の面々を見回した。が、みんなしたり顔でにやにやしているだけだ。一人、ソワレだけはムッとしているけれど。
(解かってないのは、わたしだけ?)
ルゥナは、トールたちに言われたことをもう一度考えてみた。
……やっぱり、解からない。
(みんなは、わたしにどうしたいと思っているんだろう)
これまで、『自分が皆に何をしてあげたいのか』を考えたことはいくらでもあったけれど、その逆――皆が彼女に何をしたいと思っているのか――を考えることはほとんどなかった。
そう、今いっしょにいる彼らと出逢うまでは。
ルゥナにとって、相手がして欲しいということを聞き、それを叶えることは、簡単で心地良いことだった。受け取るよりも与える方が、遥かに楽だったのだ。
だから、こうやって受け取る側になると、何をどう、どれだけ要求したらよいのか判らない。
深くうつむいたルゥナは、自分のつま先を見つめる。
(わたしは、なんでこんなにわからないことばかりなんだろう)
ソワレと二人きりでいたころは、迷ったり悩んだりすることがなかった。二人きりの時は、何の祖語もなく、お互いにお互いの望みを解かっていると思っていた。
けれど、こうやって何も言えずにいるルゥナを庇ってくれないということは、ソワレも彼らと同じように考えていることではないだろうか。
チラリと弟を見上げれば、静かな眼差しが戻ってくるだけだ。
袋小路に追い詰められたような気持ちでうなだれた彼女の肩を、不意に響いた明るく能天気な声が叩く。
「おやおや、ずいぶん暗いじゃないか」
それは、ここにはいない筈の人のもの。
思わずパッと顔を上げて振り返ったルゥナは、そこに立つ人物に目を丸くする。
「シュリータ……?」
正式の名を呼ばれ、その人――シュウは器用に片方の眉を持ち上げた。彼女の背後には、ルジャニカも控えている。
「まるで川に落ちた仔猫のようにしょぼくれているな。まったく、これだから野郎どもに可憐な乙女は任せておけないんだ。扱いが雑だし繊細な機微というものを読み取れないからな」
ジャッジャッと小気味良い音を立てて砂利を踏む彼女は、ほんの数歩であっという間にルゥナの目の前にやって来る。
「ルゥナ、口の中に虫が入るぞ?」
そう言いながら、ポカンと口を開けているルゥナの顎に人差し指を当て、ヒョイと持ち上げる。そのまま顔を上げさせられて彼女と真っ直ぐに目が合うと、ニッコリと笑顔を返された。
シュタにいる筈の彼女が、どうしてここに。
ルゥナがそんな疑問を口にするより先に、トールが朗らかに声をあげる。
「お早いお着きですね。まだもう少しかかるかと思っていました」
「二日ほど前に着いていたさ。マギクの兵士の力を借りてな。凄い速さだったぞ? 我らの技術もなかなかのものだと自負していたが、やはり魔法にはまだ勝てないな」
「でも、魔法じゃあんなにたくさんの人を一度に運ぶことなんてできませんよ?」
「その点はこちらの勝ちだな。まあ、これだけ早く到着できたのは、魔法と技術が共に手を取り合った結果ということだろう。今回のことはいい経験だった」
まるで、今朝も言葉を交わしたかのような気軽さで笑い合うシュウとトールを、皆ごく普通に眺めている。突然彼女が現れたことに呆気に取られているのはルゥナだけのようだ。
「ヒトの知恵と魔力の調和ですね。確かに、両者が協力すれば、もっと色々できそうだなぁ」
「ああ、邪神のこともなんか打つ手が見つかるんじゃないですかね」
そう言って話に加わったのは、サビエだ。そこにヤンも混じる。
「ご先祖様は唯々諾々とパッと出のカミサマの言うことを鵜呑みにしたようだがな。私は他人の指示に従うだけというのは好かん」
「百五十年間考えてれば、何か手が打ててたと思うんですけどねぇ。実際、弟君は邪神を魔晶球に封じ込めるところまでは成功してるんだし」
時間を無駄にしたと言わんばかりのトールに、一同は同意の色を目に浮かべている。
――皆、ルゥナの治癒の力にすがることなど全く頭に無いようだった。
彼らは、ルゥナのことは、大事に想ってくれている。
それは、ヒシヒシと伝わってくる。
けれども、ルゥナに特別な力があることは、求めてはいない。
彼女に力があるから大事にしてくれるわけではない――力があるから求めてくれるわけではないのだ。
百五十年後のこの世界で目覚めたルゥナに、出会ってからずっと、彼らは何度となく、彼女にそう伝えてきてくれた。
治癒の力を持たないルゥナは何の役にも立たないというのに、彼らはそれでもいいのだと、言葉と態度と表情で訴えてくる。
それでも、彼女のことが大事なのだと。
ルゥナは、そっと視線を落として広げた両手を見つめる。
(何も持たない、ただの、わたし)
そんな彼女を求めてくれたのは、今まではただ一人だけだった。
すぐ後ろに立つ双子の弟を振り返ると、昔と変わらない穏やかな微笑みを返してくれる。
(わたしは、どうしたらいいんだろう)
かつては、ピシカが与えてくれた答えを受け取るだけで良かった。
けれども今は、自分自身で考えて選ばなければならないのだ。
そう、こんな自分を大事に想ってくれている人がいるのだという事実をしっかりと抱き留めた上で。
「あ、出てきた」
のんびりしたトールの声に、ルゥナは物思いから抜け出して顔を上げる。首を巡らせた先には、一振りの剣を提げたエディの姿があった。
自分にできることなど何もないことは判っているけれど、ルゥナは素っ気ない彼のその態度に、何故か少し寂しいような物足りないような気持ちになった。
(……なんで……?)
