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Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星
庭園にて:片鱗
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(誰か、いる)
ステラが目指していた花壇の前で、スラリと背が高いその人は、彼女に背を向ける形で佇んでいた。
男性だ。
伸ばした右手が、満開の花の一つに触れている。遠目でも、花弁を散らさないようにと優しい手つきでそうしていることが見て取れた。
朝日を受けて輝く艶やかな金髪にステラの目が吸い寄せられる。
ここでその色を持つ人を、彼女は一人しか知らない。
(アレックス)
それが彼であることに気づいた瞬間、ステラは踵を返して立ち去ろうかと思った。
けれど紙一重で間に合わず、アレッサンドロが振り返る。まともに、目が合ってしまった。
「あ……」
何か言わなければと思ったのに、凍ってしまったように舌が動かない。こうやって面と向かって相対するのは、再会した日以来初めてだ。
(どうしよう、何か言わないと)
口ごもるステラを見つめるアレッサンドロの眼差しが、微かに揺れた――ような、気がした。
(嫌悪……? 怒り……? ううん、そうじゃなくて……)
彼の瞳の奥によぎった、彼女にはよく解らない、何か。
それは瞬き一つする間に消えてしまったから、やっぱりステラの気のせいだったのかもしれない。
「あ、えと、おはよう。いい朝だね」
ためらいがちに微笑みかけると、アレッサンドロの眉間に皺が寄る。
その微かな変化に、ステラの胸がチクリと痛んだ。浮かべた笑顔を保つのが、難しい。
と、まるで消えかけたステラの笑顔を引き留めようとするかのように、アレッサンドロが一歩を踏み出した。そうして、手を伸ばしたら彼女に届くかどうかという距離まで来て、立ち止まる。
彼が浮かべているのはしかめ面で、目いっぱい前向きに受け取っても、この偶然の出会いを喜んでいるようには見えない。身体の両脇に下ろされている手は、何かに耐えているかのように硬く握り締められていた。
ステラは怯みそうになる気持ちを奮い立たせて再びアレッサンドロに笑いかける。
「なんか、お話するの、久しぶりだね。お仕事大変そうだけど、頑張り過ぎてない?」
「問題ない」
つれない一言。
「あ……の、あ、いつも教会に色々届けてくれてありがとうね。ずっと、ちゃんと会ってお礼を言いたかったの。すごく助かってる」
「たいしたことはしていない」
そっけない返事。
「――みんな、元気にしてるよ。あ、レイもね、まだ教会にいて、色々一緒に頑張ってくれてるんだよ。アレックスはすごく大きくなったね。レイもとっても大きくなったんだよ。アレックスより、頭半分くらい大きいかも」
そこで初めて、アレッサンドロの眉がピクリと動いた。きっと、知った名前を出したからだろう。
「……そうか」
レイの名前がきっかけになってもう少し話が弾むかと思ったけれど、期待虚しく、アレッサンドロが返したのはそれだけだった。
「あ、あのね、レイはね、背丈だけじゃなくて、全部が大きくてね、すごく力持ちなの」
アレッサンドロがいた頃から残っているのは、レイしかいない。知っている人のことをと思って彼の話を出したのだけれども、どうしてなのか、アレッサンドロは不機嫌そうに眉間に皺を寄せていて、しかもそれは、ステラが言葉を継ぐほど深くなっていくようだった。
怒ったような彼から眼を逸らし、沈黙を恐れてステラは急き立てられるように口を動かす。
「あ、ほら、裏に大きな木があったの覚えてる? あれに、仔猫が登って下りられなくなっちゃったことがあってね、その時、レイがひょいってわたしを持ち上げてくれたの――ッ!?」
