羽根/アダムとイヴの純愛

山本ハイジ

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羽根(3)

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 研究員たちに言われた私にやってもらいたいことも、素直に従ってはいる。ビデオを渡されて、個室に通されても私の体はまったく反応しない。研究員たちはあの手この手で、私を反応させようと苦心している。……これは単に私が不能なだけなのか、それとも研究員たちに対する反発か。

 そのまま冬と春が過ぎて、彼女は十二歳になった。天井の窓から差す、夏の日光。
 私の不調のせいか、彼女は二度目の不安定期を迎えていた。彼女がいくら窓の下で転んでも壁に激突しても、ケガの手当てはするがもう止めることはしなかった。
 頭と膝、手に包帯を巻いた姿でテレビの前に体育座りして、ぼうっと画面を眺めている彼女。私はソファーベッドで仰向けになって怠惰に過ごしていたが、そろそろ研究員たちの部屋へいかなければと思い、身を起こした。
 彼女に何も言わないまま、部屋から出ると研究員たちの部屋へ向かう。そしていつも通りビデオと紙コップを渡されて、通される個室。二畳ほどしかない室内の半分を占めているソファーに座って、目の前のテレビに電源を入れるとデッキへビデオをセットした。
 途端、画面に現れたのは男女の交接の様子。それを暫く見ても、私の陰茎は勃起する気配がない。そのまま映像は終わって、退屈さにため息を吐きつつビデオを出す。
 研究員たちの部屋に戻りビデオを返して、カラの紙コップを差し出せば、右目と左手の欠けた研究員は肩を落とした。平謝りしてから研究員の「次はもっと、強力な精力剤を仕入れて……」云々という独り言を聞き流し、部屋を出ようとドアを開ける。
 ガツン、と、何か硬いものにドアをぶつけた手ごたえがあった。同時に甲高い悲鳴。何事かと廊下に踏み出してみると、そこにはひっくり返った小人の彼とプラスチックのカゴに、散乱している湿った衣類。
「びっくりした! びっくりした!」
「す、すみません」
 後ろ手にドアを閉めつつ、急いで彼の体を助け起こす。幸いにもドアは彼に直接ぶつかった訳ではなく、カゴにぶつかったようだった。散乱した衣類はほとんどが白衣。私はカゴを手に取ると、それらを掻き集めて入れた。
 彼は洗濯物を干しにいく途中だったのだろう。これはお詫びに、手伝ってあげるべきだ。洗濯物を入れたカゴを持ち上げると、彼は「一人で出来る! 一人で出来る!」と喚きはじめたので、こう宥めた。
「わかっています。貴方は小さいながら一人で何でも出来る。これはドアをぶつけて転ばせてしまったことに対する、お詫びです」
「う? なら、いいのか」
 彼は首をかしげつつ、納得したようだ。一緒に廊下を歩いて、階段を上り屋上を目指す。
 屋上のドアの鍵は彼が携帯している。ドアの前につくと、彼は白衣のポケットから鍵を取り出し、背伸びをして鍵を回すとドアを開けた。先に出ていく彼の後ろについていく。すると、頬を撫でる穏やかな風を感じた。
 コンクリートの床面には四枚、四角形の配置で窓ガラスがはめ込まれている。うち一枚は、私たちの部屋の天井。あとの三枚がある部屋は空き室だった。横一列に並んだ物干し台の傍にカゴを置いて、アルミ製の竿を挟んでいる洗濯バサミを外す。カゴから一着の白衣を取り出すと、竿にかけて留めた。
 彼は塔屋の壁に立てかけてあった脚立を持ってきて、身軽に上り下りしながら洗濯物を干していく。その身長をものともせず、かいがいしく仕事をこなしていた。改めて感心する。研究の仕事に憧れているようだが、彼には雑用の方が性に合っていると思う。
 二人がかりだから、あっという間に洗濯物は片づいた。日差しは眩しいくらいだ。きっと、すぐに乾くだろう。彼女のところへ帰ろうと彼に背中を向けたが、脇腹を突っつかれて振り返った。
「一服しよう、しよう」
 彼の手にはポケットから出したのであろう、煙草の箱が握られていた。
「……ええ、構いませんよ」
 そろそろ彼女と昼食の時間だったが、煙草を吸うくらいの間なら話し相手になってもいいかと思って、承諾した。彼は嬉しそうに箱を開けて、中から一本抜き取ると差し出す。しゃがんで受け取れば、彼は箱の中に煙草と一緒に入っているライターも出して「点ける! 点ける!」と、はしゃいだ。
 煙草をくわえる。ライターを持った彼の手が近づき、その指がフリントホイールを回転させた。パチッと火花が散り、小さな火柱に煙草の先端が燃やされる。めったに喫煙をしない私には久々過ぎて、吸い込むと胸の辺りが少し気持ち悪くなった。
 彼も煙草をくわえて火を点ける。そのまま二人してフェンスに寄りかかり、紫煙を燻らせた。この煙草やその他諸々の生活用品、食料などはここの島よりずっと遠くにあるらしい島国から仕入れている。私はその島国を情報でしか知らないので、実際はどんなところなのか想像さえつかない。
 彼が話しかけてきた。
「娘、飛べそうか?」
 私は躊躇うことなく答えた。
「いえ、無理だと思います」
 彼は煙草を指に挟んで、目を見開くとこちらを見た。元々異様に大きな目をしているから、それはこぼれ落ちそうなほどだった。私は構わずに続ける。
「彼女は所詮、人間の子です。その証拠に月経を迎えてしまった。鳥に月経はありません」
「……う、う?」
 月経、というものが理解出来ないようだ。首を捻っている。
「彼女はただの道具だった」
 気づいたら私の吸っている煙草は、フィルター近くまで短くなっていた。彼は煙を鼻から吹き出しつつ、ウーウー唸っている。
 煙草を落とし、足で踏みつけて消した。何となく空を見上げてから、彼に視線を戻す。
「ワケわからんこと、言うな! 言うな!」
 と、燃え尽きて灰の落ちた、フィルターしか残っていないものを指に挟んで振り回し、騒いでいる彼を尻目に屋上から離れた。
 部屋へ戻れば彼女は変わらずテレビを見ている。鳥たちが優雅に羽根を広げて、青い空を飛び回っていた。
 空に恋い焦がれている横顔が哀しそうに見えて、彼女の背後に膝をつくと羽根を胸で押さないようにその体を優しく抱く。しかし彼女は私を無視して、画面から目を離さない。
「ダメな親で、すまない」
「……」
「エサにしよう」
「トビタイ!」
 彼女は急にヒステリックな叫び声を上げると、私を突き飛ばして立ち上がり、壁に向かって突進した。派手な音を立てて衝突すると、よろめいて二、三歩下がった。そして今度は壁をガリガリと引っ掻きはじめる。
 私はそれを、ただ呆然と見ていた。