そんなふうに感じてしまったことが理解できず、そして図々しいような気がしてしまって、彼女は視線を下げて唇を噛む。
と。
「あ」
ルゥナは、隣から聞こえた小さな声に振り向いた。
見れば弟は、先ほどまでのルゥナと同じく建物に目を向けて、微かに眉間にしわを寄せている。
「どうかした、ソワレ?」
不安を掻き立てられたルゥナがソワレの長衣の裾を引きながら問いかけると、彼は彼女を見下ろして小さく微笑んだ。
「何でもないよ。ただ、魔法の発動を感じたんだ」
「え?」
眉をひそめたルゥナに、ソワレが建物の方を見つめながら呟く。
「幻術かな」
「……どういうこと?」
それが本当なら、ソワレ以外にも魔法を操るものがこの場にいるということになる。
それは、つまり――
「マギクの人が、ここにいるの?」
「ん? ああ、違うよ。元々アレにかけられてたんだ」
ルゥナは思わず辺りを見回したけれど、事もなげに肩をすくめつつ彼が顎をしゃくったのは、エディが入っていった建物だ。
「アレって……あそこに?」
「ああ。どうせ今頃『試練』とやらを食らっているんだろうな」
「そんな」
パッと建物に目をやっても、そこはシンと静まり返っている。中で何かが起きている気配は全くない。
「でも、静かなもんだけど?」
ルゥナの気持ちを代弁したように口を挟んできたサビエに、ソワレは打って変わっていかにも面倒くさそうに答える。
「幻とでも戦っているんだろう」
――彼が少し前にサビエ達に対してそうしたように。
「!」
ソワレの言葉でルゥナの脳裏に浮かんだのは、あの時の狂ったような皆の様子だった。とっさに駆け出しそうになった彼女を、トールが引き止める。
「ちょっと、ルゥナ、どこに行くの」
「エディが……エディを……」
しどろもどろに答えにならない呟きを返したルゥナに、サビエが苦笑する。
「大丈夫だって。今まで剣を引き継ぐ時に死んだ王族はいないんだから」
「でも――」
ルゥナは、心配だった。
エディがたった独りで戦っているなんて。
静かなのは、もしかしたら、もう倒れているからかもしれない。
落ち着きなくエディがいる建物と一同との間で視線をさまよわせるルゥナの頭を、サビエがポンポンと叩く。
「まあまあ、もう少しうちの王子を信じてやってくれよ。結構、やればできる子なんだから」
宥める響きのその台詞にルゥナは振り返ったけれど、それに返事をする間は与えられなかった。
彼の言葉尻をすくうようにして、トールが呟いたから。
「ルゥナは、基本的に他人のこと信じてないよねぇ。そこの弟君も含めて」
一瞬、ルゥナは言葉を失った。
そんなふうに思われているとは、夢にも思っていなかった。
「信じて……るよ?」
おずおずと答えた彼女に、トールは小さく首をかしげる。
「じゃあ、何でそんなに『自分が何とかしなくちゃ!』てなるの?」
トールが言わんとしている事が、ルゥナにはよく解からない。
「えっと……でも、中で怪我してたら治してあげないと……」
「多少の怪我は、わざわざルゥナの力を使わなくても治るよ。第一、幻相手じゃ怪我しないでしょ。この間みたいに他の人間がいたら同士討ちもあるかもだけど、今は中にはエディ一人だし。僕らはエディがへとへとになって出てくるのをのんびり待ってたらいいんだよ」
ルゥナはキュッと唇を噛んだ。
