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Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星
ディアスタ村にて:小さな棘
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コラーノ神父が去り、一人残されたステラはしばらくそこに佇んでいたが、やがて意識せぬままふらりと菜園のある裏庭へと向かう。
丹精込めて世話をしてきた野菜たちは、長雨のせいで少しばかり元気がない。そのことを知っているかのように、アレッサンドロは、今回の荷物に保存が利くように処理された様々な野菜をたくさん積んでくれていた。
「行けば、アレックスに逢えるんだ」
それは、嬉しい。
毎月渡す手紙は日記のようなもので、ステラは毎日少しずつ書き溜めながら、楽しく暮らしているだろうか、どれだけ大きくなったのだろうかと、今のアレッサンドロに思いを馳せていた。可愛らしい子だったから、少し線の細い、優しげな青年になっているに違いない。
八年間、アレッサンドロ自身からはまったく音沙汰なかったけれど、ステラの頭の中には常に彼のことがあった。ここを離れていった子どもたちはたくさんいたけれど、ステラの中で、アレッサンドロのことはその子どもたちとは少し違う場所に大切にしまい込まれていた。
彼を想い微かに微笑み、ふと、ステラは、先ほどのコラーノ神父の言葉を思い出す。
神父は、ステラの為を想って、ラムバルディアに行くことを勧めてくれた。
それは八年前のステラがアレッサンドロに対してしたこととまるきり同じだ。
(なら、アレッサンドロも、わたしの言葉を寂しく思っていたの?)
寂しく、心許なく、どこか、突き放されたように――?
今、ステラがコラーノ神父に望んでいるように、行かないで欲しい、ここに残って欲しいという言葉こそを、アレッサンドロも望んでいたのだろうか。
アレッサンドロは賢く人の心の機微にも敏い子だったから、ステラにあんなふうに言われてしまって、寂しい気持ちを表に出せなくなってしまったのではないだろうか。
(だから、手紙に返事をくれないのかもしれない)
無理に送り出してしまったステラに、怒っているから。
ステラは肩を落とし、すぐ傍にあるニンジンの葉をつつく。あとふた月もしないうちに、収穫の時期になるだろう。
(それまで、子どもたちだけでちゃんと世話ができるかな)
知らず、ため息がこぼれた。
と、その時。
「ステラ」
低い声で名前を呼ばれ、彼女はハッと我に返る。立ち上がり向き直った先にいるのは、レイだ。二十歳になった彼は流石に計算にも困らなくなっているけれど、すっかり大人になった今でもステラ同様、教会に留まっていた。
「どうしたの?」
ステラは笑顔を作ったが、レイは五歩ほど離れたところで眉間に皺を刻んで立ち止まっている。彼は十五を越えたくらいからぐんぐん背が伸びて、ステラよりも頭一つ分以上大きくなった。教会の力仕事や狩りで身体をよく使うせいか、腕など、彼女の腰くらいの太さがある。絡んでくる子どもたちを五、六人ぶら下げていても、平気な顔で歩いていられるほどだ。
「レイ?」
首をかしげて再び呼びかけると、彼は重々しく口を開いた。
「あいつに呼ばれたんだって?」
「え、あ……うん」
ステラは一瞬口ごもり、頷いた。レイは怒ったようにも見える顔でジッと彼女を見据えてから、問うてくる。
「行くのか?」
「……今、考えてるところ」
「行かないって選択肢はないんだろ」
「そんなことないよ。皆のことだってあるし、ここだって放っとけないし」
菜園を手で示しながらステラは微笑んだが、レイは仏頂面のままだ。
