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06. 昼下がりの乱入者
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学院での昼休みは、主にセドリックと過ごしている。
そこにジェイドがいる時もあったりなかったりするが、最近はふたりになることが多い。
「遠慮してやるから特大に感謝しろよ」と、セドリックに向かって指を突き立てているジェイドを、いつだったか見たことがある。
「はぁ……美味しかった。メインデル魚のフライが最高だった。白身と衣の間にタルタルソースが入ってるなんて憎い演出が……くぅぅぅぅぅ!」
「気に入ってもらえて嬉しいよ。料理長にもウィリムが喜んでいたと伝えておく」
「またよろしくお願いしますっていう文言も必ず付け加えてほしい。いつでも待ってますって」
「想いが熱すぎて妬いてしまうな」
「まさか」
ジェイドとはカフェテリアで食べることが常だったが、セドリックとは中庭でピクニックをしている。
大きなクッスギの木の下にブランケットを敷いて、アンダーソン家特製のランチボックスを楽しむ。
闇を食む一族のランチが気になるって?
大丈夫、至って普通だ。
サンドイッチにフライドチキン、ハンバーグ、グラタン、サラダ、オムレツ、フルーツなどが日替わりでぎっしりとボックスに詰められている。
とてもカラフルだ、ボックスが黒なのを除けば。
初めて一緒に食事をした時に、セドリックが呪術箱のような真っ黒い塊を取り出した時には度肝を抜かれたが、今ではすっかり慣れてしまったウィリムだ。
「うううんんんん! 今日は陽気も良いしちょうど満腹だし、まどろんじゃうね」
「寝る? こっちにおいで」
「……お邪魔します」
ウィリムは大きいセドリックの胸に凭れ掛かった。
全体重を乗せてもビクともしない。
頭をぐりぐりと動かしてしっくりくる位置を探しても動じない。
本当に、出会った一か月前とは比べ物にならないほどに変わってしまった。
「そういえば、成長痛はもうないの?」
「止まった気がする。踵の激痛も終わったし、節々のギミックが異様なぎこちなさをしてたのも消えたし。眠れない夜はもうこれ以上望んでない」
「おっきくなったよね。この前お会いしたお兄さんたちも大きかったから、やっぱり遅れてきた成長痛だったんだろうね」
「それは正解かも。古代湖の闇を食む前から幾つか小さなものを定期的に取り込んでたんだけど、それが成長を妨げていたみたいだ」
「闇を食べると成長が止まるんだ。どういう原理だろうね?」
「体内の毒素分解に注力するから、そっちに生命力が取られるんだろうっていうのが一族の見解。そして今回、闇を祓うスピードが速まったのは、もしかしたら君に会ったことも影響してるかもって」
意外な話の展開に、まどろんでいたウィリムは一気に覚醒した。
なぜそこで己が出てくるのか。
怪訝な顔で婚約者を見上げた。
「なんで? 俺には特殊能力なんてないんだけど?」
「正確には、ウィリムと会って俺の中に気持ちの変化が起きたからだって。恋をしたからだって」
「あ……!」
セドリックの口から出た単語に、ウィリムは条件反射で起き上がった。
起き上がって、身体を離す。
けれど遅かった。
後ずさっても追いかけられる。
離れた分以上に、さらに近づかれる。
狭いブランケットの上での行動範囲は限定的だ。
「大好きだよ、ウィリム・エヴァンズ」
もう既に何百回と聞いた告白。
風にそよぐ木の葉が陽射しの模様を変える昼下がりに、幾度となく落とされた愛の言葉。
それは、ウィリムをくすぐったく撫でていく。
いつも、首を竦めてやり過ごす。
とはいえ。
「僕も好きだよ、セドリック・アンダーソン」
ウィリムはウィリムで素直な性格だ。
胸に抱いた感情があって、その良し悪しを見極め、伝えた方がいいと思ったならば伝えたい。
明るい想いは周りを照らすはずだから、自分の中だけに仕舞っておくのはもったいない。
「ありがとう。でも、俺の方が好きだ」
「そう? それはどうもありがとう」
「何だかあまり伝わってない気がする。君に貰ったあのヘアピンを付けて、もっとアピールした方がいいかな?」
「やめて。その見た目にあのピンは、準備の出来ていないご令嬢方の心臓を色んな意味で撃ち抜いちゃうから。可哀想」
「ウィリムが気に入ってくれればそれでいい。ウィリムが好きだと言ってくれれば、それで」
「可愛くて好きだよ。だから、僕の前だけで付けてほしい」
「承知した」
笑い声を滲ませながら冗談交じりの会話を続ける。
プリズムの陽射しを受けて目を細めたウィリムの上に、影が差す。
見上げれば、思った以上に至近距離にあるセドリックの顔。
