煌焔〜いつか約束の地に至るまで〜

紫南

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第一章

034 伝えたい言葉

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2018. 11. 9

**********

『姉上……姉上……』

声が聞こえる。これは大切な弟の声だ。

『姉上。私の声が、聞こえますか』
(聞こえているよ)

心の中で答えれば、それが聞こえたようだ。

『良かった。やっと届いた……ずっとずっと、何度叫んでも、外に届かなかったから……っ』

この声だけは、絶対に忘れたくない。

留めておきたい。

そんな事は無理だと知っている。いつかは忘れてしまうと分かっている。だから、もっと聞かせて欲しい。

耳から離れなくなるほどに。

幻聴を追う事ができるほどに。

『姉上、どうしてもお聞きしたい事があるのです……』
(何だ?)
『こんな事を聞いて、変な子だってお思いになるかも……』

こんな言い方をされれば、笑みが浮かぶ。

(構わない。お前の聞きたい事、知りたい事ならば何だって答えてあげるよ)

いつだって、そんな頼れる姉でいたいと思ってきたのだから。

『……姉上と私は、姉弟ですよね…~0』
(あぁ。私の唯一の弟だ)
『でも、姉上には妹もいる。私は……こんな事を言ったら、子どもだとお笑いになるかもしれませんが、私に双子の妹が居ると知った時、私だけの姉上でいて欲しいと思ってしまいました……』

沙稀は決して、わがままなんて言わなかった。どんな無茶な願いでも叶えたいと思っていたのに、時折、何かに耐えるように感じた時があった。

(お前が私の弟だという事は変わらない。それじゃ駄目か?)

妹である嘩羅も、もう切り離せない大切な子だと思っている。けれどきっと、沙稀が『自分だけの姉上であって欲しい』と願うならば頷いてしまうだろう。

それでもそれを、沙稀は決して口にはしないと分かっている。

『いいえっ、ただ、妹はこれからも姉上の傍に居られるのに、私は……』
(忘れないよ)

精一杯の想いを込めて伝えた。これに、沙稀は苦笑して呟くような声音を乗せる。

『……姉上はそうおっしゃると思ってました……』

本当は逝かないで欲しい。

何より、どうしてと言いたいことがあった。

(なぜ、お前は最期の時に、私を呼ばなかった……)

問うべきではないと思っているのに、尋ねてしまった。

沙稀は一瞬躊躇うように沈黙した後、ゆっくりと言葉を重ねた。

『……姉上は、どんな事をしてもあの瞬間、私を助けてくれたでしょう。けれど、私の魂はどうにもならないほど弱っていました。腐った様に……健やかにずっと姉上と一緒にはいられない。だから、今が最期で良い……そう思ったのです』

姉から托された真名を、呼ばないように。怖くて、叫び出そうとする思いを必死で堪えた。

それは、続くただ一つの願いの為だった。

『姉上。もう一度……もう一度があったなら、今度も姉上の弟に……傍に居たいです……お傍に行く事を許してっ……くださいますか……?』

それだけが沙稀の唯一の願いだった。それ以外は何も望まないのだと樟嬰にも痛いほどの強い想いが伝わってきた。だから、これ以上ない笑顔で伝える。

(もちろん。待っているよ)
『……っ……ます……っ』

それが今生での沙稀の最期の言葉だった。

◆  ◆  ◆

七色の光がゆっくりと収束していく。樟嬰は、その光に小さく呟いた。

「行ってらっしゃい……」

沙稀の笑顔が見えた。

この笑顔はきっと消えない。あの声を忘れてしまったとしても、焼きついた笑顔だけは残り続ける。だから、決して曇らぬように、大切に守ろう。

あの子が帰ってくるまで。

「桂薔。大事な別れの時に悪いが、外がえらい事になっているぞ」

柳が、他人事の様にのんきに上を指して言った。

「何が……っ」

つられて上を見上げ、何もない高い天井を見た。すると、神族の研ぎ澄まされた感覚が、外の動きを伝えてくる。

それは複数の妖魔の気配と、逃げ惑う人々の気配だった。

「っ、樟嬰様ッ。地下に飼われていた妖魔が、老様達を追ってっ……」
「母上と三妃はご無事か」
「はいっ。他の影達がそちらの方に。ですが、妖魔達が屋敷の外に出てしまっ……どちらにっ」

