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第3章 蒼き海原と氷雪の砦
69話 違和感
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冷気とともに消え去った広場周辺の氷、二度目の復活を果たしたアレウエ、そして周囲から聞こえてくる人々の声。連続するこの事象たちを結び付けるとするのなら、つまり、アレウエを倒し続ければ氷漬けにされた町の人を解放することができるということなのかもしれない。実現可能性は限りなく低いがやってみる価値は、ある。
絶望的な戦局の中で一条の希望の光が見えたことで、先ほどまでの魔法で冷たく削られていた精神が少しだけ温かさを取り戻した。大丈夫、まだ戦える。この意志が続く限りは何度でもアレウエを打ち砕いてみせる。
「うおあああッ!!」
魔法で作り上げた剣を握り締めると、己の背中を押すように雄叫びを上げて俺はアレウエに向かって駆け出した。
巨大アレウエとの戦闘が始まって二十分ほどの時間が経過した。人々を氷から解放できると推測してからアレウエの討伐というよりも部位破壊にシフトチェンジし、決死の攻撃で二回奴の再生を促すことに成功した。その度にこの広場を中心にほぼ同心円状に氷の消失が起こり、慌てた様子の人間が動くのが戦いの合間に垣間見える。
何よりも幸運だったのはアレウエが氷から解き放たれた人々に攻撃をしようとしないことだ。関心がないのか、そもそも気づいていないのかは定かではないが、それどころではないほどに俺にヘイトを向けているらしい。
しかし一縷の可能性に賭けた作戦が奇跡的に上手くいっているとはいえ、実際その氷の呪縛の解放範囲は町の全面積の半分にも達していない。
荒い息を必死に押し殺してもう何度目か分からない魔法を詠唱して漆黒の長剣を生み出し、俺は固い石畳を蹴って走り出した。黄金の眼光が俺の突進を感知し振り抜いた茨の鞭を剣で受け流し、生じた隙間を体をよじってぎりぎり通り抜ける。速度を上げながら緩くカーブを描いてアレウエの正面まで駆け抜けると、剣を握る左腕に精神を集中して解放と同時に地面すれすれからまっすぐアレウエに向かって切り上げた。エネルギーの解放によってスピードの上がり続ける剣は黒い火炎を噴き上げてその形態を変貌させ、長大なリーチを持つ刃となってアレウエの胴体とその下にある太い茨の茎に縦一文字の深い溝を刻んだ。斬撃の反動で砕け散った剣を手放し、立て続けに割れ目を狙って魔法の矢を数発撃ちこむ。螺旋を描くようにねじれた矢はじわじわと再生の始まりつつある刀傷に直撃し、びしり! という硬い音を響かせて大きなひびを生み出した。
俺の攻撃が終わらないうちにアレウエの腕が俺目がけて薙ぎ払われる。再生の度に少しずつ変化を遂げていくアレウエの両手には今ではいかにも鋭利な太い氷柱が数本伸びている。食らえば良くてズタズタ、最悪ミンチだ。迫りくる巨大すぎる氷の凶器に原始的恐怖が背筋を這い上って来るのを感じながら、俺は素早く式句を詠唱する。
「テネロ・エメルゲ・ルーンッ!!」
詠唱により生じた魔法陣を起点としてねじくれた黒い木のようなものがとぐろを巻き、俺の体をすっかり覆う大盾が顕現する。直後、真っ黒の盾の向こう側で途轍もない衝撃音が響き渡り、大小の氷の欠片が飛び散った。いつかの惨劇の夜の村でも同じような状況になったなと場違いな記憶が頭の端を巡る中、恐らく”心”と定義されているのであろう体内の何かが一気に持っていかれる不快な虚無感が襲い掛かる。
すぐにでも逃げ出したい弱気な心を強引に叩き出して気力で魔法を維持し続けていると、ついに待ちかねていた瞬間が訪れた。不意にひび割れの時の数倍大きな破裂音が響き渡り、大盾を押し込む超重量が軽減する。耐え続けた魔法を解除すると同時に弾かれたように後方に飛び退った俺の目に深いひびの入ったアレウエの腕が映った。敢えてアレウエの攻撃を避けずに真っ向から受け止めたのはアレウエの攻撃の反動を逆に利用してやるためだったのだ。
