6 / 33
<叶ってはいけない望み>
しおりを挟む
凄い風と雨だった。
店の中にいても突風の唸りが聞こえてくる。
この秋は台風の当たり年のようで、颯斗の学校も、もう三度も休校になっていた。
安全の為に休校になっているわけだから、本当なら家の中に閉じ籠っていなければいけないところだが、颯斗は当然、綾音と利音の元にいた。
「今回も日本縦断だよね。あと何回くらいこんなのが来るんだろ」
店の窓から外を眺めながら、綾音が眉をひそめる。休校で出された課題から顔を上げて颯斗も彼女と同じ方に目を向けると、何かが通りをすっ飛んで行くのが見えた。
「もう十月になるし、そろそろ終わりじゃない?」
利音はグラスを磨きながら、あまり気にした様子もない。
「荘一郎さんが行ってる所、だいじょうぶかなぁ。去年も結構雨の被害があったんだよね」
綾音の心配しているのは、そちらの方のようだ。無意識なのか、左手の指輪をいじっている。
「去年も一昨年も無事だったんだから、今年も大丈夫だって」
「でも、今年はちょっとひどくない? ニュースも、例年よりも雨量が多いって……洪水も……」
「そんなの、会社がちゃんと面倒見てくれるわよ」
「うん……」
頷きながらも、綾音は不安そうだ。
「日本に来てるなら、あっちの方はむしろ無事なんじゃないか?」
颯斗は何か彼女を安心させるようなことを言いたかったけれど、たいしたことは出てこない。
「そうだね」
綾音はニコッと笑って颯斗に頷きを返した。
その笑顔は、いつもとは違う。彼を安心させる為に作ったものだ。
颯斗は綾音を安心させたかったのに、逆に気遣われてしまう自分がもどかしい。
荘一郎が赴いている地域のことを、颯斗はネットで調べてみた。
ものすごく田舎――舗装された道路もほとんど無いような場所だけれど、治安はいいらしい。一ヶ月に一回送られてくる荘一郎の手紙からも、それは伝わってきた。とてものどかで、村の人達からはまるで家族のように受け入れられているとか。
反面、自然災害――水害は毎年少なくない被害を出している。
荘一郎がいるのは川が多い地域で、地元の人間が作る簡単な橋は、雨で増水する度に流されてしまうのだとか。彼の役割は頑丈な橋を作ること、そしてその作り方を教えること、だった。
水害に対処するのが目的なわけだから、必然的に、派遣されるのは水害が多い地域になる。
秋になってから、台風が発生する度に綾音はネットで逐一その動きを追っていた。日本を直撃するかでなく、荘一郎のいる東南アジアの方が無事かどうかを見る為に。
大丈夫だったと判って胸を撫で下ろしても、綾音の笑顔がすっきり晴れ渡ることはなかった。
利音は、「毎年この時期は仕方がないんだよ」と苦笑していたけれど、颯斗はもどかしくてならない。
(荘一郎なら、どんな心配も消してやれるんだろうな)
そもそも荘一郎自身が綾音の心配の種になっているわけだけれども、もしもこれと同じくらい綾音を心配させるような何かが起きたとしても、荘一郎ならあっという間に解消できてしまうのだろう。
荘一郎に、なりたいと思う。
いや、違う。
綾音の中の荘一郎を追い出して、自分がその場所に立ちたいのだ。
――そんなふうに考えてしまう自分が、颯斗は嫌だった。
「まあでもほら、もうじき定期便が届くでしょ?」
うつむきがちな妹の顔を上げさせようと、利音が明るい声で明るい知らせを思い出させる。
荘一郎の手紙が送られてくるのは、毎月十五日前後だ。
交通手段があまりしっかりしていないので、きっちり十五日、というわけにはいかないけれど。
「そう、だね」
そう言って笑った綾音に、颯斗はその手紙が早く届いて欲しいような、そうでないような、何だか自分でもはっきりしない気持ちになった。
「だけど、今どき手紙って――メールとか使えねぇの?」
「ネット使えないんだって。携帯も通じないし。少し奥の方に行くと、車も走ってないって」
「マジかよ」
呻いた颯斗に綾音が笑う。
「日本にいたら想像できないよね。でも、荘一郎さんは結構そういう生活が気に入ってるみたい。帰ってくると、しばらくあっちの話ばっかになるの。すっごく楽しそうなんだ」
