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第2章 王都フレンテと魔王の影
31話 黒い竜と青い薬
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「ゴアアアアァッ!!!!」
突如治療院に襲来した黒いドラゴンの怒りの咆哮が轟く。先ほどから緊急事態を告げるようにけたたましい鐘が王都中でなっているようだが、その咆哮は鐘の音すらかき消すほどの大音響。ビリビリと大気が震え、一度は破った金縛りに再びかかりそうになってしまう。ドラゴンの鳴き声に俺が本能的におびえているのか、あるいは魔法的な効果があるのか、なんてことを考えていると、左からドラゴンの声にも負けないようなトレトさんの怒鳴り声が聞こえてくる。
「いいか、瓦礫の中にはまだ生存者がいる可能性が高い! だからどうにかしてこいつをここから離すぞ!!」
「でもどうやって!? 治療院の外だって人がいるんだぞ!」
俺が今日死闘を繰り広げた大ガニの魔物オーベルセルムでさえ全長は三メートル弱だったのだ。全長十メートルはあろうかというこのドラゴンをどう捌けばいいのか、欠片もイメージが浮かんでこない。
そうこうしているうちにドラゴンは俺たちに向かって飛びかかってきた。こんな巨体が軽々と躍動できることにはもはや呆れ返るばかりだが、文句を言っていてもこの絶体絶命の状況は打破できない。俺とトレトさんは後方の女性を両側から掴むと思い切り後ろに飛びずさった。寸前まで俺たちが立っていたところをドラゴンの凶悪極まりない腕が抉る。良かった、どうやら体が大きいだけあって動きが大振りなので比較的回避はしやすいようだ。しかしあんな攻撃が当たれば待つのは間違いなく、死ただ一つのみ。
「お前、今マナ切れだったよな?」
「え? まあそうですね」
トレトさんの突拍子もない質問に疑問を覚えていると、トレトさんは空いている左手で上着をまさぐって何やら小さな小瓶を取り出した。ドラゴンを睨みつけたまま、深い青色の液体が入ったそれを俺に渡してくる。
「超高濃度のマナポーションだ。普通は希釈して使うが今はそんなことしてられねえ。恐らく体に拒絶反応が出るだろうが一回ぐらいなら大丈夫なはずだ。我慢して飲め」
超高濃度? 普通は希釈? 拒絶反応? 物騒な言葉が立て続けに聞こえてきて、トレトさんが手渡してきた青い薬瓶が途端に猛毒に見えてくる。しかし一刻を争う状況なのだ、そんなことで立ち止まっている暇はコンマ一秒たりともない。覚悟を決めた俺は小瓶の栓を抜くと一息に呷った。やたらとスース―するミント感のある香りが鼻を抜け、冷たい液体が喉の奥に流れ込んでいく。飲み干して少し経った後も何も起こらないので別に拒絶反応なんてないじゃないかとトレトさんに抗議しようとした瞬間に、心臓がドクンと大きく脈打った。直後何かが体内を侵食するような異物感とともに血管に熱湯を流し込まれたのかというほどの熱が胸を中心に全身に遷移していく。オーベルセルム戦で負った怪我の部分が特に燃えているように熱くなり視界がチカチカと明滅する。
無限とも一瞬とも思える時間が経過した後ぴたりとその異物感と熱が止み、代わりに怪我の痛みが消失した。マナも十分すぎるほどに体内に満たされている感覚がある。
「……ありがとうございます。大丈夫です、もう戦えます!」
「あ、ああ」
何やら驚いた様子のトレトさんに空になった小瓶を返すと、俺は元通りに回復した右手で勢いよく長剣を引き抜いてドラゴンに相対した。なぜだか体の調子はオーベルセルムと戦う前よりもはるかに良いし、尋常ではないほど体が軽い。両手に握ったそれぞれの刃を後方に引き絞った状態で俺はドラゴンに向かって全力で疾駆する。急速に迫ってくる俺を迎撃するためにドラゴンは大きく口を開く。体表の黒色に気味が悪いほど映える真紅の口内でチカチカと赤い光がちらつくのが一瞬見えた。
