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06. 攻める、迫る、貴公子
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入学して早二か月ともなると、授業にも慣れ交友関係の広がりも落ち着きを見せる。
貴族学校といえども、ただ通うだけで是とされる風潮はない。
そこは、王都一を誇る学び舎だ。
学生ひとりひとりが家名を背負いプライドを背負い、そして将来を背負いながら、日々、学力を競い合っている。
「えー俺また十位! あんなに苦手な物理を猛勉強したのに、前回と順位変わらずなのテンション下がるー」
毎月恒例の学力試験の結果が返却され、教室は惨憺たる有り様の舞台と化している。
ショーンの後ろの席には、けれど、成績表を前にして何の感慨にもふけっていない二名が。
さっぱりとした帰り支度をしていたりもする。
「ベルジュード、お前何位だった?」
「一位」
「ステファンは?」
「僕は二位だよ」
「相も変わらず友達が秀才と天才で嬉しいんだか、悲しいんだか……ほぼ満点か? 見せて、成績表」
何の衒いもなく差し出された長方形の紙。
そこには、全教科で高得点を取った証明が記されている。
「ベルジュードは漏れなくどの科目も九割超えか、ここまでくると気持ち悪いな。ステファンにおいては全部満点なのに……国語! 国語だけが平均点以下!」
「主人公の気持ちを考察する問題が本当に苦手なんだよね。裏があるかもしれないって思うと考えすぎちゃって、時間が足りなくなっちゃうんだ」
「貴族ことばとか出てこないのに、苦手か?」
「うん。『笑顔で手を振った』っていう描写でも、心では泣いてるかもしれないしなぁとか、怒ってても笑顔の人だっているしなぁとか思うと、わけが分からなくなっちゃう」
国語の問題に、裏の裏の裏なんてあるはずないのだが、無理だ。
考え始めると、思考は一気にステファンの意思を振り切って遠く旅立ってしまう。
だから、いつも半分までも解けずに試験時間が終わってしまう。
熟考しすぎて、体力もそこで尽きてしまう。
ステファンにとって国語に向き合うということは、火の輪をくぐるようなものであり、大袈裟に例えれば命懸けだ。
「まぁでも、理系には激強だから王城研究施設入りは間違いなさそうだな」
「まだ一年生だからどうなるかは分からないけど、将来は父と一緒の道に進みたいと思ってる」
「ウェインハット家は弟に任せるのか?」
「うん、そのつもり。弟は王都で育ったも同然で、家族で一番貴族界隈に慣れてるし」
ステファンは長男であるが、早々に後継者の立場を辞退していた。
父の血が色濃く流れているからか、毒草に関する興味も旺盛で研究への憧れも強い。
理系分野においては天才そのもので、その名は既に王城の一角に届いていると噂されている。
「で、ベルジュードは王城の官僚コースが生まれながらに確定してる、と」
「確定ではないよ」
「嘘つけ」
「私は三男だからね、その道しかないというだけで」
「それも嘘。筆頭公爵家が持て余してる爵位なら、高位のも全然あるだろ?」
貴族家は基本的に嫡男が継ぐ。
女系であるならば、婿を迎えて長女が継ぐのが習わしだ。
正式な手続きを行えば他の兄弟や姉妹にその権利が渡されるが、原則は長子相続である。
跡取りとならなかった次男以下は、家で持っている下位の爵位と共に独立するか、余分な爵位のない家の者は他の選択肢を探さなければならない。
よって、王城勤めはどの貴族にとっても切望の的だ。
安定した給与、盤石な生活水準の確保、役職が付けばさらに安泰となり、国への貢献が認められれば授爵や陞爵も叶いやすい。
高位貴族の後継以外の者や、下位貴族で成り上がりを計る者、そして庶民で一発逆転を狙う者で毎年の採用試験は溢れ返っている。
「ショーンは長男だから、ゼイナル侯爵家を継ぐんだよね?」
「一応な。姉がいるけど、第四王子の婚約者だし」
「え……王家と親戚関係になるの?」
「そう。でも、ベルジュードも言ってみれば王家の血筋だしな」
「うん。現王家は遠い親戚だね」