あ……と思った。
ゆっくりと近づいてくる。
上を向いているからか、自然と開いていく唇に彼のやわらかいものが重なりそうになったとき。
「ちょっとよろしくて?」
こんな絶好のタイミングで声を掛けてくる奴があるか、というタイミングだ。
空気の読めないその人物へとふたりが顔を向けると、久しぶりにご尊顔を拝謁する対象が立っていた。
「お会いできて光栄です、第三王女殿下」
「ご機嫌いかがでしょうか、第三王女殿下」
「ご機嫌よう。あなたたち、人に挨拶をしている間は離れなさい。高貴なわたくしに失礼でしょう?」
ふたりの世界だったところに割り込んできたそっちの方が失礼なんだが、とウィリムは思ったが、相手は王女だ。
国一番の権力者を父に持つことを忘れてはならない。
渋々身体を離したが、セドリックがウィリムの手を繋いだので、何だか嬉しくなって顔が崩れてしまう。
それを見ていた王女の親衛隊のひとりが、爆裂な咳ばらいをした。
でも知らん。
この手は放さないぞ。
「セドリック・アンダーソン、あなたにお話があります。わたくしと共に来ていただけるかしら?」
「ここでお聞きします」
「わたくしがわざわざあなたのために来て差し上げたんですもの、あなたもわたくしに配慮なさい」
「勝手にいらしたのは王女殿下ですので。俺は婚約者と昼休憩を楽しんでいる最中です。閑談ならば、ご遠慮いただきたく」
「ま、まぁ……外見だけでなく性格まで変わったと聞いていましたが、本当のようね。ふん、いいですわ。今回はわたくしが折れて差し上げましょう」
後ろから走ってきた親衛隊のひとりが、王女に椅子を差し出す。
彼女が無言で座ると、テーブルが設置され飲み物が置かれ、頭上には日傘が二本用意された。
手厚いおもてなし、さすが王女様だ。
「今日、わたくしが出向いたのは他でもありません。あなたと未来の話をしようと思いましたの」
「未来……?」
「あなたとの婚約を復活させてあげようと思って。まさか一度は断たれた道が再び目の前に現れたなんて、まさに夢のようでしょう?」
「婚約……?」
ウィリムとセドリックは、怪訝な顔を隠さずに見つめ合った。
(婚約破棄したのって、王女様自身だったよね? え、あの舞踏会ってもしかして幻だった?)
(いや、書類上も確かに破棄されてる。でなければ、君との誓約書は認められないはずだから)
小声で内緒話をするウィリムとセドリック。
それを黙って静かに見守っている王女ではない。
「わたくしに聞こえては都合が悪いお話の内容を、是非とも教えてくださるかしら? 王族の前でして良い態度ではありませんわ」
「俺との婚約を破棄されたのは王女殿下であったはずです。法的な書類も既に受理されています」
「ええ、だからそれをもう一度提出して差し上げると言っているんです。王族と姻戚関係となれるんですもの、こんなチャンスを逃す愚かな公爵家ではないでしょう?」
「俺を再度婚約者とする意図をお伺いしてもよろしいですか? バーグナー男爵家の令息とは相思相愛であったと認識しているのですが」
「あちらの綺羅星にはあちらの綺羅星にしかない魅力が、あなたにはあなたにしかない魅力がありますわ。その顔立ちですとか、身長ですとか、身体の立派さですとか。あの舞踏会ではわたくし、あなたのポテンシャルの高さに気づきませんでした。わたくしの友人たちも常に噂していますが、本来はとっても素敵でしたのね」
頬を薔薇色に染める王女だが、連ねた理由の内容は結構ひどい。
一息に言うとこうなる。
「自分好みの容姿にセドリック・アンダーソンが変わったから、自ら放流した魚を慌てて追いかけ始めたということですか?」
ウィリムが遠慮のない質問をぶつけると、王女はピンクベージュの瞳をきりりと吊り上げた。
「まぁ、なんて下品な言い方ですの! 侯爵家の分際で! 手違いで袖にしてしまったセドリック・アンダーソンに、もう一度わたくしを愛せる権利をあげようという思いやりですのに」
「あーあーあー、自分都合がすぎて、王族の傲慢さを頭から浴びせかけられているようだね」
「何ですの!?」
「何でもありません」
王女の癇癪を微笑みで相殺する。
年齢的にはひとつ下だが、幼子を相手にしているかのような態度でウィリムは王女に相対している。
その腸は煮えくり返っているけれど。
王女の言い分はつまりこうだ。
セドリックの見た目が良くなったから、もう一度自分のものになれ、と。
派手好きな王女ならではの心境の変化だ。
今や学院中が注目しているセドリックを横に侍らせておきたいと思ったのだろう。
それで優越感にでも浸りたいのだろう。
端正な顔立ちのセドリックと、金髪碧眼の男爵令息の両手に花――
と考えた時に、ウィリムの思考は止まった。
……両手に花?