「えと、レイ……?」
「行って来いよ」
ボソリと言ったレイに、ステラは目を見開く。何となく、彼は行くなと言うと思っていた。
「でも――」
「あいつに会いたいんだろ」
「それは……」
逢いたいかと問われれば、もちろん逢いたい。逢って、彼女が無理に送り出してしまった彼がちゃんと幸せにしているところをこの目で確認したい。
口ごもり黙り込んだステラを見つめていたレイが、少し荒っぽくため息をついた。ビクリと彼を見たステラに、肩をすくめる。
「行って来いよ」
「レイ、だけど――」
「はっきり言ってさ、全然返事よこさねぇ奴に手紙書き続けんのって、ちょっとおかしくないか?」
ステラは、ドキリとした。ついさっき、そのことについて新しい可能性に気付いてしまったばかりだったから。
息を詰めている彼女には気付いた様子なく、レイはガリガリと頭を掻きながら舌打ちをする。
「あいつは、もうここのことなんか忘れてるんだって。お前の手紙だって読んじゃいねぇよ」
「そんなことないよ」
「荷物送ってくるからか? そんなの、恩とか義理とか、そういうやつだろ」
「違うよ、アレックスはちゃんとここのこと想ってくれてるよ」
ステラがアレッサンドロを擁護しようとむきになるほど、レイは不機嫌になっていくようだった。
(そう言えば、アレックスとレイって、あんまり仲が良くなかったかも……)
離れて八年も経つというのに、未だに何かを引きずっているらしい。
身体は大きくなってもまだまだ子どもっぽいところがあるものだと、ステラは胸の内で笑いを噛み殺す。
「アレックスはここが好きだったんだよ。大事に想ってくれてるから、色々送ってきてくれたりするんだよ?」
だが、ステラのその言葉に、レイは今までで一番大きなため息をついた。
「あいつが好きなのは『ここ』なわけじゃねぇよ」
ボソリと呟かれた声をはっきりとは聞き取れず、ステラは首をかしげる。
「え?」
「何でもねぇ」
やっぱり怒っているようにしか見えないレイに、ステラは困惑する。けれど、この遣り取りで気持ちが定まった。
「そんなに言うなら、うん、逢って来るよ」
逢って、アレッサンドロは何も変わっていないということをこの目で確かめて、帰ってくる。そうしたら、レイも納得するに違いない。
逢って、豊かな都会で満ち足りた生活を送っているということを確認できたら、そうしたら、発つ前のアレッサンドロの眼差しが脳裏によみがえるたびステラの胸にチクチクと刺さる小さな痛みも、無くなるに違いない。
「わたし、ラムバルディアに行って、アレックスに逢う」
ステラはレイを見上げ、はっきりと告げた。
が、あれほどしつこくアレッサンドロに会いに行くことを勧めていたというのに、ステラのその台詞にレイは鼻白んだような顔になった。
「レイ?」
いぶかしんだステラから、レイはプイと顔を背ける。
「何でもねぇよ」
「ふぅん?」
ステラは眉根を寄せてレイを見つめたが、頑なに目を合わせようとしない。
(どうしたんだろう)
彼の謎の不機嫌は気になるものの、自分がいない間に皆が困らないようにしておかなければならない。行くと決めればそれまでにしておかなければならないことが山ほどあるのだから。
「じゃあね、また後でね」
踵を返して歩き出そうとしたステラだったが、すれ違いざまにレイに腕を掴まれた。
「なぁに?」
見上げたステラに、彼は見たことがないような真剣な眼差しを返してくる。
「レイ?」
「……オレ、お前が帰ってきたら言いたいことがある」
「? 今聞くよ?」
急いではいても、話を聞けないほどではない。
だが、レイはステラのその言葉にかぶりを振った。
「ステラが帰ってきたらでいい」
そう答え、そっとステラを放す。
(帰ってきたら……?)
