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第一章:戦乙女の召還
迷い①
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グランゲルドの中心に位置する都、グランディア。
豪奢ではないが繊細な美しさを誇る白亜の王宮を、活気溢れる城下町が取り巻いている。
豊かな土地は豊富な作物を生み、穏やかな王の統治は争いごとを招くことなく、変わらぬ平和な日々を民にもたらしていた。民は皆笑顔で、憂いの気配は全くない。
この国の王、フレイ・ラ・グランは露台から眼下の城下町を見つめ、その芽吹いたばかりの新緑のような目をふと曇らせた。ひんやりとした秋の風が、彼の白銀色の繊細な髪を揺らす。
「ゲルダの娘は、自由を選んだのか……」
グランゲルドの第一位将軍、ゲルダ・ロウグの娘を迎えに行った筈のビグヴィルの報告に、フレイは視線を落とす。沈んだ王の声に、ビグヴィルが首を振った。
「いいや、王。まだ判りませぬ。儂もお目にかかったのはほんの少しの間ですから、彼女の為人《ひととなり》を熟知したとは程遠い。ですが、かの娘は、とてもゲルダ殿によく似ておりました――とても」
「それは、お顔が、ですの?」
ビグヴィルにそう問いかけたのは、室内の長椅子に腰かけていた王妃、サーガだ。よく晴れた春先の空の色の目を、たおやかな背を覆う黄金色の髪よりもまばゆく輝かせている。
ビグヴィルは彼女の方へ視線を移し、深く頷いた。
「はい。同じ見事な赤毛をしておりました。顔だちも、ゲルダ殿の娘御であることが一目瞭然で。ですが、それ以上に、その身にまとう空気が彼女そのものでしたな」
「空気……」
ビグヴィルに言われ、フレイはゲルダを脳裏に浮かべる。
この国一位の女将軍は凛と美しく、いつも真っ直ぐに背を伸ばしていた。しなやかな強さで、常に前に進み続けていたのだ――その彼女がもういないということが、彼には未だに信じられない。
彼女は、常にフレイの支えだった。王妃や他の将軍、宰相も、確かに彼を支えてくれる。だが、ゲルダは彼に取って何ものにも換え難い存在だったのだ。
……まだ、あどけない少女だった頃から。
そう、十六年前も、彼女は艶やかに笑って言った。
『あなたはそれでいいのです。ただ、悠然と微笑んでいらっしゃれば』
あの時、国の命運を左右しかねない選択に対して決断を下したにも拘わらず、なかなか足を踏み出せなかったフレイに、ゲルダは彼以上に彼の選択に対する全幅の信頼をその目に浮かべて言った。
『白鳥と同じです。水面下で必死に掻いていても、人々の目に見える姿は優美でしょう? あなたは何も変わらぬ姿をお見せになっていればいい。沈まぬように必死で足掻くのは、我々の仕事です』
そうして、ゲルダは事を成し遂げた。あの時、彼女がいなければ、今、この国は全く違う様相を呈していたことだろう。
だが、今、彼女は失われてしまった。
再び訪れたこの危機に、今度は彼女の娘を引きずり込もうとしている。
――何と、ふがいない王だろうか。
目の前に広がるのは、平和を謳歌する国民たち。彼らの幸福を護ることは、フレイには荷が重い。
目蓋を閉じたフレイの背後で、ふと思い出した、という風情でビグヴィルが呟いた。
「娘御は、見事な緑の目をしておりました」
フレイが振り返ったその先で、老将軍は、静謐な眼差しを彼に向けていた。
「緑……」
繰り返したフレイに、彼は頷く。多くの言葉は使わずに。
「きっと、母御と父御の良いところを、余すことなく受け継いでおられるに違いありません」
「そうか……」
それきり口を閉ざしたフレイに代わって、サーガが夢見るようなうっとりした声で言った――彼がまさに思っていたことを。
「ゲルダがあんなふうに亡くなってしまって、もうこの世の終わりかと思っていたけれど、ちゃんと、わたくしたちに贈り物を残していってくださったのね。ああ……早く会いたいわ」
フレイも、ゲルダの娘に会いたいと思う。だが、同時に、会うことが怖くもある。
彼には、自分が、彼女の娘に誇れるような王だとは思えない。自分の弱さを、彼自身が誰よりも充分に承知していた。
北の隣国、ニダベリルが突き付けてきた、突然の宣戦布告。戦いを回避する為の条件としてニダベリル側が出してきた要求は、とても呑めるものではなかった。だが、戦争を始めるという決断もまた、フレイには下せない。
戦場へ送る兵士もまた、彼の民だった。民を戦いに赴かせることに――死に向かわせることに、フレイは踏み切れないのだ。
それは、彼の弱さだった。
ゲルダであれば、自身が正しいと思ったことは必ず貫き通す。そして、フレイがそれを貫こうとするならば、全力で支えてくれる。