こういうふうに荘一郎の事を話す時は、綾音の顔はパッと輝く。
「じゃあ、あっちにずっと居たいとか言い出したりしてね」
何故か意地の悪い気分になって、颯斗はついそんなことを言ってしまった。けれど綾音はケロリと言う。
「そしたら、わたしもついてくし」
「綾音が? ムリだろ」
「行けるよ。荘一郎さんがいるところなら、どこだってついていけるもの」
綾音は、普通な顔できっぱりとそう言い切った。
彼女の中では、常に荘一郎が一番なのだ。
前から判り切っていたことを、更に目の前に突き出されてしまった。
「ふぅん、あっそ。じゃ、もっと身体鍛えておいた方がいいんじゃないの? ちょっと重い箱とか持ち上げられないし、今の綾音じゃ、そんなところに行っても役立たずだよ」
尖った声で、そんな台詞が颯斗の口を突いて出る。
言ってしまってから、しまった、と思った。
けれど、一度出た言葉はもう戻らない。
綾音は、颯斗のキツイ言い方に目を丸くしている。と思ったら、破顔した。
「何笑ってんだよ」
「だって、颯斗くんが拗ねてるから」
「はあ?」
ムッとする颯斗に、綾音は手を伸ばしてクシャクシャと彼の髪を掻きまわす。それは、小さい子どもに対してするべき行為だった。中学生男児にすることじゃない。
身体を横に倒して颯斗が綾音の手から逃れると、彼女はニッと笑った。いつもよりも、いたずらっぽい顔で。
「颯斗くんが拗ねるとこなんて、初めて見たなぁ。なんか、いつも年齢よりも大人っぽいから。あ、今度の荘一郎さんの手紙の返事の時にこれも書こっと」
「俺は拗ねてなんかない」
「ふふふ」
颯斗がムキになって否定するほど、綾音はしたり顔になる。
「書くなよ、そんなこと」
「ええ? イイネタなのに」
「俺は絶対、拗ねてなんかない。綾音が非力なのはホントのことだろ」
「そうだね」
笑った綾音は完全に颯斗の言い分を耳から耳へと聞き流している。
綾音からの手紙で荘一郎が浮かべるだろうニヤニヤ笑いは、簡単に想像できた。
「変なこと書くなよな」
もう一度、悪足掻きのように念押しをする。
「どうしよっかなぁ」
きっと、普段あまり感情を露わにしない颯斗がこんなふうにムキになることが綾音を楽しませているのだ。
それが判っていても、いや、それが判るから、いっそうムキになってしまう。彼女がこんなふうに颯斗をからかうのは、彼を子ども扱いしているからだということがイヤというほど明らかになるからだ。
何だか、それを荘一郎に知らされるのも、クツジョクだった。
「いいから、絶対に書くなよ」
無駄だと思いながらも、もう一度念押しする。
彼がムッとしているのは確かだったけれど、同時に、ホッとしていた。
綾音はにこにこと笑っていて、颯斗は、久し振りに彼女がまともに笑うところを見たよな、などと思ったりして。
――結局、綾音はこのことを荘一郎への手紙には書かなかった。
いつもならどんなに遅くても二十日には届けられている彼からの手紙が、届かなかったからだ。
日に日に不安の色を濃くしていく綾音に、颯斗は何もできることはなかった。
荘一郎の両親からの連絡が入ったのは、それから更に五日後のこと。
彼が作業していたまさにその場所で河が氾濫し、現地の者の他、日本人も数名行方不明になっているのだ、と。
その数名の中に、荘一郎の名前もあるのだ、と。
連絡があったのは、夕方、利音も綾音も颯斗も、店にいた時だった。
閉店後に鳴り響いた電話を利音が取り、相手の言うことに幾度か頷いてから受話器を置き、しばらく彼女は何も言わなかった。青ざめた顔で、電話を見つめていた。
そして綾音と颯斗に向き直り、荘一郎の父から言われたことを、一言一句変えることなくそのまま、繰り返した。
それを耳にした瞬間、颯斗の脳裏によぎったのは、今まで時々頭の中をかすめていった囁きだ。
――荘一郎が帰ってこなければいいのに。
綾音が荘一郎を慕う度、そんな考えが颯斗の中でほんの一瞬だけ、疼いたのだ。
(本当に、そうなって欲しかったわけじゃない)
颯斗は自分自身に対して弁解した。