「王女殿下、バーグナー男爵家の令息はいかがされるおつもりですか? 我が国では王族といえども一夫一妻が原則です」
セドリックも同じことを考えていたようだ。
思わず横を見ると、うんうんと頷かれた。
「もちろん、ロベルトは今後もわたくしのそばにおります」
「一夫一妻ですが?」
「ですから、結婚はアンダーソン公爵家とし、そこにロベルトも連れて行きます」
「は?」
「わたくしは最も高貴な王女ですもの。いくら愛があるとはいえ、男爵家では身分の釣り合いはとれないでしょう? やはり相応な場所に身を収めなくては。公爵家の邸はそれなりに広いと聞きます。わたくしの側仕えがひとり増えたところで困りませんわよね?」
凄い。
さすが。
常日頃、高い場所から世間を見下ろしているからか、抜群に段違いだ。
傲慢さが突き抜けて、もはや人間の領域を凌駕している。
結婚する男の家に不倫相手を堂々と持って行くと宣言できるのは、国中探してもこの王女しかいない。
『産まれた時から我儘姫』と話題になっていただけある。
どこから噛み砕いても咀嚼のできない王女の思考に、ウィリムは飽和状態になった。
(セドリック・アンダーソン、王女様の次元が僕たち下々の者とは全く違っててお話にならないね?)
(どの家庭教師も匙を投げたのに、メンタルの専門家だけはずっと変わらずに指導してるらしいから。自己肯定に一切の躊躇がないみたいだ)
「困りませんわよね? 王女のわたくしがこうして提案して差し上げているんですもの、公爵家はありがたく了承する以外ありませんわよね?」
「お断りします」
「な、なんですって?」
「俺は既にここにいるウィリム・エヴァンズと婚約をしています。あの晩、王女殿下に捨てられた俺を、ウィリムはその温かな心で拾ってくれました。教会から結婚の認可も下りておりますので、撤回するつもりはありません」
「何を血迷ったことを言っているのです! このわたくしが、王女であるわたくしが、あなたと結婚してあげるとわざわざ下手に出てあげているんですのよ! あなたは受け入れることだけすればいいのです!」
「何度でもお断りします。俺の婚約者はウィリムだけですので」
鹿の角を蜂が刺している。
王女の軟弱な剣は、セドリックには欠片も刺さらない。
こんな理屈が刺さる人物もそういないと思うので、王女の後ろで待機している親衛隊の令嬢方の怒り顔がウィリムにはフェイクにしか映らない。
茶番だ。
三文芝居だ。
「ふん、こうなったら強硬手段に出るまでですわ! ロベルト、出て来なさい! セドリック・アンダーソンの婚約者を攫って純潔を奪ってしまいなさい!」
「承知しました!」
どこからともなく現れた金髪に碧眼の派手顔。
その男はブランケットの上にいたウィリムに覆い被さると、その身体を持ち上げた。
「ちょ、え、待っ、えぇぇぇぇぇ!」
そのまま荷物のように抱えられ、持ち去られた。
そこにジェイドがいる時もあったりなかったりするが、最近はふたりになることが多い。
「遠慮してやるから特大に感謝しろよ」と、セドリックに向かって指を突き立てているジェイドを、いつだったか見たことがある。
「はぁ……美味しかった。メインデル魚のフライが最高だった。白身と衣の間にタルタルソースが入ってるなんて憎い演出が……くぅぅぅぅぅ!」
「気に入ってもらえて嬉しいよ。料理長にもウィリムが喜んでいたと伝えておく」
「またよろしくお願いしますっていう文言も必ず付け加えてほしい。いつでも待ってますって」
「想いが熱すぎて妬いてしまうな」
「まさか」
ジェイドとはカフェテリアで食べることが常だったが、セドリックとは中庭でピクニックをしている。
大きなクッスギの木の下にブランケットを敷いて、アンダーソン家特製のランチボックスを楽しむ。
闇を食む一族のランチが気になるって?