魔法の大盾に跳ね返された腕に刻まれたひびがバキバキと肩へ急速に這い上り、先ほど作り出した縦のひびに到達する。一瞬の静寂が広場を包み込んだ後、夥しいガラスを一度に地面に叩きつけたかのようなすさまじい破砕音が響き渡りアレウエの体が真っ二つに分断された。見開いた金色の目が次第に光を失いそのまま花弁が解けるように上体が崩れ落ちていく。これで三回。
アレウエの再生が起こる前兆である冷気が吹き始めたのを感じながら、俺はこのわずかな時間で少しでも体力を回復させようと地面に膝を突いて深呼吸を繰り返していた。完全な復活までの猶予はだいたい一分ほど。けがの治療は無理だが息を整えるくらいならできる。
心臓は戦闘が始まってからずっと早鐘のように拍動し続け不快な耳鳴りが止まない。強く瞼を閉じて各所の鈍痛をこらえていると不意に鼻に生暖かい感覚が生じた。
「鼻血か……?」
血圧が異常に高まったからか、あるいは魔法の使い過ぎか、原因は定かではないが、今まで追ってきた怪我が悲惨な分鼻血がやけに些細なことのように思えてしまう。自嘲じみた乾いた笑いと一緒に鼻血を手で拭った時、やや霞んだ視界が一つの違和感を捉えた。拭った左手とグローブに付いた液体が血にしてはあまりにも黒すぎる。質感は血液とそう変わりないが、その色は墨汁のように黒い。例えるなら魔法で生み出していた剣や炎のような──。
異常な体調に嫌な汗が噴き出したその時、ついにアレウエが何度目かの復活を遂げたことを告げる絶叫が響いた。あと何回アレウエを倒せば町を丸ごと救うことができるのかは分からないが、ここで止まるわけにはいかないというのは変わらない事実だ。仮に再生に要する氷の量が常に等しく、かつ同心円状に氷の消失が起こっているのならば、円の半径の関係上ここから先は次第にその拡大速度が遅くなっていくだろう。
うんざりするような現実を思考からふるい落して俺はアレウエを見上げた。人間大の時点から数えて五回目の再生を終えたアレウエからは初めの頃の面影などとうの昔に消え失せており、先端に向かうにつれ太くなった棘付きの右腕とギザギザの諸刃を持つ剣と化した左腕、幾度となく断ち切った胴体はドレスから重装兵を思わせる氷の鎧へ、そして顔面は黄金色に光る片目のみを残して一輪の茨の花が覆い尽くしている。それらの変化に比例するようにアレウエが放つ威圧感も何倍にも膨れ上がっていた。
「行くぞ……!」
唱えすぎて口が覚えた式句を素早く詠唱して魔法の剣を作り出し俺は走り出す。消耗戦は根負けした方が負けだ。俺の心の中に燃える火が消えない限り、どこまででも走り続けて何度でもその体を打ち砕いてやる。
走る俺が通過するであろう軌道に向かってアレウエが右腕のハンマーを振り下ろした。俺の速度と腕の振りの速度、二物体の距離的に走り抜けるのは恐らく不可能。地面から氷が消え去ったとはいえ急ブレーキや方向転換も間に合わないだろうし、仮に躱せたとて停止すれば次なる攻撃を真正面から受ける必要が出てくる。どうする。最適解を導き出せ。
走る足を止めないまま脳を赤熱する勢いで回転させ、時間の猶予ぎりぎりで俺は一つの買いにたどり着いた。迫りくるアレウエの右腕を睨みつけながら左手に握った剣を振りかぶる。狙うのは件のアレウエではなく、地面。
「……ッ!!」
無言の気合に乗せて握った剣を思い切り地面目がけて投げつける。漆黒の刃がくるくると回転して吸い込まれるように前方の地面に浅い角度で突き刺さった。これで第一の運試しは突破だ。あとは勇気と勝利の女神が何とかしてくれる……はず。
俺はどうかうまくいってくれと胸中で祈りながら側転──、というよりはロンダートの体勢に入る。同時に両足に意識を集中させ纏いの体勢へ。地面に突いた左腕を支点に俺の体が円を描き、アレウエの氷槌に背を向けた状態で先ほど突き刺した剣の上に着地した。急激な重量に剣が大きくたわむ。剣のしなりが最大に達した瞬間、俺は足の纏いを解放して一気に跳躍した。剣がロイター板の役目をはたしてさらにジャンプを補助し、俺の体はすさまじい速度で上空へと飛び出した。直後に背中すれすれを鋭い氷のスパイクがすり抜けていく。そのままの勢いで俺の体は後方に回転してアレウエの腕を上から通過していった。