「ゴアアアアアアアアッ!!!」
直後、雷を思わせる咆哮に追従するように真っ赤な極太の火炎が俺に向かって吹きつけられる。何の仕掛けもない生き物の体内から炎が吐き出されると、こんなにも違和感のある光景になるとは思いもしなかった。迫りくる爆炎に目を瞑りそうになるのを必死にこらえて、俺は後方に引き絞った得物を火炎に向けて斜め上にクロスを描くように振り払った。俺の薙いだ剣たちは纏いを発動していないにもかかわらず深い紫色の光の軌跡を描きながら火炎を十字に切り裂き、拡散した炎の向こうにドラゴンの驚愕した顔面が現れた。そのままの勢いのまま手首を返して頭上に長剣を振り上げると、今度は斜め下に向かって思い切り振り下ろす。紫の尾を引きながら放たれた斬撃は竜のマズルに衝突すると、その頑強な黒い鱗を打ち破って斜めに切り裂いて見せた。絶叫を上げながら反撃とばかりに繰り出される長い尾の鞭のような攻撃を自分で驚くほどの反射神経で屈んで躱すと、バックステップで一旦ドラゴンとの距離を取った。
なんとなくだが自分がこれほどまでに動ける理由が分かった気がする。多分、纏いを日常的に発動させていたために余剰分のマナが無意識のうちに発動された纏いによって消費されているのだろう。その証拠に俺が動くたびに発散されていた紫色の光は纏いのそれに酷似しているのだ。
「おおおッ!!」
そんなマナだだ洩れ状態の俺はさらに右足にマナを集中させて纏いを発動させ、一直線にドラゴンの方へ跳躍した。低空を跳んでいる、いや、もはや飛んでいる俺に向かってドラゴンが腕を振り上げる。この速度でドラゴンの鋭い爪の生えた腕に衝突すればひとたまりもあるまい。紫のロケット、もとい俺は、剣を頭上に構えるとと纏いを発動させて鉛直方向に振り下ろした。ドラゴンへ飛来する俺の体は縦方向の強烈な力が加えられたことで高速で回転し始め、巨大な丸鋸となってドラゴンの手を切り飛ばした。そのまま俺はぐるぐると回転しながら地面に着地し、ごろごろと瓦礫の上を転がって後やっと制止した。いくらマナで体を制御したとしてもさすがに体の耐久性と三半規管は強化できないようで、俺はぐるぐると回る視界の中、転がってぶつけた体のあちこちの痛みに喘いでいた。
「グルルアアアッッ!!!」
何とか剣を杖にして立ち上がった俺の耳にドラゴンの苦痛の叫び声が届く。俺たち人間なら(この世界でも恐らく)腕が再び映えることなんてないと思うが、こいつは魔物なのだ。オーベルセルムのように腕が再生するという可能性も否定はできない。
頭を振って回転酔いから復帰した俺が剣を構えて様子をうかがっていると、何を思ったのかドラゴンは絶え間なく血を流し続ける手首に齧り付いた。そして口端から赤い光を発したかと思うと断面に向かって火炎を吹き付ける。ジュー! という肉が焼ける音ともに焦げた匂いがあたりに広がる。信じられないことに恐らく奴は焼灼止血をしているのだ。
しばらく火を当てて完全に血が止まったのを確認すると、ドラゴンは激しい怒りに満ちた相貌で俺を睨みつけてきた。しかし先ほどの一件で俺に向かって行くことが得策ではないと感じたのか、すぐにはこちらに向かってこない。ならばこちらから攻めるまでだとマナを集めて纏いを発動しようとしたその時、ドラゴンの翼全体が淡く緑色に光った。直後、台風のような烈風が吹き荒れ、なす術もなく後方に吹き飛ばされる。両手両足で踏ん張って正面を見た俺の視界には先ほどまでいたはずのドラゴンの姿がない。まさか、と思い素早く見上げた空に奴の巨体が浮かんでいた。ゆっくりと羽ばたきながらこちらを見ている姿は、恐怖など通り越してもはや神聖さすら感じさせる。
