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第5章
(14)死神
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ーー時刻は、深夜一時。
引き続き、TOBARIマンション最上階の一室。
「死神さん、では明日から宜しくお願いします」
「承知しました」
お互いお辞儀をするように頭をペコリと下げた。
「もし本日の寝床の確保がまだでしたら、足の踏み場も無い我が家でもよければ、自由に過ごして下さいね。くつろぐ場所は自力で確保して頂かないとダメですけど」
帳さんからの提案に、私は声を弾ませる。
「お泊まりさせて頂いていいのですか?」
「はい。でもキッチンは、立ち入り禁止でお願いします。僕の聖域なので」
「はい!」
猫の姿で忍び込んだのでは無い。初めてのお泊まりに、ワクワクしながら座れる場所を確保する。ソファーの上の散らかった雑誌を重ねて床に移動させ、洋服は畳んで整えた。
そして思う。
やはり自分は、物や場所を整える作業が嫌いでは無い。むしろ好きだ。
「ついでに、僕が座れそうな場所も確保して頂けると助かります」
帳さんはそう言ってから、キッチンへと足を向けた。
「こんな時間なので、カフェインレスの珈琲でもいかがですか? 豆乳があるので、胃にも優しいソイラテもできますよ。……あ。死神さんはカフェインを気にする必要はなかったですね」
「はい。ですが、ソイラテというものを飲んだ事がないので、それを頂いても宜しいでしょうか」
答えてから、ハッとする。
「これもお代金に加算されますか?」
帳さんは笑って首を横に振った。
「この部屋の散らかり具合を見た死神さんが、あともう一杯くらい珈琲でも頂かないと割に合わない。そう思っていそうな顔をしているなー、と思いまして」
まさにそのままの事を言い当てられてしまい、私は誤魔化すのも忘れて、「そんなに分かりやすいのでしょうか」と聞き返していた。
「分かりやすいです。顔に出ていますよ」
思わず、隠すように手の平で顔を覆う。その直後に「フフッ」と笑う声が聞こえて、私は指の隙間からそっと覗き見る。ニヤけた表情で珈琲豆を挽いている帳さんの顔が見えた。
今更隠しても遅いと、笑っているのだろう。
私は隠すのを諦めて、ソファー前のローテーブルの上にある服も畳み、二人でラテを飲める場所を確保した。そして、カウンターキッチンに立つ帳さんにもう一度視線を向ける。
珈琲を淹れる様子を近くで見学したかったけれど、キッチンは立ち入り禁止なので、少し離れたこの位置から眺める事にした。
「宜しければ、こちらにどうぞ」
帳さんがキッチンカウンターの横にある丸椅子を示した。こっそり眺めていたつもりだったのに、視線に気付かれていたようだ。
「有り難うございます」
答えて、丸椅子に腰掛ける。
そんな私に、帳さんは作業工程を説明しながらソイラテを作ってくれた。
「まず、珈琲豆全体に染みわたるくらいお湯を注いで、一分ほど待ちます。その間に、豆乳を温めます」
豆乳を注いだ小さな鍋をコンロの火にかけ、また珈琲豆の前に戻ってくる。
「少しずつ、お湯を注いでいきます」
円を描くように珈琲豆へとお湯が注がれるたびに、コク深い薫りが部屋に広がり、ペーパーから滴り落ちた漆黒の液体が容器に溜まっていく。
じっくり、丁寧に、その工程を繰り返し、豆乳は沸騰前にコンロの火を止めていた。
「お店のようなカップ&ソーサーではなく、自宅用のマグカップでもいいですか?」
「もちろん!」
私が頷くと、帳さんが食器棚から色味の異なる青いマグカップを二つ取り出した。それは空と海を想起させる、水色と藍色のマグだ。
「死神さんは、どちらがいいですか?」
どちらも美しい青色で迷ってしまう。
悩んでから、私は藍色のマグを指差した。
「私は、深い海の青で」
「では、僕が空の青で」
二つのマグカップに豆乳と珈琲が注ぎ込まれる。黒と白が踊るように混ざり合うと、広がる香りが柔らかなものに変化した。
「ソファーまで運んで頂けますか」
マグカップが乗ったトレーを差し出され、緊張しながらそれを受け取る。
溢さずに運べるだろうか。
恐る恐る足を進め、ローテーブルまでトレーを運んだ。
