クローバー

上野たすく

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「味はわかるんだって、朔が教えてくれました」
 過去を思い出してか、青年はやさしく笑んだ。
「できるだけのことをしてあげたいんです」
 そう言って、心を砕かれる人を、何人も見てきた。
 やめておけ、と否定するのは簡単だ。だから、神薙は経験で作られた心地よいシナプスの思考回路ではない、新しい回路を切り開くよう努めた。
 その最初の一歩は、頷くことだった。
 月見里は、こちらが完全に納得をしていないことに気づいたのか、謝罪してきた。
「俺が決めたことです。迷惑はかけません」
 まったく違う場面なのに、神薙の脳裏を、一人の男が過ぎった。その同僚は、クローバー病の患者が出始めた頃、飯島の元で調査や報告を担っていた。上司やメディア、応対した国民、そのあらゆるプレッシャーを独りで背負わされ、仕事の半ば、自ら命を絶った。遺書もなくこの世を去った男には、その年、生まれたばかりの子どもがいた。
 彼は、誰にも相談せず、仕事に打ち込んでいた。彼も、誰かを頼ることや、問題から逃げることを、悪だと思っていたのだろうか。
「僕は迷惑をかけられた方が、うれしかった」
「え?」
 聞き返してきた若い声に、神薙は意識を過去から現在へと戻した。
 いつだったか、政治家から自己責任という言葉が広がり、その手の本が何冊か出版された。それは、国側が国民へ対して使用するのに、便利な言葉だったのだろう。当時、神薙は子どもだったが、違和感と強烈な恐怖を抱いたことを覚えている。
『自己責任』は人と人とを切り離し、無理矢理、決着をつける言葉だからだ。
 神薙は拳を握りしめた。
「たとえ、自分が決めたことだろうが、辛いと思ったなら、今のやり方を諦め、誰かを頼る勇気も必要だと思うんだ。それは、できなかったことへの、前向きな向き合い方だ。だから、未来を切り開ける。それに、君は、甦禰看さんの願いを、忘れたわけじゃないだろ? 彼女も、君と朝波君から頼られたいんだ。一人になろうとしなくて良い。独りでがんばらなくて良いんだ」
 月見里はこちらを見つめたまま、言葉を噛み砕いき、理解しようとしているようだった。
 神薙は苦笑し、袋をベッドに置いた。
「説教臭くなってしまったな。朝波君のこと、見ているよ」
 月見里は朝波をベッドにおろし、神薙へ頭を下げると、朝食の入ったビニール袋を持って、キッチンへと走っていった。
 青年は決意を改めたような大人びた表情をしていた。
 神薙は朝波と遊びながら、自分が月見里に頼ろうとしていた気持ちに蓋をした。
 今、彼は朝波のことで一杯一杯だ。別の何かが入れば、水がコップから零れるように、彼の感情が溢れ出してしまうかもしれない。
 想いを実現させるには、多少の犠牲を払うこともある。けれど、今回の犠牲は神薙が容認できないものだった。
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