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第二章
065 さすがに折れました
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2019. 8. 20
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朶輝に腕を取られ、樟嬰は驚いていた。普段の樟嬰ならば、不用意に手を伸ばされたならば、間違いなく反射的に振り払っている。
それだけ、咄嗟に動いてしまうほど、護身術が身に染み付いているのだ。
だが、今夜は神族としての姿へ変化したこともあり、いつもよりも反応が遅くなっているらしい。とはいえ、お陰で朶輝に怪我をさせることはなかった。
「朶輝……危ないからあまり私に触れるな」
「っ、あ、失礼しました……」
本当に申し訳なさそうに慌てて手を離し、頭を勢いよく下げる朶輝。それを見て苦笑する。
「いや、私は別に構わないのだが、乱暴に振り払ってしまうかもしれんからな。朶輝が怪我をしなくてよかった」
「は、はい……っ」
明るすぎない夜の室内。その明かりに照らされる朶輝の顔は、影になっていてもわかるくらいに赤く染まっていた。それは羞恥だろうか。樟嬰には、礼儀に反した行動をした後の花街の少女達の表情と同じだなと思っただけだった。
実際の朶輝は、自身を心配してくれたという嬉しさと触れてしまった腕に戸惑っていたのだ。そうとは知らず、樟嬰は首を傾げている。
「それで……まだ私に何かあるのか?」
何か言いたいことがあって引き止めたのだろうと、少々上にある朶輝の顔を見上げて返事を待つ。
「っ、その……樟嬰殿にお願いがあるのです」
「私に? 別にできることならば構わんが……」
「ではっ」
朶輝はその場に跪き、胸に手を当てた。それは、誰かに誓いを立てる時に見せるものだ。
「朶輝?」
一体、自分に何を誓おうというのか。樟嬰は少しばかり身構える。
神族の血を引く樟嬰に立てる誓いは強い強制力を持ってしまう。だから、樟嬰は不用意にそれを了承してはならないのだ。
心を落ち着け、きちんと真意を見定めなくてはと朶輝を見つめた。顔を伏せたまま、朶輝は口を開いた。
「ずっと、貴女を見てきました。貴女がいなければ、今日という日はなかった。この領を変えようと動くことはできませんでした」
ゆっくりと顔を上げた朶輝の瞳には、強い光が宿っていた。決意をした者の目だ。
「だからこそ思うのです。樟嬰殿こそが、この葉月領の首領に相応しいと」
「な……何を言っている?」
一気に分けがわからなくなった。
朶輝は目を細め、微笑みを浮かべる。それはこうして伝えられたことが嬉しいというような、満足気なものだった。否、してやったりという顔にも見える。
「既に領官全ての同意も得ております。どうか、首領になってください」
「まっ、待てっ。私はまだ成人もしていない小娘だ。その上、お前達を散々苦しめてきた家の者だぞ。聞いていなかったのか?」
冷静にという思いはどこへ行ったのか。樟嬰は大いに動揺していた。ただでさえ、慣れない神族の姿へ変わったことでいつもよりも思考が鈍くなっているのだ。
言われたことを理解するのに必死だった。
一方で朶輝は余裕の笑みだ。狼狽する樟嬰の姿を見て喜んでいるようにも見える。
「わかっております。ですが、そのような些事はどうでも良いのです。私どもは今まで、首領を選ぶことはできなかった。それができるのですから十分です。そして、選んだのは貴女です」
「……ただ神輿が欲しいだけならば、もっと扱い易い者もいるのではないか?」
バカな命令をしない。お人形が欲しいだけかと樟嬰は少しばかり肩の力を抜いた。しかし、途端に朶輝が顔をしかめる。
「違います!」
「っ……いや、だが……」
「貴女が良いと言ったのです。他の誰でもない。貴女が良いと……私は、貴女にお仕えしたい」
「朶輝……っ」
真剣だった。嘘偽りがそこにはないのだということが、樟嬰にはわかってしまった。
「どうか、お願いいたします。私に、貴女にお仕えする栄誉を……お側に居たいのです……ここでは誰にも、貴女に危害を加えさせませんっ。華月院の姫であろうと構いません。貴女がいい」
これほどまでに求められたことなどあっただろうかと樟嬰は思う。
これほどまでに求める人に出会ったことがあっただろうかと朶輝は思う。
「この葉月領の首領に……私の主になってください。我々の……私の心からの忠誠を貴女に……貴女だけに誓わせていただきたい」
「っ……朶輝……」
それは、心からの請願。それがわかってしまったからこそ、樟嬰は折れるしかなかった。
「……華月院の女などを頭に据えるんだ……きっと、面倒なことになるぞ……」
「いいえ。なりません。言ったでしょう? 華月院の姫であろうと構わないのだと。私は貴女であればいいのです」
「そう簡単なものではないと思うが?」
「あの元首領を引き摺り下ろすほどに難しいことではないでしょう。貴女が不安な所は、おいおいなんとかして参ります。その辺は全てお任せくださればいい」
「……」
これは折れたなと判断した朶輝は、もう樟嬰の反論など機嫌良く全てはね返すという荒業に出ていた。
「私をお側に置いてくだされば問題ありませんので」
「……お前……」
笑顔が輝いていた。そして、ここで追い打ちをかける。
「首領の件、ご了承いただけますか?」
「……はあ……どうなっても知らんからな……」
「はい! 誠心誠意お仕えいたします。樟嬰様!」
樟嬰は、ここに呆気なく陥落した。
***********
読んでくださりありがとうございます◎