「え……そうなの?」
「あ? 知らなかった? 五代前の王弟が始祖だぞ」
「全然知らなかった」
ステファンの時が止まる。
その顔は、新種の毒虫に刺された時のような、未知の生物に遭遇してしまったように歪んでいた。
ベルジュードとショーンは声を潜めた。
「あー、言わなきゃよかった? や、でも知らないなんてあるか?」
「小出しにして驚きを緩和しつつという方法もなくはな……ないね」
「ないない。ステファンに小出しは無理。絶対に気づかない」
「そうだね。私たちの家についてこんなにも関心のない同年代は珍しい」
「あいつらしいな」
胸に広がる何とも言えない安堵に、つい笑みが零れる。
ふたりともに社交の場は苦手だ。
下手に出て阿る態度の人間たちの、醜い部分しか見えないから。
媚びへつらう会話の、なんと非生産的なことか。
上辺だけの何の引っ掛かりもない言葉の羅列に、一切心など動かされなかった。
ステファンと会うまでは。
彼を、見つけるまでは。
―――――――――――――――
テスト結果の返却だけで終わった放課後、まだ昼前の時間帯。
レースのカーテンが日向に模様を作る図書館に、ステファンとベルジュードの姿はあった。
天井画の鮮やかな中央スペースから離れたこの自習席には、試験期間を終えた現在、誰もいない。
並んで座る彼らの片方は、閲覧専用書籍の毒草辞典に夢中だ。
「この前もその本を読んでいたけれど、自宅の研究室には置いていないのかい?」
「この本はとっても貴重で、王立図書館とここと、あともう一箇所にしか所蔵されてないんだ」
「外国製だからかな。欲しかったら手に入れてあげるよ」
「……ベルジュードは、魔法とか使えるの?魔法使って転生できるならお願いしたいけど、そうじゃないならベルジュードが死んじゃうのは悲しいから遠慮しておく」
「……私がその本を密輸して、その罰で処刑、一度天昇しても魔法で再び降りてくるなら、という思考の道筋だね?」
全くその通りなことを言葉にされて、ステファンは本から視線を離した。
驚きと喜びが入り混じった表情で、ベルジュードを見る。
「よく分かったね。今回の試験の国語は満点だった?」
「満点だった。それとは関係なく、最近の私は君の考えてることは大方分かるようになってきたんだ」
「どうやったの? その方法を教えてもらえれば、夏休み明けにある定期試験で僕も国語の点数が上がるかもしれない」
何をやっても他人の気持ちが読めない。
生身の人間の感情を解釈することは解毒薬を作るより難しい。
数年かけて難題に挑み続けたステファン自身の思考回路は、自分でも十分自覚するほどにねじ曲がってしまった。
それを、出会って僅か二か月で分析し、解読したベルジュード。
師と仰ぎたいくらいに天才だ。
秘訣があるならば是非教えてほしい。
今後の対策に役立てたい。
読んでいた本を閉じて、身を乗り出す。
一言一句を聞き逃さないように、ステファンは真剣な眼差しでベルジュードを凝視した。
ゆっくりと距離を縮めてくる濃いグレーの瞳。
鼻先同士がぶつかり合うまでに近づいた端正な顔は、軽く顔を横に倒した。
「……んぅ!?」
啄まれる唇。
ちゅ……と音を立てて離れたあとは、唇の端を舌で濡らされて、そして再度食まれる。
離れようとした頭は、いつの間にか首の後ろに回された指に阻まれ身動きが取れない。
ベルジュードの胸元を手で押し返そうとするけれど、逞しい身体は一切たじろがない。
そうでなくとも、初めてのキスだ。
目を閉じるなんてことも忘れてただ衝撃を受け止めているステファンの世界は、甘く細められたベルジュードの瞳でいっぱいになった。
それに心を捕らわれて、ぼやけていく。
「……ステフ、大丈夫かい?」
唇を離しても一向に動かない小動物に、そうさせた本人から心配の声が掛かる。
「……キス……キス、をしたよね? 僕に」
「うん、そうだね。ごめん、きっと初めてだったよね」
「何で知ってるの?」
「そうであってほしいなという、私の願いもこめて」
「どういうこと? 裏の意味がある?」
「あるよ、この場合はね」
裏のないベルジュードにしては珍しいものの言い方だ。