緑の光──恐らく風属性の魔法の光──を鱗粉のように振りまきながら浮遊するドラゴンは上体を逸らして空気を吸い込み始めた。今までに見たことのないモーション、何が繰り出されるのか全くの未知。しかしそのすぐ後にその行動の正体が判明した。空を飛ぶドラゴンはシルエットが変わるほどに空気を吸い込んだ後、こちらに向けて大きく口を開いた。影になって暗い口の中に除くのは、ちらちらと輝く赤い光。
「炎が来るぞおッ!! みんな逃げろおッ!!」
周囲にどれだけの人がまだいるのかわからないが、ここが治療院だという関係上、すぐには退避できない人がまだ瓦礫の下にいる可能性がある。なんとしてでもこの火炎を防ぎ切らなければなるまい。
「トレトさん! 今わかっているだけのけが人を連れて出来るだけ離れてください!! 俺が何とかしますッ!」
ドラゴンのいつやってくるかわからない火炎を見張りながらトレトさんに叫んだ。返事はないが、トレトさんが人を連れて離れていく音は聞こえる。トレトさんたちが逃げたのを確認した俺は、深く深呼吸すると剣を納めた右手に左手を添えてドラゴンに向けた。
「……行くぞ! テネロ・エメルゲ・スフェウ・ラド:トゥワウデク・トゥ・トゥワウデクピントオーン・ゼニト:ゼル・トゥ・トレイ・ソルド・ルーンッ!!」
式句を唱え終わった途端、俺の真上に漆黒の巨大な盾が形成された。式句の中で使われる数字は一=だいたい六十センチメートルという具合なので、半径約十三メートル、厚さ約六センチメートルの球を切ったような大盾が今俺とドラゴンとの間にあるというわけだ。普段の魔法の連取や狩りでの使用とは比べ物にならないほどの膨大さで、凄まじい勢いで体内のマナが消費されていっているのが分かるが、トレトさんの薬のおかげで攻撃一回くらいなら何とか持ちこたえられそうだ。
魔法の大盾が出現した直後、ドラゴンの劫火が降り注いできた。一度目の火炎放射とは桁違いの威力、熱量でまるでいつかテレビ番組で見たバックドラフトのようだ。幸い引火しているガスは密度が小さく、おかげで地面にまでは到達していないが、大盾の外周から防ぎきれなかった炎がちらちらと顔を出しており、額に嫌な汗が一筋流れていくのが分かった。
奥歯を砕きそうなほど噛みしめながらマナを振り絞って衝撃に耐え続けていると、次第に火炎の威力が弱まってきた。しかし同時に黒い盾にびしりと深いひびが入る。
「お、おおおぉッ!!」
マナが体内を巡っていくのがはっきりと分かるほどに高速でマナが変換・消費されていき、ついに辛うじて黒盾を維持したまま豪炎を防ぎ切った。脱力した瞬間に盾が音を立てながら粉々に崩壊していき、俺の目にも火の息を吐き終えて心なしか疲弊しているように見えるドラゴンの姿が映った。
攻めるなら今しかない。倒壊した治療院の残骸と思われる木の柱が突き出ている箇所を発見した俺は、足にマナを限界まで集中させつつダッシュで柱に接近して先端まで登り、これ以上進むと落ちるという所で纏いを発動させてドラゴンの方へ向かって飛び出した。尋常ではない速度で蹴り出された足は太い木の柱をへし折りながらかっ飛び、投擲された槍のように放物線の光の尾を描きながら奴に向かって進んでいく。顔面を叩く風、そしてあり得ないほどの高度に目を瞑りそうになるのをこらえてドラゴンの翼に狙いを定めると、剣を引き抜いて再びの纏いを発動させて進路を鋭角に標的目がけて思い切り振り抜いた。
「届けええええええッ!!!」
いつもより体感二倍の紫光を放ちながら薙いだ一閃は、ドラゴンの翼が付いた左腕の根元に直撃すると硬質な衝撃を腕にまで伝えた後、ザクン! と小気味よい音を響かせながら腕を切り飛ばした。
「ゴアアアアァァァァ」
ドラゴンが推進力を失って回転しながら落下していくのと同時に、俺も地面に向かって進み始めた。ここでようやく俺は安全な落下の仕方を考えるのを忘れていることに気がついた。その間も俺の体はどんどん加速しながら地面に接近していく。