時々妬ましさは覚えたが、颯斗も、荘一郎のことは好きだったのだから。なんだかんだ言っても、荘一郎のことで幸せそうにしている綾音を見ていることが、颯斗にも温かな気持ちをもたらしてくれていたのだから。
ただ、チラリと湧いて、すぐに消えただけだった。
けれど、そんなふうに感じたことがあるということに、颯斗は後ろめたさを抱えた。
その漠然とした罪悪感のようなものに沈み込みそうになった彼を引き上げたのは、心を切り裂くような悲鳴だった。
綾音は、半狂乱になった。泣き叫んで、暴れて、今すぐに荘一郎を探しに行くと飛び出して行きそうになった。
毎日、毎日。
昼間は店を閉めて、利音が付きっきりで綾音を抑えた。学校が終われば、颯斗が交代して彼女を見張った。
一週間ほどそんな日が続き、やがて、綾音は打って変わって静かになった。今度は、無理やり食べさせ、眠らせるのが、颯斗と利音のしなければならないことになった。
涙を止められない綾音を見ているのも、苦しかった。
けれど、人形の様になってしまった彼女を見ているのも苦しかった。
行方不明になった者たちは、ある者は生存が確認され、ある者は死亡が確認された。一人、二人と明らかになっていく中に、なかなか荘一郎の名前は出てこなかった。
成果のないまま、ひと月が経ち、ふた月が経ち――三ヶ月目で、捜索は打ち切られた。
その三日後から、綾音は元通りになった。
何事もなかったかのように、笑い、喋り、動くようになった――その日を境に、荘一郎の名前が彼女の口から出ることは、無くなったけれど。
店の中にいても突風の唸りが聞こえてくる。
この秋は台風の当たり年のようで、颯斗の学校も、もう三度も休校になっていた。
安全の為に休校になっているわけだから、本当なら家の中に閉じ籠っていなければいけないところだが、颯斗は当然、綾音と利音の元にいた。
「今回も日本縦断だよね。あと何回くらいこんなのが来るんだろ」
店の窓から外を眺めながら、綾音が眉をひそめる。休校で出された課題から顔を上げて颯斗も彼女と同じ方に目を向けると、何かが通りをすっ飛んで行くのが見えた。
「もう十月になるし、そろそろ終わりじゃない?」
利音はグラスを磨きながら、あまり気にした様子もない。
「荘一郎さんが行ってる所、だいじょうぶかなぁ。去年も結構雨の被害があったんだよね」
綾音の心配しているのは、そちらの方のようだ。無意識なのか、左手の指輪をいじっている。
「去年も一昨年も無事だったんだから、今年も大丈夫だって」
「でも、今年はちょっとひどくない? ニュースも、例年よりも雨量が多いって……洪水も……」
「そんなの、会社がちゃんと面倒見てくれるわよ」
「うん……」
頷きながらも、綾音は不安そうだ。
「日本に来てるなら、あっちの方はむしろ無事なんじゃないか?」
颯斗は何か彼女を安心させるようなことを言いたかったけれど、たいしたことは出てこない。
「そうだね」
綾音はニコッと笑って颯斗に頷きを返した。
その笑顔は、いつもとは違う。彼を安心させる為に作ったものだ。
颯斗は綾音を安心させたかったのに、逆に気遣われてしまう自分がもどかしい。
荘一郎が赴いている地域のことを、颯斗はネットで調べてみた。
ものすごく田舎――舗装された道路もほとんど無いような場所だけれど、治安はいいらしい。一ヶ月に一回送られてくる荘一郎の手紙からも、それは伝わってきた。とてものどかで、村の人達からはまるで家族のように受け入れられているとか。
反面、自然災害――水害は毎年少なくない被害を出している。
荘一郎がいるのは川が多い地域で、地元の人間が作る簡単な橋は、雨で増水する度に流されてしまうのだとか。彼の役割は頑丈な橋を作ること、そしてその作り方を教えること、だった。
水害に対処するのが目的なわけだから、必然的に、派遣されるのは水害が多い地域になる。
秋になってから、台風が発生する度に綾音はネットで逐一その動きを追っていた。日本を直撃するかでなく、荘一郎のいる東南アジアの方が無事かどうかを見る為に。
大丈夫だったと判って胸を撫で下ろしても、綾音の笑顔がすっきり晴れ渡ることはなかった。