大丈夫、至って普通だ。
サンドイッチにフライドチキン、ハンバーグ、グラタン、サラダ、オムレツ、フルーツなどが日替わりでぎっしりとボックスに詰められている。
とてもカラフルだ、ボックスが黒なのを除けば。
初めて一緒に食事をした時に、セドリックが呪術箱のような真っ黒い塊を取り出した時には度肝を抜かれたが、今ではすっかり慣れてしまったウィリムだ。
「うううんんんん! 今日は陽気も良いしちょうど満腹だし、まどろんじゃうね」
「寝る? こっちにおいで」
「……お邪魔します」
ウィリムは大きいセドリックの胸に凭れ掛かった。
全体重を乗せてもビクともしない。
頭をぐりぐりと動かしてしっくりくる位置を探しても動じない。
本当に、出会った一か月前とは比べ物にならないほどに変わってしまった。
「そういえば、成長痛はもうないの?」
「止まった気がする。踵の激痛も終わったし、節々のギミックが異様なぎこちなさをしてたのも消えたし。眠れない夜はもうこれ以上望んでない」
「おっきくなったよね。この前お会いしたお兄さんたちも大きかったから、やっぱり遅れてきた成長痛だったんだろうね」
「それは正解かも。古代湖の闇を食む前から幾つか小さなものを定期的に取り込んでたんだけど、それが成長を妨げていたみたいだ」
「闇を食べると成長が止まるんだ。どういう原理だろうね?」
「体内の毒素分解に注力するから、そっちに生命力が取られるんだろうっていうのが一族の見解。そして今回、闇を祓うスピードが速まったのは、もしかしたら君に会ったことも影響してるかもって」
意外な話の展開に、まどろんでいたウィリムは一気に覚醒した。
なぜそこで己が出てくるのか。
怪訝な顔で婚約者を見上げた。
「なんで? 俺には特殊能力なんてないんだけど?」
「正確には、ウィリムと会って俺の中に気持ちの変化が起きたからだって。恋をしたからだって」
「あ……!」
セドリックの口から出た単語に、ウィリムは条件反射で起き上がった。
起き上がって、身体を離す。
けれど遅かった。
後ずさっても追いかけられる。
離れた分以上に、さらに近づかれる。
狭いブランケットの上での行動範囲は限定的だ。
「大好きだよ、ウィリム・エヴァンズ」
もう既に何百回と聞いた告白。
風にそよぐ木の葉が陽射しの模様を変える昼下がりに、幾度となく落とされた愛の言葉。
それは、ウィリムをくすぐったく撫でていく。
いつも、首を竦めてやり過ごす。
とはいえ。
「僕も好きだよ、セドリック・アンダーソン」
ウィリムはウィリムで素直な性格だ。
胸に抱いた感情があって、その良し悪しを見極め、伝えた方がいいと思ったならば伝えたい。
明るい想いは周りを照らすはずだから、自分の中だけに仕舞っておくのはもったいない。
「ありがとう。でも、俺の方が好きだ」
「そう? それはどうもありがとう」
「何だかあまり伝わってない気がする。君に貰ったあのヘアピンを付けて、もっとアピールした方がいいかな?」
「やめて。その見た目にあのピンは、準備の出来ていないご令嬢方の心臓を色んな意味で撃ち抜いちゃうから。可哀想」
「ウィリムが気に入ってくれればそれでいい。ウィリムが好きだと言ってくれれば、それで」
「可愛くて好きだよ。だから、僕の前だけで付けてほしい」
「承知した」
笑い声を滲ませながら冗談交じりの会話を続ける。
プリズムの陽射しを受けて目を細めたウィリムの上に、影が差す。
見上げれば、思った以上に至近距離にあるセドリックの顔。
あ……と思った。
ゆっくりと近づいてくる。
上を向いているからか、自然と開いていく唇に彼のやわらかいものが重なりそうになったとき。
「ちょっとよろしくて?」
こんな絶好のタイミングで声を掛けてくる奴があるか、というタイミングだ。
空気の読めないその人物へとふたりが顔を向けると、久しぶりにご尊顔を拝謁する対象が立っていた。
「お会いできて光栄です、第三王女殿下」
「ご機嫌いかがでしょうか、第三王女殿下」
「ご機嫌よう。あなたたち、人に挨拶をしている間は離れなさい。高貴なわたくしに失礼でしょう?」