何とか攻撃を回避できたのはいいものの、どうやって地上に下りようかと次なる試練に思考を始めた矢先、回転する俺の視界の中にまたもや違和感を与えるものが入り込んだ。空高くに跳び上がって見える町は四割弱ほどがほぼ正円に氷がくりぬかれている……はずだった。凍結解除の範囲内でたった一か所だけ凍り付いたままになっている。それは──。
「海……?」
灯台広場からややずれた位置の海岸だけが、防波堤に隠れるようにひっそりとその水面を氷で覆っていた。
絶望的な戦局の中で一条の希望の光が見えたことで、先ほどまでの魔法で冷たく削られていた精神が少しだけ温かさを取り戻した。大丈夫、まだ戦える。この意志が続く限りは何度でもアレウエを打ち砕いてみせる。
「うおあああッ!!」
魔法で作り上げた剣を握り締めると、己の背中を押すように雄叫びを上げて俺はアレウエに向かって駆け出した。
巨大アレウエとの戦闘が始まって二十分ほどの時間が経過した。人々を氷から解放できると推測してからアレウエの討伐というよりも部位破壊にシフトチェンジし、決死の攻撃で二回奴の再生を促すことに成功した。その度にこの広場を中心にほぼ同心円状に氷の消失が起こり、慌てた様子の人間が動くのが戦いの合間に垣間見える。
何よりも幸運だったのはアレウエが氷から解き放たれた人々に攻撃をしようとしないことだ。関心がないのか、そもそも気づいていないのかは定かではないが、それどころではないほどに俺にヘイトを向けているらしい。
しかし一縷の可能性に賭けた作戦が奇跡的に上手くいっているとはいえ、実際その氷の呪縛の解放範囲は町の全面積の半分にも達していない。
荒い息を必死に押し殺してもう何度目か分からない魔法を詠唱して漆黒の長剣を生み出し、俺は固い石畳を蹴って走り出した。黄金の眼光が俺の突進を感知し振り抜いた茨の鞭を剣で受け流し、生じた隙間を体をよじってぎりぎり通り抜ける。速度を上げながら緩くカーブを描いてアレウエの正面まで駆け抜けると、剣を握る左腕に精神を集中して解放と同時に地面すれすれからまっすぐアレウエに向かって切り上げた。エネルギーの解放によってスピードの上がり続ける剣は黒い火炎を噴き上げてその形態を変貌させ、長大なリーチを持つ刃となってアレウエの胴体とその下にある太い茨の茎に縦一文字の深い溝を刻んだ。斬撃の反動で砕け散った剣を手放し、立て続けに割れ目を狙って魔法の矢を数発撃ちこむ。螺旋を描くようにねじれた矢はじわじわと再生の始まりつつある刀傷に直撃し、びしり! という硬い音を響かせて大きなひびを生み出した。
俺の攻撃が終わらないうちにアレウエの腕が俺目がけて薙ぎ払われる。再生の度に少しずつ変化を遂げていくアレウエの両手には今ではいかにも鋭利な太い氷柱が数本伸びている。食らえば良くてズタズタ、最悪ミンチだ。迫りくる巨大すぎる氷の凶器に原始的恐怖が背筋を這い上って来るのを感じながら、俺は素早く式句を詠唱する。
「テネロ・エメルゲ・ルーンッ!!」
詠唱により生じた魔法陣を起点としてねじくれた黒い木のようなものがとぐろを巻き、俺の体をすっかり覆う大盾が顕現する。直後、真っ黒の盾の向こう側で途轍もない衝撃音が響き渡り、大小の氷の欠片が飛び散った。いつかの惨劇の夜の村でも同じような状況になったなと場違いな記憶が頭の端を巡る中、恐らく”心”と定義されているのであろう体内の何かが一気に持っていかれる不快な虚無感が襲い掛かる。
すぐにでも逃げ出したい弱気な心を強引に叩き出して気力で魔法を維持し続けていると、ついに待ちかねていた瞬間が訪れた。不意にひび割れの時の数倍大きな破裂音が響き渡り、大盾を押し込む超重量が軽減する。耐え続けた魔法を解除すると同時に弾かれたように後方に飛び退った俺の目に深いひびの入ったアレウエの腕が映った。敢えてアレウエの攻撃を避けずに真っ向から受け止めたのはアレウエの攻撃の反動を逆に利用してやるためだったのだ。
魔法の大盾に跳ね返された腕に刻まれたひびがバキバキと肩へ急速に這い上り、先ほど作り出した縦のひびに到達する。一瞬の静寂が広場を包み込んだ後、夥しいガラスを一度に地面に叩きつけたかのようなすさまじい破砕音が響き渡りアレウエの体が真っ二つに分断された。見開いた金色の目が次第に光を失いそのまま花弁が解けるように上体が崩れ落ちていく。これで三回。
