王女が捨てた陰気で無口で野暮ったい彼は僕が貰います

卯藤ローレン

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07. 闇を食む彼

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「本人の許諾なく連れ去る行為は誘拐と同類なんだけど、どう責任取るつもり? バーグナー男爵令息?」
「私は王女の指示に従ったまでだ。王族の命には抗えないしがない男爵家の私だから、少々の悪戯は看過されるだろう。しがない男爵家だから」

 意外な剛腕で抱えられたウィリムが連れて来られたのは、普段は使用していない空き教室だった。
 貴族の子女が通う学院であるので、サブ的な扱いの教室とて装飾は豪華である。
 机の上に座らされたウィリムは、立っているロベルトと対峙している。

「命令には必ず従うってこと?」
「そうだ。彼女は絶対的な存在だ」
「ということは、お前は王女の駒ということになるね? 下位ではあるけれど、一応は貴族である身分が傷つかないの?」
「男爵家の四男など、もはや平民と同じだ。侯爵家に産まれたお前には分かるまい。私はどんな手段を使おうとも、王女の寵愛を握り締め続ける」
「寵愛というよりは、ペットみたいな扱いだったけどね、王女の中では……ごめん、言い過ぎた」
「いや、分かっているから気遣いは結構だ。それでもいい、贅沢な暮らしが出来れば。パトロンがいるなんて勝ち組ではないか!」
「あーそっちのタイプね。同情して損した」

 貴族の矜持を踏みにじられて大変だな、と微かに思っていた気持ちを、ウィリムは丸めて捨てた。
 王女とロベルトは割れ鍋に綴じ蓋のようだ。
 利害関係が一致しているのだろう、ある意味でお似合いだ。

「てことで、僕は何のためにこんなところまで運ばれたのか分からないから、もう行くね。授業の準備をしなくちゃならないし」

 机から降りようとしたウィリムの肩は、ロベルトに押し留められた。
 強い力でもって制される。

「お前を誘拐した目的は、これから達成しなければならないんだ」
「邪魔な僕をその場から消して、セドリック・アンダーソンと王女をふたりきりにさせる以外に目的があるの?」
「あるんだ。――つまりは、こういうことだ」
「――――――――!」

 制服のタイが強引に解かれたと思ったら、シャツの合わせを思い切り左右に開かれた。
 無理やりこじ開けるその仕草に、耐え切れなかったボタンが数個飛んでいく。
 突然の衝撃に、ウィリムは反応が出来なかった。
 婚約者がいるとはいえ未だ純潔だ、こんな状況は初めてで色々追い付かない。

「バーグナー、何をして……」

 すぐさまシャツを掻き合わせようとするけれど、その手は机に押さえ付けられた。
 晒された肌を、ロベルトの視線が撫でていく。

「放せ、やめろ。おい、気持ち悪いから離れろって」
「純情だな。婚約者とまだそうことはしていないのか?」
「なんでお前なんかに教えてやらなきゃならない? 雑魚な妄想膨らませてないで、どけって」

 どうにかして振り切ろうともがく、その度に拘束は強まっていく。
 身長差があるせいか、力の差は歴然としていて、じたばたするだけで終わってしまう。
 脚を振り上げようとしたが、それも空振りだった。

「大人しくしてくれ、そうすれば早めに済むから」
「済むって何が?」
「これからお前に、ちょっとばかし手を出そうと思っている」
「……は?」

 あまりにも聞き捨てならない台詞に、耳が音を拾うのを拒否した。
 こいつは何を言っているんだ?

