君が目覚めるその時に

トウリン

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SS:それよりも。

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SS約束の、その後。

***

 初夏のある日曜日。
 キラは朝から張り切っていた。
 休日であるにも拘らず、いつものように病院に向かう清一郎を玄関から送り出した彼女は、ベランダから見えるその姿が追えなくなるまで待って、キッチンに立つ。立てかけたタブレットでレシピを開き、冷蔵庫を漁って食材を取り出した。

「よし、やるぞ」
 そう、自分にひと声かけて。

 今月は、雨宮キラが瀧キラになって、丁度一年になる月だ。
 本当は、まさに結婚記念日そのものにお祝いしたかったけれども、清一郎の仕事があるからなかなかそうもいかない。
(ちゃんと、休んで欲しいし)
 そんな自分の考えを奧さんぽいなと思い、その感想に、ちょっとばかり落ち込む。
 何故なら、清一郎の奥さんになってからもう一年になろうというのに、未だ、奥さんらしいことはほとんどさせてもらえていないからだ。

 結婚してから、清一郎は病院の隣にマンションを借り直した。別に、キラは元の彼の部屋でも良かったのに、その方が安心だから、とサクサク話を進められてしまったのだ。
 そして、彼は、道を一本隔てただけのそのマンションに、それはもうマメに帰ってくる。
 昼休みにも、そして夕食時にも戻ってきて、ササッと食事を作ったかと思うと、キラの様子を一瞥してまた病院に戻っていくのだ。
 掃除洗濯はもちろん、食事すら作らせてもらえない『奧さん』とは、いったいいかがなものなのか。

 あまりに至れり尽くせりの生活に、結婚して早々に、食事くらいは作らせて欲しいと、キラの方から頼んだことがある。けれどそれは、主治医として許可できない、と即座に却下された。
 それならば、と勝手に作って待っていたら、叱られた。

 確かに、プロポーズの言葉の中に、彼の世話を焼く必要はないとか何とか入っていた記憶はある。どうやら、本気で、毎日キラの安否を確認したいだけが為に結婚したらしい。
 けれど、キラとしては、それで満足できるはずがない。
 せめて結婚一周年の祝いくらいは何かしてやろうと、ひと月前から画策していたのだ。

 まず、当直やオンコールがない日曜日をさりげなく訊き出して、その日は午後まで病院に引き留めておいてくれるよう、小児科時代の主治医の岩崎に頼んでおいた。

 今は、まだ、十一時。清一郎の帰宅まで、あと二時間はある予定だ。

 と、思ったら。

 ガチャリ、と玄関の鍵が開く音が届く。

「え、うそ」
 まだ何もできていないのに。
 慌てるキラをよそに、重くしっかりとした足音が近づいてくる。

 ダイニングに姿を現した清一郎は、カウンターの奥に立つキラを見て、彼女の前に広げられている諸々に眼を落として、そして眉をしかめた。

「何をしている?」
「……お料理、です」
「何故」
「したかったから」

 返事の代わりの、ため息。

 清一郎はキッチンに入ってくると、キラの背中をそっと押して出て行くように促した。その力に抗い、彼女は彼を振り仰ぐ。

「お願い、今日はわたしに作らせてください」
「駄目だ。休んでろ」
 そう言って、清一郎はタブレットを覗き込む。
「これが食べたいのか?」
「わたしが作って、先生に食べさせたいんです!」
「どちらが作っても、同じだろう」
「違います!」

 彼の為に、キラが作る――そこに意義があるのだ。

 足を踏ん張り頑としてその場にとどまる気構えのキラを、清一郎は眉をひそめて見下ろしたかと思うと、おもむろに身を屈めた。
「先生!?」
 背中と膝裏に手を回され、いとも軽々と運ばれながら、キラは抗議の声を上げる。けれど清一郎は構わず彼女をリビングのソファに下ろすと、さっさとキッチンに戻ろうとする。