アレウエの再生が起こる前兆である冷気が吹き始めたのを感じながら、俺はこのわずかな時間で少しでも体力を回復させようと地面に膝を突いて深呼吸を繰り返していた。完全な復活までの猶予はだいたい一分ほど。けがの治療は無理だが息を整えるくらいならできる。
心臓は戦闘が始まってからずっと早鐘のように拍動し続け不快な耳鳴りが止まない。強く瞼を閉じて各所の鈍痛をこらえていると不意に鼻に生暖かい感覚が生じた。
「鼻血か……?」
血圧が異常に高まったからか、あるいは魔法の使い過ぎか、原因は定かではないが、今まで追ってきた怪我が悲惨な分鼻血がやけに些細なことのように思えてしまう。自嘲じみた乾いた笑いと一緒に鼻血を手で拭った時、やや霞んだ視界が一つの違和感を捉えた。拭った左手とグローブに付いた液体が血にしてはあまりにも黒すぎる。質感は血液とそう変わりないが、その色は墨汁のように黒い。例えるなら魔法で生み出していた剣や炎のような──。
異常な体調に嫌な汗が噴き出したその時、ついにアレウエが何度目かの復活を遂げたことを告げる絶叫が響いた。あと何回アレウエを倒せば町を丸ごと救うことができるのかは分からないが、ここで止まるわけにはいかないというのは変わらない事実だ。仮に再生に要する氷の量が常に等しく、かつ同心円状に氷の消失が起こっているのならば、円の半径の関係上ここから先は次第にその拡大速度が遅くなっていくだろう。
うんざりするような現実を思考からふるい落して俺はアレウエを見上げた。人間大の時点から数えて五回目の再生を終えたアレウエからは初めの頃の面影などとうの昔に消え失せており、先端に向かうにつれ太くなった棘付きの右腕とギザギザの諸刃を持つ剣と化した左腕、幾度となく断ち切った胴体はドレスから重装兵を思わせる氷の鎧へ、そして顔面は黄金色に光る片目のみを残して一輪の茨の花が覆い尽くしている。それらの変化に比例するようにアレウエが放つ威圧感も何倍にも膨れ上がっていた。
「行くぞ……!」
唱えすぎて口が覚えた式句を素早く詠唱して魔法の剣を作り出し俺は走り出す。消耗戦は根負けした方が負けだ。俺の心の中に燃える火が消えない限り、どこまででも走り続けて何度でもその体を打ち砕いてやる。
走る俺が通過するであろう軌道に向かってアレウエが右腕のハンマーを振り下ろした。俺の速度と腕の振りの速度、二物体の距離的に走り抜けるのは恐らく不可能。地面から氷が消え去ったとはいえ急ブレーキや方向転換も間に合わないだろうし、仮に躱せたとて停止すれば次なる攻撃を真正面から受ける必要が出てくる。どうする。最適解を導き出せ。
走る足を止めないまま脳を赤熱する勢いで回転させ、時間の猶予ぎりぎりで俺は一つの買いにたどり着いた。迫りくるアレウエの右腕を睨みつけながら左手に握った剣を振りかぶる。狙うのは件のアレウエではなく、地面。
「……ッ!!」
無言の気合に乗せて握った剣を思い切り地面目がけて投げつける。漆黒の刃がくるくると回転して吸い込まれるように前方の地面に浅い角度で突き刺さった。これで第一の運試しは突破だ。あとは勇気と勝利の女神が何とかしてくれる……はず。
俺はどうかうまくいってくれと胸中で祈りながら側転──、というよりはロンダートの体勢に入る。同時に両足に意識を集中させ纏いの体勢へ。地面に突いた左腕を支点に俺の体が円を描き、アレウエの氷槌に背を向けた状態で先ほど突き刺した剣の上に着地した。急激な重量に剣が大きくたわむ。剣のしなりが最大に達した瞬間、俺は足の纏いを解放して一気に跳躍した。剣がロイター板の役目をはたしてさらにジャンプを補助し、俺の体はすさまじい速度で上空へと飛び出した。直後に背中すれすれを鋭い氷のスパイクがすり抜けていく。そのままの勢いで俺の体は後方に回転してアレウエの腕を上から通過していった。
何とか攻撃を回避できたのはいいものの、どうやって地上に下りようかと次なる試練に思考を始めた矢先、回転する俺の視界の中にまたもや違和感を与えるものが入り込んだ。空高くに跳び上がって見える町は四割弱ほどがほぼ正円に氷がくりぬかれている……はずだった。凍結解除の範囲内でたった一か所だけ凍り付いたままになっている。それは──。
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