不意にステラの身体がふわりと浮き、次の瞬間、彼女のすぐ目の前に二つの紺碧の瞳があった。揺らぎなく背中を支えている腕は、幼い頃にステラを抱き締めてきたものとは全く違う。
大きく目を瞬かせたステラを両腕に抱き上げたアレッサンドロは、ほとんど睨むようにして彼女を見つめている。
「えと、アレックス……?」
名を呼ばれて、アレッサンドロはギョッとした顔になった。まるで、鼻先で両手を叩かれたかのように。
一拍遅れてアレッサンドロはそろそろとステラを下ろし、彼女がちゃんと立ったのを見てから一歩後ずさる。そうして、幼い頃、触れてはいけない物に触れてしまった時にしたように、両手を身体の脇にこすりつけた。
その仕草にステラがよく知るアレッサンドロの姿を垣間見て、彼女は安堵に似た思いを抱く。頬を緩めたステラの前で、アレッサンドロはグッと奥歯を食いしばった。
「俺だって、あなたくらい簡単に抱えられる」
歯の間から押し出すように呟かれたその台詞が先ほどのレイの話に対抗するものだということに気付くのに、ステラは少しばかりかかった。
「あ、うん……」
見上げた顔は硬く強張っていて、どこか苦しそうだ。彼の眼は、ジッとステラに注がれている。
どうして、そんな眼で見るのだろう。そんな、いけないことをしてしまったような眼で。
身体は大きな今のアレッサンドロのものだというのに、何故か幼い頃の彼の姿が被って見えた。
「アレックス?」
名前を呼んで、高い位置にある彼の頬に手を伸ばす。かつてよくしていたように、触れようと。
アレッサンドロが教会にいた時は触れるのも抱き締めるのもごく自然にしていたことだったから、ステラは、今自分がしようとしていることに気付いていなかった。
ただ、幼かったアレッサンドロと同じように、今の彼も慰め労わりたかっただけだった。
ステラの指先がアレッサンドロに届きそうになる寸前に、うたた寝から目が覚めたように彼が瞬きをする。と同時にパッと半歩後ずさった。愕然とした面持ちをステラに向けながら。
(避けられた)
ステラの胸に不可視の何かが突き刺さり、彼女は伸ばしていた手を引き握り締める。
アレッサンドロの顎に力が籠もったのが見て取れて、ステラは、自分の痛みに彼が気付いてしまったことを悟った。
(こんなふうに、気に病ませたくないのに)
どんなにムスリとしていても、アレッサンドロの根っこのところは変わっていないのだ。ステラが傷付けば、彼もまた傷付いてしまう。
やはり、早く離れた方がいいのかもしれない。
彼の笑顔を見たいというわがままなど、言わずに。
うつむいたステラの耳に、ギシリと歯が軋む音が届く。
(怒ってる……?)
怖くて、顔を上げられない。
身じろぎ一つできずに固まっていると、唯一視界に入ってきているアレッサンドロのつま先が動いた。続いて、衣擦れの音。
反射的に身構え肩に力を籠めると、アレッサンドロの動きも止まった。が、またすぐに動き出す。
「不自由は、していないか?」
降ってきた静かな声で、ステラは突かれたように顔を上げる。パッと目が合った瞬間、アレッサンドロの瞳の中に在ったのは昔と変わらぬ光だったように思われたのは、ステラがそう望んだからに過ぎなかったのだろうか。
あ、と思った時にはまたアレッサンドロの面は冷やかな色に塗り替えられていて、ステラの肩が落ちる。
(アレックスのことが、良く解からないよ)
常に怒っているようなのに、こうやって、微かに開いた扉の隙間から、昔の彼が垣間見える気がするから。
「何か、足りないものは?」
低い声で再び問われ、ステラは我に返る。
「あ、うん、だいじょうぶ」
ステラの答えにアレッサンドロは顎を引くように頷きを返し、彼女の横をすり抜けた。
