朝起きたら幼馴染が隣にいる

あやかね

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天ヶ崎蝶とランニング 2

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「オロロロロロロロロ……………」

「言わんこっちゃない………」

 僕は学んだ。無理はダメ。絶対。

「まったくもう。ゆう君も結局は男の子なんだねぇ……」

「どういう……意味だ……?」

 全速力で走ったあとのあの酸っぱい味とざらざらする喉を感じながら、僕は首を動かして蝶を見上げた。

「負けず嫌いですぐに無理する。自分の限界も知らないでついて行こうとして結局こうやって迷惑かける。一応言っておくけど、私、男の先輩にだって勝ってるんだからね。ついて来ようとするのが無茶なんだって」

 ほら大丈夫? と蝶が僕の背中をさする。

 僕は地面にへの字型になって突っ伏していた。への右端が頭で左端が足だと思っていただければいい。

 体に熱がこもって頭がグワングワンしていた。朝食を食べていないのが幸いだったというべきか。喉元をこみ上げる不快感を逃がすために何かを吐くのだが、胃がすっからかんなので吐くものがない。僕は何を吐いているんだろう?

 蝶はそんな僕を哀れに思ったのか、少し声を柔らかくして背中をさすりながら言った。

「一流の選手はね、体調管理が完璧な人がなれるの。ガムシャラに走ればアスリートになれるってわけじゃないんだよ」

「それくらい知ってる」

「じゃ、なんで無理したの」

 僕は少し間を開けて答えた。

「………蝶が、楽しそうだったから」

「はあっ!?」

「楽しそうに走ってたろ。だから……」

 走っている間にこれといった会話は無かったけれども、蝶の口角が上がって笑っているように僕には見えた。

 彼女は友達といるときは常に笑顔だけど、走っているときは常に真剣な表情をしている。何かと戦っているような、触れたら血が出るつるぎのような雰囲気を醸し出しているのだ。

 だからという訳ではないが、僕にはどうしてもリタイアする気になれなかった。蝶を一人にしたらまたあの表情で走るのかと思うとできなかった。

 いまだけは笑っていて欲しいと思ったから。

 蝶には楽しく走ってほしかったから。

 ……まあ、それは僕の要らぬおせっかいである。彼女にとってはただの迷惑だったかもしれないのだ。

「悪い。トレーニングの邪魔だったよな。僕は帰るよ……ぐえっ」

「ダメ。待ちなさい」

 僕が体を起こそうとすると、蝶の手が僕の首を掴んで、無理やり後ろに引っ張った。

 何をするのかと振り向こうとした頭に、ふいに、ふわりと柔らかいものが押し当てられる。

「まだ歩けるわけないじゃん。もう少しゆっくりしてなよ」

「何を……?」

 それはいわゆる膝枕というやつだった。僕が驚いていると蝶が恥ずかしそうに「寝心地悪いだろ? いつも走ってばっかの筋肉女だから」と言うので、僕は言い返した。

「そんなことはない。アツアツの餅を枕にしてる気分だ」

「それは褒めてるのかな? けなされてるようにしか聞こえないけど」と言った。

 女子は難しいものだ。

 とはいえ急に放り出されるようなことは無かったから怒ってはいないのだろう。

 僕は目をつむって息を整えていた。蝶もたぶんそうしていたのだろう。

 木陰で二人。僕らの耳に届くのはただそよ風が吹き抜ける音のみ。まったく静かだった。二人とも言葉を発さなかった。発する必要が無かったからかもしれない。僕はこの上ない充足感に包まれていたのだから、これ以上何が必要か? いまはただこの満たされた気持ちを味わっていたかった。

 久しぶりに体を動かす楽しさを思い出した気分だった。

 そうして僕達が無言の時を過ごしていると、ふいに、

「……あのさ、ゆう君が初めてなんだよね」と、蝶がぽつりと言った。

 僕は目をつむったまま問いかけた。

「何が」

「私の全力についてきた人。………みんなさ、私の後ろにいるんだよ。私がいつも先頭で、みんなはずっと後ろの方にいる。部活でもそうなんだ」

「………………」

「私ばっかり先頭で、みんなは後ろの方をだべりながらついてくるんだよ。それがとっても悔しくてさ。そりゃ大会なら嬉しいよ。私が一番なんだから。でも、部活ではそうじゃない。私が頑張れば頑張るほど、私はみんなから離れて行くんだ」