けれど、こうして裏があるということを隠さずに教えてくれるおかげで、彼の誠実さは損なわれない。
安心する。
怯えずにいられる、数少ない温もりの場所だ。
「どういう意味か教えてくれる?」
「いいけれど、聞いてしまったら君はもうきっと戻れないよ。私ももう止まれないし」
「……哲学関連の新しい考察か何かなの?」
「うん、こういう言い方は君には通用しなかったね。これは私の落ち度だ、失敬」
ひとつ咳ばらいをしたベルジュードは、ステファンの両頬に手を添えた。
そして、真っ直ぐ見つめてこう告白した。
「好きだよ、ステフ。私は君のことが大好きなんだ」
「……え? 知らなかった」
「そんなはずはないんだけれどね。出会った初日に、私はいつか付き合おうと君に告げたはずだよ?」
「……あぁ、そうだった。あの言葉の裏側にも別の意図はなかったの? てっきりからかわれたんだと思ってた」
「そう思ってるんだろうなとは思っていたよ。もう少しタイミングを見てから告白しようと計画していたんだけれど、限界が来たみたいだ。ステフ、私の気持ちは抑えきれなくなってしまったんだ」
ステファンの右手を取って、ベルジュードは自身の心臓の上に宛がう。
服を介してなど感じられるはずはないのに、そこから確かに鼓動の速さも激しさも伝わるようで。
それが、想いの強さを表すようで。
「本当に、僕のことが好きなの?」
「好きだよ。世界で一番、宇宙で一番、ステフが好きだ」
「……そ——」
「他意はないよ。そのままの意味だ」
機先を制されて、疑問を打ち砕かれて、ようやくステファンの身の内で火が燃え始める。
意味を理解してしまえば早い。
人の感情の機微には疎いけれど、自分の感情の機微に疎いわけではない。
思わぬところに灯った火は、全身に広がっていく。
紅く染まった首筋に、ベルジュードの口づけが贈られる。
そのままもう一度唇を啄まれた。
「っ、ん……、待っ、こういうのは、僕からの返事を聞いてからじゃ…ぁ」
「教えて、ステフ。君も私が好きだろう?」
「好き……好き、かなぁ?……好きなのか、正直分かんない」
「え……?」
合わさっていた唇が離れて、互いの顔の間にも距離が出来る。
ベルジュードは知り合ってから見た中で、一番唖然とした表情をしていた。
「分からないのかい? そんなにとろんとした眼で見つめておいて? こんなに火照った肌をしておいて?」
「それが好きってことなの?」
純粋な思いのままに尋ねられて、思わず押し黙る。
そういう訳でもない、それとこれとは直結しないこともある、とベルジュードの賢い頭脳は瞬時にそう答を導き出してしまったから。
誤魔化せなかった。
「う……ううん、必ずしも好きってことでも……ない、かもしれない、ね」
しどろもどろの貴公子など、家庭教師に目撃されれば小1時間のお説教ものだ。
けれど、それほどに繕えない。
「ベルジュードのことは好きだけど、それが友達としてなのか、それ以上なのかは今は分からない。ごめん」
「いいんだ、落ち込まないで。ステフを混乱させるために伝えたんじゃないから。想い余ってしまった私のせいだよ」
「……優しいところは好きだよ」
「ステフ、それは——」
「でも、いま分かるのはそこまでだなぁ」
肩を落としたベルジュードは、けれど小さなため息を吐いて顔を上げた。
「オーケー、ステフ。君に男として見てもらえるように、これからもっと努力するよ。私の想いが伝わるように、きちんと態度で示していくから、そのつもりでいて」
綺麗に笑う貴公子。
その瞳の奥が燃えていることなど、世間知らずな伯爵家子息は気づくはずもない。
「うん……お手柔らかにお願いします」
貴族学校といえども、ただ通うだけで是とされる風潮はない。
そこは、王都一を誇る学び舎だ。
学生ひとりひとりが家名を背負いプライドを背負い、そして将来を背負いながら、日々、学力を競い合っている。
「えー俺また十位! あんなに苦手な物理を猛勉強したのに、前回と順位変わらずなのテンション下がるー」
毎月恒例の学力試験の結果が返却され、教室は惨憺たる有り様の舞台と化している。