トールの言うとおり、なのかもしれない。
助けてあげなければ、と思うのは、ルゥナの驕りに過ぎないのかもしれない。
目を落とした彼女に、ふう、と小さくため息のようなものを漏らしたトールが続ける。
「僕には、君が何でもかんでも自分独りでやろうとしているように――そうしなければならないと思っているように見えるんだけど。邪神のことだってさぁ、やっぱりまだ、自分がやらなくちゃって思ってるんでしょ?」
「でも、前に、トールは自分が持っている力を使うんだって、言っていたでしょう? わたしも同じよ?」
戸惑うルゥナに、トールがくしゃくしゃと頭を掻く。
「まあ、そうなんだけど、僕は自分独りで何でも背負おうとは思っていないよ。確かに僕は僕が持っている力を使う。僕ができることには手を尽くす。でも、父上にも母上にも兄上にも、サルキーにも助けてもらうよ」
そう言って、トールはニコリと笑う。
「僕は、自分が全てしなくちゃいけないんだ、とは思っていない。そんなことは不可能だ。人間っていうのは、本来とても非力な生物なんだよ。たった独りじゃ、飛竜や金色熊どころか、一匹の剣歯狼にすら勝てないんだから」
そこで彼は、異議がありそうに眉を上げたヤンに目を向けて片手を上げた。
「ああ、ヤン王は別ですよ? 一般的な能力しか持たない人間はってことです」
少しおどけた仕草でお辞儀して、トールはまたルゥナに目を戻す。
「とにかく、一部の特殊な人々を除いて、個々のヒトは非力なんだ。だから、集まる。お互いに力を出し合ってより大きな力を作っていくのが、人間なんだよ。そして時には、特別な力を持った一人よりも、遥かに大きな力を発揮できるようになる。誰かを助けて、そして誰かから助けてもらう――人との関わりっていうのは、一方通行じゃないんだ。君が皆を助けようとするなら、君も皆から助けてもらうべきなんだよ」
トールの言葉に答えられずにいるルゥナに、普段はあまり彼女へ声をかけることのないスクートが続ける。
「解かっているとは思うが、ルゥナが邪神を封じるのは、別に『義務』ではない。それは君が『しなければいけない』ことなのではなくて――君が僕たちに『してくれる』ことだ。だからむしろ、君以外の人間が君を助けることの方こそ、『しなければいけない』ことであると思う」
「だけど、わたしはいつもみんなに助けてもらってるよ?」
ルゥナが戸惑いと共にそう言うと、トールは苦笑を浮かべる。
「――多分、僕らが思ってる『助ける』と君が思ってる『助ける』は、微妙に違ってると思うよ」
「違う?」
トールに言われたその言葉を、ルゥナは繰り返した。
「そう。同じ言葉だけど、ちょっと違うんだよね」
「わたしには、判らない……」
「それを判ってもらえないことに一番イラッとしてるのは、エディなんだろうなぁ」
そのエディがいる建物の方へとチラリと目を走らせながらのトールの台詞に、ルゥナは眉を下げる。
「わたし、エディを怒らせてるの?」
「そこもね、ちょっと違うんだな。そのイライラの向いている先とかさ」
トールの言葉は解からないこと尽くしで、困り果てたルゥナは他の面々を見回した。が、みんなしたり顔でにやにやしているだけだ。一人、ソワレだけはムッとしているけれど。
(解かってないのは、わたしだけ?)
ルゥナは、トールたちに言われたことをもう一度考えてみた。
……やっぱり、解からない。
(みんなは、わたしにどうしたいと思っているんだろう)
これまで、『自分が皆に何をしてあげたいのか』を考えたことはいくらでもあったけれど、その逆――皆が彼女に何をしたいと思っているのか――を考えることはほとんどなかった。
そう、今いっしょにいる彼らと出逢うまでは。
ルゥナにとって、相手がして欲しいということを聞き、それを叶えることは、簡単で心地良いことだった。受け取るよりも与える方が、遥かに楽だったのだ。
だから、こうやって受け取る側になると、何をどう、どれだけ要求したらよいのか判らない。
深くうつむいたルゥナは、自分のつま先を見つめる。
(わたしは、なんでこんなにわからないことばかりなんだろう)
ソワレと二人きりでいたころは、迷ったり悩んだりすることがなかった。二人きりの時は、何の祖語もなく、お互いにお互いの望みを解かっていると思っていた。
けれど、こうやって何も言えずにいるルゥナを庇ってくれないということは、ソワレも彼らと同じように考えていることではないだろうか。
チラリと弟を見上げれば、静かな眼差しが戻ってくるだけだ。
袋小路に追い詰められたような気持ちでうなだれた彼女の肩を、不意に響いた明るく能天気な声が叩く。
「おやおや、ずいぶん暗いじゃないか」
それは、ここにはいない筈の人のもの。
思わずパッと顔を上げて振り返ったルゥナは、そこに立つ人物に目を丸くする。
「シュリータ……?」
正式の名を呼ばれ、その人――シュウは器用に片方の眉を持ち上げた。彼女の背後には、ルジャニカも控えている。
「まるで川に落ちた仔猫のようにしょぼくれているな。まったく、これだから野郎どもに可憐な乙女は任せておけないんだ。扱いが雑だし繊細な機微というものを読み取れないからな」
ジャッジャッと小気味良い音を立てて砂利を踏む彼女は、ほんの数歩であっという間にルゥナの目の前にやって来る。
「ルゥナ、口の中に虫が入るぞ?」
そう言いながら、ポカンと口を開けているルゥナの顎に人差し指を当て、ヒョイと持ち上げる。そのまま顔を上げさせられて彼女と真っ直ぐに目が合うと、ニッコリと笑顔を返された。
シュタにいる筈の彼女が、どうしてここに。
ルゥナがそんな疑問を口にするより先に、トールが朗らかに声をあげる。
「お早いお着きですね。まだもう少しかかるかと思っていました」
「二日ほど前に着いていたさ。マギクの兵士の力を借りてな。凄い速さだったぞ? 我らの技術もなかなかのものだと自負していたが、やはり魔法にはまだ勝てないな」
「でも、魔法じゃあんなにたくさんの人を一度に運ぶことなんてできませんよ?」
「その点はこちらの勝ちだな。まあ、これだけ早く到着できたのは、魔法と技術が共に手を取り合った結果ということだろう。今回のことはいい経験だった」
まるで、今朝も言葉を交わしたかのような気軽さで笑い合うシュウとトールを、皆ごく普通に眺めている。突然彼女が現れたことに呆気に取られているのはルゥナだけのようだ。
「ヒトの知恵と魔力の調和ですね。確かに、両者が協力すれば、もっと色々できそうだなぁ」
「ああ、邪神のこともなんか打つ手が見つかるんじゃないですかね」
そう言って話に加わったのは、サビエだ。そこにヤンも混じる。
「ご先祖様は唯々諾々とパッと出のカミサマの言うことを鵜呑みにしたようだがな。私は他人の指示に従うだけというのは好かん」
「百五十年間考えてれば、何か手が打ててたと思うんですけどねぇ。実際、弟君は邪神を魔晶球に封じ込めるところまでは成功してるんだし」
時間を無駄にしたと言わんばかりのトールに、一同は同意の色を目に浮かべている。
――皆、ルゥナの治癒の力にすがることなど全く頭に無いようだった。
彼らは、ルゥナのことは、大事に想ってくれている。
それは、ヒシヒシと伝わってくる。
けれども、ルゥナに特別な力があることは、求めてはいない。
彼女に力があるから大事にしてくれるわけではない――力があるから求めてくれるわけではないのだ。
百五十年後のこの世界で目覚めたルゥナに、出会ってからずっと、彼らは何度となく、彼女にそう伝えてきてくれた。
治癒の力を持たないルゥナは何の役にも立たないというのに、彼らはそれでもいいのだと、言葉と態度と表情で訴えてくる。
それでも、彼女のことが大事なのだと。
ルゥナは、そっと視線を落として広げた両手を見つめる。
(何も持たない、ただの、わたし)
そんな彼女を求めてくれたのは、今まではただ一人だけだった。
すぐ後ろに立つ双子の弟を振り返ると、昔と変わらない穏やかな微笑みを返してくれる。
(わたしは、どうしたらいいんだろう)
かつては、ピシカが与えてくれた答えを受け取るだけで良かった。
けれども今は、自分自身で考えて選ばなければならないのだ。
そう、こんな自分を大事に想ってくれている人がいるのだという事実をしっかりと抱き留めた上で。
「あ、出てきた」
のんびりしたトールの声に、ルゥナは物思いから抜け出して顔を上げる。首を巡らせた先には、一振りの剣を提げたエディの姿があった。
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