利音は、「毎年この時期は仕方がないんだよ」と苦笑していたけれど、颯斗はもどかしくてならない。
(荘一郎なら、どんな心配も消してやれるんだろうな)
そもそも荘一郎自身が綾音の心配の種になっているわけだけれども、もしもこれと同じくらい綾音を心配させるような何かが起きたとしても、荘一郎ならあっという間に解消できてしまうのだろう。
荘一郎に、なりたいと思う。
いや、違う。
綾音の中の荘一郎を追い出して、自分がその場所に立ちたいのだ。
――そんなふうに考えてしまう自分が、颯斗は嫌だった。
「まあでもほら、もうじき定期便が届くでしょ?」
うつむきがちな妹の顔を上げさせようと、利音が明るい声で明るい知らせを思い出させる。
荘一郎の手紙が送られてくるのは、毎月十五日前後だ。
交通手段があまりしっかりしていないので、きっちり十五日、というわけにはいかないけれど。
「そう、だね」
そう言って笑った綾音に、颯斗はその手紙が早く届いて欲しいような、そうでないような、何だか自分でもはっきりしない気持ちになった。
「だけど、今どき手紙って――メールとか使えねぇの?」
「ネット使えないんだって。携帯も通じないし。少し奥の方に行くと、車も走ってないって」
「マジかよ」
呻いた颯斗に綾音が笑う。
「日本にいたら想像できないよね。でも、荘一郎さんは結構そういう生活が気に入ってるみたい。帰ってくると、しばらくあっちの話ばっかになるの。すっごく楽しそうなんだ」
こういうふうに荘一郎の事を話す時は、綾音の顔はパッと輝く。
「じゃあ、あっちにずっと居たいとか言い出したりしてね」
何故か意地の悪い気分になって、颯斗はついそんなことを言ってしまった。けれど綾音はケロリと言う。
「そしたら、わたしもついてくし」
「綾音が? ムリだろ」
「行けるよ。荘一郎さんがいるところなら、どこだってついていけるもの」
綾音は、普通な顔できっぱりとそう言い切った。
彼女の中では、常に荘一郎が一番なのだ。
前から判り切っていたことを、更に目の前に突き出されてしまった。
「ふぅん、あっそ。じゃ、もっと身体鍛えておいた方がいいんじゃないの? ちょっと重い箱とか持ち上げられないし、今の綾音じゃ、そんなところに行っても役立たずだよ」
尖った声で、そんな台詞が颯斗の口を突いて出る。
言ってしまってから、しまった、と思った。
けれど、一度出た言葉はもう戻らない。
綾音は、颯斗のキツイ言い方に目を丸くしている。と思ったら、破顔した。
「何笑ってんだよ」
「だって、颯斗くんが拗ねてるから」
「はあ?」
ムッとする颯斗に、綾音は手を伸ばしてクシャクシャと彼の髪を掻きまわす。それは、小さい子どもに対してするべき行為だった。中学生男児にすることじゃない。
身体を横に倒して颯斗が綾音の手から逃れると、彼女はニッと笑った。いつもよりも、いたずらっぽい顔で。
「颯斗くんが拗ねるとこなんて、初めて見たなぁ。なんか、いつも年齢よりも大人っぽいから。あ、今度の荘一郎さんの手紙の返事の時にこれも書こっと」
「俺は拗ねてなんかない」
「ふふふ」
颯斗がムキになって否定するほど、綾音はしたり顔になる。
「書くなよ、そんなこと」
「ええ? イイネタなのに」
「俺は絶対、拗ねてなんかない。綾音が非力なのはホントのことだろ」
「そうだね」
笑った綾音は完全に颯斗の言い分を耳から耳へと聞き流している。
綾音からの手紙で荘一郎が浮かべるだろうニヤニヤ笑いは、簡単に想像できた。
「変なこと書くなよな」
もう一度、悪足掻きのように念押しをする。
「どうしよっかなぁ」
きっと、普段あまり感情を露わにしない颯斗がこんなふうにムキになることが綾音を楽しませているのだ。
それが判っていても、いや、それが判るから、いっそうムキになってしまう。彼女がこんなふうに颯斗をからかうのは、彼を子ども扱いしているからだということがイヤというほど明らかになるからだ。
何だか、それを荘一郎に知らされるのも、クツジョクだった。
「いいから、絶対に書くなよ」
無駄だと思いながらも、もう一度念押しする。