「僕をどうするつもりだって?」
「ちょうど良いところまで手を出せ、という王女からの指令だ」
「……はぁ? 手を出すって? 男に男を襲わせるって? ちょうど良いって? あの世間知らずな高慢ちき、頭のネジが外れすぎて狂ったのか?」
「口を慎め、エヴァンズ。嫌なら眼を瞑っていろ」
「あーあーあー! ちょっと、ちょっと待った!」

 顔を近づけてくるロベルトを全力で拒否する。
 盛大に身体を揺らしたら、反動で枷となっていた腕が外れた。
 これはチャンスと、相手の頬やら顎やら耳やらに容赦なく張手をお見舞いした。

「顔はやめて、顔はやめてくれ! せっかくのチャームポイントが、王女が唯一好きだと言った私の自慢が台無しになる! 顔はやめてくれぇ!」
「じゃあ、一旦離れろよ! 顔がウィークポイントだっていうなら張り倒してやるぞ!」
「分かった、どきます……あぁ、痣になってはないか? 無様に腫れたりはしていないか? どうだ?」
「お前の顔なんてどうでもいい」

 なんて冷酷なんだ……と、しょんぼりしながらロベルトは二歩下がった。
 乱れたシャツを直しながらウィリムは男を睨み上げる。

「お前の王女への熱くて偏執的な想いは分かった。分かったけど、いくら命令されたからって男を襲うなんて正気か? 気に入られるためには何でもいいなりになるのか?」
「パトロンのためならこの程度は許容範囲だ。最後までしろと言われたわけではないし。上半身くらいなら問題ない」
「こっちには問題大ありだって。はぁ……そばにいる毒が強烈だと、やっぱり人って毒されていくんだね。可哀想に」
「毒とはいえ王族だ。その庇護下は有益この上ない。というわけで、再開だ」
「は? うわぁぁぁ!」

 一足飛びに屈みこんだロベルトの息が首筋に当たる。
 これは絶体絶命だ、とウィリムが絶望を抱いていると――

「ぐへぇ!」

 その自慢の頬が、横から飛び出してきた拳に吹っ飛ばされた。
 整った顔立ちは見るも無残に歪められながら床へと倒れていく。

「無事か? ウィリム」
「セドリック・アンダーソン!」

 そこには婚約者の姿があった。
 息切れの激しさから、全力で探しにきてくれたことが連想されて、ウィリムの胸は場違いなほどにきゅんとした。

「怪我はしてない? 嫌なことをされたり痛いことをされたりはして……どうしたの? これ」

 足先から上へ辿るようにウィリムの身体を確かめていたセドリックの指が、胸元で止まった。
 ボタンがなくなって閉じることの出来なくなったシャツ。
 そこからは肌が覗く。

「あいつに破られちゃって。や、でも大丈夫。本当に大丈夫。何にもされてないから。ほんとに、寸での未遂だから」

 何をそんなに慌てることがあるのか、というほどに焦りながら言い訳をするウィリム。
 疚しいことなんてないのに、その態度が疚しさの輪郭を濃くしていくかのようだ。

「信じて。ほんとに少しも触られてもないから、大丈夫だから。信じてほしい」
「うん、信じてる。大丈夫だよ、ウィリム。嫌な思いをしたのは君なんだから、必死に弁解なんてしなくていい。傷ついている自分を自分でさらに傷つけなくていい」

 セドリックは着ていたブレザーを脱いで、ウィリムの胸元が隠れるように被せた。
 そして、ふわりと抱き締める。

「怖かった?」
「怖くはなかったけど、気持ち悪かった。好きでもない奴に近づかれても、嫌悪感でいっぱいになるだけだね」
「来るのが遅くなってごめん。こんなことになる前に探し出せなかった俺のせいだ」
「お前のせいじゃない。全てはあいつと王女のせいだ」

 あいつと呼ばれたロベルトは、殴られた衝撃に床で七転八倒していたが、ようやく起き上がったようだ。
 拳の形に赤くなっている頬を押さえながら、ひどく泣いている。

「ひっく……顔がぁ、私のっ、顔がぁぁぁぁ……元に戻らなかったらどうしてくれるっ、王女に捨てられたら、私の安定は消えてしまうじゃないかぁぁぁぁ」
「うるさい、ロベルト・バーグナー。顔があっただけ幸運だろう?」
「あんなパンチ一発で人の顔がなくなるわけないだろっ……ひっひっひっく……痛いぃぃぃ」
「出来ないと言うならやってみようか。殴らなくても、顔なんて簡単に消してしまえる。何なら、お前という存在自体も食んでしまおうか……」