「帳さん、溢さずに運べました!」
「有り難うございます」
振り返ると、帳さんは手際良く洗い物を済ませ、もうキッチンの流し台を磨いていた。そしてピカピカになった流し台を眺め、「うん、うん」と満足気に頷いている。
そんな帳さんの姿を見て思った。
やはりこの人は、掃除や片付けが出来ない人ではない。ただただ、食に関する物やキッチン以外の場所に興味がないだけなのだろう。
よく見れば、部屋の中はひどく散らかっているけれど、食べ残しや飲み残しと言った物は一つも放置されていない。そのへんの拘りは、徹底されている。
私が明日から頑張らなければいけないのは、キッチン以外の部屋の掃除と洗濯になりそうだ。
帳さんと並んでソファーに座り、マグカップを手にとる。ワクワクしながら、初めて味わうソイラテに口をつけた。
「うわ~。珈琲の風味はしっかり残っているのに、とても優しい味ですね!」
なんだか気持ちがホッとして、心と身体から、ふにゃりと力が抜けたような気がする。
「お店だと、また少し違った味わいですよ」
「どちらも帳さんが淹れるのに、どうして違うものになるのですか」
「お店にはエスプレッソマシンがあるので、エスプレッソと豆乳で、本格的なソイラテが作れます」
「先程の珈琲と、エスプレッソは、何が違うのですか」
今、飲んでいるソイラテもこんなに美味しいのに、これは本格的では無いのだろうか。
「簡単に言うと……普通の珈琲と、凄く苦い珈琲の違いみたいな感じですかね。厳密に説明しましょうか?」
「あ、簡単な方だけで大丈夫です」
なんだか難しそうで、細かい説明を受けても分からないような気がする。自分から質問しておきながら、私は早々に珈琲の知識を深めることを諦めた。
「諦めるの早くないですか?」
「だって……。難しい事は何も知らなくても、珈琲はとても美味しいです!」
私が笑うと、
「同じ事を言うなんて……本当に、よく似ている」
と、帳さんが小さくつぶやいた。
『あなたとよく似た弟』
珈琲店で言われた言葉を思い出す。
あの時と同じで、帳さんはひどく寂しい目をしている。こちらを見ているのに、心には、死神ではない誰かの顔を写しているような気がした。
少しの寂しさを感じて、私はギュッとマグカップを握り締めたのだった。
引き続き、TOBARIマンション最上階の一室。
「死神さん、では明日から宜しくお願いします」
「承知しました」
お互いお辞儀をするように頭をペコリと下げた。
「もし本日の寝床の確保がまだでしたら、足の踏み場も無い我が家でもよければ、自由に過ごして下さいね。くつろぐ場所は自力で確保して頂かないとダメですけど」
帳さんからの提案に、私は声を弾ませる。
「お泊まりさせて頂いていいのですか?」
「はい。でもキッチンは、立ち入り禁止でお願いします。僕の聖域なので」
「はい!」
猫の姿で忍び込んだのでは無い。初めてのお泊まりに、ワクワクしながら座れる場所を確保する。ソファーの上の散らかった雑誌を重ねて床に移動させ、洋服は畳んで整えた。
そして思う。
やはり自分は、物や場所を整える作業が嫌いでは無い。むしろ好きだ。
「ついでに、僕が座れそうな場所も確保して頂けると助かります」
帳さんはそう言ってから、キッチンへと足を向けた。
「こんな時間なので、カフェインレスの珈琲でもいかがですか? 豆乳があるので、胃にも優しいソイラテもできますよ。……あ。死神さんはカフェインを気にする必要はなかったですね」
「はい。ですが、ソイラテというものを飲んだ事がないので、それを頂いても宜しいでしょうか」
答えてから、ハッとする。
「これもお代金に加算されますか?」
帳さんは笑って首を横に振った。
「この部屋の散らかり具合を見た死神さんが、あともう一杯くらい珈琲でも頂かないと割に合わない。そう思っていそうな顔をしているなー、と思いまして」
まさにそのままの事を言い当てられてしまい、私は誤魔化すのも忘れて、「そんなに分かりやすいのでしょうか」と聞き返していた。
「分かりやすいです。顔に出ていますよ」
思わず、隠すように手の平で顔を覆う。その直後に「フフッ」と笑う声が聞こえて、私は指の隙間からそっと覗き見る。ニヤけた表情で珈琲豆を挽いている帳さんの顔が見えた。
今更隠しても遅いと、笑っているのだろう。