話す途中で、紅炎と共に外に出て行こうとする樟嬰に驚いた朔兎は、慌ててその道をふさいだ。

「どきなさい。華月院の問題に、民達を巻き込む気か」
「構いませんっ。あれほどのお力を使ったばかりなのですよッ。あなたの身に何かあったらッ……っ。華月院の事などッ、他人の事などどうでも良い! あなたに何かあったら……わたくしは死を選びますッ」

強い意思と揺るがぬ想い。

これだから人は困る。昔のままの樟嬰ならば、老達がどうなろうが、民達がどうなろうが、沙稀さえ無事ならばどうでも良かった。だが、今は違う。

「他人がどうでも良いなどと、私はもう思えない。母上の想いを知り、葉月の者達と共に過ごして必死で共に闘った。そして……沙稀の愛した国を知った。だから、どうでも良いなどと思えない」
「あなたが出て行く事はないでしょうッ。今回の事は、老様達の自業自得。手を出す事などありませんっ」

必死の想いを感じる。守りたいのだと訴える朔兎の左肩に片手を置き、優しく諭す。

「これは老達の行いに、今まで気付こうとしなかった私の怠慢が招いた結果だ。華月院に生まれた者としての役目を果たそうとしなかったツケだよ。それに……ほら、私は一人ではない。お前も、手を貸してくれるだろ?」

意地悪く笑って、言葉をなくした朔兎に背を向けた。

◆  ◆  ◆

「民達の避難を最優先で! 叉獅っ、状況はどうですかっ」
「正門から出て来てるのは殺ってるが、他の門の方はまだわからねぇ」

時は、ほんの少し遡る。

樟嬰が心配で、こっそりと屋敷の前まで来ていた朶輝と叉獅、叉翰は、落ち着きなくうろうろと門を尻目にさ迷っていた。

「姫さん遅いなぁ……もう大分時間経ったのに……」
「何かあったか……そういやぁ、嘩羅の奴どこ行ったんだ?」
「っ、もう我慢できませんっ。直ちに屋敷へと乗り込んで、樟嬰様を奪還ッ……っ」
「落ち着けってっ。ホントお前って、見た目似合わず直情型なのな……」

今にも飛び出して行こうとする朶輝を取り押さえながら、叉獅はどうすべきか悩んでいた。

無鉄砲な弟と、情緒不安定な同僚に着いて来てはみたが、これ以上抑えておく自信がない。と言うか、自分も本当は樟嬰の下へとすっ飛んで行きたい。だが、樟嬰が一人で行くと言って出て行った以上、手を出すべきではないとも思っている。

「……樟嬰様……まだですかい……」

そうしてすったもんだを繰り返していると、屋敷の中から大きな爆発音のような音と、人の悲鳴が聞こえてきた。

「っ……なんだッ」
《グギェェェッ》

次いで聞こえてきたのは、紛れもない妖魔の声だった。

「っ、叉獅ッ……あれはっ……」

朶輝が指を指した方向を見れば、逃げ出してくる老人達が、妖魔に喰われる所だった。

「マジかよっ!? 兄貴ッ」
「おぅっ。やるぞッ」

門から出てしまった妖魔二体を、それぞれ迎え撃つと、更に門から出て来ようとする妖魔達へと二人で向かう。

最強と名高い叉獅の棍と、それには及ばないものの、叉翰の力強い槍が乱れ舞う。

「叉翰っ、絶対に民の被害を出すなよっ」
「わかってらぁっ」

こうして兄弟二人の攻防戦が始まった。

朶輝の連れてきた兵達で屋敷を取り囲み、民達の避難を始める。

「慌てずに、領城へ避難をっ」

屋敷を背に、避難指示を出す朶輝は、不安げに屋敷を振り仰いだ。火がついたのか、屋敷の中から煙りが上がっているのが見える。

「……樟嬰様……」

その時、屋敷の方から勢いよく、黒い影が空を横切った。

「朶輝っ、老達を逃がすなっ」

鋭い責に反射的に応え、華月院の老を数人見つけると、手刀を見舞って地へと横たえた。そして、空を振り仰ぐ。

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読んでくださりありがとうございます◎

次回、また明日です。
よろしくお願いします◎
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