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スピンオフ
extra6 誰にだって片想いの日々はある
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同級生たちとは好みのピントがまるで異なっている、その自覚は安東唯本人も幼い頃から持っていた。
男性アイドルグループのメンバーで誰が好きか、給食でどのメニューが好きか、姫ヶ瀬市でどのスポットがいちばんお気に入りか。他の誰かと答えが被った記憶は驚くほど彼女にはない。だからといって自分のセンスが悪いとはただの一度も感じなかった。
学年で最も人気の高い男子生徒が誰であるのかは安東も知っている。榛名暁平だ。その洗練された外見もさることながら、よくいえば個性的なサッカー部の面々をずば抜けた実力と存在感によって統率し結果を出し続けていた。全国大会出場を果たしたのは鬼島中学の数ある部活動の中でサッカー部だけだ。
たしかに彼は格好いいし雰囲気もある。だが彼とその従姉である一学年上の榛名悠里が並んでいる姿は、安東からすればあまりに様になりすぎていてどこか現実感が薄い。
周りの友達が「榛名くん、榛名くん」と熱を上げている中、安東の視線は同じサッカー部であっても別の少年にいつでも注がれていた。
夏休みが明けてまだ日の浅い放課後の一階廊下で、安東は榛名暁平と連れだって部活動に向かう彼とすれ違う。
「キョウ、ちょっと髪が伸びてきたんじゃないか?」
いま話しかけている矢野政信、彼こそが安東の想い人だ。彼ら二人と安東とは同じ小学校出身であり、片思いの期間もかれこれ三年を超えてきてしまった。
「そうかも。近いうちにジュンのところで散髪してくるか」
「丸刈りでかまわないならおれがバリカンでやってもいいんだが」
「ノーセンキュー、長すぎず短すぎずがちょうどいいんだよ。サッカーだってバランスが大事だろ」
「たまには変化をつけるのもありだぜ」
そんな会話を背中で聞きながら、安東は「うん、矢野くんの声が聞けた今日はいい一日だったな」というささやかな満足感とともに靴箱へと向かう。
しかし突然、何者かによって後ろから抱きつかれる。安東の知るかぎりそんなことをするのは校内に一人しかいない。
「こらユイ、みてたぞ。声くらいかけてみんかい」
井手美咲、彼女もまた小学校時からの付き合いであり、今では安東にとってかけがえのない親友となっていた。
「ミサキみたいなわけにはいかないよ」
井手は安東の恋心を知っており、ちょくちょくこうやってからかってくる。その大半はいわば背中を押そうというものなのだが、片思いの時間が積み重なっていけばいくほど身動きは取りづらくなっていくのだ、と安東としては弁解のひとつもしたくなる。
自他ともに親友であると認める間柄の二人だが、恋愛に対するスタンスは真逆といってよかった。
どちらかといえば派手な容姿である井手は恋愛も非常にオープンだ。とっかえひっかえ、と言ってしまうと普通ならあまりいい印象を抱かないが、あっけらかんとした彼女の場合だとなぜか周囲もあきらめ顔で許容してしまう。付き合って一週間で振った相手とも友人関係を築き、その後の恋愛相談に乗ったりしているなんて話は安東にしてみればもはや異文化みたいなものだ。
それほど奔放な彼女だが、サッカー部の面々にだけは決してアプローチをかけない。どうしてだろう、と安東は不思議に思ったことがあった。安東自身はあくまで矢野政信一筋だが、榛名暁平をはじめ他にも荒ぶった魅力を持つ男子は多い。
軽い気持ちでそんな疑問をぶつけてみたのだが、井手から返ってきた答えは思いがけず真剣なトーンを帯びていた。
「あの子たちの邪魔はしたくない。お気楽に生きてるあたしみたいなのが、何の考えもなしに簡単に足を踏み入れたらダメな場所なんだ。そういうところだよ、サッカー部は」
出席番号が近かったから。それだけが親しくなったきっかけにもかかわらず、なぜ井手とはとても気が合うように感じていたのか、その理由がはっきりと安東にもわかった瞬間だった。
彼女たちが小学六年生だった夏にあの事故は起こった。矢野政信をはじめとする、鬼島少年少女蹴球団の子たちの家族が一挙に十人も亡くなってしまったのだ。
