孤塁の縁  第一章 ~出会い編~

上野たすく

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 リヴォーグ王国歴二九四三年七月四日。
 結川孤ゆいかわともは病院の個室で、点滴を受けていた。
 怪我でも病気でもないのに高校を休んでまで、ここにいるのは、誰かのドナーになるためだった。顔も名前も、性別すら知らないそいつは、別室で待機中とのことだ。
 間もなく、孤にも麻酔が投与される。そして、脳以外の正常な臓器と引き換えに、代用品の機械を埋め込まれる。 
 適合するかどうかは、二十パーセント以下の確率だと、医師から聞かされた。
 死ぬかもしれない。
 それでも、孤が抵抗しなかったのは、自分が認定ドナー、つまり、誰かの予備だと知ったからだった。
 数百年前から、人は病気で死ににくくなった。生まれた瞬間から遺伝子を冷凍保存し、容易く体内の欠陥品を替えることができるようになったからだ。その究極の代物が、属に予備と呼ばれる生きた代用パーツ保管庫。公式名、認定ドナーだ。
 通常、認定ドナーは臓器を提供される側であるレシピエントとは接点を持たない、育成登録者の家で育てられる。脳や心臓に良い影響を与えるため、予備はその日が来るまで、普通の人間として育てられるのだ。
 育成登録者は国から報酬をもらうことができ、優秀な登録者ほど値段が高くなる。孤が両親だと信じていた二人は、友人ですらないと聞かされた。
 今日、孤が臓器を提供することが決まったことで、彼らは孤の親の任務から解放され、別々の場所へと帰っていった。
 彼らとたくさん撮った思い出の写真は、みんな、溶解処理されるのだろう。孤が孤であるための服や使っていた教科書や食器も、みんな、みんな、どろどろになる運命だ。
 築いてきた過去が崩れていく。
 初めから、何もなかったのに、築くなんて言葉は不相応か。
 苦笑したなら、目の端から涙が耳元へと流れていった。
 個室のドアが開き、数人の看護師と手術の立会人を名乗る男が入ってきた。
 孤は素早く涙を拭いた。
 立会人は、臓器提供後の孤の未来を事務的に説明した。
 男が成人していない孤に、拇印を求めてきたとき、自分は人ではなく物なのだと再認識した。
 これからは、人間のルールではなく、予備のルールが適用されるのだ。
 ストレッチャーに寝かせられ、廊下へと出る。
 ガチャガチャと車輪が回る音と、一緒に部屋を出た点滴の透明さに、瞼を閉じようとし、看護師と立会人の間に、見慣れた顔があって、息を止めた。
 そいつは孤と同じように点滴をし、同じようにストレッチャーにのせられ、そして、血だらけではあるが、孤と同じ顔をしていた。彼の傍には、彼の両親だろう男女が心配そうに寄りそっている。
「大丈夫。あなたは助かるわ。大丈夫よ、エニシ。大丈夫だからね」
 エニシ……。
 身を起こそうとした孤の視線の先に気づき、立会人が体で視界を遮ってきた。
 エニシ……。
 孤は、ストレッチャーに背をつけた。
 エニシ……。
 あいつだ。
 あいつが、俺のレシピエント。
 俺の元。
 わかったところで、どうすることもできない。
 孤は瞼を閉じ、世界を拒絶した。
 だけど、暗闇の中、親から大切にされている、エニシの残像があった。うっすらと開けられた瞳は、孤と同じ桃色だったが、彼が映すものは孤とはまったく異なっていた。
 手術から目覚めても、その光景は消えることはなく、また、月日が経ってもなお、拷問のように孤を苦しめた。
 きっと、死ぬまで救われることはない。
 ならば、あの日、機械が適合せず、いっそ、がらくたになりたかった。
 健康な体にメスを入れ、定期メンテナンスのいる異物を埋められてから、孤はさまざまな仕事をさせられた。
 汚物処理から人間様が数分であの世へ行ってしまう場所での長時間作業。
 壊れたら機械を取り替えられ、生かされ続けた。
 困ったことに、一番、狂って欲しい脳は元気であり、孤は完全な予備になりきれなかった。
 どこかで、まだ、自分は人だと思っているのだ。
 予備を押し込めるコンクリート製の四角い牢獄は、鉄格子の窓があって、月の光を注いだ。首のコードナンバーが暴かれているようで、孤はそっと焼き印を手で隠した。皮膚が焼けた痕に、膝を抱いて蹲った。
 二九四三七四。
 孤が人の枠から外された記念すべき日に、人間様がくれた尊い贈り物。
 予備の管理者達は孤のことを、コードを縮めてナナシと呼ぶ。
 予備のナナシ。
 それは、誰からも祝われないまま、二十年目の春を迎えた。
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