 それは全力だからこそ感じる温度差の話だった。

 ただ好きな事に打ちこんでいただけなのに、気づけば周りはみんな冷めていて、楽しかったはずの場所が後ろ指を指される場所に変わる。自分はただみんなと頑張りたいだけ。そう力説すればするほどみんなは冷めていって、自分が熱くなればなるほど周りは冷えていく。その、どうやっても埋まらない溝の話を蝶はしていた。

「私って、なんか、手を抜けないんだよね。ほら、よく言うじゃん? 一人だけ頑張っててダサいって。もっと気楽に生きろって、………でも、それってさぁ、悔しくない?」

「…………………」

「なんで、そんな事を言われなきゃいけないのかなぁ…………」

 ふいに、僕の頬に水のようなものがポタリと落ちた。

「……くやしいよ」

 目を開けると、蝶は泣いていた。

 涙だった。

「私だってみんなと仲良くしたいよ。楽しくおしゃべりして、楽しく部活して、学校帰りにみんなで買い食いしたり………。でも、好きな事だから。走るのが好きだから。もっと速くなりたいから。そう思ったら手が抜けないじゃん? 私は好きな事を頑張ってるだけなのに、どうして馬鹿にされないといけないわけ? どうして、ゆう君は一人でも頑張れるの? 私についてきたの? ………どうして」

「………………なあ、蝶」

 僕は、手を伸ばして蝶の頬に触れた。「お前はすごいヤツだよ」

「………は?」

「蝶はすごいヤツだ。脇目もふらずひたすら努力する。誰にでも真似できる事じゃないと思う。だけどね、人って弱いんだ。誰だって休みたくなる。そういう時に頑張れって言われたら、蝶はどう思う? 自分は充分頑張ってるって、頭にくるだろ?」

「…………うん。そうかも」

「僕はね、蝶は頑張りすぎてるんだと思うよ。頑張る事が当たり前になって、みんなが疲れている事に気がついていないんだ。だからね、蝶はそのままで良いと思う」

「……矛盾してる」

「そうかな? 僕は君と走っていて、たしかに辛かったし、どんだけ速いんだコイツとも思ったけど、でも、楽しかったよ。いまも充足感でいっぱいだ。まったく、人生でこれほど充実してる時間なんて他にないんじゃないかってくらい満足してるよ。だからね、蝶?」

 僕はそこで言葉を切った。そして両手を伸ばして蝶の頬を左右に引っ張った。

「笑えばいいよ。僕が頑張れたのは君が楽しそうに走っていたからだ。君が笑っていたから、僕も楽しかったんだよ」

「……できるかな」

 蝶は不安そうだった。好きな事と真剣に向き合うのが彼女の中での当たり前だったのだから、それをいきなり笑えというのは無茶な話かもしれない。でも、僕は大丈夫だと確信していた。

「できるさ。今日の君は笑ってたんだから」

「―――――――ッ なんだよ、それ。嬉しいじゃんか……嬉しいじゃんかぁ! そんな恥ずかしいこと簡単に言うなよな! だからゆう君は嫌いなんだよ!」

「ほら、心配なんかいらなかった」

 蝶は大粒の涙をこぼしていた。でも、それは決して哀しみの涙なんかじゃなかった。こらえきれない嬉しさが涙になって、とめどなく流れ落ちていたのだ。

 そのときの蝶の笑顔ほど可憐で幸せそうな笑顔を、僕は他に知らない。

「本当に素敵だよ、君は」

 僕は体を起こして伸びをした。

「さて、帰ろうぜ。そろそろ舞羽に心配されるころだ」

「走って?」

 蝶が涙を拭って言う。

「歩いて」

 僕は、筋肉痛に怯えていた。


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