夏休み中ではあったが、鬼島地区公民館で行われた合同葬儀にもちろん安東たちも参列した。いつもであれば穏やかな表情を崩さない矢野の、魂をどこかに置き忘れてきたような生気のない目を見るたびに彼女の心は激しく痛んだ。そして、自分が彼の悲しみを決して理解しきれないであろうことに途方もない距離を感じた。
たった一言、声を掛けてあげることすらできなかった。そのことは中学二年生となった今でも安東の中で消えない引け目として残り続けている。
「おーい、帰ってこーい」
いきなり両肩を揺さぶられて安東ははっと我に返った。
「すぐにどこか別の世界に行っちゃうんだから、この子は」
「ごめん。でも、もうちょっと手加減してほしい」
まだ少し揺れている頭を止めるかのように、こめかみに手をやった安東がわざとらしく口を尖らせた。
「はは。何その顔」
そう言って笑う井手の表情が急に真顔へと変わる。
「あ、矢野」
不意に後ろを差した彼女の指を追って、首がねじ切れそうなほどのものすごい勢いで安東は振り返った。
だがそこにいたのは矢野政信ではなく榛名暁平だ。
「ごっめーん、見間違えちゃったあ」
わざとらしいほどの大根役者ぶりで眉を寄せる井手に対し、なぜか一人こちらに戻ってきている榛名暁平が「あのなあ、どこをどう見たらマサとおれを見間違えるんだよ」とあきれている。
たしかに長身の彼とさほど上背のない矢野政信とではシルエットからしてまるで違うが、しかし安東にとってそんなことは問題ではなかった。
もしかして、今の不用意な行動によって自分の気持ちが榛名くんに知られてしまったのではないか。矢野くんと最も親しい仲である榛名くんに。
そう考えただけで顔面から火が噴き出そうになる。自己新記録を叩きだすであろう全力疾走で今すぐこの場を立ち去りたい、そんな不毛な思いに囚われつつも全身がすっかり金縛りにあったかのように固まってしまっていた。
「ユイぃ、矢野くんじゃなくてごめんねえ」
容赦のない井手はさらなる追い討ちをかけてくる。
もうだめだ、絶対バレた。観念した安東とにやにやしている井手とを交互に見ながら、榛名暁平が「鬼か井手は」とため息をつく。
そして彼は安東の目を見据えてきた。
「いい機会だから言っておくけどな安東、だいぶ前から気づいてたぞ。たぶん本人以外はみんな知っているんじゃねえか」
「わあああああ!」
まさかの事実を突きつけられ、気が動転している安東をよそに「だよね」と平常運転に戻った井手がクールに相槌を打つ。
「この子にはずっと発破かけてるんだけどね」
「マサのやつもそういうのには鈍いからなあ、このままだと気づかず卒業して進路は別ってことになりかねないぞ。余計なお世話かもしれんが」
「もしかして榛名は密かに応援してくれてるの?」
井手からの問いかけに「まあ、一応」とほんのわずかだけ照れながら返事をする榛名暁平の姿は、大人びてみえる彼もやっぱり同い年なのだと安東に感じさせた。
「じゃああたしらもまた試合へ応援しに行かないとね。な、ユイ」
まだ顔のほてりがおさまっていない安東も、このときばかりは力強く頷いた。
「そっか。ありがとう、あいつらも喜ぶ」
もちろんマサもな、といたずらっぽく笑いながら彼が言い添える。
いつかは自分の気持ちにきちんと決着をつけなければならない。それは安東にもわかっていた。迷いなく、真正面から想い人に「好きだ」と告げたい。
「応援、してるから。矢野くんだけじゃなく榛名くんも、片倉さんも、みんなだよ。それだけはずっと変わらないから」
伝えたい言葉があるならきちんと声に乗せよう。あの日、何も言えなかったことはもうどうにもできないが、だからといってあきらめるなんてできない。それができるくらいならとっくにやっているのだ。
どれだけ時間がかかろうとも矢野政信の隣に立てる自分になりたい、そう彼女は強く望む。
「──委員会の仕事があるのを忘れてたんだよ。だからもう行くわ」
笑顔のまま軽く手を上げ、榛名暁平は足早に立ち去っていった。
まだ14歳という年齢にはおよそ釣り合わないほどの期待や同情、羨望や嫉みといった周囲の感情を背負う彼の後ろ姿を安東は静かに見送る。