「うおああぁぁぁぁぁああああッ!!」
俺は情けない悲鳴を上げながら落下していった。
突如治療院に襲来した黒いドラゴンの怒りの咆哮が轟く。先ほどから緊急事態を告げるようにけたたましい鐘が王都中でなっているようだが、その咆哮は鐘の音すらかき消すほどの大音響。ビリビリと大気が震え、一度は破った金縛りに再びかかりそうになってしまう。ドラゴンの鳴き声に俺が本能的におびえているのか、あるいは魔法的な効果があるのか、なんてことを考えていると、左からドラゴンの声にも負けないようなトレトさんの怒鳴り声が聞こえてくる。
「いいか、瓦礫の中にはまだ生存者がいる可能性が高い! だからどうにかしてこいつをここから離すぞ!!」
「でもどうやって!? 治療院の外だって人がいるんだぞ!」
俺が今日死闘を繰り広げた大ガニの魔物オーベルセルムでさえ全長は三メートル弱だったのだ。全長十メートルはあろうかというこのドラゴンをどう捌けばいいのか、欠片もイメージが浮かんでこない。
そうこうしているうちにドラゴンは俺たちに向かって飛びかかってきた。こんな巨体が軽々と躍動できることにはもはや呆れ返るばかりだが、文句を言っていてもこの絶体絶命の状況は打破できない。俺とトレトさんは後方の女性を両側から掴むと思い切り後ろに飛びずさった。寸前まで俺たちが立っていたところをドラゴンの凶悪極まりない腕が抉る。良かった、どうやら体が大きいだけあって動きが大振りなので比較的回避はしやすいようだ。しかしあんな攻撃が当たれば待つのは間違いなく、死ただ一つのみ。
「お前、今マナ切れだったよな?」
「え? まあそうですね」
トレトさんの突拍子もない質問に疑問を覚えていると、トレトさんは空いている左手で上着をまさぐって何やら小さな小瓶を取り出した。ドラゴンを睨みつけたまま、深い青色の液体が入ったそれを俺に渡してくる。
「超高濃度のマナポーションだ。普通は希釈して使うが今はそんなことしてられねえ。恐らく体に拒絶反応が出るだろうが一回ぐらいなら大丈夫なはずだ。我慢して飲め」
超高濃度? 普通は希釈? 拒絶反応? 物騒な言葉が立て続けに聞こえてきて、トレトさんが手渡してきた青い薬瓶が途端に猛毒に見えてくる。しかし一刻を争う状況なのだ、そんなことで立ち止まっている暇はコンマ一秒たりともない。覚悟を決めた俺は小瓶の栓を抜くと一息に呷った。やたらとスース―するミント感のある香りが鼻を抜け、冷たい液体が喉の奥に流れ込んでいく。飲み干して少し経った後も何も起こらないので別に拒絶反応なんてないじゃないかとトレトさんに抗議しようとした瞬間に、心臓がドクンと大きく脈打った。直後何かが体内を侵食するような異物感とともに血管に熱湯を流し込まれたのかというほどの熱が胸を中心に全身に遷移していく。オーベルセルム戦で負った怪我の部分が特に燃えているように熱くなり視界がチカチカと明滅する。
無限とも一瞬とも思える時間が経過した後ぴたりとその異物感と熱が止み、代わりに怪我の痛みが消失した。マナも十分すぎるほどに体内に満たされている感覚がある。
「……ありがとうございます。大丈夫です、もう戦えます!」
「あ、ああ」
何やら驚いた様子のトレトさんに空になった小瓶を返すと、俺は元通りに回復した右手で勢いよく長剣を引き抜いてドラゴンに相対した。なぜだか体の調子はオーベルセルムと戦う前よりもはるかに良いし、尋常ではないほど体が軽い。両手に握ったそれぞれの刃を後方に引き絞った状態で俺はドラゴンに向かって全力で疾駆する。急速に迫ってくる俺を迎撃するためにドラゴンは大きく口を開く。体表の黒色に気味が悪いほど映える真紅の口内でチカチカと赤い光がちらつくのが一瞬見えた。
「ゴアアアアアアアアッ!!!」