慌てて振り返ったステラを気に留める気配は微塵も見せず、アレッサンドロは大股に歩き去っていく。
「ありがとう!」
どんどん遠ざかる背中に声を張り上げても、その歩みはほんの少しも揺らがなかった。
ステラが目指していた花壇の前で、スラリと背が高いその人は、彼女に背を向ける形で佇んでいた。
男性だ。
伸ばした右手が、満開の花の一つに触れている。遠目でも、花弁を散らさないようにと優しい手つきでそうしていることが見て取れた。
朝日を受けて輝く艶やかな金髪にステラの目が吸い寄せられる。
ここでその色を持つ人を、彼女は一人しか知らない。
(アレックス)
それが彼であることに気づいた瞬間、ステラは踵を返して立ち去ろうかと思った。
けれど紙一重で間に合わず、アレッサンドロが振り返る。まともに、目が合ってしまった。
「あ……」
何か言わなければと思ったのに、凍ってしまったように舌が動かない。こうやって面と向かって相対するのは、再会した日以来初めてだ。
(どうしよう、何か言わないと)
口ごもるステラを見つめるアレッサンドロの眼差しが、微かに揺れた――ような、気がした。
(嫌悪……? 怒り……? ううん、そうじゃなくて……)
彼の瞳の奥によぎった、彼女にはよく解らない、何か。
それは瞬き一つする間に消えてしまったから、やっぱりステラの気のせいだったのかもしれない。
「あ、えと、おはよう。いい朝だね」
ためらいがちに微笑みかけると、アレッサンドロの眉間に皺が寄る。
その微かな変化に、ステラの胸がチクリと痛んだ。浮かべた笑顔を保つのが、難しい。
と、まるで消えかけたステラの笑顔を引き留めようとするかのように、アレッサンドロが一歩を踏み出した。そうして、手を伸ばしたら彼女に届くかどうかという距離まで来て、立ち止まる。
彼が浮かべているのはしかめ面で、目いっぱい前向きに受け取っても、この偶然の出会いを喜んでいるようには見えない。身体の両脇に下ろされている手は、何かに耐えているかのように硬く握り締められていた。
ステラは怯みそうになる気持ちを奮い立たせて再びアレッサンドロに笑いかける。
「なんか、お話するの、久しぶりだね。お仕事大変そうだけど、頑張り過ぎてない?」
「問題ない」
つれない一言。
「あ……の、あ、いつも教会に色々届けてくれてありがとうね。ずっと、ちゃんと会ってお礼を言いたかったの。すごく助かってる」
「たいしたことはしていない」
そっけない返事。
「――みんな、元気にしてるよ。あ、レイもね、まだ教会にいて、色々一緒に頑張ってくれてるんだよ。アレックスはすごく大きくなったね。レイもとっても大きくなったんだよ。アレックスより、頭半分くらい大きいかも」
そこで初めて、アレッサンドロの眉がピクリと動いた。きっと、知った名前を出したからだろう。
「……そうか」
レイの名前がきっかけになってもう少し話が弾むかと思ったけれど、期待虚しく、アレッサンドロが返したのはそれだけだった。
「あ、あのね、レイはね、背丈だけじゃなくて、全部が大きくてね、すごく力持ちなの」
アレッサンドロがいた頃から残っているのは、レイしかいない。知っている人のことをと思って彼の話を出したのだけれども、どうしてなのか、アレッサンドロは不機嫌そうに眉間に皺を寄せていて、しかもそれは、ステラが言葉を継ぐほど深くなっていくようだった。
怒ったような彼から眼を逸らし、沈黙を恐れてステラは急き立てられるように口を動かす。
「あ、ほら、裏に大きな木があったの覚えてる? あれに、仔猫が登って下りられなくなっちゃったことがあってね、その時、レイがひょいってわたしを持ち上げてくれたの――ッ!?」
不意にステラの身体がふわりと浮き、次の瞬間、彼女のすぐ目の前に二つの紺碧の瞳があった。揺らぎなく背中を支えている腕は、幼い頃にステラを抱き締めてきたものとは全く違う。
