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本編
夏の終わりに〈1〉
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夏休み最後の一日、この日は他の運動部が活動していないおかげでグラウンドの独占が許されていた。
朝9時となっていた集合時刻よりも前に鬼島中学サッカー部の全員が集まり、すでにランニングやストレッチは各々ですませている。弓立なんかは早くもフリーキックの練習へと取りかかっているくらいだ。止める側ではなく、蹴る側として。
負傷のせいで一時期キーパーとしての練習ができなかった弓立は、そのときにひたすらキックの精度を磨いていたのだが、すっかり指が完治した今も引き続き行っている。蹴り方を凜奈から教わったおかげでフォームもずいぶんと様になっていた。
乱入してやれ、とばかりに走りだした暁平だがどうも足元がしっくりこない。
「変だな」としゃがみこんでみれば左足スパイクの紐が中ほどでちぎれてしまっている。取り替えなければ練習にならないので、仕方なく予備の紐を探しに部室まで引き返すことにした。
体育館の裏にある木造二階建てのオンボロ部室棟までは結構な距離がある。小走りで向かっているその途中、暁平は遠くから声をかけられた。
「よう。まだまだ今日も暑くなりそうだな」
立っていたのは2リットルのペットボトルを何本も手に提げている衛田だった。右目にはまだ包帯が巻かれているが、それ以外はきついリハビリの甲斐もあってだいぶ元の状態に近づいてきたと本人も手応えを感じているらしい。
「おはよう衛田くん、思ったより早かったね。先生もまだ来てないぜ」
そう挨拶しながら暁平は衛田の手からペットボトルの入ったビニール袋を受け取った。遠方の高校へ見学に行っていた衛田が戻ってきたのは昨夜のはずだ。
「すまんな。まあ、いい結果だったからすぐおまえらに伝えたかったんだよ」
以前と比べるとだいぶ雰囲気の柔らかくなった衛田がはにかむ。
「てことは──おめでとう!」
「ああ、ありがとう。布施さんの推薦はやっぱり大きかったよ。向こうの監督さんには『さぼらずしっかりリハビリやれよ』ってしつこいくらいに念を押されたけどな」
右目を失明した衛田がまだサッカーをあきらめていない、暁平からそう聞かされたホセはさっそく昔の知人にコンタクトをとってくれた。新設して間もない高校のサッカー部で監督を務めているその知人もまた、かつて交通事故で片腕を失い、それでもサッカーを続けてきたのだという。
「じゃあ衛田くんは県外に進学か」
「そういうおまえは海外行きかもな」
ないない、と暁平は首を横に振る。
八月の初めに行われた全国中学総体では初戦こそ勝利したものの、次戦で不完全燃焼のまま敗退となった。衛田を欠き、弓立も貝原から出場を禁じられたうえ暁平自身が本調子からほど遠かった。さすがにそんな状態で勝ち進めるほど全国は甘くない。
結局はあの大会が筧とプレーできる最後の公式戦となった。
九月いっぱいで転校するとみんなに告げた筧はレギュラーの座を自ら辞退し、今は控えメンバーの実力を底上げするのに力を尽くしてくれている。
彼の人徳なのだろう、「タクマが決めたことなら」と誰も文句は言わずに受け入れた。ただ寂しさが募るのはどうしようもないことだ。
一方、姫ヶ瀬FCジュニアユースは創設以来最高の成績を残していた。ほぼ同時期に開催された日本クラブユースサッカー選手権で躍進の四強入り。準決勝では兵藤が徹底してマークされたのもあってわずかに及ばず敗れたが、大会を最も沸かせたチームとして称賛を浴びた。久我に至っては何と大会得点王だ。
姫ヶ瀬FCとのゲームで暁平が受けた精神的なダメージは大きかった。勝てなかった責任のすべては自分にある、と。後先考えないプレーで体力を浪費し、政信の退場へと繋がるミスを犯し、最後は久我に力でやられた。結果として全国大会にも影響を及ぼし、キャプテンでありながらチームにブレーキをかけた形だ。
