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Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星
祝賀会:煮える胸中
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ラムバルディアに戻ってからの八年間、アレッサンドロは一年のうちでこの日が一番嫌いだった。彼がこの世に生を受けた日を祝われる、この日が。
毎年口々に祝いの言葉が惜しみもなく注がれるが、いったいどうして喜べようか。
十三年前のあの時に、アレッサンドロは王宮の者たちが自分のことをどう思っているのかを理解した。
かつて、アレッサンドロの誕生を真に望んだ者は母しかおらず、その母でさえ、彼が生まれたことで女性として当然得られるはずだった幸せを失ってしまったようなものなのだ。
この場所では、笑顔は必ずしも好意を表したものではない。
顔は笑っていても、口では耳に心地良いことを言っていたとしても、それを鵜呑みにするのは、愚かだった。
(無条件に信じていいのは、この世でステラだけだ)
アレッサンドロの、唯一の綺羅星。
彼女のことだけ想っていれば、きっと、もう二度と失望することはない。
現に、再会したステラは八年前と何一つ変わっていなかった。
目が合えば必ず浮かべてくれる温かな微笑みに、何度、必死に張り巡らせた壁を打ち壊されそうになったことか。
距離を置かねばならぬ、早く彼女が居るべき場所へ戻してやらねばならぬと思いつつ、ふとした拍子に彼女を探している自分に気づく。栗色の髪が視界をよぎれば無意識にそれを追い、春を謳歌する小鳥のさえずりのような声が届けば、つい、耳を澄ませてしまう。
今も、次から次へと群がってくる老若男女をなおざりにやり過ごすアレッサンドロだったが、その目の隅には常にステラの姿を捉えていた。
どれだけ服や装飾品を用意してもディアスタ村から持参したもの以外なかなか身につけようとしなかったステラだったが、今日は白に近い薄紅色の、ふわりとしたドレスをまとっていた。
会が始まってからずっと、彼女は所在なげに壁際に佇んでいる。
あんなふうに相手もなく隅にいる女性をあまり良くない意味を込めて『壁の花』というらしいが、今の彼女は、確かに可憐な花の様だった。
着飾っていないステラも、もちろん、可愛い。
八年前から、いや、アレッサンドロがまだ六歳だった時から、ずっと、そう思っていた。たとえ継ぎが当たった服を着て、頬に泥をつけていたとしても、ステラが笑ってくれるだけで、彼は幸せな気持ちになれた。
だが、華やかな衣装に身を包んだ彼女は、花の妖精さながらだった。
そんなステラに近寄る者がいないのは、けっして魅力がないからではなく、彼女が王と王弟の客人だと周知されているからだ。平民でいながら国の最高権力者が二人も背後についている彼女にどう接したら良いものか、皆決めあぐねているのだ。
教会ではいつも子どもたちに囲まれていたステラが皆から遠巻きにされて独りぽつんと立っている姿に、アレッサンドロの胸がチクチクと痛む。だが、同時に、誰も彼女に近づこうとしないことに安堵の思いがあることも、確かだった。ステラが誰かの腕の中で踊る姿を目にしたら、多分、平静ではいられない。
ステラがこの会に出席することを望んだのは、アレッサンドロではなかった。むしろ、彼女には人の眼に触れないところにいて欲しかったのに、兄の横やりが入ってしまったのだ。
(早く、部屋に引き取ってしまえばいいのに)
アレッサンドロは胸中で唸った。
近寄る者はいなくとも、男たちはチラチラと彼女に視線を送っている。彼らの頬を、片っ端から殴り飛ばしてやりたくてたまらない。
グッと奥歯を食いしばったアレッサンドロに、朗らかな声がかかる。
「アレッサンドロ様」
彼は苛立ちを無表情の下に押し隠し、そちらに振り返る。そこに居たのは、きらびやかな衣装に身を包んだ令嬢だ。もう両手の指の数を超える娘たちが入れ代わり立ち代わりやってきていたが、正直、同じように上品な笑みを浮かべる彼女たちは皆同じ顔に見えて、見分けがつかない。
「ああ……」
誰だったろうかと記憶を探るアレッサンドロに先んじて、彼女が名乗る。
「アイーダですわ、アレッサンドロ様」
アイーダ――ラニエーリ伯爵の次女か。
