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ゲスト・ルームの通信が途絶え、ジョシュは長い息を吐いた。
「喋りませんでしたね、艦長」
メインルームの通信装置を切りながら、マナ・ホップスが漏らした。
「あぁ、そうだな」
もしかしたら、信頼出来る男なのかも知れない。そう思いながら、ジョシュはワイズを振り返った。
彼はまだ神経回路システムと格闘中で、忙しなく手元を動かしている。
「まだ原因の特定は出来ないのか?」
「こりゃ……マズイぞ!」
ワイズが緊迫した声を出した。ジョシュはすぐ司令席から立ち上がると、ワイズの傍らに膝をついた。
「マズイって……?どう言う事だ?」
メインルームにも緊張が走り、顔を上げたワイズからは冷や汗が滲んでいる。
「ボツリヌス菌だ。早く血清をかき集めないと……!」
医学書でその名前を見た覚えはあったが、その症状が思い出せなかった。
「ボツリヌス菌って……?」
そう尋ねると、船医長はジョシュを睨んできた。
「ボツリヌス菌ってのは、自然界で最も毒素の強い菌だ。その毒素が1gあれば、人類を約100万人殺せると言われてる」
眉間に深く刻まれた皺が、事態がいかに危険な状態にあるかを示唆しているかのようだ。
「感染経路は?」
「はっきりと特定は出来ないんだが……とにかく、血清を持ってくる」
ワイズは素早く立ち上がると、メインルームを出て行った。それと入れ代わりに、ファイがケリーを伴って入って来る。
「どうかしましたか?」
「ウイルスが特定出来た。ボツリヌス菌だそうだ」
そうジョシュが言うと、ファイの隣にいるケリーが眉根をひそめた。
「ボツリヌス菌ですか?そんな馬鹿な……ボツリヌス菌は、ボツリヌス毒素を含んだ食物を食べる事で起こる食中毒では?」
そう言ったケリーを、ジョシュは睨んだ。優秀な船医であるワイズが、間違った診断を下すとは考えにくい。
「いえ、フィックス。感染経路はそれだけではありませんよ」
冷静な口調でファイがそう言うと、ケリーは彼を見上げた。ジョシュもファイを見遣る。
「確かに、ボツリヌス毒素を含んだ食物を食べる事で感染します。ですが、稀に傷口にボツリヌス菌が感染して起こる事もあります。また、海底からも毒素が検出された例はあります」
「じゃあ……今回は、その海底からのケースって訳か?」
ジョシュが鋭く言い放つと、ファイは口角を僅かに引き攣らせた。
「その可能性が高いと思われます。多分、海底に沈んでいた毒素が、アルテミス号が沈んだ衝撃で浮遊し、それが船体に出来た破損部位から感染したんだと考えられます。直ちに破損部位を検証すべきです、艦長」
納得のいく説明だ。ジョシュは通信装置でワイズに指示を出すと、再び司令席に着いた。
「で……その症状ってのは?」
ファイが数歩ジョシュに近付き側へ立つと、神経回路システムを見つめたまま説明を始めた。
「ボツリヌス毒素は、主に四肢の麻痺を引き起こします。そして重篤な場合は、呼吸筋を麻痺させ死に至らしめます。その他の症状として、複視、構音障害、排尿障害、発汗障害、喉の渇きがみられますが、発熱はほとんどなく、意識もはっきりしたままです」
複視とは、眼筋麻痺によって外界の1つの物体が、異なった場所に2つに見える事で、二重視とも言う。その事をジョシュは思い出しながら、腕を組んだ。すると、ケリーが首を傾げながら近付いてくる。そして、ジョシュの左手側に立った。右手側にはファイが立っている。
「申し訳ないんだが、ファイ……構音障害、と言うのはどう言う……?」
その手元はジャケットの裾に触れ、指先で小さく弄っている。
「構音障害と言うのは、発音が正しく出来ない症状の事を言います。構音と言うのは医学用語で、言語学上で言うところの調音です。一般には、発音の操作、と理解されていますが、他に喉頭以上の音声器官の操作との理解もあり、喉頭の障害である発声障害とは区別されています」
