ジア戦記

トウリン

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第二章:大いなる冬の訪れ

王の為すべきこと②

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 それが合図になったかのように他の者もそれぞれに椅子を鳴らし、動き始めた。
 その中で、ビグヴィルはフリージアの元へやって来ると呆れたような感心したような複雑な色をその目に浮かべて、言う。

「まったく、貴女は……まるで空を舞う鳥のようですな」
「それって、嫌味?」
「いいえ、自由で羨ましい、ということですよ」
「だって、今までがそうだったから」
「うむ……オルディン殿は意外に子育ての才能があるようだ」

 オルディンが聞いたら抗議の声をあげそうな台詞を口にしたビグヴィルだったが、ふとフリージアの背後に目をやって無言で一礼した。
 何事かと振り返ったフリージアの目に、サーガの姿が映る。その向こうでは、フレイが会議室を出て行こうとしているところだった。

 マナヘルムに向けて発つ前に、彼とはもう一度言葉を交わしておきたいと思っていたのだ。だが、彼を引き止める台詞が思い浮かばず、結局その姿は扉の向こうへと消えてしまう。

 落胆に肩を下げたフリージアを、サーガが呼んだ。

「フリージア」
「サーガ様」
 笑顔で応じると、可憐な王妃は少し唇を尖らせた。
「もう。せっかく帰ってきたというのに、また、行ってしまうだなんて」
「すみません。でも、今度はすぐに戻りますから。危険もないし」
「そんなことを言って。安全だからと油断せずに、くれぐれも気を付けてね?」
「はい」
 素直に頷くフリージアを、サーガはジッと見つめてくる。
「そんなに色々しようとしなくても、あなたは将軍の座にいるというだけで、充分なのよ? ただ、いる、というだけで、皆の支えになれるのだから」

 彼女のその台詞に、今度はフリージアが口を引き結ぶ。それは、常々、口を変えて言われることだった。

「そんなの、イヤです」
「でも……」
「それに、ただ、お飾り人形でいるのがイヤだっていうだけじゃないんです。なんか、こう……王様を見ていると、何かしたくなるんです」

 こんな言い方は不敬だろうかと、終わりの方は少々声が小さくなってしまうフリージアだ。彼女のその台詞に、サーガが微かに目を見張る。
 言葉が足りなかったかと、フリージアは慌てて付け足した。

「あ、いえ、頼りないとか、そういうわけじゃないんです。ただ、えぇっと……」
 何だか、余計に墓穴を掘ったような気がする。

 もっといい言い方はないかと模索するフリージアに、サーガが苦笑混じりに言った。
「あの方は、一見か弱げでしょう?」
「はい、え、あ……そんなことは……」
 言葉を飾らぬサーガの台詞に頷いてしまい、咄嗟に言い繕おうとするフリージアを、彼女が笑う。
「構わなくてよ。わたくしも、そう思いますもの」
「サーガ様」
「ふふ、本当に、なかなか決断を下せませんし、ミミル宰相に頭が上がりませんし」
「……」

 夫であり王でもある相手を、そんなふうにけなしていいものなのだろうか。フリージアは賛同も否定もできず、無言で通す。
 そんな彼女の前で、サーガは続けた。

「でもね、ただ争いを嫌い、波風を立てずにいるというのであれば、わたくしはとっくの昔に愛想を尽かせておりましたわ。もちろん、ゲルダ様もね」
 フフッと、サーガはいたずらっぽく笑んだ。そして、それを一掃する。

「十六年前、エルフィアをこの国に受け入れることを決めたのは、あの方なのです。その為に戦うことも。当然、ミミル宰相を筆頭に、皆反対しましたわ。でもね、そんな周りの反対を押し切って、王はエルフィアを受け入れることをお決めになりましたの。そのままでは彼らは滅びてしまうから、と」

 フリージアには、ミミルとやり合うフレイの姿など、全く思い浮かばない。一言宰相に「ダメだ」と言われたら、フレイはすぐに引き下がってしまうに違いない。
 そんな疑念が顔に浮かんでいたのだろう、サーガがクスリと笑って言う。

「本当よ? 嫁ぐ前でしたからわたくしはまだその場にはおりませんでしたけれど、会議に参加されてたゲルダ様が、それはそれは毅然としてらっしゃった、と仰ってましたもの。とても、誇らしげに」
「母さんが?」
「ええ。だからね、今はお迷いになっていても、時が来ればちゃんとお決めになるわ。他の者に委ねたりせずにね。どんなに儚げに見えても、あの方は決して逃げないし、潰れもしなくてよ。お優しくて、そしてお強い、そういう方なの、フレイ様は」

 普段はあっさりしているように見えるサーガの意外なほどの想いの深さに、フリージアはいくつか瞬きをする。と、そんな彼女の前で、サーガはチラリと舌を出した。

「というのは、ゲルダ様の受け売りでしたの」
「え?」
 フリージアはきょとんと返してしまう。そんな彼女に、サーガはクスクスと忍び笑いを漏らした。
「フレイ様との縁談が持ち上がった時、迷っていたわたくしにゲルダ様が仰ったことなの。だって、その頃はわたくしも貴女と同じように思っていましたから。なんて頼りなさそうな方なんでしょうって。でも、ゲルダ様のそのお言葉で、わたくしも心を決めましたわ」
「そうなんですか……」

 先ほどの台詞を口にしている時のサーガからは、愛情と尊敬の念が溢れ出ていた。母の王に対する崇敬も、相当に強かったに違いない。

 そんなことを考えていたフリージアの頬に、そっと温かなものが触れる――サーガの手だ。
 彼女はフリージアの目を覗き込みながら、言った。

「だからね、貴女はそんなに何もかも背負おうとしなくてもいいのよ? 大丈夫、フレイ様はちゃんと立っていられるから」

 ね? と、サーガが微笑む。だから、フリージアは安全なところでおとなしくしていたらいい、多分、そう言いたいのだろう。朗らかそうに見えても、ゲルダという大切な存在を喪ったばかりの彼女にはフリージアのことが案じられてならないに違いない。
 そんなサーガの気持ちをひしひしと感じながら、フリージアは「でも」と返した。

「そうですね、自分の王様なんですから、ちゃんと信じないとですよね。うん。でも、それとは別に、あたしがエルフィアと話をしてみたいんです。やっぱり、ちゃんと彼らの考えを聞いてみたい」
 きっぱりと言い切ったフリージアに、サーガは一瞬息を止め、次いで苦笑する。
「本当に、貴女は、自分の目で確かめないと気が済まない子ね。ふふ、でも、そういうところも、好きよ」
 そうして、彼女はフリージアの両頬に触れるだけの口付けを残す。

「もう、いいわ。いってらっしゃいな。わたくし、貴女が帰るのを、首を長くして待っていますから。貴女が帰るまでに、ドレスをたくさん仕立てておきますわ」
「え……」

 意趣返しにも取れるようなサーガの楽しげな台詞に、フリージアは固まった。お披露目の時に裾の長いドレスを着させられたが、苦しいわ動きにくいわ、散々だったのだ。彼女が不平たらたらだったことを、この聡い王妃が忘れてしまった筈がない。

「うふふ、楽しみですこと」

「――」

 ニダベリル行きで心配をかけ、それから間を置かずに今度はマナヘルム行きだ。ここはおとなしく彼女の着せ替え人形になるべきなのだろう。

「お手柔らかに、お願いします……」

 弱々しい声でのフリージアのその心の底からの言葉に、サーガは一際鮮やかな笑顔を浮かべた。
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