君が目覚めるその時に

トウリン

文字の大きさ
36 / 38

SS:修学旅行にて

しおりを挟む
彼女の高校は2年生で修学旅行に行きます。

***

「わたし、ちょっと電話かけてくるね」
 キラの通う高校は、規則は緩いものの一応進学校で、三年生になったら受験にどっぷり浸かることになる。だから二年生のうちに修学旅行が組み込まれていた。
 その初日の夜の宿泊先は、旅館だ。
 八畳ほどの和室に、ちょっと窮屈だけれども四組の布団が敷かれている。
 夜の九時半を過ぎた頃からチラチラと時計を見ていたキラは、十時まであと十分となったところでいそいそと立ち上がった。
「電話って……あれ? さっきしてなかったっけ?」
 布団の上に寝そべって京都のガイドブックをめくっていた桃子とうこが、いぶかしげな眼差しで見上げてくる。
「えっと……あれは……」
 口ごもったキラに、桃子はすぐにピンときたらしい。
「あらぁ、ごゆっくりぃ」
 にやにやしながらそう言われると、キラの頬が熱くなってくる。
「すぐ戻ってくるから」
「いいのよ、先生が点呼に来たら適当にごまかしといてあげるわ」
「そんなの必要ないし!」
 キラがムキになるほど、桃子の目は楽し気に輝きを増す。
「はいはい、遅くなるからさっさと行ってきなさいよ」
 片手を振り振り送り出そうとする桃子に、キラは口を開きかけて、やめる。
 たぶん、反応するほど彼女を楽しませてしまうのだ。そう悟ったから、それ以上何か言うのはやめておいた。
「じゃあ、行ってくるから。……ほんとに、すぐ帰ってくるんだからね」
 キラはそう残して部屋を出て、人が来なそうなところを探す。
(あそこならいいかな)
 彼女が目を付けたのは、階段の下の狭苦しい空間だ。少し奥の方に行けば、キラの背丈なら頭もつっかえずに済む。
 キラはそこに納まって一度深呼吸をする。電話を両手で持ち、登録してある番号を慎重に押した。
 コールが一回、二回……三回。
「はい」
 耳の間近で響いたその低い声に、キラは束の間心臓が止まったような気がした。
 彼と電話で話すことは今までにも何回もあったけれど、環境が違うせいだろうか、なんだかいつもよりもドキドキする。
「キラなのだろう? どうかしたのか?」
 すぐに返事ができなかったキラに、不審げな呼びかけが続いた。
 その声を聴いているとなんだか彼の眉間に寄ったしわが頭の中に浮かんできて、キラは思わず小さな笑い声を漏らしてしまう。
「キラ?」
「すみません、何でもないです。先生、今だいじょうぶでしたか?」
 ちょっと声を潜めて、訊いてみた。この時間、いつも清一郎はまだ仕事をしていることが多い。
 うっかりしていたけれど、もしかしたら、邪魔をしてしまったかもしれない。
「もっと遅い方がいいと思ったんですけど、消灯時間があって……」
 言い訳混じりでそう説明するキラを、淡々とした声が遮る。
「いや、君からの電話を待っていた」
 ――淡々としていて、その内容がキラの頭に染み渡るのが少し遅れた。
「そうですか……って、……え?」
 つい、電話を耳から離してまじまじと見つめてしまう。
「キラ?」
「い、いえ、なんでもないです。そうですか、待っていて、くださったんですか」
 確かに旅行中は毎日電話をすることを約束させられたから、清一郎が待っていても変なことではないのだけれど、はっきりそう言われると、何となくドギマギしてしまう。
(別に、先生は主治医として言ってるだけなんだから)
 深読みしてはいけないと自分に言い聞かせつつ、キラは電話を握り直した。
 そんな彼女の心の中を知ってか知らずか――まず間違いなく知らないのだろうが――清一郎は相変わらず冷静そのものの声で言う。
「で、どうなんだ?」
 これはもちろん、キラの身体についての質問だろう。
「あ、はい、元気です」
 明るい声でそう答えた彼女に、沈黙が返ってくる。
「……先生?」
「僕は、旅行がどうだったか、と訊いたのだが?」
「――はい?」
 一瞬彼が何を言っているのか解からず思い切りいぶかし気な声で切り返してしまったキラに、清一郎はいつもと変わらない口調で続ける。
「僕が訊いているのは身体のことじゃない。君が今日何をして、どう感じたかを訊いたんだ」
「え……っと、え?」
 てっきり心臓に問題ないか訊くために電話をするように言われたのだと思っていたから、想定外の質問をされても即座には答えられない。
 と、電話の向こうから小さなため息が聞こえた。
「君の身体のことは心配していない。手術は完璧だったし、この半年の経過観察で不整脈も出ていないだろう? 単に、君が旅行を楽しんでいるかどうかを訊きたかったんだ」
 それは、つまり、至極『個人的』な関心で。
 言葉のないキラの耳に、囁きのようにも聴こえる清一郎の声が注がれる。
「僕は君に楽しんで欲しい。君が楽しんでいると思うと、僕も嬉しい」
「そ、うですか。……はい、楽しいです、すごく」
 そしてうれしいです、とキラは心の中で付け足した。
 なんだか、清一郎と、『主治医と患者』ではなく、もっと普通のありふれた関係で話せているような気がする。
 ふわふわした気持ちでいるキラに、清一郎が続ける。
「楽しんでいるのは何よりだが、出先では色々な奴がいるからな、気をつけろよ」
「はい?」
「他の学校の生徒だとか……いや、同じ高校の生徒もそうか。旅先だと浮かれるからな。ろくに知らないような奴に声をかけられてもついていかないように」
 ――これは、どう捉えたらいいのだろう。
 まるで、お菓子に釣られて変質者についていかないように注意される子どものようだ。
(パパですらこんなこと言わないよ……)
 浮上した気持ちが一気に降下する。
「単独行動はしないように――どうした?」
 電話越しでも声には出していない彼女の変化が伝わったかのように、清一郎が少し声を低めて訊いてきた。
「何でもないですよ。だいじょうぶ、知らない人にはついていきません」
「……何を怒っているんだ?」
 こういうことには、すぐに気づくのに。
(先生の鈍感)
 胸のうちでそう呟いて、キラは答える。
「別に、怒ってません」
「……そうか?」
 疑わし気な清一郎の声。
(ああ、もう)
 ふいに、何の脈絡もなく、やっぱりこの人が好きなんだ、という想いがこみ上げてくる。
 たとえ、鈍感でキラの気持ちには全然気づいていなくて彼女のことを患者か知り合いの子どものようにしか思っていない相手でも。
(仕方ないよね、好きなものは好きなんだから)
 やめようと思ってやめられるものでもない。
「そろそろ点呼の先生が見回りに来る頃だから、もう戻らないと」
「ああ、そうか。初日だし、不慣れなことで疲れただろう。ゆっくり休むように」
 これは、『先生』としての言葉。
「明日もこのくらいの時間か?」
 これは、『先生』としてじゃない、言葉……?
 判らないまま、キラは電話を耳に押し当て、うなずく。
「はい、たぶん」
「なら、待っている。……お休み」
 ありふれたその一言が、耳の中に優しく残る。
「おやすみなさい」
 少しかすれてしまった声でそう返して、キラは通話を切った。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