 その彼のシャツの背中を、キラはハッシと掴んだ。

「……キラ?」
 肩越しに振り返った清一郎は、困惑の色をその眼に浮かべている。キラはシャツを握る手に力を込めて、彼を見上げた。
「わたしだって、先生の為に何かしたいんです。せめて今日は、何か先生が喜ぶことをしたい……」
 キラの訴えに、清一郎がジッと見下ろしてくる。と思ったら、彼女の拳をそっと外させ、ソファの前に屈みこんだ。

「僕が喜ぶことを?」
 同じ高さになった目線を、キラは真っ直ぐに見返し、コクリと頷く。

 清一郎はしばし口をつぐみ、そして開いた。

「だったら、名前で呼んでくれないか」
「…………なまえ……?」
「ああ」

 適当にごまかそうとしているのかと思ったけれど、清一郎の眼は真面目そのものだ。いや、そもそも、彼がふざけたりキラのことをいなそうとしたりしたことは、今までなかった。

「えっと……清一郎、――さん?」
 ためらいがちに、キラはその名を口にした。

(あれ? もしかして、先生の名前を呼ぶの、初めてだっけ?)
 そんなことを考え小首をかしげた彼女を、清一郎は瞬きもせずに見つめてくる。あまりにまじまじと見てくるから、頬が火照ってきた。

 と突然。

「え、先生?」

 ガバリと抱き寄せられて面食らったキラは、次の瞬間うめき声を漏らす。
「ちょっと、先生、苦しい――つぶれちゃうってば!」

 彼女のその台詞で、清一郎がパッと腕を解いた。
「すまない」
 あまり表情を変えない彼だけれども、キラはその乏しい変化を漏らさず読み取った。

(しょげた……?)
 今度は、キラの方が清一郎をしげしげと見つめる。
(なんか、可愛い)
 思わずフフッと笑みを漏らすと、清一郎の眉間に深い溝が生まれた。訝しそうな顔を向けてくる彼に、キラは笑みを返す。

「そっとだったら、だいじょうぶです」
 そう言って、彼女は両手を彼に差し伸べた。

 清一郎はほんの一瞬逡巡し、そして腕を伸ばしてくる。

 ふわりと、包み込むような抱擁。
 それは、親鳥が雛を抱くのに似て。

(ああ、幸せだなぁ)
 ごくごく自然に、そんな思いが胸に湧く。

 キラは小さく息をつき、大きな胸に頬をすり寄せる。そうして、彼女の腕が届く限りで、精いっぱい彼を抱き締めた。
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感想 3

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みんなの感想(3件)

ぴろりん
2019.03.27 ぴろりん

素敵な作品ありがとうございましたm(__)m
涙、涙、涙( ;∀;)
久しぶりに涙して何か悪いもの出た気が( *´艸`)
これからも素敵な作品お願いいたします♪
楽しみにしています(^∇^)

2019.03.29 トウリン

こちらこそ、お読みくださりありがとうございました。
……デトックス?
ピロリンさんの心の片隅に引っかかることができたなら、作者冥利に尽きるというものです。
こちらには恋愛ものメインであげていく予定です。
ご縁がありましたら、また。

解除
2019.01.12 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

2019.01.15 トウリン

Kanaさま。
少しでも楽しんでいただけたなら、何よりです。
ろくに喋らない彼ですが、きっと彼女のことを大事に大事に慈しんでいくのです。
こちらこそ、お読みくださりありがとうございました。

解除
2019.01.11 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

2019.01.12 トウリン

こんにちは。
感想ありがとうございます。
そしてくだんの回ですが。
読み返してみたら――確かに。まさに新婦控室、みたいな。
書いていた当時は、まったく気づきませんでした。
思わず笑ってしまったので、こちらには本編だけの投稿で、と思っていましたが、SSを付け加えてみました。
重ねて、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
ご縁がありましたら、また。

解除

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