2 / 22
1-1
しおりを挟む
リヴォーグ王国歴二九四三年七月四日。
結川孤は病院の個室で、点滴を受けていた。
怪我でも病気でもないのに高校を休んでまで、ここにいるのは、誰かのドナーになるためだった。顔も名前も、性別すら知らないそいつは、別室で待機中とのことだ。
間もなく、孤にも麻酔が投与される。そして、脳以外の正常な臓器と引き換えに、代用品の機械を埋め込まれる。
適合するかどうかは、二十パーセント以下の確率だと、医師から聞かされた。
死ぬかもしれない。
それでも、孤が抵抗しなかったのは、自分が認定ドナー、つまり、誰かの予備だと知ったからだった。
数百年前から、人は病気で死ににくくなった。生まれた瞬間から遺伝子を冷凍保存し、容易く体内の欠陥品を替えることができるようになったからだ。その究極の代物が、属に予備と呼ばれる生きた代用パーツ保管庫。公式名、認定ドナーだ。
通常、認定ドナーは臓器を提供される側であるレシピエントとは接点を持たない、育成登録者の家で育てられる。脳や心臓に良い影響を与えるため、予備はその日が来るまで、普通の人間として育てられるのだ。
育成登録者は国から報酬をもらうことができ、優秀な登録者ほど値段が高くなる。孤が両親だと信じていた二人は、友人ですらないと聞かされた。
今日、孤が臓器を提供することが決まったことで、彼らは孤の親の任務から解放され、別々の場所へと帰っていった。
彼らとたくさん撮った思い出の写真は、みんな、溶解処理されるのだろう。孤が孤であるための服や使っていた教科書や食器も、みんな、みんな、どろどろになる運命だ。
築いてきた過去が崩れていく。
初めから、何もなかったのに、築くなんて言葉は不相応か。
苦笑したなら、目の端から涙が耳元へと流れていった。
個室のドアが開き、数人の看護師と手術の立会人を名乗る男が入ってきた。
孤は素早く涙を拭いた。
立会人は、臓器提供後の孤の未来を事務的に説明した。
男が成人していない孤に、拇印を求めてきたとき、自分は人ではなく物なのだと再認識した。
これからは、人間のルールではなく、予備のルールが適用されるのだ。
ストレッチャーに寝かせられ、廊下へと出る。
ガチャガチャと車輪が回る音と、一緒に部屋を出た点滴の透明さに、瞼を閉じようとし、看護師と立会人の間に、見慣れた顔があって、息を止めた。
そいつは孤と同じように点滴をし、同じようにストレッチャーにのせられ、そして、血だらけではあるが、孤と同じ顔をしていた。彼の傍には、彼の両親だろう男女が心配そうに寄りそっている。
「大丈夫。あなたは助かるわ。大丈夫よ、エニシ。大丈夫だからね」
エニシ……。
身を起こそうとした孤の視線の先に気づき、立会人が体で視界を遮ってきた。
エニシ……。
孤は、ストレッチャーに背をつけた。
エニシ……。
あいつだ。
あいつが、俺のレシピエント。
俺の元。
わかったところで、どうすることもできない。
孤は瞼を閉じ、世界を拒絶した。
だけど、暗闇の中、親から大切にされている、エニシの残像があった。うっすらと開けられた瞳は、孤と同じ桃色だったが、彼が映すものは孤とはまったく異なっていた。
手術から目覚めても、その光景は消えることはなく、また、月日が経ってもなお、拷問のように孤を苦しめた。
きっと、死ぬまで救われることはない。
ならば、あの日、機械が適合せず、いっそ、がらくたになりたかった。
健康な体にメスを入れ、定期メンテナンスのいる異物を埋められてから、孤はさまざまな仕事をさせられた。
汚物処理から人間様が数分であの世へ行ってしまう場所での長時間作業。
壊れたら機械を取り替えられ、生かされ続けた。
困ったことに、一番、狂って欲しい脳は元気であり、孤は完全な予備になりきれなかった。
どこかで、まだ、自分は人だと思っているのだ。
予備を押し込めるコンクリート製の四角い牢獄は、鉄格子の窓があって、月の光を注いだ。首のコードナンバーが暴かれているようで、孤はそっと焼き印を手で隠した。皮膚が焼けた痕に、膝を抱いて蹲った。
二九四三七四。
孤が人の枠から外された記念すべき日に、人間様がくれた尊い贈り物。
予備の管理者達は孤のことを、コードを縮めてナナシと呼ぶ。
予備のナナシ。
それは、誰からも祝われないまま、二十年目の春を迎えた。
結川孤は病院の個室で、点滴を受けていた。
怪我でも病気でもないのに高校を休んでまで、ここにいるのは、誰かのドナーになるためだった。顔も名前も、性別すら知らないそいつは、別室で待機中とのことだ。
間もなく、孤にも麻酔が投与される。そして、脳以外の正常な臓器と引き換えに、代用品の機械を埋め込まれる。
適合するかどうかは、二十パーセント以下の確率だと、医師から聞かされた。
死ぬかもしれない。
それでも、孤が抵抗しなかったのは、自分が認定ドナー、つまり、誰かの予備だと知ったからだった。
数百年前から、人は病気で死ににくくなった。生まれた瞬間から遺伝子を冷凍保存し、容易く体内の欠陥品を替えることができるようになったからだ。その究極の代物が、属に予備と呼ばれる生きた代用パーツ保管庫。公式名、認定ドナーだ。
通常、認定ドナーは臓器を提供される側であるレシピエントとは接点を持たない、育成登録者の家で育てられる。脳や心臓に良い影響を与えるため、予備はその日が来るまで、普通の人間として育てられるのだ。
育成登録者は国から報酬をもらうことができ、優秀な登録者ほど値段が高くなる。孤が両親だと信じていた二人は、友人ですらないと聞かされた。
今日、孤が臓器を提供することが決まったことで、彼らは孤の親の任務から解放され、別々の場所へと帰っていった。
彼らとたくさん撮った思い出の写真は、みんな、溶解処理されるのだろう。孤が孤であるための服や使っていた教科書や食器も、みんな、みんな、どろどろになる運命だ。
築いてきた過去が崩れていく。
初めから、何もなかったのに、築くなんて言葉は不相応か。
苦笑したなら、目の端から涙が耳元へと流れていった。
個室のドアが開き、数人の看護師と手術の立会人を名乗る男が入ってきた。
孤は素早く涙を拭いた。
立会人は、臓器提供後の孤の未来を事務的に説明した。
男が成人していない孤に、拇印を求めてきたとき、自分は人ではなく物なのだと再認識した。
これからは、人間のルールではなく、予備のルールが適用されるのだ。
ストレッチャーに寝かせられ、廊下へと出る。
ガチャガチャと車輪が回る音と、一緒に部屋を出た点滴の透明さに、瞼を閉じようとし、看護師と立会人の間に、見慣れた顔があって、息を止めた。
そいつは孤と同じように点滴をし、同じようにストレッチャーにのせられ、そして、血だらけではあるが、孤と同じ顔をしていた。彼の傍には、彼の両親だろう男女が心配そうに寄りそっている。
「大丈夫。あなたは助かるわ。大丈夫よ、エニシ。大丈夫だからね」
エニシ……。
身を起こそうとした孤の視線の先に気づき、立会人が体で視界を遮ってきた。
エニシ……。
孤は、ストレッチャーに背をつけた。
エニシ……。
あいつだ。
あいつが、俺のレシピエント。
俺の元。
わかったところで、どうすることもできない。
孤は瞼を閉じ、世界を拒絶した。
だけど、暗闇の中、親から大切にされている、エニシの残像があった。うっすらと開けられた瞳は、孤と同じ桃色だったが、彼が映すものは孤とはまったく異なっていた。
手術から目覚めても、その光景は消えることはなく、また、月日が経ってもなお、拷問のように孤を苦しめた。
きっと、死ぬまで救われることはない。
ならば、あの日、機械が適合せず、いっそ、がらくたになりたかった。
健康な体にメスを入れ、定期メンテナンスのいる異物を埋められてから、孤はさまざまな仕事をさせられた。
汚物処理から人間様が数分であの世へ行ってしまう場所での長時間作業。
壊れたら機械を取り替えられ、生かされ続けた。
困ったことに、一番、狂って欲しい脳は元気であり、孤は完全な予備になりきれなかった。
どこかで、まだ、自分は人だと思っているのだ。
予備を押し込めるコンクリート製の四角い牢獄は、鉄格子の窓があって、月の光を注いだ。首のコードナンバーが暴かれているようで、孤はそっと焼き印を手で隠した。皮膚が焼けた痕に、膝を抱いて蹲った。
二九四三七四。
孤が人の枠から外された記念すべき日に、人間様がくれた尊い贈り物。
予備の管理者達は孤のことを、コードを縮めてナナシと呼ぶ。
予備のナナシ。
それは、誰からも祝われないまま、二十年目の春を迎えた。
0
あなたにおすすめの小説
【8話完結】いじめられっ子だった俺が、覚醒したら騎士団長に求愛されました
キノア9g
BL
いじめられ続けた僕は、ある日突然、異世界に転移した。
けれど、勇者として歓迎されたのは、僕を苦しめてきた“あいつ”の方。僕は無能と決めつけられ、誰からも相手にされなかった。
そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、冷酷と恐れられる騎士団長・ジグルドだった。
なのに、あいつの命令で、僕は彼に嘘の告白をしてしまう――「ジグルドさんのことが、好きなんです」
それが、すべての始まりだった。
あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。
僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。
だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。
過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。
これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。
全8話。
カフェ・コン・レーチェ
こうらい ゆあ
BL
小さな喫茶店 音雫には、今日も静かなオルゴール調のの曲が流れている。
背が高すぎるせいか、いつも肩をすぼめている常連の彼が来てくれるのを、僕は密かに楽しみにしていた。
苦いブラックが苦手なのに、毎日変わらずブラックを頼む彼が気になる。
今日はいつもより温度を下げてみようかな?香りだけ甘いものは苦手かな?どうすれば、喜んでくれる?
「君の淹れる珈琲が一番美味しい」
苦手なくせに、いつも僕が淹れた珈琲を褒めてくれる彼。
照れ臭そうに顔を赤ながらも褒めてくれる彼ともっと仲良くなりたい。
そんな、ささやかな想いを込めて、今日も丁寧に豆を挽く。
甘く、切なく、でも愛しくてたまらない――
珈琲の香りに包まれた、静かで優しい記憶の物語。
聖者の愛はお前だけのもの
いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。
<あらすじ>
ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。
ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。
意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。
全年齢対象。
手紙
ドラマチカ
BL
忘れらない思い出。高校で知り合って親友になった益子と郡山。一年、二年と共に過ごし、いつの間にか郡山に恋心を抱いていた益子。カッコよく、優しい郡山と一緒にいればいるほど好きになっていく。きっと郡山も同じ気持ちなのだろうと感じながらも、告白をする勇気もなく日々が過ぎていく。
そうこうしているうちに三年になり、高校生活も終わりが見えてきた。ずっと一緒にいたいと思いながら気持ちを伝えることができない益子。そして、誰よりも益子を大切に想っている郡山。二人の想いは思い出とともに記憶の中に残り続けている……。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
狼の護衛騎士は、今日も心配が尽きない
結衣可
BL
戦の傷跡が癒えた共生都市ルーヴェン。
人族と獣人族が共に暮らすその街で、文官ユリス・アルヴィンは、穏やかな日々の中に、いつも自分を見守る“優しい視線”の存在を感じていた。
その正体は、狼族の戦士長出身の護衛騎士、ガルド・ルヴァーン。
無口で不器用だが、誠実で優しい彼は、いつしかユリスを守ることが日課になっていた。
モフモフ好きなユリスと、心配性すぎるガルド。
灰銀の狼と金灰の文官――
異種族の二人の関係がルーヴェンの風のようにやさしく、日々の中で少しずつ変わっていく。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる