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Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星
決断の時:我が意のままに
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この人は、どうして、何に対して、怒っているのだろう。
初めて目にする眉が吊り上がったステラの顔を前にして、アレッサンドロは困惑の極みにいた。
ディアスタ村の教会にいた頃、子どもたちがどんな悪さをしても、ステラが怒りを露わにしたことはなかった。もちろん、不適切な行為に対して叱りはする。だが、怒るということは、なかったのだ。
アレッサンドロを突き放したステラの手が、再び彼に伸びてくる。そうして、上着の胸のあたりをギュッと握り締めてきた。まるで、アレッサンドロのことを放すまいとするかのように。
「ステ、ラ……?」
「わたしが泣いたのはレイのせいじゃないよ」
「なら、どうして」
「アレックスと離れたくなかったから」
サラリと耳に届いた台詞に、一瞬、全ての時間が止まった――気がした。
「え?」
多分、この上なく間が抜けた顔になっていたと思う。だが、アレッサンドロには、ステラが放ったその短い台詞を理解することができなかったのだ。
言葉を失ったアレッサンドロに、ステラがキュッと唇を引き結ぶ。そして再び口を開いた。
「わたしが泣いたのは、アレックスと離れるって決めたからだよ」
刹那、アレッサンドロの胸が鋭い刃で真っ二つに切り裂かれたかのような痛みに襲われた。
やはり、ステラはディアスタ村に帰るのだ。レイと共に。
それは彼自身がそうすると決めていたことだ。とうに、覚悟していたことだ。
にも拘らず、ステラの口から聞かされると、どうしようもなく辛い。辛くてたまらない。
「……そうか。いつ、発つんだ? ディアスタ村は遠い。色々準備が必要だろう」
かろうじて平静を装いそれだけ返すと、結ばれたステラの唇が微かに震えた。
「やっぱり、その方がいいの?」
彼女が呟いた小さな声が聞き取りづらく、アレッサンドロは眉をひそめる。
「え?」
「アレックスは、わたしが村に帰った方がいいの?」
ステラの言葉に、アレッサンドロはヒュッと息を呑んだ。
そんなわけがあるか、と、返しそうになった。手放したいと思うはずがない、と。ステラがいない八年間は、氷の室に閉じ込められていたようだった、と。
だが、アレッサンドロは、両手を硬く握り締めてそれをこらえる。
「その方が、ステラにとってはいいんだ。その方が、きっと幸せになれる」
真実を知った今、ここを冷たい場所だとは、もう思っていない。
だが、ステラの幸せにふさわしい場所だとは、やはり思えない。彼女の為を思えばこそ、手放さなければならないと思う。
アレッサンドロは自分の胸元を掴むステラの手を外させようとしたが、叶わない。彼女の小さな手には、簡単には開くことができない力が込められていた。
柔らかな手を痛めないようにと難儀するアレッサンドロの耳に、囁き声が届く。
「その方がわたしにとって良いと思うから、村に戻った方がいいって言うの?」
「ああ」
「その方がわたしが幸せになるから?」
「そうだ」
頷いた瞬間、ドンと胸を叩かれた。
ステラの力など、多分渾身の力を込められていたとしても、痛くもなんともない。けれど、彼女に叩かれたということが、アレッサンドロに衝撃をもたらす。
「ステラ?」
ためらいがちに名を呼ぶと、キッと睨み付けられた。
「わたしが望む幸せと、アレックスが思ってるわたしの幸せは違うよ」
そう言って、ステラは開いた手のひらで叩いたところをそっと撫でた。アレッサンドロが幼かった頃、よく頭を撫でてくれたように、優しく――愛おしげに。
「わたし、アレックスに幸せでいて欲しい」
「何を……」
当惑と共に見下ろせば、真摯な眼差しが見返してきた。
「アレックスが幸せじゃないなら、わたしも幸せになれない。だって、大事な人には幸せでいて欲しいもの」
大事な人。
その言葉だけで、こんなにも胸の奥が温まる。