しばらくして隣に視線を遣ると、井手美咲が真剣な眼差しでまだ榛名暁平の背中を見つめていた。ただ、ずっと見つめていた。
男性アイドルグループのメンバーで誰が好きか、給食でどのメニューが好きか、姫ヶ瀬市でどのスポットがいちばんお気に入りか。他の誰かと答えが被った記憶は驚くほど彼女にはない。だからといって自分のセンスが悪いとはただの一度も感じなかった。
学年で最も人気の高い男子生徒が誰であるのかは安東も知っている。榛名暁平だ。その洗練された外見もさることながら、よくいえば個性的なサッカー部の面々をずば抜けた実力と存在感によって統率し結果を出し続けていた。全国大会出場を果たしたのは鬼島中学の数ある部活動の中でサッカー部だけだ。
たしかに彼は格好いいし雰囲気もある。だが彼とその従姉である一学年上の榛名悠里が並んでいる姿は、安東からすればあまりに様になりすぎていてどこか現実感が薄い。
周りの友達が「榛名くん、榛名くん」と熱を上げている中、安東の視線は同じサッカー部であっても別の少年にいつでも注がれていた。
夏休みが明けてまだ日の浅い放課後の一階廊下で、安東は榛名暁平と連れだって部活動に向かう彼とすれ違う。
「キョウ、ちょっと髪が伸びてきたんじゃないか?」
いま話しかけている矢野政信、彼こそが安東の想い人だ。彼ら二人と安東とは同じ小学校出身であり、片思いの期間もかれこれ三年を超えてきてしまった。
「そうかも。近いうちにジュンのところで散髪してくるか」
「丸刈りでかまわないならおれがバリカンでやってもいいんだが」
「ノーセンキュー、長すぎず短すぎずがちょうどいいんだよ。サッカーだってバランスが大事だろ」
「たまには変化をつけるのもありだぜ」
そんな会話を背中で聞きながら、安東は「うん、矢野くんの声が聞けた今日はいい一日だったな」というささやかな満足感とともに靴箱へと向かう。
しかし突然、何者かによって後ろから抱きつかれる。安東の知るかぎりそんなことをするのは校内に一人しかいない。
「こらユイ、みてたぞ。声くらいかけてみんかい」
井手美咲、彼女もまた小学校時からの付き合いであり、今では安東にとってかけがえのない親友となっていた。
「ミサキみたいなわけにはいかないよ」
井手は安東の恋心を知っており、ちょくちょくこうやってからかってくる。その大半はいわば背中を押そうというものなのだが、片思いの時間が積み重なっていけばいくほど身動きは取りづらくなっていくのだ、と安東としては弁解のひとつもしたくなる。
自他ともに親友であると認める間柄の二人だが、恋愛に対するスタンスは真逆といってよかった。
どちらかといえば派手な容姿である井手は恋愛も非常にオープンだ。とっかえひっかえ、と言ってしまうと普通ならあまりいい印象を抱かないが、あっけらかんとした彼女の場合だとなぜか周囲もあきらめ顔で許容してしまう。付き合って一週間で振った相手とも友人関係を築き、その後の恋愛相談に乗ったりしているなんて話は安東にしてみればもはや異文化みたいなものだ。
それほど奔放な彼女だが、サッカー部の面々にだけは決してアプローチをかけない。どうしてだろう、と安東は不思議に思ったことがあった。安東自身はあくまで矢野政信一筋だが、榛名暁平をはじめ他にも荒ぶった魅力を持つ男子は多い。
軽い気持ちでそんな疑問をぶつけてみたのだが、井手から返ってきた答えは思いがけず真剣なトーンを帯びていた。
「あの子たちの邪魔はしたくない。お気楽に生きてるあたしみたいなのが、何の考えもなしに簡単に足を踏み入れたらダメな場所なんだ。そういうところだよ、サッカー部は」
出席番号が近かったから。それだけが親しくなったきっかけにもかかわらず、なぜ井手とはとても気が合うように感じていたのか、その理由がはっきりと安東にもわかった瞬間だった。
彼女たちが小学六年生だった夏にあの事故は起こった。矢野政信をはじめとする、鬼島少年少女蹴球団の子たちの家族が一挙に十人も亡くなってしまったのだ。
夏休み中ではあったが、鬼島地区公民館で行われた合同葬儀にもちろん安東たちも参列した。いつもであれば穏やかな表情を崩さない矢野の、魂をどこかに置き忘れてきたような生気のない目を見るたびに彼女の心は激しく痛んだ。そして、自分が彼の悲しみを決して理解しきれないであろうことに途方もない距離を感じた。
たった一言、声を掛けてあげることすらできなかった。そのことは中学二年生となった今でも安東の中で消えない引け目として残り続けている。
「おーい、帰ってこーい」
いきなり両肩を揺さぶられて安東ははっと我に返った。
「すぐにどこか別の世界に行っちゃうんだから、この子は」
「ごめん。でも、もうちょっと手加減してほしい」
まだ少し揺れている頭を止めるかのように、こめかみに手をやった安東がわざとらしく口を尖らせた。
「はは。何その顔」
そう言って笑う井手の表情が急に真顔へと変わる。
「あ、矢野」
不意に後ろを差した彼女の指を追って、首がねじ切れそうなほどのものすごい勢いで安東は振り返った。
だがそこにいたのは矢野政信ではなく榛名暁平だ。
「ごっめーん、見間違えちゃったあ」
わざとらしいほどの大根役者ぶりで眉を寄せる井手に対し、なぜか一人こちらに戻ってきている榛名暁平が「あのなあ、どこをどう見たらマサとおれを見間違えるんだよ」とあきれている。
たしかに長身の彼とさほど上背のない矢野政信とではシルエットからしてまるで違うが、しかし安東にとってそんなことは問題ではなかった。
もしかして、今の不用意な行動によって自分の気持ちが榛名くんに知られてしまったのではないか。矢野くんと最も親しい仲である榛名くんに。
そう考えただけで顔面から火が噴き出そうになる。自己新記録を叩きだすであろう全力疾走で今すぐこの場を立ち去りたい、そんな不毛な思いに囚われつつも全身がすっかり金縛りにあったかのように固まってしまっていた。
「ユイぃ、矢野くんじゃなくてごめんねえ」
容赦のない井手はさらなる追い討ちをかけてくる。
もうだめだ、絶対バレた。観念した安東とにやにやしている井手とを交互に見ながら、榛名暁平が「鬼か井手は」とため息をつく。
そして彼は安東の目を見据えてきた。
「いい機会だから言っておくけどな安東、だいぶ前から気づいてたぞ。たぶん本人以外はみんな知っているんじゃねえか」
「わあああああ!」
まさかの事実を突きつけられ、気が動転している安東をよそに「だよね」と平常運転に戻った井手がクールに相槌を打つ。
「この子にはずっと発破かけてるんだけどね」
「マサのやつもそういうのには鈍いからなあ、このままだと気づかず卒業して進路は別ってことになりかねないぞ。余計なお世話かもしれんが」
「もしかして榛名は密かに応援してくれてるの?」
井手からの問いかけに「まあ、一応」とほんのわずかだけ照れながら返事をする榛名暁平の姿は、大人びてみえる彼もやっぱり同い年なのだと安東に感じさせた。
「じゃああたしらもまた試合へ応援しに行かないとね。な、ユイ」
まだ顔のほてりがおさまっていない安東も、このときばかりは力強く頷いた。
「そっか。ありがとう、あいつらも喜ぶ」
もちろんマサもな、といたずらっぽく笑いながら彼が言い添える。
いつかは自分の気持ちにきちんと決着をつけなければならない。それは安東にもわかっていた。迷いなく、真正面から想い人に「好きだ」と告げたい。
「応援、してるから。矢野くんだけじゃなく榛名くんも、片倉さんも、みんなだよ。それだけはずっと変わらないから」
伝えたい言葉があるならきちんと声に乗せよう。あの日、何も言えなかったことはもうどうにもできないが、だからといってあきらめるなんてできない。それができるくらいならとっくにやっているのだ。
どれだけ時間がかかろうとも矢野政信の隣に立てる自分になりたい、そう彼女は強く望む。
「──委員会の仕事があるのを忘れてたんだよ。だからもう行くわ」
笑顔のまま軽く手を上げ、榛名暁平は足早に立ち去っていった。
まだ14歳という年齢にはおよそ釣り合わないほどの期待や同情、羨望や嫉みといった周囲の感情を背負う彼の後ろ姿を安東は静かに見送る。
しばらくして隣に視線を遣ると、井手美咲が真剣な眼差しでまだ榛名暁平の背中を見つめていた。ただ、ずっと見つめていた。
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