そんなどん底といえる状況にあって、むしろ姫ヶ瀬FCの快進撃によって暁平にはひとつの指標ができた。彼らにまた勝つことができたなら、そのときは中学もクラブユースも問わない真の日本一への挑戦権を手にできる。立ち直ったあとに振り返れば単純で、何も迷うことなどない。追えばいいだけなのだ。
「先のことはやっぱりわからない。けど、ずっとサッカーは続ける。衛田くんやタクマと敵味方に分かれてやりあうのも面白そうだし」
「ふん、どうやら吹っ切れたみたいだな。安心したよ」
夏の雲と秋の雲とが同居している空の下、暁平と衛田はグラウンドまでの道をゆっくりと歩いていく。紐はあとで取り替えればいい。
「そういやさ」と気にかかっていることを切りだす。
「シノくん、最近どうしてる?」
その名を聞いた途端、衛田は以前のような仏頂面で「あのバカか」と吐き捨てた。勝手なことをしやがって、という怒りがまだ衛田の中に燻っているようだが、それでもそこに四ノ宮への失望は感じられない。その逆はあっても。
四ノ宮の起こした乱闘事件は警察沙汰となった。たとえ相手がケルベロスの連中といえど被害の規模が相当大きかったためだ。結局ケルベロスは壊滅状態となり、事件の前日には滋野と長谷村という二人の三年生もすでに彼から制裁を加えられていた。
家庭裁判所での審判のために、四ノ宮が鑑別所へ送られたと聞いた暁平は絶句した。本来なら自分がかぶるつもりだった泥をあの男がまとめて引き受けてしまったのだから。
「まあ、保護観察処分になってほっとはしたさ、そりゃ。だからって夏中あいつとずっといるつもりなんてねえよ。あんなでかい体、見ているだけで暑苦しい」
冗談めかして衛田が言う。
「つーか、おれよりおまえのところの姉に訊ねりゃいい」
「だから姉じゃないし。ユーリねえ、聞いたら怒るんだよ。『はあ? 何であたしがあの熊の近況をいちいち知ってなきゃならないわけ? あんたなに勘違いしてるの?』みたいにまくしたてられるのがオチだ。ちょっと前に付き合ってるのかってからかったらビンタされたんだぜ? 信じられないよ」
それを聞いて衛田は「おまえの物真似は全然似てねえなあ」といかにも楽しそうに笑った。
朝9時となっていた集合時刻よりも前に鬼島中学サッカー部の全員が集まり、すでにランニングやストレッチは各々ですませている。弓立なんかは早くもフリーキックの練習へと取りかかっているくらいだ。止める側ではなく、蹴る側として。
負傷のせいで一時期キーパーとしての練習ができなかった弓立は、そのときにひたすらキックの精度を磨いていたのだが、すっかり指が完治した今も引き続き行っている。蹴り方を凜奈から教わったおかげでフォームもずいぶんと様になっていた。
乱入してやれ、とばかりに走りだした暁平だがどうも足元がしっくりこない。
「変だな」としゃがみこんでみれば左足スパイクの紐が中ほどでちぎれてしまっている。取り替えなければ練習にならないので、仕方なく予備の紐を探しに部室まで引き返すことにした。
体育館の裏にある木造二階建てのオンボロ部室棟までは結構な距離がある。小走りで向かっているその途中、暁平は遠くから声をかけられた。
「よう。まだまだ今日も暑くなりそうだな」
立っていたのは2リットルのペットボトルを何本も手に提げている衛田だった。右目にはまだ包帯が巻かれているが、それ以外はきついリハビリの甲斐もあってだいぶ元の状態に近づいてきたと本人も手応えを感じているらしい。
「おはよう衛田くん、思ったより早かったね。先生もまだ来てないぜ」
そう挨拶しながら暁平は衛田の手からペットボトルの入ったビニール袋を受け取った。遠方の高校へ見学に行っていた衛田が戻ってきたのは昨夜のはずだ。
「すまんな。まあ、いい結果だったからすぐおまえらに伝えたかったんだよ」
以前と比べるとだいぶ雰囲気の柔らかくなった衛田がはにかむ。
「てことは──おめでとう!」
「ああ、ありがとう。布施さんの推薦はやっぱり大きかったよ。向こうの監督さんには『さぼらずしっかりリハビリやれよ』ってしつこいくらいに念を押されたけどな」