言葉を切り、ファイはジョシュを間に挟みながらケリーを見つめた。その瞳は細められていて、疑心の為と言うよりは、眩しそうだった。
「そう……なんですか」
と、フィックス・ケリー。
「はい。構音障害の症状は4つに分類されます」
親指を曲げ、指を4本立てたファイは、ジョシュを一瞥してきた。そして1度拳を握ると、今度は人差し指を1本だけ立てた。
「1つ目は器質性構音障害で、音声器官における形態状の異状により、引き起こされる発音上の障害です」
中指が立ち上がる。
「2つ目は運動障害性構音障害で、音声器官の運動機能障害による、発話の障害です」
次は薬指だ。
「3つ目は聴覚性構音障害で、聴覚の障害による二次的な発音上の障害です」
最後に小指を立てたファイは、神経回路システムの前へと歩いて行った。が、ケリーはジョシュの側にいて、まだ裾を指先で弄っている。
「4つ目は機能性構音障害で、今述べた3つのような医学的原因の認められない本能性の障害です」
言い終えたファイは口角を僅かに引き攣らせ、腰の後ろで手を組んだ。
理解しようと努めた結果、ジョシュの頭はショートでも起こし兼ねない勢いで熱くなり始めていた。だから、慌てて思考を別の物へ向ける事にする。
「なんにせよ、人体に感染したら厄介だってのは分かったよ。ファイ、お前はワイズ……キルトン船医長の手助けをしてくれ」
多分今頃、破損部位を検証し、その感染ルートの確認をしているだろう。それが済めば、神経回路システムに血清を投与だ。
──だがもし、何等かの理由でそのボツリヌス菌がクルー達に感染していたら?
そうしたら、ボツリヌス毒素の唯一の抗毒素である、ウマ血清が不足するだろう事は明白だ。血清確保も重要だが、とにかく感染していないかどうかの検査を行わなければならない。
そこまで言わなくても、ファイの考えはとうにそこへ行き着いているだろう。
「ケリーさん、貴方はゲスト・ルームで待機してて下さい」
そう言うと、ジョシュは通信装置のスイッチを入れた。
「喋りませんでしたね、艦長」
メインルームの通信装置を切りながら、マナ・ホップスが漏らした。
「あぁ、そうだな」
もしかしたら、信頼出来る男なのかも知れない。そう思いながら、ジョシュはワイズを振り返った。
彼はまだ神経回路システムと格闘中で、忙しなく手元を動かしている。
「まだ原因の特定は出来ないのか?」
「こりゃ……マズイぞ!」
ワイズが緊迫した声を出した。ジョシュはすぐ司令席から立ち上がると、ワイズの傍らに膝をついた。
「マズイって……?どう言う事だ?」
メインルームにも緊張が走り、顔を上げたワイズからは冷や汗が滲んでいる。
「ボツリヌス菌だ。早く血清をかき集めないと……!」
医学書でその名前を見た覚えはあったが、その症状が思い出せなかった。
「ボツリヌス菌って……?」
そう尋ねると、船医長はジョシュを睨んできた。
「ボツリヌス菌ってのは、自然界で最も毒素の強い菌だ。その毒素が1gあれば、人類を約100万人殺せると言われてる」
眉間に深く刻まれた皺が、事態がいかに危険な状態にあるかを示唆しているかのようだ。
「感染経路は?」
「はっきりと特定は出来ないんだが……とにかく、血清を持ってくる」
ワイズは素早く立ち上がると、メインルームを出て行った。それと入れ代わりに、ファイがケリーを伴って入って来る。
「どうかしましたか?」
「ウイルスが特定出来た。ボツリヌス菌だそうだ」
そうジョシュが言うと、ファイの隣にいるケリーが眉根をひそめた。
「ボツリヌス菌ですか?そんな馬鹿な……ボツリヌス菌は、ボツリヌス毒素を含んだ食物を食べる事で起こる食中毒では?」
そう言ったケリーを、ジョシュは睨んだ。優秀な船医であるワイズが、間違った診断を下すとは考えにくい。
「いえ、フィックス。感染経路はそれだけではありませんよ」
冷静な口調でファイがそう言うと、ケリーは彼を見上げた。ジョシュもファイを見遣る。