 セドリックの星の散る瞳が黒く塗りつぶされていく。
 その横顔は、見たことがないほどに冷たく無表情だった。
 彼が立っている周辺も、反時計回りに空気が黒く渦巻いていくようで。
 ロベルトの元へと向かうその背中には、黒い羽が生えたようだった。

「食む? 何を意味の分からないことを……」
「人の内側には誰にでも闇がある。どんな善人にも聖者にも、後ろ暗い部分は必ず存在する。我らアンダーソンは闇を食む一族だ。その対象に大小は関係ない。たったの一粒の闇でも、それを起点に全てを飲み込んでしまえる」

 セドリックがロベルトの前に手の平を翳した。
 瞬きひとつの間に、そこには塵のような黒い粒子が集まり始めていた。
 それらはどこから流れてくるのか。

「ひ、ひぃぃぃ、やめてくれ! やめてやめて!」

 ロベルトの泣き顔が最大級になる。
 ウィリムが声を上げようとした時。

「……あはは、冗談だ。そんなことはしないよ」

 一瞬で黒の粒子は消えた。
 渦も羽も、見間違いだったかのように跡形もなく消えた。
 呆気に取られたロベルトは目を見開いている。

「どんな闇でも、食めば一定期間は代償を払わなければならないから。お前という無駄なものを取り込んで、影を背負う訳にはいかないんだ。ウィリムとの新婚生活を満喫したいからね」
「あ、あり、ありがとう。ありがとうっ!」
「これに懲りたらウィリムには絶対に手を出さないことだ。我々を裏切れば、必ず報復を受けることを忘れるな」
「わ、分かった! 分かった!」

 ロベルトは脱兎のごとく逃げ出した。
 廊下で派手に転ぶ音が聞こえたが、もう可哀想とは思わない。
 因果応報だ、ズボンの縫い目でも裂けてしまえ。

 そう念じているウィリムの元にセドリックが戻ってくる。
 無表情は消えていた。

「本当はロベルトを食むつもりはなかったよね?」
「うん、あれは脅し。でも、有言不実行のつもりはないよ。もし今後も君を害することがあれば、本当にやってしまうかもしれない」
「怖いことを言わないで、セドリック・アンダーソン。そうならない未来が来ることを切に願ってるよ」
「そうだね。王女も牽制しておいたから、彼らが卑怯な真似をすることはないはずだ」
「王女も牽制したの? どうやって?」
「同じことをした。まさか人間は食めないだろう、と勘違いをしていたから、手を翳してすこし実践して見せただけ」
「うわぁ……」

 王女は絶対にトラウマになっただろう。
 後ろ姿を見ていたウィリムでさえも、その悪夢のような光景に恐怖で背筋が凍ったのに。
 今頃喚き散らして爆泣きしていることだろう。

「一応、相手は王族なんだけど大丈夫?」
「王女が今日のことを国王に話したとしても、状況説明の途中で墓穴を掘ることになるから心配しないで。婚約破棄自体も教会への背信行為だったのに、さらには婚約者のある男に無理やり迫らせた不貞教唆まで重なっては、明らかに王女の方が分が悪いから」
「ま、確かに。好き勝手やりすぎだよね……」

 笑うウィリムの胸元から、セドリックのブレザーが落ちた。
 通常とは反対側に掛けられていた上着は、引っ掛かりが少なく状態を保てなかったようだ。

「好き勝手やりすぎだ、本当に。君にこんなことして……」

 無防備に開いた胸元。
 ウィリムがシャツを閉じるよりも先に、そこにセドリックの指が潜り込んでくる。

「セドリック?」
「ここ、あいつに見られた?」
「まぁ、多少は。無理やり広げられたから、その瞬間は見られたかな。でも、そんなに長い時間じゃなかった……っ」
「見られたんだ……じゃあ、消毒しないとね」

 肌を撫でられた。
 指が鎖骨の辺りを往復して、下へとさがっていく。

「え、え、なんで……セドリック?」

 星の散る瞳が眇められる。
 その目は拗ねているようでもあり、怒っているようでもあった。
 笑っているのに笑っていない。
 奥の奥で、炎が燃えている。

「触られた? こんな風に」
「っ、触られて、ない」
「こうやって赤く染まっていくのを辿られたりした?」
「されてない…ぁ、…っ」

 両胸の真ん中を親指で擦られる。
 薄い皮膚を超えて心臓を撫でられているようで、刺激が響く。
 恥ずかしくて、身体が勝手に発熱する。

 仰け反ろうにも背中を腕で支えられ、いつの間にか脚の間に差し込まれた大きな身体に覆いかぶさられては抵抗らしい抵抗は不可能だ。
 唯一動かせる腕にも力が入らない。
 羞恥と訳も分からない場所から這い上がってくる甘い痺れで、上手く身動きが出来ない。

「されてないんだ……じゃあ、こうやってキスはされた?」
「あっ!……やぁ」
「答えて、ウィリム・エヴァンズ。こうやって舐められたりした?」
「されてない、されてないから……離して、セドリック。も、やだぁ……っ」

 ぞろり、と舌でなぞられる。
 それは小刻みに前後して怪しい場所へと侵入していく。
 胸元に顔を埋めるセドリックの前髪にさえも肌を撫でられて、ウィリムは身体を揺らした。
 飛んで無くなっていないボタンまでも外されそうになって、必死で押さえる。

「セドリック……セドリック、お願い。待ってほしい……こういうのはちゃんと段階を踏んでからじゃなきゃ……」
「こういうのって?」
「こ、こういうのは、こういうのだろ」
「うーん……こういうの、かな?」

 心臓の上をじゅぅと吸われた。

「あぁ……っ!」

 不意打ちに心が追いつかない。
 忙しなく動く胸に、指も舌も這わされて。
 いっぱいいっぱいで脳が焼き切れそう。

「も、いい。消毒、もういいからっ……こんなことされてない、されてないのに……うぅぅ……バカぁ、うわぁん!」

 と思っていたら、先に涙腺が焼き切れた。
 どうしようもなく流れる涙は、セドリックの正気に縄を掛けて引っ張り戻したようだ。

「ウィリム、ごめん。やりすぎた、本当にごめん。泣かないで」
「僕はちゃんと自分で自分の身は守ったし、お前以外にこんなこと許すわけないじゃないか! 消毒なんて必要ないし、なんだかお前は雰囲気が違うし変だし、もうやだぁ!」
「ごめんごめん。本当にごめん。ウィリムのことが大好きすぎて、頭に血が上った。俺も見たことのない場所を先にあいつに見られたのかと思ったら、嫉妬で制御が出来なかった。申し訳ない」

 すっぱりと頭を下げるセドリックにはもう、先ほどのような鬼気迫る様子はない。
 優しい瞳だけがある。
 だからウィリムも本調子を取り戻した。

「こういうことはセドリックとならいつでもしたいと思うけど、もう少し心の準備をしてからがいい。こんな僕でも恥ずかしくて死んじゃいそうだから、せめて深めのキスから始めてもらえると助かるんだけど」

 ウィリムは伝えたいことは伝える。
 こんな状況でも素直さは忘れない。
 これもエヴァンズの血だ。

 それが相手にどう作用するかなんてことは基本気にしない。
 鎮まっていた滾りに余計な油を注ぐとは、思いもしない。
 それが、深めのキスをして慣らしてくれれば先に進んでもいい、と自ら許可証を発行したとは全く分かってもいない。

「……セドリック?」
「ウィリム、好きだ……」
「んんんっ……んんー!」

 やわらかく蠢く舌に唇を割られて、甘く甘くどこまで嬲られたかはウィリム・エヴァンズのみぞ知る。


 鐘が鳴り始まった午後の授業。
 品行方正な子女の通う貴族学院で、いつまでも持ち主の帰ってこない席がふたつあったという。
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