私は隠すのを諦めて、ソファー前のローテーブルの上にある服も畳み、二人でラテを飲める場所を確保した。そして、カウンターキッチンに立つ帳さんにもう一度視線を向ける。
珈琲を淹れる様子を近くで見学したかったけれど、キッチンは立ち入り禁止なので、少し離れたこの位置から眺める事にした。
「宜しければ、こちらにどうぞ」
帳さんがキッチンカウンターの横にある丸椅子を示した。こっそり眺めていたつもりだったのに、視線に気付かれていたようだ。
「有り難うございます」
答えて、丸椅子に腰掛ける。
そんな私に、帳さんは作業工程を説明しながらソイラテを作ってくれた。
「まず、珈琲豆全体に染みわたるくらいお湯を注いで、一分ほど待ちます。その間に、豆乳を温めます」
豆乳を注いだ小さな鍋をコンロの火にかけ、また珈琲豆の前に戻ってくる。
「少しずつ、お湯を注いでいきます」
円を描くように珈琲豆へとお湯が注がれるたびに、コク深い薫りが部屋に広がり、ペーパーから滴り落ちた漆黒の液体が容器に溜まっていく。
じっくり、丁寧に、その工程を繰り返し、豆乳は沸騰前にコンロの火を止めていた。
「お店のようなカップ&ソーサーではなく、自宅用のマグカップでもいいですか?」
「もちろん!」
私が頷くと、帳さんが食器棚から色味の異なる青いマグカップを二つ取り出した。それは空と海を想起させる、水色と藍色のマグだ。
「死神さんは、どちらがいいですか?」
どちらも美しい青色で迷ってしまう。
悩んでから、私は藍色のマグを指差した。
「私は、深い海の青で」
「では、僕が空の青で」
二つのマグカップに豆乳と珈琲が注ぎ込まれる。黒と白が踊るように混ざり合うと、広がる香りが柔らかなものに変化した。
「ソファーまで運んで頂けますか」
マグカップが乗ったトレーを差し出され、緊張しながらそれを受け取る。
溢さずに運べるだろうか。
恐る恐る足を進め、ローテーブルまでトレーを運んだ。
「帳さん、溢さずに運べました!」
「有り難うございます」
振り返ると、帳さんは手際良く洗い物を済ませ、もうキッチンの流し台を磨いていた。そしてピカピカになった流し台を眺め、「うん、うん」と満足気に頷いている。
そんな帳さんの姿を見て思った。
やはりこの人は、掃除や片付けが出来ない人ではない。ただただ、食に関する物やキッチン以外の場所に興味がないだけなのだろう。
よく見れば、部屋の中はひどく散らかっているけれど、食べ残しや飲み残しと言った物は一つも放置されていない。そのへんの拘りは、徹底されている。
私が明日から頑張らなければいけないのは、キッチン以外の部屋の掃除と洗濯になりそうだ。
帳さんと並んでソファーに座り、マグカップを手にとる。ワクワクしながら、初めて味わうソイラテに口をつけた。
「うわ~。珈琲の風味はしっかり残っているのに、とても優しい味ですね!」
なんだか気持ちがホッとして、心と身体から、ふにゃりと力が抜けたような気がする。
「お店だと、また少し違った味わいですよ」
「どちらも帳さんが淹れるのに、どうして違うものになるのですか」
「お店にはエスプレッソマシンがあるので、エスプレッソと豆乳で、本格的なソイラテが作れます」
「先程の珈琲と、エスプレッソは、何が違うのですか」
今、飲んでいるソイラテもこんなに美味しいのに、これは本格的では無いのだろうか。
「簡単に言うと……普通の珈琲と、凄く苦い珈琲の違いみたいな感じですかね。厳密に説明しましょうか?」
「あ、簡単な方だけで大丈夫です」
なんだか難しそうで、細かい説明を受けても分からないような気がする。自分から質問しておきながら、私は早々に珈琲の知識を深めることを諦めた。
「諦めるの早くないですか?」
「だって……。難しい事は何も知らなくても、珈琲はとても美味しいです!」
私が笑うと、
「同じ事を言うなんて……本当に、よく似ている」
と、帳さんが小さくつぶやいた。
『あなたとよく似た弟』
珈琲店で言われた言葉を思い出す。
あの時と同じで、帳さんはひどく寂しい目をしている。こちらを見ているのに、心には、死神ではない誰かの顔を写しているような気がした。
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