大きく目を瞬かせたステラを両腕に抱き上げたアレッサンドロは、ほとんど睨むようにして彼女を見つめている。
「えと、アレックス……?」
名を呼ばれて、アレッサンドロはギョッとした顔になった。まるで、鼻先で両手を叩かれたかのように。
一拍遅れてアレッサンドロはそろそろとステラを下ろし、彼女がちゃんと立ったのを見てから一歩後ずさる。そうして、幼い頃、触れてはいけない物に触れてしまった時にしたように、両手を身体の脇にこすりつけた。
その仕草にステラがよく知るアレッサンドロの姿を垣間見て、彼女は安堵に似た思いを抱く。頬を緩めたステラの前で、アレッサンドロはグッと奥歯を食いしばった。
「俺だって、あなたくらい簡単に抱えられる」
歯の間から押し出すように呟かれたその台詞が先ほどのレイの話に対抗するものだということに気付くのに、ステラは少しばかりかかった。
「あ、うん……」
見上げた顔は硬く強張っていて、どこか苦しそうだ。彼の眼は、ジッとステラに注がれている。
どうして、そんな眼で見るのだろう。そんな、いけないことをしてしまったような眼で。
身体は大きな今のアレッサンドロのものだというのに、何故か幼い頃の彼の姿が被って見えた。
「アレックス?」
名前を呼んで、高い位置にある彼の頬に手を伸ばす。かつてよくしていたように、触れようと。
アレッサンドロが教会にいた時は触れるのも抱き締めるのもごく自然にしていたことだったから、ステラは、今自分がしようとしていることに気付いていなかった。
ただ、幼かったアレッサンドロと同じように、今の彼も慰め労わりたかっただけだった。
ステラの指先がアレッサンドロに届きそうになる寸前に、うたた寝から目が覚めたように彼が瞬きをする。と同時にパッと半歩後ずさった。愕然とした面持ちをステラに向けながら。
(避けられた)
ステラの胸に不可視の何かが突き刺さり、彼女は伸ばしていた手を引き握り締める。
アレッサンドロの顎に力が籠もったのが見て取れて、ステラは、自分の痛みに彼が気付いてしまったことを悟った。
(こんなふうに、気に病ませたくないのに)
どんなにムスリとしていても、アレッサンドロの根っこのところは変わっていないのだ。ステラが傷付けば、彼もまた傷付いてしまう。
やはり、早く離れた方がいいのかもしれない。
彼の笑顔を見たいというわがままなど、言わずに。
うつむいたステラの耳に、ギシリと歯が軋む音が届く。
(怒ってる……?)
怖くて、顔を上げられない。
身じろぎ一つできずに固まっていると、唯一視界に入ってきているアレッサンドロのつま先が動いた。続いて、衣擦れの音。
反射的に身構え肩に力を籠めると、アレッサンドロの動きも止まった。が、またすぐに動き出す。
「不自由は、していないか?」
降ってきた静かな声で、ステラは突かれたように顔を上げる。パッと目が合った瞬間、アレッサンドロの瞳の中に在ったのは昔と変わらぬ光だったように思われたのは、ステラがそう望んだからに過ぎなかったのだろうか。
あ、と思った時にはまたアレッサンドロの面は冷やかな色に塗り替えられていて、ステラの肩が落ちる。
(アレックスのことが、良く解からないよ)
常に怒っているようなのに、こうやって、微かに開いた扉の隙間から、昔の彼が垣間見える気がするから。
「何か、足りないものは?」
低い声で再び問われ、ステラは我に返る。
「あ、うん、だいじょうぶ」
ステラの答えにアレッサンドロは顎を引くように頷きを返し、彼女の横をすり抜けた。
慌てて振り返ったステラを気に留める気配は微塵も見せず、アレッサンドロは大股に歩き去っていく。
「ありがとう!」
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