直後、雷を思わせる咆哮に追従するように真っ赤な極太の火炎が俺に向かって吹きつけられる。何の仕掛けもない生き物の体内から炎が吐き出されると、こんなにも違和感のある光景になるとは思いもしなかった。迫りくる爆炎に目を瞑りそうになるのを必死にこらえて、俺は後方に引き絞った得物を火炎に向けて斜め上にクロスを描くように振り払った。俺の薙いだ剣たちは纏いを発動していないにもかかわらず深い紫色の光の軌跡を描きながら火炎を十字に切り裂き、拡散した炎の向こうにドラゴンの驚愕した顔面が現れた。そのままの勢いのまま手首を返して頭上に長剣を振り上げると、今度は斜め下に向かって思い切り振り下ろす。紫の尾を引きながら放たれた斬撃は竜のマズルに衝突すると、その頑強な黒い鱗を打ち破って斜めに切り裂いて見せた。絶叫を上げながら反撃とばかりに繰り出される長い尾の鞭のような攻撃を自分で驚くほどの反射神経で屈んで躱すと、バックステップで一旦ドラゴンとの距離を取った。
なんとなくだが自分がこれほどまでに動ける理由が分かった気がする。多分、纏いを日常的に発動させていたために余剰分のマナが無意識のうちに発動された纏いによって消費されているのだろう。その証拠に俺が動くたびに発散されていた紫色の光は纏いのそれに酷似しているのだ。
「おおおッ!!」
そんなマナだだ洩れ状態の俺はさらに右足にマナを集中させて纏いを発動させ、一直線にドラゴンの方へ跳躍した。低空を跳んでいる、いや、もはや飛んでいる俺に向かってドラゴンが腕を振り上げる。この速度でドラゴンの鋭い爪の生えた腕に衝突すればひとたまりもあるまい。紫のロケット、もとい俺は、剣を頭上に構えるとと纏いを発動させて鉛直方向に振り下ろした。ドラゴンへ飛来する俺の体は縦方向の強烈な力が加えられたことで高速で回転し始め、巨大な丸鋸となってドラゴンの手を切り飛ばした。そのまま俺はぐるぐると回転しながら地面に着地し、ごろごろと瓦礫の上を転がって後やっと制止した。いくらマナで体を制御したとしてもさすがに体の耐久性と三半規管は強化できないようで、俺はぐるぐると回る視界の中、転がってぶつけた体のあちこちの痛みに喘いでいた。
「グルルアアアッッ!!!」
何とか剣を杖にして立ち上がった俺の耳にドラゴンの苦痛の叫び声が届く。俺たち人間なら(この世界でも恐らく)腕が再び映えることなんてないと思うが、こいつは魔物なのだ。オーベルセルムのように腕が再生するという可能性も否定はできない。
頭を振って回転酔いから復帰した俺が剣を構えて様子をうかがっていると、何を思ったのかドラゴンは絶え間なく血を流し続ける手首に齧り付いた。そして口端から赤い光を発したかと思うと断面に向かって火炎を吹き付ける。ジュー! という肉が焼ける音ともに焦げた匂いがあたりに広がる。信じられないことに恐らく奴は焼灼止血をしているのだ。
しばらく火を当てて完全に血が止まったのを確認すると、ドラゴンは激しい怒りに満ちた相貌で俺を睨みつけてきた。しかし先ほどの一件で俺に向かって行くことが得策ではないと感じたのか、すぐにはこちらに向かってこない。ならばこちらから攻めるまでだとマナを集めて纏いを発動しようとしたその時、ドラゴンの翼全体が淡く緑色に光った。直後、台風のような烈風が吹き荒れ、なす術もなく後方に吹き飛ばされる。両手両足で踏ん張って正面を見た俺の視界には先ほどまでいたはずのドラゴンの姿がない。まさか、と思い素早く見上げた空に奴の巨体が浮かんでいた。ゆっくりと羽ばたきながらこちらを見ている姿は、恐怖など通り越してもはや神聖さすら感じさせる。
緑の光──恐らく風属性の魔法の光──を鱗粉のように振りまきながら浮遊するドラゴンは上体を逸らして空気を吸い込み始めた。今までに見たことのないモーション、何が繰り出されるのか全くの未知。しかしそのすぐ後にその行動の正体が判明した。空を飛ぶドラゴンはシルエットが変わるほどに空気を吸い込んだ後、こちらに向けて大きく口を開いた。影になって暗い口の中に除くのは、ちらちらと輝く赤い光。
