泡影の異世界勇者《アウトサイダー》

吉銅ガト

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第3章 蒼き海原と氷雪の砦

68話 絶望と希望を運ぶ冷気

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 俺が軋む体に鞭打って立ち上がるのを待つことなく、アレウエは顔を覆った姿勢のままでその体を支える巨大な茨から蔓を伸ばし俺目がけて薙ぎ払った。鞭のようにしなる茨が音すら置き去りにして俺を真一文字に両断せんと迫って来る。その速度から繰り出される威力も先ほどまでの氷の投擲とは比べ物にならないだろう。妙に冷静な頭でそう考えながらも俺は纏いでマナを集中させるように体内の何かを両足に流れ込ませる。
「……行くぞ」
 氷の茨が右脇腹に肉迫したその瞬間、両足にため込まれたエネルギーを一気に爆発的な推進力に変換し、ロケットのブースターよろしく足から大量の黒い火炎が噴き出す。ブーツが氷の張った石畳を踏み砕く。直後とてつもない加速を体中に感じながら俺は斜め前方に飛び出し、茨の鞭が靴底を浅く削っていった。
 そのままの勢いのままほぼ直線にアレウエに向かって撃ち出された俺を追尾するように次なる茨が駆け抜ける。四方八方から俺だけを標的に振るわれた茨が視界を埋めていく。どうやらアレウエは何としてでも俺の接近を許したくないらしい。だが、俺もこれくらいの困難で引き下がれるほど聞き分けのいい方ではない。猛烈な空気抵抗に逆らって左腕を突き出すと風切り音に負けない大声で魔法を詠唱する。
テネロ闇よエンボード具現化せよルーン魔法実行!!」
 黒い魔法陣から具現化されたのは、俺の体を覆い尽くすほどの黒炎の傘。流れ星を思わせる炎の尾を引きながら俺は茨の格子に突っ込み、無残にも俺の体はぶつ切りになる……ことなく茨を焼失させてさらにアレウエとの距離を縮めた。あと五メートル……、三メートル……。
「なん──」
 アレウエが先ほどまでの威勢を捨て去って驚愕の声を漏らしたその時、ついに俺の体が氷人形の頭部まで到達した。しかしそれと同時に跳躍の放物線の頂点に達してじわりじわりと体が下降を始めた。俺に許された時間はもう一秒の猶予もない。炎の切れ目、そして氷の手を間から俺とアレウエの視線が交差する。
「……ッ!!」
 無言の気合とともに爆発させながら炎を展開する腕を後方に引く。もう何度目か分からない喪失感が俺の胸を襲った後、左腕からも炎が噴き出し具現化した魔法がその形を変え始める。炎が収束し、束ねられ、その火力を増し、ついには一条の長大な刃が練り上げられた。
 俺の一撃を防ごうと顔を抑える腕から氷の槍が伸び俺に向かって飛翔する。咄嗟に躱すこともできず覚悟を固めた直後右腹にどすん! という衝撃と気が狂いそうになるほどの激痛と熱感が襲い掛かってくる。……しかし耐える。無理やりにでも耐える。激しく視界が点滅して閉じかける瞼を強引に開いて奥歯を噛みしめると、しっかり両の眼でアレウエに狙いを定めた。
「い……っけええええッ!!!!」
 己を鼓舞するかのように高らかに叫び、俺は手首を返して斜め上から魔法の大剣を振り抜いた。しなる黒い火炎の剣がアレウエの右肩口に叩きつけられ、間近で鉄を打ったかのような体の芯まで響く大音量が鳴り響く。びりびりと激しい振動を左腕に伝えながらじわりじわりとアレウエの胴体を融かして刃が突き進み、その巨大な体を斜めに分断していく。アレウエが俺の一撃を制止しようと氷の茨で剣を絡め取り、それまで全身を続けていた斬撃がぴたりと止まった。ちらりと覗く融けた顔面がいつになく獰猛な顔をして笑っているように見えた。──だが。
「おあああッ!!」
 言葉にならない絶叫が口から零れ出し俺はありったけの力を左手に注ぎ込む。さらにがりがりと俺を構成する核が削り取られるような、あるいは溶け出しているかのような感覚に襲われた後、左手に握られた黒い剣がさらにその形を変え始めた。細い刃を成していた黒炎は再びその収束を解いて渦を巻き、一瞬の内に絡む茨を焼失させた。そしてその勢いのまま俺の左腕はアレウエの体を切断する途方もない抵抗から解放されて下に振り払われた。
 黒い炎に包まれて落ちていくアレウエの上体を視界の端に捉えながら俺もまた同じように地面に降下していく。急いで魔法を解除して落下する体勢と何とか整え、辛うじて前回り受け身を取りながら地面に着地に成功した。とはいえかなりの高さから落下したので咄嗟に突いた左腕と背中を中心に鈍痛が俺に襲い掛かる。

 肩で息をしながら血をこぼし続ける右腹を押さえて立ち上がり、背後の氷の巨像を振り返ると、アレウエの上半身は半分以上を失い、その損失を庇うように何本もの茨がその体を覆っていた。どうやら人間大のアレウエを両断した時と同様に、大きく体を欠損させた時には一時的に行動不能に陥らせることができるようだ。
 呪いの力で何とかアレウエに対抗できているとはいえこちらも限界が近い。いや、実際のところ限界などとうに通過してしまっているのかもしれない。ただその内に宿る激怒と使命感のみが俺の体を突き動かし続けていた。

 そして、状況が変化し始めた。周囲からパキパキと細枝を手折るような音が段々と大きくなり始め、急激に冷気がアレウエに集まっていく。それに従って、地面に薄く張った氷と広場周辺の建物を覆う氷がじわじわとなくなっていった。この現象、氷の門が再生するときのものと酷似して──。
 頭に浮かんでいた可能性が確信に変わろうとした次の瞬間、失われたアレウエの上半身を覆っていた茨が一気に展開された。見開いた俺の目に、まるで舞台上の役者であるかのように大きく腕を広げる奴の姿が映り込む。精緻な氷の彫刻の瞳に黄金の光が灯り、ゆっくりと振り向く眼光が俺をまっすぐに捉える。周囲の冷気によるものか、あるいはアレウエの目線によるものか、心臓に氷の刃を当てられたかのようなゾクリとする冷感が駆け巡る。
「いい加減にしろよ……」
 着地時に口内を切ったのかいつの間にか口に溜まった血を吐き出し独り言ちながら、俺は横腹を抑える左手を掲げて魔法を詠唱し始めた。こうなればあちらの再生ができなくなるかこちらの体力が尽きるまで何度でも斬り飛ばしてやる。
 練り上げた剣を手にアレウエ目がけて駆けだそうとしたその時、不意に俺の耳にあるはずのない、信じられない音が届いた気がして冷気に当てられていた心臓が目覚めるようにどくんと跳ねた。それはこの事件に巻き込まれるまでは日常的に聞いていて、失ったとさえ思っていた音。俺とカイナ以外の人間の、凍結されていたはずの人間たちの声だった。
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