無言で頷き返したアレッサンドロの眼の中に自分を認識した色を見出したのか、アイーダは笑みを深くした。
「このたびはおめでとうございます」
「ああ」
むっつりとそれだけ答えると、鼻白んだようにほんの一瞬彼女の笑顔が引き攣った。が、流石に社交界でこなれているだけのことはある。アレッサンドロの不愛想な応答にもめげず、上目遣いで彼を見上げてきた。
「わたくし、先日、新しくアレッサンドロ様が建てられた東区の孤児院に慰問に参りましたの。とても素晴らしい所でしたわ」
感嘆しきりの口調でそう言ったが、どうせ、身ぎれいな格好で中をしゃなりしゃなりと歩いただけだろう。ステラがしていたように、子どもたちを抱き締め笑い合うなどということは、きっとしていない。離れたところから眺め、微笑んで見せただけ。
それはただの『見学』だ。
アレッサンドロは、孤児院の良さ、ひいては彼の業績を大仰に称えてみせるアイーダの声を、顔だけは彼女に向け聞き流す。
これ見よがしなおべっかを使ってきたのは、アイーダだけではない。胃におさめた食事の量より、上っ面だけの美辞麗句の方が多いくらいだ。
いい加減うんざりしていたせいか、アレッサンドロは少しばかり油断した。
ステラの存在を意識に留めつつ、けっして彼女のことは見るまいと心掛けていたというのに、ふと巡らせた視線がほんの一瞬絡んでしまう。
すぐさま眼を逸らしたが、ステラは気付いただろうか。
気付いたなら、こんなふうに目を背けたことは、きっと彼女を傷付けただろう。
ただでさえ、身の置き所がない思いをしていたはずだ。悄然と肩を落とすステラの姿がまざまざと眼の奥に浮かび、アレッサンドロは奥歯を食いしばる。
(くそ)
声には出さず自分を罵った。
できるだけステラとは距離を保っておきたいが、彼女を傷付けたいわけでは、断じてない。
(今日くらいは、少しくらい……)
傍に行くことを自分に許しても良いのではなかろうか。
こんな席で放置しておくのは礼儀としても正しくないし、多少話しかけるくらいは、許容しても良いだろう。
覚悟を決め、アレッサンドロは再び彼女を振り返る。
が。
「兄、上……?」
目に飛び込んできたのは、ジーノと言葉を交わすステラの姿。
こういう席では、いつも兄は少しばかり顔を出しただけですぐに自室に引っ込んでいたはずだというのに。
ジーノはステラに笑いかけ、彼女もためらいがちな笑顔を返している。
刹那、アレッサンドロは吐きそうになった。
それは、その笑顔は俺のものだと、声を張り上げそうになった。
歯を食いしばり、かろうじてそれを抑えたアレッサンドロが見据える中、兄が笑顔でステラに肘を差し出す。束の間戸惑った素振りを見せた彼女だったが、おずおずとそこに手を置き、兄と共に歩き出してしまった。
(どこに、行くんだ?)
ピタリと寄り添う二人の姿に、アレッサンドロのみぞおちの辺りに焼けるようなムカつきが生まれる。生唾を呑み込んでそれをこらえる彼が行方を見守る中、ステラたちは皆の視線を浴びながら広間を進み、やがて庭へ続く扉から姿を消した。
(なんで、兄上が……)
二人は、随分と打ち解けているように見えた。
しかし、確かにステラをここへ招いたのはジーノだが、二ヶ月の間、殆ど接点を持っていなかったはずだ。
それとも、アレッサンドロが知らないところで会っていたのだろうか。メルセデに日々のステラの様子を報告させているが、それは彼女が問題なく過ごせているかを確認しているだけで、別に、見張っているわけではない。細かな行動などについては、アレッサンドロもあずかり知らぬところだった。
両手を握り締めたアレッサンドロに、不意に背後から声が届く。
「アレッサンドロ様、お加減でも?」
そこに居るのが誰かを知りつつ、アレッサンドロは向き直った。
「リナルド」
彼は名を呼んだアレッサンドロではなくアイーダに目を向ける。
「アイーダ様、あちらでお父上が探しておられましたぞ」
「あら、ありがとうございます。それでは、失礼いたしますわ、アレッサンドロ様。また、お話をさせてくださいまし」
世慣れたアイーダも堅苦しい老宰相は苦手らしい。そそくさと去っていく。
アイーダが人混みの中に消えていったところで、顎髭をしごきながらリナルドが呟く。
「ステラ殿は庭にお出になられたようですな。ジーノ様もご一緒に」
