世界の東の端っこのフットボール・チルドレン

遊佐東吾

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スピンオフ

extra5 君みたいになりたかった〈4〉

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 衛田の鋭い目つきは普段と変わりなく、彼がこの状況をどう受け止めたのかまでは南にも読み取れない。度を越した仕打ちをしている上級生たちへ抗議してほしい、そんな気持ちはたしかに南のなかに存在した。
 けれども同時に、「こんな情けない姿を見られたら軽蔑される」という恐怖のほうが大きく勝っていた。お願いだから、ぼくを見ないで。

 そんな南の願いが通じたのだろうか。これといった反応を見せることもなく、黙ったままで衛田は踵を返す。
 助けてはもらえなかったという絶望感と、これでよかったのだという寂しい肯定とが混じりあいつつ、目に涙をにじませながら南は彼の背中をぼんやりと眺めていた。
 だが、去ろうとする衛田に向かって別の声が投げかけられる。

「おい、よかったら交じってけよ。こう見えて南ちゃんだって楽しんでるんだし。おまえだって嫌いじゃないだろ、こういうの」

 寝転がっていた体勢から上半身を起こしつつ、先輩の一人があろうことか衛田を誘う。
 他の上級生はその勧誘を鼻で笑った。

「はっ、よせって。そいつぁ人種的にはサッカーバカなんだから」

「なんでだよ。サッカーなんかよりよっぽど面白いぜ?」

 ナイスなアイデアとでも思っていたのだろうか、提案を否定された先輩はむきになって口を尖らせている。
 それでも衛田は振り返らなかった。入ってきたときと同じく、ゆっくりとドアを開けてそのまま静かに立ち去っていく。

 外見からのイメージに反して意外に不器用らしい衛田は、「バンテージがうまく巻けないんだ」とよくぼやいていた。きっと新しいバンテージを足首に巻くつもりだったのだろう。バンテージは捻挫や肉離れの予防に効果があるのだ。
 一人での練習中、衛田が怪我などしませんように。付き合ってあげられそうにない南はただそれだけを望む。

「けっ。何だあの野郎、意外とビビりくんじゃねえの? 怖いのは例の四ノ宮ってやつだけで、あいつはただのチキンみてえだな」

 威勢のいい言葉とは裏腹に、衛田を取りこもうとした先輩の声の調子にはどこかほっとした様子がにじみでていた。結局、衛田とは対立するでも親しくするでもなく、距離を置いているのが最も安全だったのだ。そのことを彼らはすぐに思い知る。
 先輩がしゃべり終えたあと、部室内には一瞬の沈黙が訪れる。こういう状況を「天使が通った」と外国では呼ぶらしいのを、南は何日か前のテレビで観て知っていた。
 天使などどこにもおらず、これからまた屈辱の続きが始まる。
 下着姿の南がそうあきらめきっていたのも無理はない。
 しかしその見通しは大きく外れ、そして天使はやはりどこにもいなかった。

 再び建てつけの悪い扉が開かれる。
 立っていたのはまたしても衛田なのだが、その手にはサッカー部員には縁のないはずの金属バットがしっかりと握られていた。

 衛田の動きは素早かった。
 南には目もくれず低い体勢で上級生たちに近づいたかと思うと、まるで抜刀する人斬りのように下手から金属バットを振り抜いた。ひとかけらのためらいもなく。
 おそらくは狙い通りなのだろう、先ほど衛田に誘いをかけた上級生の膝がバットの真っ芯で捉えられる。その一瞬、思わず南は目を逸らしてしまったが、耳に届いた甲高い悲鳴でその痛みの質感が伝わってきてしまう。

 再び床に転がった上級生は膝を押さえながら悶え苦しみ、喰いしばった歯の隙間から今にも泣き声に代わりそうなうめき声を絶えず漏らしていた。
 他の三人の先輩たちの顔からも血の気が引く中、ただ一人、衛田令司だけがひどく冷静だった。少なくとも南にはそう見えた。

「必要か?」

 まるでイントネーションというものがない、どこか見知らぬ外国の言葉のようにも聞こえる問い方を衛田がする。

「サッカーやるつもりがねえなら必要ないだろ、そんな足」

 南と彼との付き合いはまだ一か月にも満たない短いものだ。しかし南には確信があった。脅迫じみた衛田の言葉は間違いなく本気なのだと。
 あまり感情を露わにするタイプではない衛田の、表立っては見えなかった静かな怒りの炎が、サッカーを愚弄する者のみならず彼自身をも焼き尽くそうとしていた。
 そんなことがあってはならない。

 必死の思いで南は下着姿のまま、衛田の前にどうにか体を割りこませる。南の足は極度の緊張でがくがくと震えていた。

「ちょっ、ちょっと衛田くん。やめなよ、こんなのまずいよ。サッカーできなくなっちゃうよ? それでもいいの?」

 対する衛田の答えは迷いのない、ひどくシンプルなものだった。

「まずこのクソどもを排除するのが先だ」

 どけ、と空いているほうの手で乱暴に振り払われ、よろめいた南は緩慢に尻もちをつく。なけなしの勇気を使い果たした南に、もう立ち上がる気力は残っていなかった。
 再び衛田がフルスイングの体勢へと移行する。

「待てって! 悪かった、おれらが悪かったから! だからそのバットは置いてくれ、頼む!」

 いまだ倒れたまま起き上がれない先輩以外の三人は口々に許しを請いはじめた。だが黙ったままの衛田にその哀願は届かない。
 先ほどのリプレイを見ているかのように、今度は別の上級生の膝を力いっぱい打ち抜いてしまった。またしても聞くに堪えない悲鳴があがる。
 なす術なく、まるでテレビドラマか映画でも観ているかのように、へたりこんだままの南はただ呆然と目の前の暴力劇を眺めていることしかできなかった。

「次」

 ただそれだけを口にするなり、衛田が三人目に狙いを定める。さながら流れ作業だ。そんな彼の動きは、不意に入口のドアが開く音によってぴたりと止まった。
 上級生たちも明らかにほっとした表情を見せている。「これで助かった」などと考えていたのだろう。
 けれども彼らの顔はすぐに青ざめる。

「うほっ、やってるやってる」

「えっげつねーわー。見直したぜ衛田、ただのサッカー小僧じゃなかったんだな」

 入ってきたのが衛田同様に金属バットを握った二人、甲間颯士と長谷村直人だったからだ。

「おーし、トップバッターに続いて張り切っていきますか」

 こんこん、と髪をオールバックできめている長谷村がバットの先端で床を叩く。その音だけでも先輩たちは「ひっ」と怯えの色を隠せない。

「何しに来た。サッカー部員じゃないおまえらには関係のないことだ」

 意気揚々と乗りこんできた甲間と長谷村に、冷水をぶっかけるような乾いた反応を衛田が見せるも、二人はどこ吹く風とばかりに聞き流す。
 口角をつり上げて笑みを浮かべながら「まあまあ、悪いようにはしねえから」と甲間が言った。

「なぜか野球部の部室から出てきたおまえを見かけた瞬間、ぴんときたぜ。これは面白いことになるってな。おれらはこいつらに先日の『お礼』をしたいし、おまえも暴力事件扱いになって面倒になるのはごめんだろ? なら任せとけって」

 それにな、と長谷村も一言付け加える。

「おれらもサッカー部に籍だけは置くつもりだからよ。センパイ方がいつも部室にいたんじゃ伸び伸びできねーじゃん? 早く受験勉強に専念していただかねーと」

 いつの間にか南は蚊帳の外となっていた。下着姿でへたりこんでいるだけの傍観者、今はそれしか彼に割り振られた役はない。

「おい南、おまえは外出て誰か来ないか見張ってろ」

「ま、どこもサッカー部なんか気にかけちゃいないだろうけど、念のためだ」

 そして長谷村と甲間にそんな端役すら剥奪されてしまう。
 二人に言われるがまま、先ほど脱ぎ捨てていた服を持ってのろのろと立ちあがった南をよそに、衛田はといえばきっかけひとつでこの場にいる全員を殴り倒してしまいかねないほどの鋭い眼光を放っている。

「余計な真似を」

「そう睨むな。こいつらが二度とこの部屋には足を踏み入れたくなくなるよう、手伝ってやるんだからよ」

 衛田と甲間の会話に入れない南が隅っこでワイシャツを羽織り、学ランに袖を通す。するとその様子を確認した甲間は大きく頷いた。

「んじゃ、撮影大会をはじめっか。頼むぜカメラマン」

「任せとけ。そりゃもう可愛く撮ってさしあげますよ、センパイ方」

 言うなり、長谷村が金属バットの先端で上級生の鼻を容赦なく小突く。
 あがっ、という声をあげてその先輩は両手で鼻を押さえているが、指と指の間からぬらりと血が滲みでてきた。

「おし、じゃ全員脱げ。あんたらと違っておれらは優しいからな、南みたいに全部脱ぐ必要はないぞ。下だけでいい」

 ひどい要求を楽しそうに説明しながら、膝を抱えて倒れている上級生の顔を甲間が軽く蹴りあげる。
 去り際に南はもう一度衛田の表情をうかがった。サッカー部での活動を楽しみにしていた二人の目線はわずかに交錯するが、すぐに南の視線だけが宙に浮く。
 ピースサインも忘れるなよ、とはしゃいでいる長谷村の声を背中で聞きながら南はドアノブに手をかけた。
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