世界の東の端っこのフットボール・チルドレン

遊佐東吾

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スピンオフ

extra2 人はそれを恋と呼ぶ〈1〉

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「あんた邪魔。どいて」

 一瞬、相手が誰に向かって言っているのか四ノ宮にはわからなかった。それほど彼にとっては耳慣れないセリフだったのだ。
 教室に入ろうとしている女子生徒はさらに追い討ちをかけてきた。

「聞こえてるでしょ? ど・い・て」

「おお、すまんすまん」

 慌てて四ノ宮は引き戸となっているドアから離れ、彼女が通れるだけのスペースを空けてやる。その行動をさも当然といった顔つきで受け流した彼女が席につくまでをなぜかじっと目で追ってしまった。
 机の横のフックに学校指定の鞄を掛けた彼女の元へ、友人と思しき数人のクラスメイトが「おはようユーリ」とすぐに集まってきた。慕われてるなあ、と四ノ宮は思う。

 小学校は別だし二年生に進級して同じクラスになったばかりとはいえ、彼女の名前なら四ノ宮も以前から聞き及んでいた。榛名悠里、非常に整った顔立ちと文武両道を地でいく成績とをあわせ持ち、おまけに御幸神社の一人娘としても知られている彼女はいってみれば鬼島中学の表の顔だろう。

 対して四ノ宮亮輔の名前は悪い方向に知れ渡っていた。まさに裏の顔だ。そこは本人でも否定できない。
 彼が鬼島中学に入学してからの一年は絶え間ない闘争の日々だった。年相応に見られたためしがない彼の恵まれた体格は早々と上級生に目をつけられ、人の寄りつかない場所へ呼びだされたあげく、一対多数でほとんど袋叩きのような形での喧嘩となってしまう。そんなことが度々だったのだ。

 だが四ノ宮は勝った。以後も売られた喧嘩を渋々受けていたら、いつしか鬼島中学最強として恐れられるようになってしまった。そうやって顔と名前が売れてくると、今度は他校の生徒が四ノ宮を狙ってくる。一時期は彼が外へ出かけると喧嘩なしではすまなかったほどだ。「鬼の四ノ宮」などといううれしくないあだ名がつけられたのはそのすべてに勝利してきたからである。

 四ノ宮はそんな殺伐とした日々にほとほと嫌気がさしていた。彼が好きなのは昔からの友人とバカ話をしたり、のんびりと川沿いを散歩したり、熱いお茶をすすりつつ甘いもの──特に和菓子が彼の好物だ──を食べたりすることなのだ。腕っぷしで狭い世界を支配することなどには微塵も興味がない。
 とにかく今年は学校の中でも外でも穏やかに暮らそう、それが二年生となった彼の目標だった。たとえ美人の女子生徒に邪険な扱いをされても平常心を乱してはならないのだ。

       ◇

 ゴールデンウィークが明けた次の週末、四ノ宮は珍しく姫ヶ瀬市の中心部にあるアーケード街を訪れた。最近雑誌などで話題になっている和菓子屋と、品揃えのいい大型書店とを回るつもりだった。
 人通りの多い街中なら絡まれる心配もさほどないだろうが、念のために服装には彼なりのちょっとした工夫を凝らしている。ボタンダウンの水色のシャツはいちばん上のボタンまできちっと留め、スニーカーはさわやかな白、おまけに黒縁の伊達眼鏡までかけていればさすがにどの角度からでも真面目な学生そのものに見えるはずだ。お洒落かどうかはこの際問題ではない。
 四ノ宮はまず書店へと足を向けた。県下一円に展開している書店グループの本店であるため、売れ筋以外の本もかなり充実しておりじっくりと見て回るにはうってつけだ。

「文庫売り場は二階だったよな、たしか」

 お目当ては特になく、興味が持てればどんな本でもかまわないのだが、ハードカバーに手が出せるほどの財布の余裕はない。となれば自然と選択肢はかぎられてくる。
 狭いエスカレーターを上がって二階へとやってきた四ノ宮は驚いた。新刊コーナーのところに榛名悠里が立っていたからだ。いくつか気になる本を見比べてどれを買おうか吟味しているらしい。中学生の財布事情などみな似たり寄ったりである。
 クラスメイトなわけだし声をかけたほうがいいのだろうか、そう四ノ宮が思い悩むうちに、買うべき本を決めた彼女から「あれ、四ノ宮……だっけ」と声をかけてきた。

「言いにくいんだけど店、間違えてない? ここ本屋だから」

「知っとるわ!」

 さすがに四ノ宮も言い返すが、「冗談よ」とあっさり答えられてしまう。どうにもペースのつかみづらい相手だ。
 じゃ、という素っ気ない挨拶を残して悠里はレジへと歩きだす。その背筋の伸びた後ろ姿を眺めながら、彼は昔からの友人のことを頭に思い浮かべていた。