ふたりの世界だったところに割り込んできたそっちの方が失礼なんだが、とウィリムは思ったが、相手は王女だ。
国一番の権力者を父に持つことを忘れてはならない。
渋々身体を離したが、セドリックがウィリムの手を繋いだので、何だか嬉しくなって顔が崩れてしまう。
それを見ていた王女の親衛隊のひとりが、爆裂な咳ばらいをした。
でも知らん。
この手は放さないぞ。
「セドリック・アンダーソン、あなたにお話があります。わたくしと共に来ていただけるかしら?」
「ここでお聞きします」
「わたくしがわざわざあなたのために来て差し上げたんですもの、あなたもわたくしに配慮なさい」
「勝手にいらしたのは王女殿下ですので。俺は婚約者と昼休憩を楽しんでいる最中です。閑談ならば、ご遠慮いただきたく」
「ま、まぁ……外見だけでなく性格まで変わったと聞いていましたが、本当のようね。ふん、いいですわ。今回はわたくしが折れて差し上げましょう」
後ろから走ってきた親衛隊のひとりが、王女に椅子を差し出す。
彼女が無言で座ると、テーブルが設置され飲み物が置かれ、頭上には日傘が二本用意された。
手厚いおもてなし、さすが王女様だ。
「今日、わたくしが出向いたのは他でもありません。あなたと未来の話をしようと思いましたの」
「未来……?」
「あなたとの婚約を復活させてあげようと思って。まさか一度は断たれた道が再び目の前に現れたなんて、まさに夢のようでしょう?」
「婚約……?」
ウィリムとセドリックは、怪訝な顔を隠さずに見つめ合った。
(婚約破棄したのって、王女様自身だったよね? え、あの舞踏会ってもしかして幻だった?)
(いや、書類上も確かに破棄されてる。でなければ、君との誓約書は認められないはずだから)
小声で内緒話をするウィリムとセドリック。
それを黙って静かに見守っている王女ではない。
「わたくしに聞こえては都合が悪いお話の内容を、是非とも教えてくださるかしら? 王族の前でして良い態度ではありませんわ」
「俺との婚約を破棄されたのは王女殿下であったはずです。法的な書類も既に受理されています」
「ええ、だからそれをもう一度提出して差し上げると言っているんです。王族と姻戚関係となれるんですもの、こんなチャンスを逃す愚かな公爵家ではないでしょう?」
「俺を再度婚約者とする意図をお伺いしてもよろしいですか? バーグナー男爵家の令息とは相思相愛であったと認識しているのですが」
「あちらの綺羅星にはあちらの綺羅星にしかない魅力が、あなたにはあなたにしかない魅力がありますわ。その顔立ちですとか、身長ですとか、身体の立派さですとか。あの舞踏会ではわたくし、あなたのポテンシャルの高さに気づきませんでした。わたくしの友人たちも常に噂していますが、本来はとっても素敵でしたのね」
頬を薔薇色に染める王女だが、連ねた理由の内容は結構ひどい。
一息に言うとこうなる。
「自分好みの容姿にセドリック・アンダーソンが変わったから、自ら放流した魚を慌てて追いかけ始めたということですか?」
ウィリムが遠慮のない質問をぶつけると、王女はピンクベージュの瞳をきりりと吊り上げた。
「まぁ、なんて下品な言い方ですの! 侯爵家の分際で! 手違いで袖にしてしまったセドリック・アンダーソンに、もう一度わたくしを愛せる権利をあげようという思いやりですのに」
「あーあーあー、自分都合がすぎて、王族の傲慢さを頭から浴びせかけられているようだね」
「何ですの!?」
「何でもありません」
王女の癇癪を微笑みで相殺する。
年齢的にはひとつ下だが、幼子を相手にしているかのような態度でウィリムは王女に相対している。
その腸は煮えくり返っているけれど。
王女の言い分はつまりこうだ。
セドリックの見た目が良くなったから、もう一度自分のものになれ、と。
派手好きな王女ならではの心境の変化だ。
今や学院中が注目しているセドリックを横に侍らせておきたいと思ったのだろう。
それで優越感にでも浸りたいのだろう。
端正な顔立ちのセドリックと、金髪碧眼の男爵令息の両手に花――
と考えた時に、ウィリムの思考は止まった。
……両手に花?