ショーンの後ろの席には、けれど、成績表を前にして何の感慨にもふけっていない二名が。
さっぱりとした帰り支度をしていたりもする。
「ベルジュード、お前何位だった?」
「一位」
「ステファンは?」
「僕は二位だよ」
「相も変わらず友達が秀才と天才で嬉しいんだか、悲しいんだか……ほぼ満点か? 見せて、成績表」
何の衒いもなく差し出された長方形の紙。
そこには、全教科で高得点を取った証明が記されている。
「ベルジュードは漏れなくどの科目も九割超えか、ここまでくると気持ち悪いな。ステファンにおいては全部満点なのに……国語! 国語だけが平均点以下!」
「主人公の気持ちを考察する問題が本当に苦手なんだよね。裏があるかもしれないって思うと考えすぎちゃって、時間が足りなくなっちゃうんだ」
「貴族ことばとか出てこないのに、苦手か?」
「うん。『笑顔で手を振った』っていう描写でも、心では泣いてるかもしれないしなぁとか、怒ってても笑顔の人だっているしなぁとか思うと、わけが分からなくなっちゃう」
国語の問題に、裏の裏の裏なんてあるはずないのだが、無理だ。
考え始めると、思考は一気にステファンの意思を振り切って遠く旅立ってしまう。
だから、いつも半分までも解けずに試験時間が終わってしまう。
熟考しすぎて、体力もそこで尽きてしまう。
ステファンにとって国語に向き合うということは、火の輪をくぐるようなものであり、大袈裟に例えれば命懸けだ。
「まぁでも、理系には激強だから王城研究施設入りは間違いなさそうだな」
「まだ一年生だからどうなるかは分からないけど、将来は父と一緒の道に進みたいと思ってる」
「ウェインハット家は弟に任せるのか?」
「うん、そのつもり。弟は王都で育ったも同然で、家族で一番貴族界隈に慣れてるし」
ステファンは長男であるが、早々に後継者の立場を辞退していた。
父の血が色濃く流れているからか、毒草に関する興味も旺盛で研究への憧れも強い。
理系分野においては天才そのもので、その名は既に王城の一角に届いていると噂されている。
「で、ベルジュードは王城の官僚コースが生まれながらに確定してる、と」
「確定ではないよ」
「嘘つけ」
「私は三男だからね、その道しかないというだけで」
「それも嘘。筆頭公爵家が持て余してる爵位なら、高位のも全然あるだろ?」
貴族家は基本的に嫡男が継ぐ。
女系であるならば、婿を迎えて長女が継ぐのが習わしだ。
正式な手続きを行えば他の兄弟や姉妹にその権利が渡されるが、原則は長子相続である。
跡取りとならなかった次男以下は、家で持っている下位の爵位と共に独立するか、余分な爵位のない家の者は他の選択肢を探さなければならない。
よって、王城勤めはどの貴族にとっても切望の的だ。
安定した給与、盤石な生活水準の確保、役職が付けばさらに安泰となり、国への貢献が認められれば授爵や陞爵も叶いやすい。
高位貴族の後継以外の者や、下位貴族で成り上がりを計る者、そして庶民で一発逆転を狙う者で毎年の採用試験は溢れ返っている。
「ショーンは長男だから、ゼイナル侯爵家を継ぐんだよね?」
「一応な。姉がいるけど、第四王子の婚約者だし」
「え……王家と親戚関係になるの?」
「そう。でも、ベルジュードも言ってみれば王家の血筋だしな」
「うん。現王家は遠い親戚だね」
「え……そうなの?」
「あ? 知らなかった? 五代前の王弟が始祖だぞ」
「全然知らなかった」
ステファンの時が止まる。
その顔は、新種の毒虫に刺された時のような、未知の生物に遭遇してしまったように歪んでいた。
ベルジュードとショーンは声を潜めた。
「あー、言わなきゃよかった? や、でも知らないなんてあるか?」
「小出しにして驚きを緩和しつつという方法もなくはな……ないね」
「ないない。ステファンに小出しは無理。絶対に気づかない」
「そうだね。私たちの家についてこんなにも関心のない同年代は珍しい」
「あいつらしいな」
胸に広がる何とも言えない安堵に、つい笑みが零れる。
ふたりともに社交の場は苦手だ。
下手に出て阿る態度の人間たちの、醜い部分しか見えないから。
媚びへつらう会話の、なんと非生産的なことか。