彼がムッとしているのは確かだったけれど、同時に、ホッとしていた。
綾音はにこにこと笑っていて、颯斗は、久し振りに彼女がまともに笑うところを見たよな、などと思ったりして。
――結局、綾音はこのことを荘一郎への手紙には書かなかった。
いつもならどんなに遅くても二十日には届けられている彼からの手紙が、届かなかったからだ。
日に日に不安の色を濃くしていく綾音に、颯斗は何もできることはなかった。
荘一郎の両親からの連絡が入ったのは、それから更に五日後のこと。
彼が作業していたまさにその場所で河が氾濫し、現地の者の他、日本人も数名行方不明になっているのだ、と。
その数名の中に、荘一郎の名前もあるのだ、と。
連絡があったのは、夕方、利音も綾音も颯斗も、店にいた時だった。
閉店後に鳴り響いた電話を利音が取り、相手の言うことに幾度か頷いてから受話器を置き、しばらく彼女は何も言わなかった。青ざめた顔で、電話を見つめていた。
そして綾音と颯斗に向き直り、荘一郎の父から言われたことを、一言一句変えることなくそのまま、繰り返した。
それを耳にした瞬間、颯斗の脳裏によぎったのは、今まで時々頭の中をかすめていった囁きだ。
――荘一郎が帰ってこなければいいのに。
綾音が荘一郎を慕う度、そんな考えが颯斗の中でほんの一瞬だけ、疼いたのだ。
(本当に、そうなって欲しかったわけじゃない)
颯斗は自分自身に対して弁解した。
時々妬ましさは覚えたが、颯斗も、荘一郎のことは好きだったのだから。なんだかんだ言っても、荘一郎のことで幸せそうにしている綾音を見ていることが、颯斗にも温かな気持ちをもたらしてくれていたのだから。
ただ、チラリと湧いて、すぐに消えただけだった。
けれど、そんなふうに感じたことがあるということに、颯斗は後ろめたさを抱えた。
その漠然とした罪悪感のようなものに沈み込みそうになった彼を引き上げたのは、心を切り裂くような悲鳴だった。
綾音は、半狂乱になった。泣き叫んで、暴れて、今すぐに荘一郎を探しに行くと飛び出して行きそうになった。
毎日、毎日。
昼間は店を閉めて、利音が付きっきりで綾音を抑えた。学校が終われば、颯斗が交代して彼女を見張った。
一週間ほどそんな日が続き、やがて、綾音は打って変わって静かになった。今度は、無理やり食べさせ、眠らせるのが、颯斗と利音のしなければならないことになった。
涙を止められない綾音を見ているのも、苦しかった。
けれど、人形の様になってしまった彼女を見ているのも苦しかった。
行方不明になった者たちは、ある者は生存が確認され、ある者は死亡が確認された。一人、二人と明らかになっていく中に、なかなか荘一郎の名前は出てこなかった。
成果のないまま、ひと月が経ち、ふた月が経ち――三ヶ月目で、捜索は打ち切られた。
その三日後から、綾音は元通りになった。
何事もなかったかのように、笑い、喋り、動くようになった――その日を境に、荘一郎の名前が彼女の口から出ることは、無くなったけれど。
0
あなたにおすすめの小説
結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~
馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」
入社した会社の社長に
息子と結婚するように言われて
「ま、なぶくん……」
指示された家で出迎えてくれたのは
ずっとずっと好きだった初恋相手だった。
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
ちょっぴり照れ屋な新人保険師
鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno-
×
俺様なイケメン副社長
遊佐 学 -Manabu Yusa-
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
「これからよろくね、ちとせ」
ずっと人生を諦めてたちとせにとって
これは好きな人と幸せになれる
大大大チャンス到来!