彼女がそう思ってくれているだけで、満足だ――満足すべきだ。
「ステラ……俺の幸せはステラが幸せでいてくれることだ。ステラが幸せなら、俺は――」
それでいい、とアレッサンドロは続けようとしたが。
「わたし、ここに来てからアレックスの笑顔見てないよ」
「俺はもう大人だからあの頃のようには笑えない」
「そんなの関係ないよ。大人でも嬉しくて楽しければ笑うよ」
ステラは小さく息をつき、伸ばした手でアレッサンドロの頬に触れた。
「わたし、アレックスに笑って欲しい。笑っていて欲しい」
「ステラ」
真っ直ぐに見つめてくる目の中で、キラキラと星が瞬いている。それから眼を逸らすことなど、アレサンドロにはできやしない。
「教えて。アレックスの幸せって、何? どうしたら笑っていてくれる? 王さまとしてのアレッサンドロじゃなくて、わたしが知ってるアレックスは、何を望んでるの?」
問われて、アレッサンドロの気持ちが嵐の中の小舟のように揺れる。
「俺は……」
教会でステラと過ごした、ただのアレックスが望むことは、たった一つだ。だが、それを口にしてしまえば、ステラのこれからを奪ってしまうことになる。
「俺は……」
言葉が、喉に引っかかって出てこない。
口ごもるアレッサンドロの前から、不意にステラが遠ざかる。ハッと息を呑んだ瞬間、彼女はレイの腕の中に収まっていた。
「お前――ッ」
アレッサンドロの激昂など、レイにはまるで届いていないようだ。
「こんなグズには見切りをつけて、さっさと村に帰ろうぜ」
「レイ? 何を……」
「言っただろ? オレが幸せにしてやるって。さっさとこんな奴忘れちまえよ」
そう言って、レイがステラを抱き締める。
彼女の口を塞ぐように片手で覆い、我が物顔で笑ったレイに、一瞬にしてアレッサンドロの理性が吹き飛んだ。
「彼女を返せ!」
「は? 返せって、お前のものじゃないだろ。お前の方から捨てたんじゃないか。八年前に」
嘲笑と共に投げ付けられた台詞は、けっして真実ではない。真実とは程遠い。
「違う! 俺はステラを捨ててなどいない!」
「物だけ送って無視してたじゃねぇか。その間意気消沈するステラの傍にいて慰めていたのはオレだぜ?」
言いながら、レイは頭を下げ、ステラのつむじに口づけた。これは自分のものだと言わんばかりに。
その時、アレッサンドロの思考は完全に停止していたと思う。ステラを引き寄せる自分の手を、まるで他人のもののように感じていた。
ハタと我に返った時にはステラが腕の中にいて、彼の全てで包み込んでいたのだ。
そんなアレッサンドロに、心底嫌そうな顔で、レイが肩を竦める。
「お前はいったい何がしたいんだ? 無視しておきながら他人には渡したくねぇとか、本当にステラの幸せを願っているのかよ?」
「願っている! 願っているに決まってるだろ!」
「じゃあ、何でステラの言うことを聞いてやらないんだよ。一番大事なのはそれだろ? 独りよがりで決めんなよ」
ぐうの音も出ない。
腕の中を見下ろせば、答えを求める大きな瞳がそこにあった。
「俺は……」
アレッサンドロ・ティスヴァーレではない、ただの『アレックス』が幸せになるためには――彼が笑っていられるためには。
「ステラが、必要なんだ」
ポツリとこぼれ落ちたその言葉に、ステラが小さく息を呑む。その微かな音が呼び水になって、堰を切ったように想いが溢れ出す。
「ステラに傍にいて欲しい。ずっと後悔していた。ここに来なければ、あの時、絶対に行きたくないと言っていればと、何度も思った。逢いたくて、寂しくて、たまらなかった。ステラが来てくれて嬉しかった。笑いかけてくれて嬉しかった。またあなたの笑顔が見られて嬉しかった。ずっと傍にいて欲しいと思った。二度と離れたくないと思った。二度と手放したくないと思った。それが俺の望みだ。それだけしか望んでいないんだ」
血を吐くような声で心の奥に押し込めていたものを全て曝け出し、アレッサンドロはステラをきつく抱き締める。
言葉にして初めて、どれほど自分がそれを望んでいたかが解ってしまった。
解ってしまえば、もうなかったことにはできなかった。
いっそう腕に力を込めたアレッサンドロの中で、ステラが身じろぎをする。離れたがっているのかと思ったが、違った。