少し、言い回しが気になった。
それでは、まるでステラが帰ってこない可能性があるかのようだ。
(そんなことがある筈がないのに)
まじまじと見つめる彼女を、レイは少しも眼を逸らすことなく見返してくる。その視線の強さは、少し怖いくらいだ。
こんなふうに見てくるのに先延ばしにできるような話とは、何なのだろう。
いずれにせよ、レイの態度からして、「帰ってからでいい」ではなく「帰ってからがいい」のようだ。
「そう? じゃあ、帰ってきたらね」
唇を引き結んで頷いたレイに笑いかけ、ステラはその場を後にした。
丹精込めて世話をしてきた野菜たちは、長雨のせいで少しばかり元気がない。そのことを知っているかのように、アレッサンドロは、今回の荷物に保存が利くように処理された様々な野菜をたくさん積んでくれていた。
「行けば、アレックスに逢えるんだ」
それは、嬉しい。
毎月渡す手紙は日記のようなもので、ステラは毎日少しずつ書き溜めながら、楽しく暮らしているだろうか、どれだけ大きくなったのだろうかと、今のアレッサンドロに思いを馳せていた。可愛らしい子だったから、少し線の細い、優しげな青年になっているに違いない。
八年間、アレッサンドロ自身からはまったく音沙汰なかったけれど、ステラの頭の中には常に彼のことがあった。ここを離れていった子どもたちはたくさんいたけれど、ステラの中で、アレッサンドロのことはその子どもたちとは少し違う場所に大切にしまい込まれていた。
彼を想い微かに微笑み、ふと、ステラは、先ほどのコラーノ神父の言葉を思い出す。
神父は、ステラの為を想って、ラムバルディアに行くことを勧めてくれた。
それは八年前のステラがアレッサンドロに対してしたこととまるきり同じだ。
(なら、アレッサンドロも、わたしの言葉を寂しく思っていたの?)
寂しく、心許なく、どこか、突き放されたように――?
今、ステラがコラーノ神父に望んでいるように、行かないで欲しい、ここに残って欲しいという言葉こそを、アレッサンドロも望んでいたのだろうか。
アレッサンドロは賢く人の心の機微にも敏い子だったから、ステラにあんなふうに言われてしまって、寂しい気持ちを表に出せなくなってしまったのではないだろうか。
(だから、手紙に返事をくれないのかもしれない)
無理に送り出してしまったステラに、怒っているから。
ステラは肩を落とし、すぐ傍にあるニンジンの葉をつつく。あとふた月もしないうちに、収穫の時期になるだろう。
(それまで、子どもたちだけでちゃんと世話ができるかな)
知らず、ため息がこぼれた。
と、その時。
「ステラ」
低い声で名前を呼ばれ、彼女はハッと我に返る。立ち上がり向き直った先にいるのは、レイだ。二十歳になった彼は流石に計算にも困らなくなっているけれど、すっかり大人になった今でもステラ同様、教会に留まっていた。
「どうしたの?」
ステラは笑顔を作ったが、レイは五歩ほど離れたところで眉間に皺を刻んで立ち止まっている。彼は十五を越えたくらいからぐんぐん背が伸びて、ステラよりも頭一つ分以上大きくなった。教会の力仕事や狩りで身体をよく使うせいか、腕など、彼女の腰くらいの太さがある。絡んでくる子どもたちを五、六人ぶら下げていても、平気な顔で歩いていられるほどだ。
「レイ?」
首をかしげて再び呼びかけると、彼は重々しく口を開いた。
「あいつに呼ばれたんだって?」
「え、あ……うん」
ステラは一瞬口ごもり、頷いた。レイは怒ったようにも見える顔でジッと彼女を見据えてから、問うてくる。
「行くのか?」
「……今、考えてるところ」
「行かないって選択肢はないんだろ」
「そんなことないよ。皆のことだってあるし、ここだって放っとけないし」
菜園を手で示しながらステラは微笑んだが、レイは仏頂面のままだ。
「えと、レイ……?」
「行って来いよ」
ボソリと言ったレイに、ステラは目を見開く。何となく、彼は行くなと言うと思っていた。
「でも――」
「あいつに会いたいんだろ」
「それは……」
逢いたいかと問われれば、もちろん逢いたい。逢って、彼女が無理に送り出してしまった彼がちゃんと幸せにしているところをこの目で確認したい。