 衛田令司。サッカー部に所属しながら、しばらくサッカーから遠ざかってしまっている彼があるべき元の道に戻るための手助けをできるチャンスなのかもしれない、そう四ノ宮は考えた。なぜなら今のサッカー部を掌握しているのは、榛名悠里と姉弟同然である一年生の榛名暁平なのだから。

「なに、あんたまだいたの」

 書店名が入った臙脂色のビニール袋を提げて戻ってきた悠里が怪訝そうにしている。そんな彼女に、清水の舞台から飛び降りるくらいの意を決して四ノ宮は切りだした。

「なあ榛名。ちょっと話があるんだが、その、時間いいか」

 一方の悠里はあっさりとしたものだ。

「告白とかじゃなければ」

「身の丈はわきまえてる。そんな無謀な勝負は挑まんよ」

「ふーん。図体は大きくても意外とヘタレってことね。まあいいわ、ならそのへんで適当にお茶でもしようか」

「お、おう」

 女の子と二人でお茶。自分から話があると誘ったにもかかわらず、確実に奥手と分類されるであろう四ノ宮はまるでデートのような成り行きに本来の目的を見失ってしまいそうなほどどぎまぎしていた。
 そんな彼の緊張など露知らず、悠里は「ほら行くよ」とすたすた進んでいく。どこかあてがあるであろう彼女に四ノ宮はただついていくのみ。

 しかし二人きりでの道行きは本屋を出たところまでだった。
 アーケード街内には買い物客がいつでも休めるようにベンチが設置されているのだが、そのひとつにまだ幼い少女が一人ぼっちでちょこんと腰かけている。小学校の一、二年生らしき少女は今にも泣きだしそうな表情をしていた。
 己の厳つさを自覚する四ノ宮が「声をかけたら怖がって泣きだすかも」と逡巡したのをよそに、悠里はとても自然な動作で少女の前へとかがみこむ。

「こんにちは。おうちの人とはぐれちゃったの?」

 四ノ宮が初めて耳にする悠里の優しい声だ。
 胸に英語がプリントされた薄手の白いパーカーを着た少女は、びくっと反応しながらも首を小さく横に振り、「一人で来た」とだけ教えてくれた。

「そうなんだ。すごいねえ、お姉ちゃんびっくりしちゃった」

 目線の高さを合わせた悠里が微笑みながら少女を褒める。
 いろいろと話しかけながら少しずつ見知らぬ相手への警戒心を解いていく悠里を見て、四ノ宮は彼女に対して抱いていた印象がほんの一面的なものにすぎないことを理解させられた。と同時に親近感もわいた。彼女もまた、彼と同じく周囲から窮屈なカテゴライズをされている人間なのだろう。
 一方通行でなくなってきた二人の会話は続く。

「じゃあ街にはお菓子を買いに来たんだね。何がいいんだろう、ケーキとかかな」

「うん、ケーキがいい。でもほしいのはお父さんの分」

「ありゃ。お父さんは甘いものが好きなの?」

 少女はこくりと頷いた。

「お父さん、お休みの日もずっとお仕事だったから今日はおうちで寝てる。お母さんは用事でどっかに出かけちゃって、だからお小遣いでお父さんの好きなものを買ってきてあげようって。でも、どこに売ってるのかわからない」

「それってつまり黙って家を出てきたってことじゃ──」と言いかけた四ノ宮を悠里が手だけで制する。

 彼女はしゃがんだ姿勢のままで少女に提案した。

「実はお姉ちゃん、とっても美味しいケーキ屋さんを知ってるんだ。よかったら一緒にそのお店に行こうよ」

「え、いいの?」

「もちろん。もうお姉ちゃんときみは友達でしょ。あ、そういえばまだ名前を教えていなかったね。あたしの名前は榛名悠里、ユーリってみんなは呼んでる」

「ユーリお姉ちゃん」

「そうです、ユーリお姉ちゃんです。よかったらきみの名前も教えてくれる?」

「黛ちさと」

「ちさとちゃんか。うん、いい名前だね」

 よーし出発だ、と悠里はちさとと名乗った少女の手をとって立ちあがった。
 そのついでにといった感じで四ノ宮にも声をかけてくる。

「悪いんだけど、話はまた今度の機会でかまわないかな。買い物がすんだらこの子を送っていってあげたいし」

「気にするなって。おれよりその子のことを頼むわ」

「いや、特に気にはしてないから」

 そうかよ、と苦笑いを浮かべながら四ノ宮はまるで年の離れた姉妹のような二人を見送ってやる。
 そんな彼をしきりに悠里が指さしていた。

「ほらちさとちゃん、あそこのクマさんにバイバイって手を振ってあげなよ」

「あの人クマなの?」

「だって大きいでしょ。あれだけでかかったらクマ同然だよ」

 むちゃくちゃな理論で好き勝手言われているが、それでも四ノ宮はいつになく穏やかで満ち足りた気持ちになっていた。
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