二人の間に挟まれていたステラの手が、そっとアレッサンドロの背中に回される。
「ステ、ラ?」
腕の力を緩めてためらいがちに呼ぶと、彼の胸に埋められていたステラの顔が上がった。
眼と眼が合って、彼女が笑う。
花が綻ぶように。
輝くようなその笑顔に、束の間、アレッサンドロは息をすることを忘れた。
「わたし、アレックスのことが好きなの」
「……え?」
「アレックスのことが好きだから、ずっと傍にいたいの。いて欲しいの。八年前のことを後悔していたのは、わたしも同じだよ。行って欲しくないって、言えば良かったって」
「ステラ……」
「あの時は、それが正しいと思っていたの。アレックスには家族がいて、相応しい場所があって、そこに帰すことが正しいことなんだって。帰さないのは間違っていることだって。……帰した方が、アレックスは幸せになれるんだって」
「……」
あの頃のステラが考えていたのは、今アレッサンドロが考えていることと同じだ。
それで、どうなっただろう。
アレッサンドロは幸せになっただろうか。
(いいや)
ステラがいない日々に、微塵も幸せなどなかった。
では、あの時のステラと同じことをアレッサンドロがしたとして、これからの彼女が幸せになれるのだろうか。
「……俺は、望んでもいいのか?」
彼女の為に――自分自身の為に。
ステラと共にあることを。
アレッサンドロの呟きに、ステラが一瞬目を見開き、そしてまた微笑む。
「わたしはアレックスと一緒に幸せになりたいの。アレックスと一緒じゃないと、幸せになれないんだよ」
彼女の笑顔とその言葉に、アレッサンドロの胸が詰まる。長い間彼の中に空いていた大きな穴に、温かなものが満ちていくのが判った。
そして、答えが出る。
(これが、最初で最後のわがままだ)
アレッサンドロはステラを抱き締め、柔らかな髪に頬を埋める。
「傍に、いて」
短い、けれども万感の想いを込めた懇願に返されたのは、言葉ではない。言葉の代わりに、ステラはまるで彼の全てを包み込もうとするかのように、小さな両手を精一杯伸ばして抱き締めてくる。
込み上げてくる、充足感。
(ああ、幸せだ)
柔らかな温もりを宝物のように抱き締め返し、アレッサンドロは小さな吐息をこぼした。
初めて目にする眉が吊り上がったステラの顔を前にして、アレッサンドロは困惑の極みにいた。
ディアスタ村の教会にいた頃、子どもたちがどんな悪さをしても、ステラが怒りを露わにしたことはなかった。もちろん、不適切な行為に対して叱りはする。だが、怒るということは、なかったのだ。
アレッサンドロを突き放したステラの手が、再び彼に伸びてくる。そうして、上着の胸のあたりをギュッと握り締めてきた。まるで、アレッサンドロのことを放すまいとするかのように。
「ステ、ラ……?」
「わたしが泣いたのはレイのせいじゃないよ」
「なら、どうして」
「アレックスと離れたくなかったから」
サラリと耳に届いた台詞に、一瞬、全ての時間が止まった――気がした。
「え?」
多分、この上なく間が抜けた顔になっていたと思う。だが、アレッサンドロには、ステラが放ったその短い台詞を理解することができなかったのだ。
言葉を失ったアレッサンドロに、ステラがキュッと唇を引き結ぶ。そして再び口を開いた。
「わたしが泣いたのは、アレックスと離れるって決めたからだよ」
刹那、アレッサンドロの胸が鋭い刃で真っ二つに切り裂かれたかのような痛みに襲われた。
やはり、ステラはディアスタ村に帰るのだ。レイと共に。
それは彼自身がそうすると決めていたことだ。とうに、覚悟していたことだ。
にも拘らず、ステラの口から聞かされると、どうしようもなく辛い。辛くてたまらない。
「……そうか。いつ、発つんだ? ディアスタ村は遠い。色々準備が必要だろう」
かろうじて平静を装いそれだけ返すと、結ばれたステラの唇が微かに震えた。
「やっぱり、その方がいいの?」
彼女が呟いた小さな声が聞き取りづらく、アレッサンドロは眉をひそめる。
「え?」
「アレックスは、わたしが村に帰った方がいいの?」
ステラの言葉に、アレッサンドロはヒュッと息を呑んだ。