見ていれば判ることをわざわざ言葉にしてくれたリナルドを、アレッサンドロは睨み付けた。その視線に、臣下は皆縮み上がる。だが、老狸はギラリと光る青い目をものともせず、ステラとジーノが消えていった扉に目を向けた。
「何やら睦まじげでしたなぁ」
わざとらしいほどしみじみとした口調で、リナルドが言った。
「……兄上は、人柄が良いからな」
「さようですな。お身体は確かに丈夫ではいらっしゃいませんが、それ以上に、女性が惹かれても何ら不思議ではないところをたくさんお持ちですから」
何かをほのめかすようなリナルドの台詞に、アレッサンドロは両手を硬く握り締めた。
「そうだな」
食いしばった奥歯の隙間から押し出すようにそれだけ答えたアレッサンドロに、リナルドが眉を片方持ち上げる。うかがうようなその視線から顔を背け、庭へと続く扉を睨み付けた。
穏やかで礼儀正しい兄のことだ。二人きりになったところで、何がどうということはないだろう。
だが、そう思っていても、無性に後を追いかけ彼女を連れ戻したくてたまらない。目の届く場所に、けれども、誰の手も眼も触れさせずに、置いておきたくてたまらない。
(俺は、いったい、どうしたいんだ?)
自分から離れ、村へ帰って穏やかな日々を送ることがステラの幸せであることは判っている。彼女なら、いくらでも幸せにしてくれる人が現れる。だが、そうやってステラの幸せを願いつつ、自分以外の誰かが彼女の傍にいることは耐えられないのだ。人として申し分のないジーノが相手でも、いざ目の当たりにするとこんなにも腹立たしくなるほどに。
アレッサンドロは荒く息をつき、振り切るように扉から視線を剥がして踵を返す。と、まるでリナルドから離れるのを待っていたかのように、すぐにワラワラと人が集まり始めた。
煩わしいことこの上ないが、今は多少なりともステラから――ステラとジーノから気を逸らせるものが欲しかった。
先ほどまでよりは少しばかり気を入れて、アレッサンドロは彼らの声に耳を傾ける。
再び人に取り囲まれた主の背中をリナルドは何やら思案深げに見つめていたが、その眼差しに、アレッサンドロは気付いていなかった。
毎年口々に祝いの言葉が惜しみもなく注がれるが、いったいどうして喜べようか。
十三年前のあの時に、アレッサンドロは王宮の者たちが自分のことをどう思っているのかを理解した。
かつて、アレッサンドロの誕生を真に望んだ者は母しかおらず、その母でさえ、彼が生まれたことで女性として当然得られるはずだった幸せを失ってしまったようなものなのだ。
この場所では、笑顔は必ずしも好意を表したものではない。
顔は笑っていても、口では耳に心地良いことを言っていたとしても、それを鵜呑みにするのは、愚かだった。
(無条件に信じていいのは、この世でステラだけだ)
アレッサンドロの、唯一の綺羅星。
彼女のことだけ想っていれば、きっと、もう二度と失望することはない。
現に、再会したステラは八年前と何一つ変わっていなかった。
目が合えば必ず浮かべてくれる温かな微笑みに、何度、必死に張り巡らせた壁を打ち壊されそうになったことか。
距離を置かねばならぬ、早く彼女が居るべき場所へ戻してやらねばならぬと思いつつ、ふとした拍子に彼女を探している自分に気づく。栗色の髪が視界をよぎれば無意識にそれを追い、春を謳歌する小鳥のさえずりのような声が届けば、つい、耳を澄ませてしまう。
今も、次から次へと群がってくる老若男女をなおざりにやり過ごすアレッサンドロだったが、その目の隅には常にステラの姿を捉えていた。
どれだけ服や装飾品を用意してもディアスタ村から持参したもの以外なかなか身につけようとしなかったステラだったが、今日は白に近い薄紅色の、ふわりとしたドレスをまとっていた。
会が始まってからずっと、彼女は所在なげに壁際に佇んでいる。
あんなふうに相手もなく隅にいる女性をあまり良くない意味を込めて『壁の花』というらしいが、今の彼女は、確かに可憐な花の様だった。
着飾っていないステラも、もちろん、可愛い。
八年前から、いや、アレッサンドロがまだ六歳だった時から、ずっと、そう思っていた。たとえ継ぎが当たった服を着て、頬に泥をつけていたとしても、ステラが笑ってくれるだけで、彼は幸せな気持ちになれた。
だが、華やかな衣装に身を包んだ彼女は、花の妖精さながらだった。
