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世界編

昔語り その3.後編

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 最初のうちは、いつものように体力を維持するために眠るのだろうと、その時は放って置いた。
 しかし、何度もコンタクトをとってはみるものの、我々を避けるようにひたすらだんまりを決め込む彼女。

 そんな彼女を毎回眺めては、次第にみなの不満がたまっていき、ついに一族のひとり『クモ使いダー』が痺れを切らして強行策をとった。

『次代を暗殺する』

 ひと言宣言をして立ち上がったダーに、今まで眠っていた女がいきなり飛びかかっていった。それはまるで鬼の様な形相で。

『殺させはしない。次代は私の息子だ』

 彼女は何度も繰り返し繰り返し、そう呟いた。

 この危機的状態に、私情を挟むのはズルい、と思ったよ。それでも、彼女の迫力に押されたダーや僕たちは、その意志に従うのが正しいと瞬時に判断し、その場にひざまづいた。

 少し落ち着きを取り戻した女は、唐突にーー実際には前々から考えていたのかもしれないがーーこう言った。

『自分が飛び散った魔力の片鱗を追いかけて、次代の心を包んでいるモノを呼び戻す』と。

 一族の動向に私情を挟むのは、世界を支える者としてはあり得ない行動ではないか、と、その意見にはみな否定的だったが、その時の彼女の迫力と決断に、しぶしぶながらも受け入れるしかなかった。

 ただでさえ限界を迎えつつあるその体を駆使して、女は幾度となく魔力を追いかける旅に出た。

 結果、五年目にしてようやくその試みは成功したのだが……それによる弊害も多々生じた。

 五年間で何度となく渡った旅の中で、次代の心だと思って呼び寄せたモノは、無害なモノもあれば有害なモノもあり、我々はその対処に追われた。

 カシアス君が目覚めたのもその一環だ。
 君の心……魂とでも言おうか……霧散していたモノをケンがかき集めて戻ってきたんだ、散らばった次代の心と信じてね。実際には違うモノだったけど。

 君の場合、無害なモノと判断して即座に解放してあげた。彷徨さまよっていた心が少しでも闇に侵食されていたら、その瞬間に切り捨てられていたけれど。幸いなことに、君の心はピュアな状態を保っていたからね。

 有害なモノの中には、我々の目をすり抜けて飛び出すモノもいて。ここ五年間はそれらを回収するのが仕事の一部になってたんだ。

 ルシーンやアーリンでの内紛、ドーンの疫病、ラムダス軍部の台頭などが、その悪意にあてられてしまった結果だ。
 ギリギリのところで大事になるのを回避してきたから今に至るけれど、これでも大変だったんだよ。

 それもそろそろ限界かな。
 ケンの器としての体も、この五年の魔力の旅でヒビが入りそうなんだ。例えるならパンパンに膨れた風船が弾ける寸前のように。

 一刻も早く器の交代をしなければならないのに、彼女はまだ危惧している。

 サーラちゃん、君の存在だ。

 次代の心だけ呼び寄せるつもりが、とんだ異物まで呼び寄せてしまった。異物とは世界のバランスを崩しかねない危険をはらんでいるから。

 安定を図るためにサーラちゃんには死んでもらわなければいけなかったんだけど……なかなか上手くいかなくて。しかも次代までもが虜になりかけている。

 我々一族の考えとして、『ケン』の役目を果たすため、つまり器を引き継ぐためには、恋人や家族などは不要と判断しているんだよ。

 というより、それらに気を取られて、ケンとしての判断を誤ってしまうことの方が危険なんだ。
 ましてそれが異物のような存在となると、世界のバランスにどんな影響があるか予測がつかない。

 だから、サーラちゃんには不本意かもしれないけれど、この世から消えてもらうか、僕の伴侶としてこの世界の一部になってもらうのが、とりあえずの解決法だと思ったんだ。

 そうすることが、中継ぎのケン自身の気持ちの安定にもなる。そして速やかな器の交代もできることにつながるんだ。

 さて、ここまで話したら我々一族の次代とは誰のことを指しているのか、ご理解いただけたかな?

 エーデル。
 君はなぜ僕がその名を知っているのか、と言ったね?

 答えはこうだ。

 我々一族は、君を生まれた時から知っている。
 本来なら我々一族の元で健やかに成長するはずだった君。

 しかしケンーー君の母親ーーが彼女と彼女の伴侶で育てると言い切ったので、実際にそれは実現しなかった。
 直接育てることはできなかったけれど、君の成長は一族全員で見守ってきたつもりだよ?

 だから、我々一族には君を『エーデル』と呼べる資格があると思うんだ。

『エーデル』

 この名前は君の母親からもらった名前だと言ったね。
 確かに形式的にはそうかもしれないが、本当のところは少し違う。

 それは先代のケンが君の母親に会いに行った時、彼が付けた名だ。母親から漏れ出る君の魔力の光をみて、彼が口にした言葉なんだよ。

 君の母親は、先代が、成人までは自分に君を預けてくれたことに敬意を表して、君に『エーデル』という名前を付けたんだ。

『エーデルヴァイス……高貴なる光が溢れている。まだ見ぬ次代よ、エーデルよ。この世の安定のために、世界のために、我々一族の元へ』

 先代のケンは彼女の前にひざまづいてそう言った。

 僕も覚えてるよ。先代のケンが君の母親に向かって、震えながら語りかけるのを。

 あの時のケンは、本当に愛おしそうに君をみていた。まるで君が自分の子供であるかのように。今までのケンの人生が君に会うためだけにあったかのように。
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