そんなわけがあるか、と、返しそうになった。手放したいと思うはずがない、と。ステラがいない八年間は、氷の室に閉じ込められていたようだった、と。
だが、アレッサンドロは、両手を硬く握り締めてそれをこらえる。
「その方が、ステラにとってはいいんだ。その方が、きっと幸せになれる」
真実を知った今、ここを冷たい場所だとは、もう思っていない。
だが、ステラの幸せにふさわしい場所だとは、やはり思えない。彼女の為を思えばこそ、手放さなければならないと思う。
アレッサンドロは自分の胸元を掴むステラの手を外させようとしたが、叶わない。彼女の小さな手には、簡単には開くことができない力が込められていた。
柔らかな手を痛めないようにと難儀するアレッサンドロの耳に、囁き声が届く。
「その方がわたしにとって良いと思うから、村に戻った方がいいって言うの?」
「ああ」
「その方がわたしが幸せになるから?」
「そうだ」
頷いた瞬間、ドンと胸を叩かれた。
ステラの力など、多分渾身の力を込められていたとしても、痛くもなんともない。けれど、彼女に叩かれたということが、アレッサンドロに衝撃をもたらす。
「ステラ?」
ためらいがちに名を呼ぶと、キッと睨み付けられた。
「わたしが望む幸せと、アレックスが思ってるわたしの幸せは違うよ」
そう言って、ステラは開いた手のひらで叩いたところをそっと撫でた。アレッサンドロが幼かった頃、よく頭を撫でてくれたように、優しく――愛おしげに。
「わたし、アレックスに幸せでいて欲しい」
「何を……」
当惑と共に見下ろせば、真摯な眼差しが見返してきた。
「アレックスが幸せじゃないなら、わたしも幸せになれない。だって、大事な人には幸せでいて欲しいもの」
大事な人。
その言葉だけで、こんなにも胸の奥が温まる。
彼女がそう思ってくれているだけで、満足だ――満足すべきだ。
「ステラ……俺の幸せはステラが幸せでいてくれることだ。ステラが幸せなら、俺は――」
それでいい、とアレッサンドロは続けようとしたが。
「わたし、ここに来てからアレックスの笑顔見てないよ」
「俺はもう大人だからあの頃のようには笑えない」
「そんなの関係ないよ。大人でも嬉しくて楽しければ笑うよ」
ステラは小さく息をつき、伸ばした手でアレッサンドロの頬に触れた。
「わたし、アレックスに笑って欲しい。笑っていて欲しい」
「ステラ」
真っ直ぐに見つめてくる目の中で、キラキラと星が瞬いている。それから眼を逸らすことなど、アレサンドロにはできやしない。
「教えて。アレックスの幸せって、何? どうしたら笑っていてくれる? 王さまとしてのアレッサンドロじゃなくて、わたしが知ってるアレックスは、何を望んでるの?」
問われて、アレッサンドロの気持ちが嵐の中の小舟のように揺れる。
「俺は……」
教会でステラと過ごした、ただのアレックスが望むことは、たった一つだ。だが、それを口にしてしまえば、ステラのこれからを奪ってしまうことになる。
「俺は……」
言葉が、喉に引っかかって出てこない。
口ごもるアレッサンドロの前から、不意にステラが遠ざかる。ハッと息を呑んだ瞬間、彼女はレイの腕の中に収まっていた。
「お前――ッ」
アレッサンドロの激昂など、レイにはまるで届いていないようだ。
「こんなグズには見切りをつけて、さっさと村に帰ろうぜ」
「レイ? 何を……」
「言っただろ? オレが幸せにしてやるって。さっさとこんな奴忘れちまえよ」
そう言って、レイがステラを抱き締める。
彼女の口を塞ぐように片手で覆い、我が物顔で笑ったレイに、一瞬にしてアレッサンドロの理性が吹き飛んだ。
「彼女を返せ!」
「は? 返せって、お前のものじゃないだろ。お前の方から捨てたんじゃないか。八年前に」
嘲笑と共に投げ付けられた台詞は、けっして真実ではない。真実とは程遠い。
「違う! 俺はステラを捨ててなどいない!」
「物だけ送って無視してたじゃねぇか。その間意気消沈するステラの傍にいて慰めていたのはオレだぜ?」
言いながら、レイは頭を下げ、ステラのつむじに口づけた。これは自分のものだと言わんばかりに。
その時、アレッサンドロの思考は完全に停止していたと思う。ステラを引き寄せる自分の手を、まるで他人のもののように感じていた。