口ごもり黙り込んだステラを見つめていたレイが、少し荒っぽくため息をついた。ビクリと彼を見たステラに、肩をすくめる。
「行って来いよ」
「レイ、だけど――」
「はっきり言ってさ、全然返事よこさねぇ奴に手紙書き続けんのって、ちょっとおかしくないか?」
ステラは、ドキリとした。ついさっき、そのことについて新しい可能性に気付いてしまったばかりだったから。
息を詰めている彼女には気付いた様子なく、レイはガリガリと頭を掻きながら舌打ちをする。
「あいつは、もうここのことなんか忘れてるんだって。お前の手紙だって読んじゃいねぇよ」
「そんなことないよ」
「荷物送ってくるからか? そんなの、恩とか義理とか、そういうやつだろ」
「違うよ、アレックスはちゃんとここのこと想ってくれてるよ」
ステラがアレッサンドロを擁護しようとむきになるほど、レイは不機嫌になっていくようだった。
(そう言えば、アレックスとレイって、あんまり仲が良くなかったかも……)
離れて八年も経つというのに、未だに何かを引きずっているらしい。
身体は大きくなってもまだまだ子どもっぽいところがあるものだと、ステラは胸の内で笑いを噛み殺す。
「アレックスはここが好きだったんだよ。大事に想ってくれてるから、色々送ってきてくれたりするんだよ?」
だが、ステラのその言葉に、レイは今までで一番大きなため息をついた。
「あいつが好きなのは『ここ』なわけじゃねぇよ」
ボソリと呟かれた声をはっきりとは聞き取れず、ステラは首をかしげる。
「え?」
「何でもねぇ」
やっぱり怒っているようにしか見えないレイに、ステラは困惑する。けれど、この遣り取りで気持ちが定まった。
「そんなに言うなら、うん、逢って来るよ」
逢って、アレッサンドロは何も変わっていないということをこの目で確かめて、帰ってくる。そうしたら、レイも納得するに違いない。
逢って、豊かな都会で満ち足りた生活を送っているということを確認できたら、そうしたら、発つ前のアレッサンドロの眼差しが脳裏によみがえるたびステラの胸にチクチクと刺さる小さな痛みも、無くなるに違いない。
「わたし、ラムバルディアに行って、アレックスに逢う」
ステラはレイを見上げ、はっきりと告げた。
が、あれほどしつこくアレッサンドロに会いに行くことを勧めていたというのに、ステラのその台詞にレイは鼻白んだような顔になった。
「レイ?」
いぶかしんだステラから、レイはプイと顔を背ける。
「何でもねぇよ」
「ふぅん?」
ステラは眉根を寄せてレイを見つめたが、頑なに目を合わせようとしない。
(どうしたんだろう)
彼の謎の不機嫌は気になるものの、自分がいない間に皆が困らないようにしておかなければならない。行くと決めればそれまでにしておかなければならないことが山ほどあるのだから。
「じゃあね、また後でね」
踵を返して歩き出そうとしたステラだったが、すれ違いざまにレイに腕を掴まれた。
「なぁに?」
見上げたステラに、彼は見たことがないような真剣な眼差しを返してくる。
「レイ?」
「……オレ、お前が帰ってきたら言いたいことがある」
「? 今聞くよ?」
急いではいても、話を聞けないほどではない。
だが、レイはステラのその言葉にかぶりを振った。
「ステラが帰ってきたらでいい」
そう答え、そっとステラを放す。
(帰ってきたら……?)
少し、言い回しが気になった。
それでは、まるでステラが帰ってこない可能性があるかのようだ。
(そんなことがある筈がないのに)
まじまじと見つめる彼女を、レイは少しも眼を逸らすことなく見返してくる。その視線の強さは、少し怖いくらいだ。
こんなふうに見てくるのに先延ばしにできるような話とは、何なのだろう。
いずれにせよ、レイの態度からして、「帰ってからでいい」ではなく「帰ってからがいい」のようだ。
「そう? じゃあ、帰ってきたらね」
唇を引き結んで頷いたレイに笑いかけ、ステラはその場を後にした。
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