行き場を失った恋の終わらせ方

当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」  自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。  避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。    しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……  恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

行かないで、と言ったでしょう?

松本雀
恋愛
誰よりも愛した婚約者アルノーは、華やかな令嬢エリザベートばかりを大切にした。 病に臥せったアリシアの「行かないで」――必死に願ったその声すら、届かなかった。 壊れた心を抱え、療養の為訪れた辺境の地。そこで待っていたのは、氷のように冷たい辺境伯エーヴェルト。 人を信じることをやめた令嬢アリシアと愛を知らず、誰にも心を許さなかったエーヴェルト。 スノードロップの咲く庭で、静かに寄り添い、ふたりは少しずつ、互いの孤独を溶かしあっていく。 これは、春を信じられなかったふたりが、 長い冬を越えた果てに見つけた、たったひとつの物語。

《完結》愛する人と結婚するだけが愛じゃない

ぜらちん黒糖
恋愛
オリビアはジェームズとこのまま結婚するだろうと思っていた。 ある日、可愛がっていた後輩のマリアから「先輩と別れて下さい」とオリビアは言われた。 ジェームズに確かめようと部屋に行くと、そこにはジェームズとマリアがベッドで抱き合っていた。 ショックのあまり部屋を飛び出したオリビアだったが、気がつくと走る馬車の前を歩いていた。

愛する人は、貴方だけ

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
下町で暮らすケイトは母と二人暮らし。ところが母は病に倒れ、ついに亡くなってしまう。亡くなる直前に母はケイトの父親がアークライト公爵だと告白した。 天涯孤独になったケイトの元にアークライト公爵家から使者がやって来て、ケイトは公爵家に引き取られた。 公爵家には三歳年上のブライアンがいた。跡継ぎがいないため遠縁から引き取られたというブライアン。彼はケイトに冷たい態度を取る。 平民上がりゆえに令嬢たちからは無視されているがケイトは気にしない。最初は冷たかったブライアン、第二王子アーサー、公爵令嬢ミレーヌ、幼馴染カイルとの交友を深めていく。 やがて戦争の足音が聞こえ、若者の青春を奪っていく。ケイトも無関係ではいられなかった……。

処理中です...