クローバー

上野たすく

文字の大きさ
101 / 120

101 (一心視点)

しおりを挟む
「悪い。邪魔だったな、俺達」
 一心が謝罪すると、野岸は首を左右した。
 青年は両目を押さえて熱を冷ますよう息を吐き出し、顔を片手で覆ったまま、別の部屋へと駆けていった。
 朔が顔を覗き込んでくる。一心は微笑み返した。
奥の部屋で水が流れる音がする。
 一心は笑顔を引っ込めた。
 野岸は泣いてはいなかったけれど、泣くのを我慢するように唇を噛みしめていた。
 野岸が自分の学力を卑下したとき、神薙がフォローをした。直後、野岸の瞳が湿り気を帯びた。彼はそれを見られたくなかったのだろう。見られたら、話題にあげられるから。
 もし、部屋にいたのが、野岸と神薙だけであったなら、野岸は違う行動に出られたかもしれない。
 人は良くも悪くも、他者の存在で行動を曲げられるのだろう。
 ほどなくして戻ってきた友人は、赤い目をしていた。
 顔に水をかけたのだろう。前髪が濡れている。
「邪魔じゃないから」
 ぶっきらぼうに言う相手に、一心は小さく頷いてみせた。
「立っているの、大変だろ? こっちの椅子でもいいけど、朝波と二人だと狭いからな。ベッドで休んでくれ」
 この部屋に、ベッドは一つしかない。
「神薙さんが来るまで、このまま待っているよ」
「なに、遠慮して」
 俯いたのが悪かったのか、野岸は一心が躊躇う理由に気づいたらしかった。
「あいつは適当にくつろいでくれって言っていたし、俺も気にしない」
 押し殺した声で、そう言う。
「ありがとう。でも、足腰は強い方だから」
 暗に断ると、野岸は小さく首を縦に振って、口を閉ざしてしまった。
 思い詰めたように眉を歪めている。
 一心はずり落ちてくる朔を、上へとあげた。
「ごめん」
 突然の謝罪に、一心は耳を疑った。
「あいつは、朝波を今の状態にさせた。それなのに、俺」
 野岸は沈痛な面持ちで、足下を見た。
 朔の記憶がなくなったと、甦禰看から教えられた日、一心は、また、神薙が野岸を名前で呼んでいたことから、彼らの距離が一気に縮まったことも知った。そのとき、マイナスな感情は浮かばなかった。
「野岸は、神薙さんのこと」
 核心を問おうとすると、相手は顔を赤らめて、体を丸めるように縮めた。
「たぶん。……でも」
 野岸の瞳が不安げに揺れる。
「あいつは違う。俺じゃなくても、あいつは」
「神薙さんに、自分の気持ちは伝えたのか?」
 野岸は揺れる瞳のまま、こちらを見て、怯えたように笑んだ。
「今、言ったって、いい結果にはならない。逆に、あいつが俺を重いって言って、突き放すかもしれない」
 野岸は震える手で額をおさえた。
「終わらせたくないんだ。あいつの、ただ一人になれなくても、可能性があるなら」
 神薙が野岸に、冷たい態度をとるとは思えない。
 だが、野岸の不安も演技ではない。
 たぶん、神薙は、一心に見せない一面を、野岸に見せているのだ。
「月見里……。俺は間違っているか?」
 ドキリとするほど、曇りのない眼差しだった。
 一心の、深いところの感情のみを欲するような、綺麗で脆い瞳だ。
 後ろで、朔が言葉にならない声をあげる。
 おかげで、冷静さを取り戻せた。
「間違っているかどうか、決められるのは、野岸だけだ」
 野岸の瞳が一心に固定される。
「けど、野岸が決めたことだったとしても、俺が我慢できなかったら、そのときは、言うことは言う」
「なんだよ、それ。後出しじゃんけんかよ」
 野岸は力なく苦笑した。
「恋愛は人の感情だ。どう転ぶか、わからない。俺も、自分の想いに気づいたのは、つい最近だったし。何がきっかけになるか、正確なことは、誰にも言えない。だから、後出しは俺に任せて、野岸は正々堂々、神薙さんとぶつかってきたらいい」
 相手は考えをまとめるように、深く息を吐いた。
「俺、怖いんだ。気持ちを緩めてしまったら、引き返せない。あいつと一緒にいたいのに、すべてを見せることが、怖い。人と関わることって、こんなにも怖いんだな。ドラマやアニメじゃさ、色々な登場人物の気持ちとか、昔あったこととか、そういうのがわかるだろ? でも、現実じゃ、わからないんだ。そんなこと、月見里には今更だろ? でも、俺にはそうじゃない。俺、本当に経験不足だ。俺、今まで、ほんと、何、してきたんだろ?」
「きっと、野岸だけじゃないさ。生き方を、後悔しているのは」
 こちらが微笑むのを見て、野岸は呼応するように笑んだ。
「あと、朔が記憶をなくしたことと、野岸の気持ちは別問題だからな」
 言うと、彼は笑みを消した。
「俺は野岸のこと、応援している」
 沈黙のあと、小さなありがとうが鼓膜を震わせた。
 一心は微笑んでから、朔を上へとあげた。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

壁乳

リリーブルー
BL
ご来店ありがとうございます。ここは、壁越しに、触れ合える店。 最初は乳首から。指名を繰り返すと、徐々に、エリアが拡大していきます。 俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 じれじれラブコメディー。 4年ぶりに続きを書きました!更新していくのでよろしくお願いします。 (挿絵byリリーブルー)

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

水泳部合宿

RIKUTO
BL
とある田舎の高校にかよう目立たない男子高校生は、快活な水泳部員に半ば強引に合宿に参加する。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

処理中です...