 強力な精力剤は確かに強力だった。見せられた映像は、彼女と同じくらいの年の少女。
 その帰りに小人の彼の部屋を訪ねて「用があるから、あとで私の部屋へ来てほしい」と、伝えた。
 何故、その用を今ここで言わないのか? 何か片づけて欲しいゴミか汚れものが溜まっているにしろ、それは私が持ってくればいい話。彼女が私以外の研究員と会ってもしもその研究員が、人間にまつわる余計な情報を彼女に与えてしまうようなミスを犯したら大変だから、他人を通すことはめったにない実験室なのに……と、いう疑問を彼は一切抱かなかったようで、素直にドアをノックしてきたのだった。
 ドアを開ければ廊下に彼がいて、上目遣いで私を見ている。
「なんの、用だ?」
 屈んで彼の両脇に手を差し込み、抱き上げてしまうと部屋の中に入った。ついでに、肘でドアを閉める。
「何するか!? 何するか!?」
 両足をバタバタさせて抵抗する彼をソファーベッドへ投げ出す。むちゃくちゃに暴れる体を押さえつけて、彼の白衣のポケットを漁った。
 彼女はこの状況でも気にせず、窓の下で跳びはねることに集中している。屋上の鍵を見つけて抜き取ると、私は彼女に振り向いた。
「飛びにいくよ」
 聞こえていないのか彼女は跳ぶのを止めない。彼は喚きながら、私の背中を叩いてくる。彼を突き飛ばす。勢いあまって、彼はソファーベッドから転げ落ちた。
 彼女が床に着地する瞬間を見はからって近寄ると、その手を掴んだ。跳ぶのを中断させられた彼女は、嫌そうに眉を寄せて私の手を振りほどこうとした。構わずに手を引いて部屋を出る。
 立ち上がって追いかけてくる彼が迫っていたが、すぐにドアを閉めて遮った。戸惑っている彼女を連れて屋上へと向かい、階段を駆け上がる。
 ドアの鍵を開けて、一歩踏み出す。
 彼女は広がる空を目の当たりにするなり、暫しぽかんとしてから、急に私の手を振りほどいて走り出した。そしてフェンスに飛びつくと、よじ登って頂上に腰かける。私の方へ振り返り、満面に笑顔を浮かべた彼女。そっと笑い返す。
 彼女は両手を広げて、空へ飛び込んだ。カシャン、と、音を立てて揺れるフェンスとすぐに聞こえてきた衝突音。フェンスに近寄って、下を覗く。
 哀れにも、彼女は頭から落ちてしまったようだった。その美しかった顔はもう、原形を留めていないのだろう。遠目でもわかる赤く染まった羽根。
 ……やはり駄目だったか。私は今まで、いったい彼女に何を期待していたのだろう。飛べる羽根? そう、無理だと知りながら。
 私の背中には潰れた、不格好な羽根がある。私もあの時、頭から落ちていればよかったのだろうか。
 どこか遠くから、鳥たちの鳴き声が聞こえる。まるで私を嘲笑しているようだった。
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