次回、30日の予定です。
よろしくお願いします◎
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朶輝に腕を取られ、樟嬰は驚いていた。普段の樟嬰ならば、不用意に手を伸ばされたならば、間違いなく反射的に振り払っている。
それだけ、咄嗟に動いてしまうほど、護身術が身に染み付いているのだ。
だが、今夜は神族としての姿へ変化したこともあり、いつもよりも反応が遅くなっているらしい。とはいえ、お陰で朶輝に怪我をさせることはなかった。
「朶輝……危ないからあまり私に触れるな」
「っ、あ、失礼しました……」
本当に申し訳なさそうに慌てて手を離し、頭を勢いよく下げる朶輝。それを見て苦笑する。
「いや、私は別に構わないのだが、乱暴に振り払ってしまうかもしれんからな。朶輝が怪我をしなくてよかった」
「は、はい……っ」
明るすぎない夜の室内。その明かりに照らされる朶輝の顔は、影になっていてもわかるくらいに赤く染まっていた。それは羞恥だろうか。樟嬰には、礼儀に反した行動をした後の花街の少女達の表情と同じだなと思っただけだった。
実際の朶輝は、自身を心配してくれたという嬉しさと触れてしまった腕に戸惑っていたのだ。そうとは知らず、樟嬰は首を傾げている。
「それで……まだ私に何かあるのか?」
何か言いたいことがあって引き止めたのだろうと、少々上にある朶輝の顔を見上げて返事を待つ。
「っ、その……樟嬰殿にお願いがあるのです」
「私に? 別にできることならば構わんが……」
「ではっ」
朶輝はその場に跪き、胸に手を当てた。それは、誰かに誓いを立てる時に見せるものだ。
「朶輝?」
一体、自分に何を誓おうというのか。樟嬰は少しばかり身構える。
神族の血を引く樟嬰に立てる誓いは強い強制力を持ってしまう。だから、樟嬰は不用意にそれを了承してはならないのだ。
心を落ち着け、きちんと真意を見定めなくてはと朶輝を見つめた。顔を伏せたまま、朶輝は口を開いた。
「ずっと、貴女を見てきました。貴女がいなければ、今日という日はなかった。この領を変えようと動くことはできませんでした」
ゆっくりと顔を上げた朶輝の瞳には、強い光が宿っていた。決意をした者の目だ。
「だからこそ思うのです。樟嬰殿こそが、この葉月領の首領に相応しいと」
「な……何を言っている?」
一気に分けがわからなくなった。
朶輝は目を細め、微笑みを浮かべる。それはこうして伝えられたことが嬉しいというような、満足気なものだった。否、してやったりという顔にも見える。
「既に領官全ての同意も得ております。どうか、首領になってください」
「まっ、待てっ。私はまだ成人もしていない小娘だ。その上、お前達を散々苦しめてきた家の者だぞ。聞いていなかったのか?」
冷静にという思いはどこへ行ったのか。樟嬰は大いに動揺していた。ただでさえ、慣れない神族の姿へ変わったことでいつもよりも思考が鈍くなっているのだ。
言われたことを理解するのに必死だった。
一方で朶輝は余裕の笑みだ。狼狽する樟嬰の姿を見て喜んでいるようにも見える。
「わかっております。ですが、そのような些事はどうでも良いのです。私どもは今まで、首領を選ぶことはできなかった。それができるのですから十分です。そして、選んだのは貴女です」
「……ただ神輿が欲しいだけならば、もっと扱い易い者もいるのではないか?」
バカな命令をしない。お人形が欲しいだけかと樟嬰は少しばかり肩の力を抜いた。しかし、途端に朶輝が顔をしかめる。
「違います!」
「っ……いや、だが……」
「貴女が良いと言ったのです。他の誰でもない。貴女が良いと……私は、貴女にお仕えしたい」
「朶輝……っ」
真剣だった。嘘偽りがそこにはないのだということが、樟嬰にはわかってしまった。
「どうか、お願いいたします。私に、貴女にお仕えする栄誉を……お側に居たいのです……ここでは誰にも、貴女に危害を加えさせませんっ。華月院の姫であろうと構いません。貴女がいい」
これほどまでに求められたことなどあっただろうかと樟嬰は思う。
これほどまでに求める人に出会ったことがあっただろうかと朶輝は思う。
「この葉月領の首領に……私の主になってください。我々の……私の心からの忠誠を貴女に……貴女だけに誓わせていただきたい」
「っ……朶輝……」
それは、心からの請願。それがわかってしまったからこそ、樟嬰は折れるしかなかった。
「……華月院の女などを頭に据えるんだ……きっと、面倒なことになるぞ……」
「いいえ。なりません。言ったでしょう? 華月院の姫であろうと構わないのだと。私は貴女であればいいのです」
「そう簡単なものではないと思うが?」
「あの元首領を引き摺り下ろすほどに難しいことではないでしょう。貴女が不安な所は、おいおいなんとかして参ります。その辺は全てお任せくださればいい」
「……」
これは折れたなと判断した朶輝は、もう樟嬰の反論など機嫌良く全てはね返すという荒業に出ていた。
「私をお側に置いてくだされば問題ありませんので」
「……お前……」
笑顔が輝いていた。そして、ここで追い打ちをかける。
「首領の件、ご了承いただけますか?」
「……はあ……どうなっても知らんからな……」
「はい! 誠心誠意お仕えいたします。樟嬰様!」
樟嬰は、ここに呆気なく陥落した。
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よろしくお願いします◎
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