上辺だけの何の引っ掛かりもない言葉の羅列に、一切心など動かされなかった。
ステファンと会うまでは。
彼を、見つけるまでは。
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テスト結果の返却だけで終わった放課後、まだ昼前の時間帯。
レースのカーテンが日向に模様を作る図書館に、ステファンとベルジュードの姿はあった。
天井画の鮮やかな中央スペースから離れたこの自習席には、試験期間を終えた現在、誰もいない。
並んで座る彼らの片方は、閲覧専用書籍の毒草辞典に夢中だ。
「この前もその本を読んでいたけれど、自宅の研究室には置いていないのかい?」
「この本はとっても貴重で、王立図書館とここと、あともう一箇所にしか所蔵されてないんだ」
「外国製だからかな。欲しかったら手に入れてあげるよ」
「……ベルジュードは、魔法とか使えるの?魔法使って転生できるならお願いしたいけど、そうじゃないならベルジュードが死んじゃうのは悲しいから遠慮しておく」
「……私がその本を密輸して、その罰で処刑、一度天昇しても魔法で再び降りてくるなら、という思考の道筋だね?」
全くその通りなことを言葉にされて、ステファンは本から視線を離した。
驚きと喜びが入り混じった表情で、ベルジュードを見る。
「よく分かったね。今回の試験の国語は満点だった?」
「満点だった。それとは関係なく、最近の私は君の考えてることは大方分かるようになってきたんだ」
「どうやったの? その方法を教えてもらえれば、夏休み明けにある定期試験で僕も国語の点数が上がるかもしれない」
何をやっても他人の気持ちが読めない。
生身の人間の感情を解釈することは解毒薬を作るより難しい。
数年かけて難題に挑み続けたステファン自身の思考回路は、自分でも十分自覚するほどにねじ曲がってしまった。
それを、出会って僅か二か月で分析し、解読したベルジュード。
師と仰ぎたいくらいに天才だ。
秘訣があるならば是非教えてほしい。
今後の対策に役立てたい。
読んでいた本を閉じて、身を乗り出す。
一言一句を聞き逃さないように、ステファンは真剣な眼差しでベルジュードを凝視した。
ゆっくりと距離を縮めてくる濃いグレーの瞳。
鼻先同士がぶつかり合うまでに近づいた端正な顔は、軽く顔を横に倒した。
「……んぅ!?」
啄まれる唇。
ちゅ……と音を立てて離れたあとは、唇の端を舌で濡らされて、そして再度食まれる。
離れようとした頭は、いつの間にか首の後ろに回された指に阻まれ身動きが取れない。
ベルジュードの胸元を手で押し返そうとするけれど、逞しい身体は一切たじろがない。
そうでなくとも、初めてのキスだ。
目を閉じるなんてことも忘れてただ衝撃を受け止めているステファンの世界は、甘く細められたベルジュードの瞳でいっぱいになった。
それに心を捕らわれて、ぼやけていく。
「……ステフ、大丈夫かい?」
唇を離しても一向に動かない小動物に、そうさせた本人から心配の声が掛かる。
「……キス……キス、をしたよね? 僕に」
「うん、そうだね。ごめん、きっと初めてだったよね」
「何で知ってるの?」
「そうであってほしいなという、私の願いもこめて」
「どういうこと? 裏の意味がある?」
「あるよ、この場合はね」
裏のないベルジュードにしては珍しいものの言い方だ。
けれど、こうして裏があるということを隠さずに教えてくれるおかげで、彼の誠実さは損なわれない。
安心する。
怯えずにいられる、数少ない温もりの場所だ。
「どういう意味か教えてくれる?」
「いいけれど、聞いてしまったら君はもうきっと戻れないよ。私ももう止まれないし」
「……哲学関連の新しい考察か何かなの?」
「うん、こういう言い方は君には通用しなかったね。これは私の落ち度だ、失敬」
ひとつ咳ばらいをしたベルジュードは、ステファンの両頬に手を添えた。
そして、真っ直ぐ見つめてこう告白した。
「好きだよ、ステフ。私は君のことが大好きなんだ」
「……え? 知らなかった」
「そんなはずはないんだけれどね。出会った初日に、私はいつか付き合おうと君に告げたはずだよ?」