「確かに、ボツリヌス毒素を含んだ食物を食べる事で感染します。ですが、稀に傷口にボツリヌス菌が感染して起こる事もあります。また、海底からも毒素が検出された例はあります」
「じゃあ……今回は、その海底からのケースって訳か?」
ジョシュが鋭く言い放つと、ファイは口角を僅かに引き攣らせた。
「その可能性が高いと思われます。多分、海底に沈んでいた毒素が、アルテミス号が沈んだ衝撃で浮遊し、それが船体に出来た破損部位から感染したんだと考えられます。直ちに破損部位を検証すべきです、艦長」
納得のいく説明だ。ジョシュは通信装置でワイズに指示を出すと、再び司令席に着いた。
「で……その症状ってのは?」
ファイが数歩ジョシュに近付き側へ立つと、神経回路システムを見つめたまま説明を始めた。
「ボツリヌス毒素は、主に四肢の麻痺を引き起こします。そして重篤な場合は、呼吸筋を麻痺させ死に至らしめます。その他の症状として、複視、構音障害、排尿障害、発汗障害、喉の渇きがみられますが、発熱はほとんどなく、意識もはっきりしたままです」
複視とは、眼筋麻痺によって外界の1つの物体が、異なった場所に2つに見える事で、二重視とも言う。その事をジョシュは思い出しながら、腕を組んだ。すると、ケリーが首を傾げながら近付いてくる。そして、ジョシュの左手側に立った。右手側にはファイが立っている。
「申し訳ないんだが、ファイ……構音障害、と言うのはどう言う……?」
その手元はジャケットの裾に触れ、指先で小さく弄っている。
「構音障害と言うのは、発音が正しく出来ない症状の事を言います。構音と言うのは医学用語で、言語学上で言うところの調音です。一般には、発音の操作、と理解されていますが、他に喉頭以上の音声器官の操作との理解もあり、喉頭の障害である発声障害とは区別されています」
言葉を切り、ファイはジョシュを間に挟みながらケリーを見つめた。その瞳は細められていて、疑心の為と言うよりは、眩しそうだった。
「そう……なんですか」
と、フィックス・ケリー。
「はい。構音障害の症状は4つに分類されます」
親指を曲げ、指を4本立てたファイは、ジョシュを一瞥してきた。そして1度拳を握ると、今度は人差し指を1本だけ立てた。
「1つ目は器質性構音障害で、音声器官における形態状の異状により、引き起こされる発音上の障害です」
中指が立ち上がる。
「2つ目は運動障害性構音障害で、音声器官の運動機能障害による、発話の障害です」
次は薬指だ。
「3つ目は聴覚性構音障害で、聴覚の障害による二次的な発音上の障害です」
最後に小指を立てたファイは、神経回路システムの前へと歩いて行った。が、ケリーはジョシュの側にいて、まだ裾を指先で弄っている。
「4つ目は機能性構音障害で、今述べた3つのような医学的原因の認められない本能性の障害です」
言い終えたファイは口角を僅かに引き攣らせ、腰の後ろで手を組んだ。
理解しようと努めた結果、ジョシュの頭はショートでも起こし兼ねない勢いで熱くなり始めていた。だから、慌てて思考を別の物へ向ける事にする。
「なんにせよ、人体に感染したら厄介だってのは分かったよ。ファイ、お前はワイズ……キルトン船医長の手助けをしてくれ」
多分今頃、破損部位を検証し、その感染ルートの確認をしているだろう。それが済めば、神経回路システムに血清を投与だ。
──だがもし、何等かの理由でそのボツリヌス菌がクルー達に感染していたら?
そうしたら、ボツリヌス毒素の唯一の抗毒素である、ウマ血清が不足するだろう事は明白だ。血清確保も重要だが、とにかく感染していないかどうかの検査を行わなければならない。
そこまで言わなくても、ファイの考えはとうにそこへ行き着いているだろう。
「ケリーさん、貴方はゲスト・ルームで待機してて下さい」
そう言うと、ジョシュは通信装置のスイッチを入れた。
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