未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

0歳 -土の極日5-

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ゴトゴトゴトッ ガタッ

んー、せっかく眠ろうと思ったのに……。誰?
母上かな? つるばみかな? 少し静かにしてほしい……。

「ひっ ひひひひひひひひひひ」

あれ、なんかマッドサイエンティストが居る。

「ひ、姫様ぁぁぁぁぁぁ」

違った、橡だった。バタバタバタと珍しく大きな足音をさせて走り寄ってきた橡は、私のすぐ近くで止まると

「姫様、お加減が優れないのですかっ! 姫様!!」

と、切羽詰まった声で母上に呼びかけました。

(えっ、母上の体調が悪い?!)

橡の声に、動きたくないと駄々をこねる瞼を無理矢理開けて飛び起きます。

「はーうえ?!」

「何事ですっ!」

そんな私と同じようにして飛び起きたのが、当人である母上。ササッと周囲を見て事態を把握しようとしています。

「お目覚めにならないので、御身体に何かあったのではないかと……」

ほっと安心したように話す橡ですが、私の視線はその橡の向う側にある窓から見える景色に釘付けです。昨日に比べればだいぶ雲が多いとはいえ、その雲の切れ目から青空が見えます。

えぇ、青空です。さっき寝たばかりなのに外は朝! 
それどころか光の感じからして既に昼前ぐらいかもしれません。

体感的には1分にも満たない睡眠時間なのに、どうやらガッツリと爆睡していたようです。ぽかぽかと暖かい温水床暖房の床が発する催眠電波に、疲れきった身体で抵抗するなんて無理があるというモノです。


この窓、最初は母上たちにとって馴染み深い、天都の華族の邸ではおなじみの蔀戸しとみどで作る予定でした。ところが子供では開けられないぐらいの重さになる事が判明して断念。なんでも天都の大華族の邸にある大きな蔀戸だと侍女数人がかりで持ち上げるんだとか。ちょっと無理だなと判断した結果、私にとって馴染み深い引き戸で作る事になりました。


先程の物音はその木製の引き戸を開ける音だったようです。想定外の長時間睡眠に私だけでなく母上までもがぽかんとした表情で窓の外を見つめてしまいます。

「せ、精霊様の御邸おやしきでは時の流れが違うのかしら……」

思わずといった感じの母上の言葉に

「そんな訳なかろう。そなたたちの身体が長い睡眠を欲していただけのことだ」

と言いながら現れたのは金さんでした。そういえば中には桃さんの気配しかありません。

<桃さん、浦さんは何処にいったの?>

<・・・・・・・>

<桃さーーーん?>

心話を飛ばしても桃さんが答えてくれません。あっ、これ……拗ねてる?

<ごめんなさい、桃さん。昨日は疲れすぎちゃって限界だったの。
 今日中に絶対に母上たちに紹介するから!>

<なーーんかさ、俺様ばっかり貧乏くじ引いてねぇか?>

漸く聞こえてきた心話はやはり拗ねているのか、ちょっと声に棘があります。

<私は桃さんと一緒にいろんなことをするのは楽しいよ?
 確かに大変な事や難しい事を頼んじゃう事もあるけど……。
 それが貧乏くじだって言われたら、……それはごめんなさいなんだけど……>

一緒に色々と試行錯誤することが楽しいのは私だけだったら如何しようと思うと、私の声も弱くなってしまいます。

<いや、それは俺様も楽しいから良いんだけどさ。
 んーーー、しょうがねぇな。うん、おまえは赤ん坊だから体力無いしな。
 だが、今日中に絶対だぞ!! 
 俺様だって家の中で色んな事をやってみたいんだからなっ!>

<うん、了解ですっ!>

そうやって中に居る桃さんと心話を交わしていたら、浦さんが沢山の陶器製のマグカップをお盆に乗せて持ってやってきました。その途端に兄上も目が覚めたようで

「なにか よい においがするのです」

と目を輝かせています。兄上……もしかして食いしん坊キャラですか?