そんなステラに近寄る者がいないのは、けっして魅力がないからではなく、彼女が王と王弟の客人だと周知されているからだ。平民でいながら国の最高権力者が二人も背後についている彼女にどう接したら良いものか、皆決めあぐねているのだ。
教会ではいつも子どもたちに囲まれていたステラが皆から遠巻きにされて独りぽつんと立っている姿に、アレッサンドロの胸がチクチクと痛む。だが、同時に、誰も彼女に近づこうとしないことに安堵の思いがあることも、確かだった。ステラが誰かの腕の中で踊る姿を目にしたら、多分、平静ではいられない。
ステラがこの会に出席することを望んだのは、アレッサンドロではなかった。むしろ、彼女には人の眼に触れないところにいて欲しかったのに、兄の横やりが入ってしまったのだ。
(早く、部屋に引き取ってしまえばいいのに)
アレッサンドロは胸中で唸った。
近寄る者はいなくとも、男たちはチラチラと彼女に視線を送っている。彼らの頬を、片っ端から殴り飛ばしてやりたくてたまらない。
グッと奥歯を食いしばったアレッサンドロに、朗らかな声がかかる。
「アレッサンドロ様」
彼は苛立ちを無表情の下に押し隠し、そちらに振り返る。そこに居たのは、きらびやかな衣装に身を包んだ令嬢だ。もう両手の指の数を超える娘たちが入れ代わり立ち代わりやってきていたが、正直、同じように上品な笑みを浮かべる彼女たちは皆同じ顔に見えて、見分けがつかない。
「ああ……」
誰だったろうかと記憶を探るアレッサンドロに先んじて、彼女が名乗る。
「アイーダですわ、アレッサンドロ様」
アイーダ――ラニエーリ伯爵の次女か。
無言で頷き返したアレッサンドロの眼の中に自分を認識した色を見出したのか、アイーダは笑みを深くした。
「このたびはおめでとうございます」
「ああ」
むっつりとそれだけ答えると、鼻白んだようにほんの一瞬彼女の笑顔が引き攣った。が、流石に社交界でこなれているだけのことはある。アレッサンドロの不愛想な応答にもめげず、上目遣いで彼を見上げてきた。
「わたくし、先日、新しくアレッサンドロ様が建てられた東区の孤児院に慰問に参りましたの。とても素晴らしい所でしたわ」
感嘆しきりの口調でそう言ったが、どうせ、身ぎれいな格好で中をしゃなりしゃなりと歩いただけだろう。ステラがしていたように、子どもたちを抱き締め笑い合うなどということは、きっとしていない。離れたところから眺め、微笑んで見せただけ。
それはただの『見学』だ。
アレッサンドロは、孤児院の良さ、ひいては彼の業績を大仰に称えてみせるアイーダの声を、顔だけは彼女に向け聞き流す。
これ見よがしなおべっかを使ってきたのは、アイーダだけではない。胃におさめた食事の量より、上っ面だけの美辞麗句の方が多いくらいだ。
いい加減うんざりしていたせいか、アレッサンドロは少しばかり油断した。
ステラの存在を意識に留めつつ、けっして彼女のことは見るまいと心掛けていたというのに、ふと巡らせた視線がほんの一瞬絡んでしまう。
すぐさま眼を逸らしたが、ステラは気付いただろうか。
気付いたなら、こんなふうに目を背けたことは、きっと彼女を傷付けただろう。
ただでさえ、身の置き所がない思いをしていたはずだ。悄然と肩を落とすステラの姿がまざまざと眼の奥に浮かび、アレッサンドロは奥歯を食いしばる。
(くそ)
声には出さず自分を罵った。
できるだけステラとは距離を保っておきたいが、彼女を傷付けたいわけでは、断じてない。
(今日くらいは、少しくらい……)
傍に行くことを自分に許しても良いのではなかろうか。
こんな席で放置しておくのは礼儀としても正しくないし、多少話しかけるくらいは、許容しても良いだろう。
覚悟を決め、アレッサンドロは再び彼女を振り返る。
が。
「兄、上……?」
目に飛び込んできたのは、ジーノと言葉を交わすステラの姿。
こういう席では、いつも兄は少しばかり顔を出しただけですぐに自室に引っ込んでいたはずだというのに。
ジーノはステラに笑いかけ、彼女もためらいがちな笑顔を返している。
刹那、アレッサンドロは吐きそうになった。
それは、その笑顔は俺のものだと、声を張り上げそうになった。
歯を食いしばり、かろうじてそれを抑えたアレッサンドロが見据える中、兄が笑顔でステラに肘を差し出す。束の間戸惑った素振りを見せた彼女だったが、おずおずとそこに手を置き、兄と共に歩き出してしまった。
(どこに、行くんだ?)