しかし――。
緑の目を持つ、ゲルダの、娘。
フリージア。
胸の中で、フレイはその名を呟いた。
豪奢ではないが繊細な美しさを誇る白亜の王宮を、活気溢れる城下町が取り巻いている。
豊かな土地は豊富な作物を生み、穏やかな王の統治は争いごとを招くことなく、変わらぬ平和な日々を民にもたらしていた。民は皆笑顔で、憂いの気配は全くない。
この国の王、フレイ・ラ・グランは露台から眼下の城下町を見つめ、その芽吹いたばかりの新緑のような目をふと曇らせた。ひんやりとした秋の風が、彼の白銀色の繊細な髪を揺らす。
「ゲルダの娘は、自由を選んだのか……」
グランゲルドの第一位将軍、ゲルダ・ロウグの娘を迎えに行った筈のビグヴィルの報告に、フレイは視線を落とす。沈んだ王の声に、ビグヴィルが首を振った。
「いいや、王。まだ判りませぬ。儂もお目にかかったのはほんの少しの間ですから、彼女の為人《ひととなり》を熟知したとは程遠い。ですが、かの娘は、とてもゲルダ殿によく似ておりました――とても」
「それは、お顔が、ですの?」
ビグヴィルにそう問いかけたのは、室内の長椅子に腰かけていた王妃、サーガだ。よく晴れた春先の空の色の目を、たおやかな背を覆う黄金色の髪よりもまばゆく輝かせている。
ビグヴィルは彼女の方へ視線を移し、深く頷いた。
「はい。同じ見事な赤毛をしておりました。顔だちも、ゲルダ殿の娘御であることが一目瞭然で。ですが、それ以上に、その身にまとう空気が彼女そのものでしたな」
「空気……」
ビグヴィルに言われ、フレイはゲルダを脳裏に浮かべる。
この国一位の女将軍は凛と美しく、いつも真っ直ぐに背を伸ばしていた。しなやかな強さで、常に前に進み続けていたのだ――その彼女がもういないということが、彼には未だに信じられない。
彼女は、常にフレイの支えだった。王妃や他の将軍、宰相も、確かに彼を支えてくれる。だが、ゲルダは彼に取って何ものにも換え難い存在だったのだ。
……まだ、あどけない少女だった頃から。
そう、十六年前も、彼女は艶やかに笑って言った。
『あなたはそれでいいのです。ただ、悠然と微笑んでいらっしゃれば』
あの時、国の命運を左右しかねない選択に対して決断を下したにも拘わらず、なかなか足を踏み出せなかったフレイに、ゲルダは彼以上に彼の選択に対する全幅の信頼をその目に浮かべて言った。
『白鳥と同じです。水面下で必死に掻いていても、人々の目に見える姿は優美でしょう? あなたは何も変わらぬ姿をお見せになっていればいい。沈まぬように必死で足掻くのは、我々の仕事です』
そうして、ゲルダは事を成し遂げた。あの時、彼女がいなければ、今、この国は全く違う様相を呈していたことだろう。
だが、今、彼女は失われてしまった。
再び訪れたこの危機に、今度は彼女の娘を引きずり込もうとしている。
――何と、ふがいない王だろうか。
目の前に広がるのは、平和を謳歌する国民たち。彼らの幸福を護ることは、フレイには荷が重い。
目蓋を閉じたフレイの背後で、ふと思い出した、という風情でビグヴィルが呟いた。
「娘御は、見事な緑の目をしておりました」
フレイが振り返ったその先で、老将軍は、静謐な眼差しを彼に向けていた。
「緑……」
繰り返したフレイに、彼は頷く。多くの言葉は使わずに。
「きっと、母御と父御の良いところを、余すことなく受け継いでおられるに違いありません」
「そうか……」
それきり口を閉ざしたフレイに代わって、サーガが夢見るようなうっとりした声で言った――彼がまさに思っていたことを。
「ゲルダがあんなふうに亡くなってしまって、もうこの世の終わりかと思っていたけれど、ちゃんと、わたくしたちに贈り物を残していってくださったのね。ああ……早く会いたいわ」
フレイも、ゲルダの娘に会いたいと思う。だが、同時に、会うことが怖くもある。
彼には、自分が、彼女の娘に誇れるような王だとは思えない。自分の弱さを、彼自身が誰よりも充分に承知していた。
北の隣国、ニダベリルが突き付けてきた、突然の宣戦布告。戦いを回避する為の条件としてニダベリル側が出してきた要求は、とても呑めるものではなかった。だが、戦争を始めるという決断もまた、フレイには下せない。
戦場へ送る兵士もまた、彼の民だった。民を戦いに赴かせることに――死に向かわせることに、フレイは踏み切れないのだ。
それは、彼の弱さだった。
ゲルダであれば、自身が正しいと思ったことは必ず貫き通す。そして、フレイがそれを貫こうとするならば、全力で支えてくれる。
しかし――。
緑の目を持つ、ゲルダの、娘。
フリージア。
胸の中で、フレイはその名を呟いた。
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