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第一章 秘伝のお仕事
014 クレーム対応はお早めに
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2017. 12. 29
**********
ホテルの従業員と口論している男性の宿泊客。それに近付きながら、おやと思った。
その男性を知っていたのだ。これならば、対応の仕方は難しくないだろう。
「失礼、伊上様では?」
「ん!? た、高耶君ではないか!」
「はい。このような場所でお会いするとは奇遇ですね」
彼は高耶のバイト先である『エルターク』の客の一人だ。
「ここは素敵なレストランですね。ピアノもあって雰囲気も良い」
「ああ。この夜景とピアノの生演奏。それが素晴らしくてな。妻に是非それを体験してもらおうと思ったんだが……」
高耶と話すことで落ち着いてきたらしい。以前、知り合いと泊まった時にここでの食事が気に入った伊上は、今回、都合をつけて妻と共にやって来た。しかし、夜景はキレイに見えるが、ピアノ演奏がなかった。
まだ時間もピーク時ではなく、今日はバイオリン演奏が予定されているらしい。
このホテルでは、曜日によって生演奏の楽器が変わるのだという。
伊上はピアノが一等好きらしく、たまたまピアノ演奏のある土日に来ていたので、それを知らなかったのだ。
そこで、高耶はホテルの従業員に提案する。ここで、伊上と言い争う声を聞いて来たのではないともアピールしておくのは忘れない。
「あのピアノを近くで見させてもらおうと思っていたのですが……バイオリンの演奏は七時からでしたよね? その前にピアノを弾かせていただくことはできませんか?」
「それは構いませんが……」
伊上のクレームもこれならば解決できる。だが、少ないとはいえ、客が入っている。ホテルのレベルを考えると、下手な演奏は困るというのもあるのだろう。
従業員が思案する一方で、伊上が喜びの声をあげる。
「いいのかいっ。エルタークには妻を連れていけないから、高耶君の演奏を聴かせられるのは嬉しいよっ」
「ありがとうございます。では、場もありますし、三曲ほど披露させていただきます」
「よろしく頼むよっ!」
伊上はいそいそと彼の妻らしき者の席まで戻っていく。ピアノからも程よい席だった。
「では、ピアノをお借りします」
「はい……」
半ば強引に許可を得て、ピアノに向かう。この場に合う選曲を頭の中でチョイスし、伊上が好きだと言っていた曲があったなと思い至り、それを一つ入れておく。
そして、演奏を始める。音響もピアノの音も素晴らしいものだった。高耶も気持ちよく演奏することができた。ついでにこの場を浄化しておいた。この後、食事が気兼ねなく楽しめるというものだ。
演奏時間は十分程。それを終えて席を立ち礼をすると、客だけではなくホテルの従業員達も満足げに拍手をしてくれた。
「いやぁ、高耶君。素晴らしかったよ。本当にありがとう」
そう言って伊上が歩み寄ってくる。その後ろには、彼の妻がいた。
「とてもステキな演奏……主人が気にいるのもわかりました」
「ありがとうございます」
「来週も店に行くよ。またよろしく頼む」
「はい。お待ちしております」
頭を下げ、高耶も伊上も席へ戻る。
そこでようやく、そういえば家族がいたのだったと思い出した。
「高耶君っ。凄いじゃないかっ」
「ちょっと、高耶、あなたピアノなんていつからっ」
「おにいちゃんすごぉい!」
「はは……食べようか……」
食事の続きをと席に着く高耶に、家族達の視線が集まっていた。さすがにここで騒ぐ気はないらしく、少々視線が鬱陶しいくらいで済んだ。
少々のトラブルはあったが、デザートまで堪能した高耶達は、そろそろ旅館の方へ戻るためレストランを出る。
その後は穏やかに楽しく時間が過ぎた。高耶がそれとなく温泉に誘ったりして、質問を受け付けなかったのだ。そして、満足した家族達は眠りに付く。
高耶だけは夜にメールしたりすることがあるからと、別の小さな部屋に布団を用意してもらったので、まだ眠らずにいた。
「お帰り、爺さん。どうだった」