右目を失明した衛田がまだサッカーをあきらめていない、暁平からそう聞かされたホセはさっそく昔の知人にコンタクトをとってくれた。新設して間もない高校のサッカー部で監督を務めているその知人もまた、かつて交通事故で片腕を失い、それでもサッカーを続けてきたのだという。
「じゃあ衛田くんは県外に進学か」
「そういうおまえは海外行きかもな」
ないない、と暁平は首を横に振る。
八月の初めに行われた全国中学総体では初戦こそ勝利したものの、次戦で不完全燃焼のまま敗退となった。衛田を欠き、弓立も貝原から出場を禁じられたうえ暁平自身が本調子からほど遠かった。さすがにそんな状態で勝ち進めるほど全国は甘くない。
結局はあの大会が筧とプレーできる最後の公式戦となった。
九月いっぱいで転校するとみんなに告げた筧はレギュラーの座を自ら辞退し、今は控えメンバーの実力を底上げするのに力を尽くしてくれている。
彼の人徳なのだろう、「タクマが決めたことなら」と誰も文句は言わずに受け入れた。ただ寂しさが募るのはどうしようもないことだ。
一方、姫ヶ瀬FCジュニアユースは創設以来最高の成績を残していた。ほぼ同時期に開催された日本クラブユースサッカー選手権で躍進の四強入り。準決勝では兵藤が徹底してマークされたのもあってわずかに及ばず敗れたが、大会を最も沸かせたチームとして称賛を浴びた。久我に至っては何と大会得点王だ。
姫ヶ瀬FCとのゲームで暁平が受けた精神的なダメージは大きかった。勝てなかった責任のすべては自分にある、と。後先考えないプレーで体力を浪費し、政信の退場へと繋がるミスを犯し、最後は久我に力でやられた。結果として全国大会にも影響を及ぼし、キャプテンでありながらチームにブレーキをかけた形だ。
そんなどん底といえる状況にあって、むしろ姫ヶ瀬FCの快進撃によって暁平にはひとつの指標ができた。彼らにまた勝つことができたなら、そのときは中学もクラブユースも問わない真の日本一への挑戦権を手にできる。立ち直ったあとに振り返れば単純で、何も迷うことなどない。追えばいいだけなのだ。
「先のことはやっぱりわからない。けど、ずっとサッカーは続ける。衛田くんやタクマと敵味方に分かれてやりあうのも面白そうだし」
「ふん、どうやら吹っ切れたみたいだな。安心したよ」
夏の雲と秋の雲とが同居している空の下、暁平と衛田はグラウンドまでの道をゆっくりと歩いていく。紐はあとで取り替えればいい。
「そういやさ」と気にかかっていることを切りだす。
「シノくん、最近どうしてる?」
その名を聞いた途端、衛田は以前のような仏頂面で「あのバカか」と吐き捨てた。勝手なことをしやがって、という怒りがまだ衛田の中に燻っているようだが、それでもそこに四ノ宮への失望は感じられない。その逆はあっても。
四ノ宮の起こした乱闘事件は警察沙汰となった。たとえ相手がケルベロスの連中といえど被害の規模が相当大きかったためだ。結局ケルベロスは壊滅状態となり、事件の前日には滋野と長谷村という二人の三年生もすでに彼から制裁を加えられていた。
家庭裁判所での審判のために、四ノ宮が鑑別所へ送られたと聞いた暁平は絶句した。本来なら自分がかぶるつもりだった泥をあの男がまとめて引き受けてしまったのだから。
「まあ、保護観察処分になってほっとはしたさ、そりゃ。だからって夏中あいつとずっといるつもりなんてねえよ。あんなでかい体、見ているだけで暑苦しい」
冗談めかして衛田が言う。
「つーか、おれよりおまえのところの姉に訊ねりゃいい」
「だから姉じゃないし。ユーリねえ、聞いたら怒るんだよ。『はあ? 何であたしがあの熊の近況をいちいち知ってなきゃならないわけ? あんたなに勘違いしてるの?』みたいにまくしたてられるのがオチだ。ちょっと前に付き合ってるのかってからかったらビンタされたんだぜ? 信じられないよ」
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