「炎が来るぞおッ!! みんな逃げろおッ!!」
周囲にどれだけの人がまだいるのかわからないが、ここが治療院だという関係上、すぐには退避できない人がまだ瓦礫の下にいる可能性がある。なんとしてでもこの火炎を防ぎ切らなければなるまい。
「トレトさん! 今わかっているだけのけが人を連れて出来るだけ離れてください!! 俺が何とかしますッ!」
ドラゴンのいつやってくるかわからない火炎を見張りながらトレトさんに叫んだ。返事はないが、トレトさんが人を連れて離れていく音は聞こえる。トレトさんたちが逃げたのを確認した俺は、深く深呼吸すると剣を納めた右手に左手を添えてドラゴンに向けた。
「……行くぞ! テネロ・エメルゲ・スフェウ・ラド:トゥワウデク・トゥ・トゥワウデクピントオーン・ゼニト:ゼル・トゥ・トレイ・ソルド・ルーンッ!!」
式句を唱え終わった途端、俺の真上に漆黒の巨大な盾が形成された。式句の中で使われる数字は一=だいたい六十センチメートルという具合なので、半径約十三メートル、厚さ約六センチメートルの球を切ったような大盾が今俺とドラゴンとの間にあるというわけだ。普段の魔法の連取や狩りでの使用とは比べ物にならないほどの膨大さで、凄まじい勢いで体内のマナが消費されていっているのが分かるが、トレトさんの薬のおかげで攻撃一回くらいなら何とか持ちこたえられそうだ。
魔法の大盾が出現した直後、ドラゴンの劫火が降り注いできた。一度目の火炎放射とは桁違いの威力、熱量でまるでいつかテレビ番組で見たバックドラフトのようだ。幸い引火しているガスは密度が小さく、おかげで地面にまでは到達していないが、大盾の外周から防ぎきれなかった炎がちらちらと顔を出しており、額に嫌な汗が一筋流れていくのが分かった。
奥歯を砕きそうなほど噛みしめながらマナを振り絞って衝撃に耐え続けていると、次第に火炎の威力が弱まってきた。しかし同時に黒い盾にびしりと深いひびが入る。
「お、おおおぉッ!!」
マナが体内を巡っていくのがはっきりと分かるほどに高速でマナが変換・消費されていき、ついに辛うじて黒盾を維持したまま豪炎を防ぎ切った。脱力した瞬間に盾が音を立てながら粉々に崩壊していき、俺の目にも火の息を吐き終えて心なしか疲弊しているように見えるドラゴンの姿が映った。
攻めるなら今しかない。倒壊した治療院の残骸と思われる木の柱が突き出ている箇所を発見した俺は、足にマナを限界まで集中させつつダッシュで柱に接近して先端まで登り、これ以上進むと落ちるという所で纏いを発動させてドラゴンの方へ向かって飛び出した。尋常ではない速度で蹴り出された足は太い木の柱をへし折りながらかっ飛び、投擲された槍のように放物線の光の尾を描きながら奴に向かって進んでいく。顔面を叩く風、そしてあり得ないほどの高度に目を瞑りそうになるのをこらえてドラゴンの翼に狙いを定めると、剣を引き抜いて再びの纏いを発動させて進路を鋭角に標的目がけて思い切り振り抜いた。
「届けええええええッ!!!」
いつもより体感二倍の紫光を放ちながら薙いだ一閃は、ドラゴンの翼が付いた左腕の根元に直撃すると硬質な衝撃を腕にまで伝えた後、ザクン! と小気味よい音を響かせながら腕を切り飛ばした。
「ゴアアアアァァァァ」
ドラゴンが推進力を失って回転しながら落下していくのと同時に、俺も地面に向かって進み始めた。ここでようやく俺は安全な落下の仕方を考えるのを忘れていることに気がついた。その間も俺の体はどんどん加速しながら地面に接近していく。
「うおああぁぁぁぁぁああああッ!!」
俺は情けない悲鳴を上げながら落下していった。
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