ハタと我に返った時にはステラが腕の中にいて、彼の全てで包み込んでいたのだ。
そんなアレッサンドロに、心底嫌そうな顔で、レイが肩を竦める。
「お前はいったい何がしたいんだ? 無視しておきながら他人には渡したくねぇとか、本当にステラの幸せを願っているのかよ?」
「願っている! 願っているに決まってるだろ!」
「じゃあ、何でステラの言うことを聞いてやらないんだよ。一番大事なのはそれだろ? 独りよがりで決めんなよ」
ぐうの音も出ない。
腕の中を見下ろせば、答えを求める大きな瞳がそこにあった。
「俺は……」
アレッサンドロ・ティスヴァーレではない、ただの『アレックス』が幸せになるためには――彼が笑っていられるためには。
「ステラが、必要なんだ」
ポツリとこぼれ落ちたその言葉に、ステラが小さく息を呑む。その微かな音が呼び水になって、堰を切ったように想いが溢れ出す。
「ステラに傍にいて欲しい。ずっと後悔していた。ここに来なければ、あの時、絶対に行きたくないと言っていればと、何度も思った。逢いたくて、寂しくて、たまらなかった。ステラが来てくれて嬉しかった。笑いかけてくれて嬉しかった。またあなたの笑顔が見られて嬉しかった。ずっと傍にいて欲しいと思った。二度と離れたくないと思った。二度と手放したくないと思った。それが俺の望みだ。それだけしか望んでいないんだ」
血を吐くような声で心の奥に押し込めていたものを全て曝け出し、アレッサンドロはステラをきつく抱き締める。
言葉にして初めて、どれほど自分がそれを望んでいたかが解ってしまった。
解ってしまえば、もうなかったことにはできなかった。
いっそう腕に力を込めたアレッサンドロの中で、ステラが身じろぎをする。離れたがっているのかと思ったが、違った。
二人の間に挟まれていたステラの手が、そっとアレッサンドロの背中に回される。
「ステ、ラ?」
腕の力を緩めてためらいがちに呼ぶと、彼の胸に埋められていたステラの顔が上がった。
眼と眼が合って、彼女が笑う。
花が綻ぶように。
輝くようなその笑顔に、束の間、アレッサンドロは息をすることを忘れた。
「わたし、アレックスのことが好きなの」
「……え?」
「アレックスのことが好きだから、ずっと傍にいたいの。いて欲しいの。八年前のことを後悔していたのは、わたしも同じだよ。行って欲しくないって、言えば良かったって」
「ステラ……」
「あの時は、それが正しいと思っていたの。アレックスには家族がいて、相応しい場所があって、そこに帰すことが正しいことなんだって。帰さないのは間違っていることだって。……帰した方が、アレックスは幸せになれるんだって」
「……」
あの頃のステラが考えていたのは、今アレッサンドロが考えていることと同じだ。
それで、どうなっただろう。
アレッサンドロは幸せになっただろうか。
(いいや)
ステラがいない日々に、微塵も幸せなどなかった。
では、あの時のステラと同じことをアレッサンドロがしたとして、これからの彼女が幸せになれるのだろうか。
「……俺は、望んでもいいのか?」
彼女の為に――自分自身の為に。
ステラと共にあることを。
アレッサンドロの呟きに、ステラが一瞬目を見開き、そしてまた微笑む。
「わたしはアレックスと一緒に幸せになりたいの。アレックスと一緒じゃないと、幸せになれないんだよ」
彼女の笑顔とその言葉に、アレッサンドロの胸が詰まる。長い間彼の中に空いていた大きな穴に、温かなものが満ちていくのが判った。
そして、答えが出る。
(これが、最初で最後のわがままだ)
アレッサンドロはステラを抱き締め、柔らかな髪に頬を埋める。
「傍に、いて」
短い、けれども万感の想いを込めた懇願に返されたのは、言葉ではない。言葉の代わりに、ステラはまるで彼の全てを包み込もうとするかのように、小さな両手を精一杯伸ばして抱き締めてくる。
込み上げてくる、充足感。
(ああ、幸せだ)
柔らかな温もりを宝物のように抱き締め返し、アレッサンドロは小さな吐息をこぼした。
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