「王女殿下、バーグナー男爵家の令息はいかがされるおつもりですか? 我が国では王族といえども一夫一妻が原則です」
セドリックも同じことを考えていたようだ。
思わず横を見ると、うんうんと頷かれた。
「もちろん、ロベルトは今後もわたくしのそばにおります」
「一夫一妻ですが?」
「ですから、結婚はアンダーソン公爵家とし、そこにロベルトも連れて行きます」
「は?」
「わたくしは最も高貴な王女ですもの。いくら愛があるとはいえ、男爵家では身分の釣り合いはとれないでしょう? やはり相応な場所に身を収めなくては。公爵家の邸はそれなりに広いと聞きます。わたくしの側仕えがひとり増えたところで困りませんわよね?」
凄い。
さすが。
常日頃、高い場所から世間を見下ろしているからか、抜群に段違いだ。
傲慢さが突き抜けて、もはや人間の領域を凌駕している。
結婚する男の家に不倫相手を堂々と持って行くと宣言できるのは、国中探してもこの王女しかいない。
『産まれた時から我儘姫』と話題になっていただけある。
どこから噛み砕いても咀嚼のできない王女の思考に、ウィリムは飽和状態になった。
(セドリック・アンダーソン、王女様の次元が僕たち下々の者とは全く違っててお話にならないね?)
(どの家庭教師も匙を投げたのに、メンタルの専門家だけはずっと変わらずに指導してるらしいから。自己肯定に一切の躊躇がないみたいだ)
「困りませんわよね? 王女のわたくしがこうして提案して差し上げているんですもの、公爵家はありがたく了承する以外ありませんわよね?」
「お断りします」
「な、なんですって?」
「俺は既にここにいるウィリム・エヴァンズと婚約をしています。あの晩、王女殿下に捨てられた俺を、ウィリムはその温かな心で拾ってくれました。教会から結婚の認可も下りておりますので、撤回するつもりはありません」
「何を血迷ったことを言っているのです! このわたくしが、王女であるわたくしが、あなたと結婚してあげるとわざわざ下手に出てあげているんですのよ! あなたは受け入れることだけすればいいのです!」
「何度でもお断りします。俺の婚約者はウィリムだけですので」
鹿の角を蜂が刺している。
王女の軟弱な剣は、セドリックには欠片も刺さらない。
こんな理屈が刺さる人物もそういないと思うので、王女の後ろで待機している親衛隊の令嬢方の怒り顔がウィリムにはフェイクにしか映らない。
茶番だ。
三文芝居だ。
「ふん、こうなったら強硬手段に出るまでですわ! ロベルト、出て来なさい! セドリック・アンダーソンの婚約者を攫って純潔を奪ってしまいなさい!」
「承知しました!」
どこからともなく現れた金髪に碧眼の派手顔。
その男はブランケットの上にいたウィリムに覆い被さると、その身体を持ち上げた。
「ちょ、え、待っ、えぇぇぇぇぇ!」
そのまま荷物のように抱えられ、持ち去られた。
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