クローバー

上野たすく

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「勉強の件だが、場所は僕の部屋でして欲しい。食べ終わったら、移動してもいいか?」
「はい。お願いします」
 神薙は微笑み、頷いた。
 そうしてから、朝波の口へかゆを持っていく傍ら、この部屋に必要な物をリスト化し、また、試験をどう突破すべきか考えた。
 自分は彼らより長く生きている。だからこそ、そのぶん、彼らが歩く道を、少しだけ整備することができる。それが先に歩く者の義務だ。
 しかし、また、強要はすまい、とも思った。朝波朔の心を傷つけた、己の至らなさを、忘れることなど、できるはずもなかった。



 月見里と朝波と共に部屋へ戻ると、絢斗は驚きを露わにした。絢斗は神薙が仕事用に使っているデスクで、ノートにペンを走らせ続けていたようだった。神薙が月見里の目的を話すと、彼は怒りとも悲しみともとれる表情で、神薙を見つめた。神薙は絢斗がどうしてそのような顔をするのかわからず、困惑した。
「神薙さんは関係ない」
 月見里は朝波を背負いながら落ち着いた声で、絢斗の無言の問いに応えた。
「班員試験のことは、俺が自分で決めた。野岸が言ってくれた言葉は覚えている。だけど」
 月見里が言いよどむ。
 絢斗はそんな青年に微笑んだ。
「月見里の未来は月見里のものだ。アドバイスは、あくまでアドバイスであって従わせるためのものじゃない。試験、がんばろうぜ。お互い」
 月見里は肩の力を抜き、唇を伸ばした。
「ああ」
 月見里の視線が絢斗の手元へいく。
 絢斗のノートには、神薙が書いたひらがなの見本と、練習の跡があった。
 月見里は顔色を変えなかったが、絢斗は苦笑した。
「俺はここからだ」
 月見里は返事に窮しているようだった。
「勉強に遅いも早いもない」
 神薙が呟くと、絢斗と月見里がこちらを見た。
「それに、やれるとき、やろうと思ったときが、物事を行うのには良い潮時だと、僕は思う」
 月見里は唇を伸ばしてくれたが、絢斗は怒ったように神薙から目線を逸らした。
 機嫌を損ねることを口にしてしまったのだろう。
 何がいけなかったのか。
 問いたかったが、耐えた。
 まずは、自分で考えなければ。
 神薙が己に宿題を課したとき、背広の懐にあったスマートフォンが鳴った。
「すまない」と断りを入れてから、電話に出ると、神薙と同じように飯島の元へ配属された、本陣勝彦ほんじんかつひこの低音が響いた。
「どこで何をしている? 上司がご立腹だぞ」
「すみません。急用が入ってしまって」
「あと、どれくらいで来られる?」
「午前中いっぱい、時間をもらえませんか? 午後には出勤できると思います」
「神薙……」
 重々しい嘆息が返ってきた。
「すみません。班員試験について、月見里君と話がしたいんです」
 しばらくの沈黙のあと、本陣は「わかった」と承諾してくれた。
「飯島さんにはそれを含めて伝えておく。うまく引き込めよ」
 本陣は月見里が班員試験を受けたいと希望していることを、知らない。
 だからこそ、これが神薙の所属する組織の本音だと、再認識した。
 本陣の言い方は、月見里を駒として扱っているようで、息苦しくなる。
 そうか、これが差別か。
 あっちとこっち。
 線引きをしそうになり、神薙は踏みとどまった。
 人に、あっちもこっちもない。
「はい」
 心を殺して、そう言い、電話を切ってすぐ、神薙は月見里を振り返った。
「すまない。君の名前を出した」
「いえ。俺が班員試験を受けることは、いずれ、わかることですから」
 神薙は目をふせ、礼を言った。
「指令班が今までの試験問題をストックしているはずだ。もらってくるから、適当にくつろいでいてくれ」
「はい」
 神薙は月見里から絢斗へと視線を滑らせた。
 青年はまだ、あらぬ方角を向いている。
「絢斗も」
 相手は首を微かに動かしたが、それは肯定したのでも否定したのでもないことくらい、神薙にもわかった。
 どうしたら、機嫌を直してくれるのか。
 自分は好きな人が、何を好むのかも知らない。
 そちらも、今後の課題だな。
 今は、せめて、悩んでいることが漏れぬようにと、口角を上げ、部屋を出た。
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