「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」
この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。
「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」
自分の立場しか考えてなくて
いつだってそこに愛はないんだと
覚悟して臨んだ結婚生活
「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」
「あいつと仲良くするのはやめろ」
「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」
好きじゃないって言うくせに
いつだって、強引で、惑わせてくる。
「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
俺様なイケメン副社長と
そんな彼がずっとすきなウブな女の子
愛が本物になる日は……
18年愛
俊凛美流人《とし・りびると》
恋愛
声を失った青年と、かつてその声に恋をしたはずなのに、心をなくしてしまった女性。
18年前、東京駅で出会ったふたりは、いつしかすれ違い、それぞれ別の道を選んだ。
そして時を経て再び交わるその瞬間、止まっていた運命が静かに動き出す。
失われた言葉。思い出せない記憶。
それでも、胸の奥ではずっと──あの声を待ち続けていた。
音楽、記憶、そして“声”をめぐる物語が始まる。
ここに、記憶に埋もれた愛が、もう一度“声”としてよみがえる。
54話で完結しました!
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
不遇の花詠み仙女は後宮の華となる
松藤かるり
恋愛
髙の山奥にある華仙一族の隠れ里に住むは、華仙術に秀でた者の証として花痣を持ち生まれた娘、華仙紅妍。
花痣を理由に虐げられる生活を送っていた紅妍だが、そこにやってきたのは髙の第四皇子、秀礼だった。
姉の代わりになった紅妍は秀礼と共に山を下りるが、連れて行かれたのは死してなお生に縋る鬼霊が巣くう宮城だった。
宮城に連れてこられた理由、それは帝を苦しめる禍を解き放つこと。
秀礼の依頼を受けた紅妍だが簡単には終わらず、後宮には様々な事件が起きる。
花が詠みあげる記憶を拾う『花詠み』と、鬼霊の魂を花に渡して祓う『花渡し』。
二つの華仙術を武器に、妃となった紅妍が謎を解き明かす。
・全6章+閑話2 13万字見込み
・一日3回更新(9時、15時、21時) 2月15日9時更新分で完結予定
***
・華仙紅妍(かせんこうけん)
主人公。花痣を持つ華仙術師。
ある事情から華仙の名を捨て華紅妍と名乗り、冬花宮に住む華妃となる。
・英秀礼(えいしゅうれい)
髙の第四皇子。璋貴妃の子。震礼宮を与えられている。
・蘇清益(そ しんえき)
震礼宮付きの宦官。藍玉の伯父。
・蘇藍玉(そ らんぎょく)
冬花宮 宮女長。清益の姪。
・英融勒(えい ゆうろく)
髙の第二皇子。永貴妃の子。最禮宮を与えられている。
・辛琳琳(しん りんりん)
辛皇后の姪。秀礼を慕っている。
神様がくれた時間―余命半年のボクと記憶喪失のキミの話―
コハラ
ライト文芸
余命半年の夫と記憶喪失の妻のラブストーリー!
愛妻の推しと同じ病にかかった夫は余命半年を告げられる。妻を悲しませたくなく病気を打ち明けられなかったが、病気のことが妻にバレ、妻は家を飛び出す。そして妻は駅の階段から転落し、病院で目覚めると、夫のことを全て忘れていた。妻に悲しい思いをさせたくない夫は妻との離婚を決意し、妻が入院している間に、自分の痕跡を消し出て行くのだった。一ヶ月後、千葉県の海辺の町で生活を始めた夫は妻と遭遇する。なぜか妻はカフェ店員になっていた。はたして二人の運命は?
――――――――
※第8回ほっこりじんわり大賞奨励賞ありがとうございました!
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる