クローバー

上野たすく

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 日差しの届かない部屋で、神薙を起こしたのは、目覚まし時計ではなく、絢斗だった。彼は昨日、渡した服を着ていた。
 青年はぶっきらぼうに、スマホが鳴っていたと言った。
 昨夜の出来事が幻であったかのような、冷めた態度だった。心なしか、声も低い。
 これが本来の絢斗だ。
 やはり、避妊薬を飲ませて正解だった。
 自分の行動を肯定できたのに、まったく嬉しくなかった。
 神薙はスマホの着信履歴を見て、溜息をついた。
 飯島からだ。
 かけ直すと、不機嫌な声で、午前八時四十五分の会議に出席しろと命令された。スマホの時間は、確か、午前六時半だった。
 神薙は場所を聞き、電話を切った。
「水、もらっていい?」
 絢斗が冷蔵庫を開け、尋ねてくる。
「どうぞ」
 応えて、ハッとした。
 青年の手にはコップではなく、錠剤が詰め込まれた瓶が握られている。
「体調が悪いのか?」
 絢斗が振り返る。
「違う」
「なら、それは?」
「避妊薬。これで、あんたも安心だろ?」
 錠剤は別物だが、効果が同じものを数時間前に飲ませた。
 薬を口に入れようとする絢斗に駆けより、腕をとって、服用するのをやめさせた。
「飲まなくていい」
「俺は八つ葉だ。子どもができる可能性がある」
 もう、服用済みだと言いかけ、言葉を続けることができなかった。
「いいから。飲むな」
 用法を守らないことで、絢斗が苦しむかもしれない。
「なんでだよ」
 絢斗が顔をしかめる。
「昨日」
 本当のことを言え。
 順を追って話せば、悲しませず、理解してくれるかもしれない。
 正直に、絢斗のために、アフターピルを飲ませたと言え。
 だけど、それでは、昨夜、絢斗に言ったことが偽りだったと、バレてしまう。
「妊娠しやすくなる薬を飲ませた、から」
「え?」
 神薙は自分の口から出た嘘に、驚愕した。
 絢斗は栄養剤を飲んだことを、覚えていないようだった。
「あんたの意思で飲ませたのか?」
「……ああ」
 飲ませた行為は真実だ。
 絢斗の手から瓶が落ち、錠剤が床に散乱した。
「俺」
 青年が一点を見つめながら、腹部に触れる。
「産んでいいの?」
 絢斗の必死な視線が神薙を射貫く。
「もし、できたなら、あんたの子どもを産んでいいのか?」
「ああ。けど、できなかったら、甦禰看さんの診察を受けて、自分の体と向き合うんだ。子どもはそのあと、本当に好きな相手と望むべきだ」
「どうして、あんたじゃ駄目なんだ? 子どもができてもいいって思ってくれたんだろ?」
「僕は思ったよ。だけど、君はそうじゃないだろ。まだ、若いんだ。恋をしてからでも、遅くはない」
「恋なんてしなくていい!」
 絢斗の悲鳴のような叫びに、神薙は押し黙った。
「だいたい、こんな体じゃ、誰も好きになれない。あんたも、昨日、見ただろ? 俺、いれられるとおかしくなるんだ。発情すると見境なくなるんだ。恋なんてしなくていい。好きになってもらわなくてもいい。子どもをくれるなら、それでいい」
 好きだと言えばいいのだろうか。
 だけど、彼は神薙に愛を求めていない。
 さしずめ、子どもを作るための道具だ。
 子どもができたら、道具は不要になる?
 それとも、今度は金を引き出すためのATMに早変わりか?
 絢斗が傍にいてくれるなら、どのような関係でもいい。
 ただ、絢斗はそれじゃあ、幸せになれない。
 神薙は相手が自分だから、絢斗を追い詰めるのだと思った。自分だから、絢斗から選ばれない。
 絢斗が昨夜のことをどこまで覚えているかは、定かではない。だが、神薙を好きでもないのに求めるのは、たぶん、“初めて”を共有したことで、刷り込みに似た感情が生まれたからだろう。そして、本当の意味での刷り込みではないから、きっと、神薙が絢斗を拒めば、彼はまた、別の誰かの後を追おうとする。
 その人が絢斗を愛してくれたならいい。
 絢斗がその人を愛しているならいい。
 そうでないなら、神薙と立場が変わらない。
 同じ土俵にいる人間に、絢斗を渡したくはなかった。
「僕でいいなら、君に好きな人ができるまで、傍にいる」
「誰も好きにならなかったら?」
「死ぬ時まで、一緒だ」
「じゃ、じゃあ、子どもは? 子どもができなかったら?」
「ふたりで、人生を楽しめばいい」
 絢斗が床にへたり込む。
 じわりと青年の瞳が濡れた。
 神薙は膝をつき、青年の顔を覗いた。
「どうした?」
「心臓が痛い」
「救護班に連絡をとる」
 焦って立ち上がろうとする神薙を、絢斗が引きとめた。
「あんたが診て」
 青年は顔を赤らめ、神薙の手を、シャツの内側にある胸の突起へと誘った。
 発情の甘い香りは消えていた。
 神薙も、絢斗も、意識ははっきりしていた。
 会議に行かなければいけない。
 昨日、片付けられなかった業務もしなければ。
「ん……」
 絢斗が神薙の指で、乳首を愛撫する。
 好きな男の痴態だ。
 耐えられなかった。
 絢斗のシャツをたくし上げ、心臓のあたりに口づけ、青年の手で誘導された指の下にある突起を潰してこね、もう片方を甘噛みした。
 絢斗の喘ぎ声がやさしい。
 神薙は青年を横に抱き、ベッドに運んだ。
 絢斗のとろんとした眼差しに引き込まれるように、口づけた。
 絢斗が後を追ってきてくれる限りは、応えようと思った。
 そして、同時に、絢斗が神薙から逃げる足枷にならないよう、子どもは作らないと決めた。
 行為は挿入をせずに終えた。絢斗は不服そうだったが、無理をさせたくなかった。まどろむ青年に、思い立って、名前を聞いた。
「あんたから名乗れよ」
 つっけんどんに返される。
 甘くないピロートークだった。
 本当に、嫌われているんだな。
 従順なのは、子どもに直結する行為の時だけか。
「神薙渉だ」
「ふうん」
 言って、背中を向けられる。
 深追いすると、よけい嫌われそうで、何も言わずに、ベッドから出た。
「会議に行ってくる。施設は複雑だから、僕が来るまで、ここにいてくれ。昼には戻れるよう努力する。月見里君達に会いに行こう」
 絢斗はうんともすんとも言ってくれない。
 発情していない時の行為は、彼から誘ってきたとしても、御法度だったか。
 神薙はネクタイをしめずに、背広を羽織った。
「じゃあ」
 部屋を出る間際、布団に頭までくるまる絢斗を見た。
 セックスをしているからといって、距離感を間違えてはいけない。
 絢斗が愛する人を見つけるまでの、踏み台になる覚悟をしたのだ。
 寂しいなんて思うのは、身勝手すぎる。
 壁の装置を操作し、ドアのロックを解除した。
「野岸絢斗」
「!」
 布団から顔だけ覗かせ、絢斗が呟く。
 気まずそうな彼の頬がほんのり染まっていた。
 絢斗が構ってくれた喜びで、目尻が下がる。
 彼にかかれば、自分はこんなにもチョロい。
「いってくる、絢斗」
 青年は真っ赤になり、布団にうずくまった。
 もし、絢斗が自分を好きになってくれたら。
 考えて、横行際の悪い自分に苦笑し、また、観念した。
 絢斗を好きな気持ちは偽れない。
 だから、そこだけは真実であり続けよう。
 そのためには、彼を好きでいても良いと思える、自分にならなければ。
 神薙は背筋を伸ばし、部屋を出た。
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