時刻は夜の十時を過ぎた頃。そこに、充雪が戻ってきたのだ。
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ホテルの従業員と口論している男性の宿泊客。それに近付きながら、おやと思った。
その男性を知っていたのだ。これならば、対応の仕方は難しくないだろう。
「失礼、伊上様では?」
「ん!? た、高耶君ではないか!」
「はい。このような場所でお会いするとは奇遇ですね」
彼は高耶のバイト先である『エルターク』の客の一人だ。
「ここは素敵なレストランですね。ピアノもあって雰囲気も良い」
「ああ。この夜景とピアノの生演奏。それが素晴らしくてな。妻に是非それを体験してもらおうと思ったんだが……」
高耶と話すことで落ち着いてきたらしい。以前、知り合いと泊まった時にここでの食事が気に入った伊上は、今回、都合をつけて妻と共にやって来た。しかし、夜景はキレイに見えるが、ピアノ演奏がなかった。
まだ時間もピーク時ではなく、今日はバイオリン演奏が予定されているらしい。
このホテルでは、曜日によって生演奏の楽器が変わるのだという。
伊上はピアノが一等好きらしく、たまたまピアノ演奏のある土日に来ていたので、それを知らなかったのだ。
そこで、高耶はホテルの従業員に提案する。ここで、伊上と言い争う声を聞いて来たのではないともアピールしておくのは忘れない。
「あのピアノを近くで見させてもらおうと思っていたのですが……バイオリンの演奏は七時からでしたよね? その前にピアノを弾かせていただくことはできませんか?」
「それは構いませんが……」
伊上のクレームもこれならば解決できる。だが、少ないとはいえ、客が入っている。ホテルのレベルを考えると、下手な演奏は困るというのもあるのだろう。
従業員が思案する一方で、伊上が喜びの声をあげる。
「いいのかいっ。エルタークには妻を連れていけないから、高耶君の演奏を聴かせられるのは嬉しいよっ」
「ありがとうございます。では、場もありますし、三曲ほど披露させていただきます」
「よろしく頼むよっ!」
伊上はいそいそと彼の妻らしき者の席まで戻っていく。ピアノからも程よい席だった。
「では、ピアノをお借りします」
「はい……」
半ば強引に許可を得て、ピアノに向かう。この場に合う選曲を頭の中でチョイスし、伊上が好きだと言っていた曲があったなと思い至り、それを一つ入れておく。
そして、演奏を始める。音響もピアノの音も素晴らしいものだった。高耶も気持ちよく演奏することができた。ついでにこの場を浄化しておいた。この後、食事が気兼ねなく楽しめるというものだ。
演奏時間は十分程。それを終えて席を立ち礼をすると、客だけではなくホテルの従業員達も満足げに拍手をしてくれた。
「いやぁ、高耶君。素晴らしかったよ。本当にありがとう」
そう言って伊上が歩み寄ってくる。その後ろには、彼の妻がいた。
「とてもステキな演奏……主人が気にいるのもわかりました」
「ありがとうございます」
「来週も店に行くよ。またよろしく頼む」
「はい。お待ちしております」
頭を下げ、高耶も伊上も席へ戻る。
そこでようやく、そういえば家族がいたのだったと思い出した。
「高耶君っ。凄いじゃないかっ」
「ちょっと、高耶、あなたピアノなんていつからっ」
「おにいちゃんすごぉい!」
「はは……食べようか……」
食事の続きをと席に着く高耶に、家族達の視線が集まっていた。さすがにここで騒ぐ気はないらしく、少々視線が鬱陶しいくらいで済んだ。
少々のトラブルはあったが、デザートまで堪能した高耶達は、そろそろ旅館の方へ戻るためレストランを出る。
その後は穏やかに楽しく時間が過ぎた。高耶がそれとなく温泉に誘ったりして、質問を受け付けなかったのだ。そして、満足した家族達は眠りに付く。
高耶だけは夜にメールしたりすることがあるからと、別の小さな部屋に布団を用意してもらったので、まだ眠らずにいた。
「お帰り、爺さん。どうだった」
時刻は夜の十時を過ぎた頃。そこに、充雪が戻ってきたのだ。
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