「……あぁ、そうだった。あの言葉の裏側にも別の意図はなかったの? てっきりからかわれたんだと思ってた」
「そう思ってるんだろうなとは思っていたよ。もう少しタイミングを見てから告白しようと計画していたんだけれど、限界が来たみたいだ。ステフ、私の気持ちは抑えきれなくなってしまったんだ」
ステファンの右手を取って、ベルジュードは自身の心臓の上に宛がう。
服を介してなど感じられるはずはないのに、そこから確かに鼓動の速さも激しさも伝わるようで。
それが、想いの強さを表すようで。
「本当に、僕のことが好きなの?」
「好きだよ。世界で一番、宇宙で一番、ステフが好きだ」
「……そ——」
「他意はないよ。そのままの意味だ」
機先を制されて、疑問を打ち砕かれて、ようやくステファンの身の内で火が燃え始める。
意味を理解してしまえば早い。
人の感情の機微には疎いけれど、自分の感情の機微に疎いわけではない。
思わぬところに灯った火は、全身に広がっていく。
紅く染まった首筋に、ベルジュードの口づけが贈られる。
そのままもう一度唇を啄まれた。
「っ、ん……、待っ、こういうのは、僕からの返事を聞いてからじゃ…ぁ」
「教えて、ステフ。君も私が好きだろう?」
「好き……好き、かなぁ?……好きなのか、正直分かんない」
「え……?」
合わさっていた唇が離れて、互いの顔の間にも距離が出来る。
ベルジュードは知り合ってから見た中で、一番唖然とした表情をしていた。
「分からないのかい? そんなにとろんとした眼で見つめておいて? こんなに火照った肌をしておいて?」
「それが好きってことなの?」
純粋な思いのままに尋ねられて、思わず押し黙る。
そういう訳でもない、それとこれとは直結しないこともある、とベルジュードの賢い頭脳は瞬時にそう答を導き出してしまったから。
誤魔化せなかった。
「う……ううん、必ずしも好きってことでも……ない、かもしれない、ね」
しどろもどろの貴公子など、家庭教師に目撃されれば小1時間のお説教ものだ。
けれど、それほどに繕えない。
「ベルジュードのことは好きだけど、それが友達としてなのか、それ以上なのかは今は分からない。ごめん」
「いいんだ、落ち込まないで。ステフを混乱させるために伝えたんじゃないから。想い余ってしまった私のせいだよ」
「……優しいところは好きだよ」
「ステフ、それは——」
「でも、いま分かるのはそこまでだなぁ」
肩を落としたベルジュードは、けれど小さなため息を吐いて顔を上げた。
「オーケー、ステフ。君に男として見てもらえるように、これからもっと努力するよ。私の想いが伝わるように、きちんと態度で示していくから、そのつもりでいて」
綺麗に笑う貴公子。
その瞳の奥が燃えていることなど、世間知らずな伯爵家子息は気づくはずもない。
「うん……お手柔らかにお願いします」
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ガスパールはかつて、平民出身のオーク男性と結ばれていた。
家柄も立場も違う相手だったが、
彼はその伴侶の、
不器用な優しさ
朝食を焦がしてしまうところ
眠る前に必ず手を探してくる癖
を、何よりも大切にしていた。
しかし、その伴侶はすでにこの世を去っている。
現在ガスパールが暮らしているのは、
貴族街から少し離れた、二階建ての小さな屋敷。
華美ではないが、掃除が行き届き、静かな温もりのある家だ。
彼は今も毎日のように墓参りを欠かさない。
それは悲嘆というより、対話に近い行為だった。
⸻
■ 現在の生活
ガスパールは現在、
街の流通を取り仕切る代表的な役職に就いている。
多忙な職務の合間にも、
洗濯、掃除、料理
帳簿の整理
屋敷の修繕
をすべて自分でこなす。
仕事、家事、墓参り。
規則正しく、静かな日々。
――あなたが現れるまでは。
【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
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