ジア戦記

トウリン

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第三章:角笛の音色と新たな夜明け

戦うよりも難きこと①

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 ニダベリル陣営には不安と戸惑いが霞のように立ち込めていた。その濃さは、触れることができるのではないだろうかと思わせる程だ。

 ――いったい、これはどういうことなのだろう。

 グランゲルドは戦いを知らぬ腑抜けの国。
 だから、ニダベリルは簡単に望みのものを手に入れられる筈だった。

 それなのに。

 こちらの突撃はことごとく跳ね返された。
 これまで従順な手足として言われるがままに剣を振るっていた『転向者』共は、頭に逆らい逃げ出していった。
 神の鉄槌にも等しいと思っていた投石器は、人知を超えた力でひっくり返され潰された。

 何もかもが、おかしい。
 ニダベリル兵は己の国の勝利を疑ったことがなかった。十六年間、無敗を貫き通してきたのだ。彼等は皆、自国の強さに堅固な自信を持っていた――これまでは。
 ろくに戦う力など持っていないだろうと目されていたグランゲルドは、彼等のその自信を揺るがせたのだ。戦というものは勝って当然なのではなく、負ける可能性があることを彼等は知ってしまった。

 このまま戦いを続けるのか、それとも、引くのか。
 将軍達が何を考えているのかは、下の者には判らない。雲の上の存在がどんな結論を下そうとも、兵士はただ従うだけだ。
 戦いを命じられるなら、いい。それならこれまでしてきたことをするだけだ。不安はあるが――いや、不安があるからこそ、むしろ戦いたい。剣を振るっていれば、何も考えずに済むのだから。

 だが、もしも退却するとなったら、どんなことになるのだろうか。
 今のニダベリル軍の兵達は、その殆どが勝利しか経験したことがない。相手が降伏するか、あるいは完膚なきまでに殲滅するか。
 ニダベリルは、敵が背を向けることを『降伏』とは見なさなかった。『降伏』とは、自ら武器を捨て、アウストルの前にひれ伏すことだ。逃がして反撃の力を蓄えさせるような真似は赦さず、容赦なく、追撃した。

 自分達がしてきたことをかんがみれば、グランゲルドもまた同じように行動すると思うのが妥当だ。
 彼等は、逃げる敵に対して自分達が取ってきた行動を思い返す。
 背を向けた者を屠るのは、とても容易たやすいことだ。
 ニダベリルの兵士達は、追われる立場になった自らの姿を、頭の中で思い描いていた。
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