ピタリと寄り添う二人の姿に、アレッサンドロのみぞおちの辺りに焼けるようなムカつきが生まれる。生唾を呑み込んでそれをこらえる彼が行方を見守る中、ステラたちは皆の視線を浴びながら広間を進み、やがて庭へ続く扉から姿を消した。
(なんで、兄上が……)
二人は、随分と打ち解けているように見えた。
しかし、確かにステラをここへ招いたのはジーノだが、二ヶ月の間、殆ど接点を持っていなかったはずだ。
それとも、アレッサンドロが知らないところで会っていたのだろうか。メルセデに日々のステラの様子を報告させているが、それは彼女が問題なく過ごせているかを確認しているだけで、別に、見張っているわけではない。細かな行動などについては、アレッサンドロもあずかり知らぬところだった。
両手を握り締めたアレッサンドロに、不意に背後から声が届く。
「アレッサンドロ様、お加減でも?」
そこに居るのが誰かを知りつつ、アレッサンドロは向き直った。
「リナルド」
彼は名を呼んだアレッサンドロではなくアイーダに目を向ける。
「アイーダ様、あちらでお父上が探しておられましたぞ」
「あら、ありがとうございます。それでは、失礼いたしますわ、アレッサンドロ様。また、お話をさせてくださいまし」
世慣れたアイーダも堅苦しい老宰相は苦手らしい。そそくさと去っていく。
アイーダが人混みの中に消えていったところで、顎髭をしごきながらリナルドが呟く。
「ステラ殿は庭にお出になられたようですな。ジーノ様もご一緒に」
見ていれば判ることをわざわざ言葉にしてくれたリナルドを、アレッサンドロは睨み付けた。その視線に、臣下は皆縮み上がる。だが、老狸はギラリと光る青い目をものともせず、ステラとジーノが消えていった扉に目を向けた。
「何やら睦まじげでしたなぁ」
わざとらしいほどしみじみとした口調で、リナルドが言った。
「……兄上は、人柄が良いからな」
「さようですな。お身体は確かに丈夫ではいらっしゃいませんが、それ以上に、女性が惹かれても何ら不思議ではないところをたくさんお持ちですから」
何かをほのめかすようなリナルドの台詞に、アレッサンドロは両手を硬く握り締めた。
「そうだな」
食いしばった奥歯の隙間から押し出すようにそれだけ答えたアレッサンドロに、リナルドが眉を片方持ち上げる。うかがうようなその視線から顔を背け、庭へと続く扉を睨み付けた。
穏やかで礼儀正しい兄のことだ。二人きりになったところで、何がどうということはないだろう。
だが、そう思っていても、無性に後を追いかけ彼女を連れ戻したくてたまらない。目の届く場所に、けれども、誰の手も眼も触れさせずに、置いておきたくてたまらない。
(俺は、いったい、どうしたいんだ?)
自分から離れ、村へ帰って穏やかな日々を送ることがステラの幸せであることは判っている。彼女なら、いくらでも幸せにしてくれる人が現れる。だが、そうやってステラの幸せを願いつつ、自分以外の誰かが彼女の傍にいることは耐えられないのだ。人として申し分のないジーノが相手でも、いざ目の当たりにするとこんなにも腹立たしくなるほどに。
アレッサンドロは荒く息をつき、振り切るように扉から視線を剥がして踵を返す。と、まるでリナルドから離れるのを待っていたかのように、すぐにワラワラと人が集まり始めた。
煩わしいことこの上ないが、今は多少なりともステラから――ステラとジーノから気を逸らせるものが欲しかった。
先ほどまでよりは少しばかり気を入れて、アレッサンドロは彼らの声に耳を傾ける。
再び人に取り囲まれた主の背中をリナルドは何やら思案深げに見つめていたが、その眼差しに、アレッサンドロは気付いていなかった。
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