「まずは水分補給をしてください。
 落ち着いたらお昼ご飯を食べ、それから色々と作業をしましょう。
 良いですね?」

そう言って順に手渡してくれたのは林檎ジュースでした。それをゴキュゴキュと喉を鳴らしながら一気に飲み干してしまいます。この林檎は100%ジュースだと甘味が強すぎて逆に喉が渇いちゃうのですが、程よく薄められているうえに浦さんの技能で少し冷やされているので本当に美味しいです。

「まあ……なんて美味しい」

「香りも良く、喉から全身に染みわたるようですね」

なんて母上たちもお気に召した様子。これが悪名高いtoudからなしだとは思いもしていないようです。教えるべきなのか、隠し通すべきなのか悩むところではありますが、ここで一緒に暮らしていく以上いつかはバレるでしょうし、ちゃんと説明した方が良いでしょうね。

ただ、それは今じゃない。

優先順位からいっても、まずは日常生活を円滑に行えるようにする事の方が大事です。なので洗面所に行って顔を洗い、その際に昨晩に教えた霊石の使い方が出来ているかチェックします。更には台所の使い方をもう一度念には念を入れて教え、チェックします。

浦さんと金さんが。
だって私が説明していたら、それだけで日が暮れてしまいます。

火を使う竈などは特に注意しないと火傷や火事の危険がありますからね。簡単に火が使える事は便利ですが、使い方が解らないまま使ったり、小さな兄上が勝手に使ったりしたら途端に危険な物になってしまいます。

更には母屋に一番近いトイレの場所の再確認や、洗濯のやり方の再確認などなど。日常生活に必要な事を順番に確認していたらあっという間にお昼過ぎです。




「ははうえ、おいしーですねっ」

兄上がニコニコしながら、おかわりをしようとお茶碗を差し出しています。昼食は例の黒いお米を使ったご飯です。それを私はだいたい7分粥に、他の人たちは普通のご飯にして食べています。


そうそう先日。叔父上に抱っこされて台所に乱入した際に初めて知った事実があるのです。それまでは危ないからと母上たちが台所で調理している間は、叔父上たちに預けられていて台所を見る機会がなかったので知らなかったのですが……

母上たち、ご飯を炊いてない!

驚いた事に母上たちは、あの黒いお米を蒸していたんです。兄上が凄く食べづらそうにしていたのはこの所為なんでしょうね。ようはおこわなんですよ、この世界のご飯って。あの黒いお米がもち米なのかはちょっと判断できないんですが、調理法がおこわと同じです。

さらに言えば……
前世では毎年暮れに餅つきをしていたのですが、餅つきに使うお米は前日の夜から一晩水につけて吸水させてから使うのですが、この世界ではそんなことはしません。

なので前もって浦さんに試してもらった事がありました。技能の「吸水」です。

浦さんがべとべとさん、及びその殻の処理を幾つもこなして習得した技能の一つに「吸水」があります。地位:4レベルで覚えたその技能で様々な物に対して吸水させた結果、植物と魚介類ならば水を含ませる事が出来る事が解りました。まぁ全ての植物と魚介類に試した訳ではないので、例外はあるかもしれませんが……。


先程、お昼ご飯の準備のために台所に立つ母上と橡に浦さんが教えたのが、その吸水用の琺瑯ほーろー鍋の使い方です。

砥いだ黒いお米とたっぷりの水を琺瑯鍋に入れて、蓋についている霊石「吸水」を発動させればあっという間にお米に水が吸われていきました。

それを更に炊くという調理法を浦さん経由で伝えた結果、もちもちで優しい口当たりのご飯が出来上がったのです。


ただ喜んでくれた兄上と違って、母上たちはちょっと微妙な顔をしています。この世界において柔らかいご飯は離乳食や老人食、あるいは病人食といった扱いのようで、それが気になるのかもしれません。でもおこわよりこちらのほうが消化が良いので、できればこれからもこちらでお願いしたいところですが、駄目だったら硬いのと柔らかいの2種類作るって方向でお願いしたいです。


おかずは特に変わったモノではなく定番の山菜や根菜の煮ものと、叔父上たちがとってきて処理してあったお肉でした。そのお肉も明日以降は塩漬けされたお肉になっちゃうんだろうなぁ。とはいっても私は塩漬け云々以前に、お肉自体がほとんど食べられないのだけど。

ちなみにこの世界では朝には魚や海藻を食べ、昼には赤身の肉や赤い果実を食べ、夜には大地全ての恵みを頂くという風習があります。それぞれ水の精霊の恵み、火の精霊の恵み、土の精霊の恵みを身に取り入れる為とのことですが、そうする事で結果的に栄養バランスがとれるようになっているみたいです。

まぁそうは言ってもお財布事情で中層民はそんな食事ができるのは数日に1回で、下層民に至ってはそんな贅沢は出来ず、極薄のお粥と萎れた野菜ぐらいしか食べられないのだそうですが……。




さて、お昼ご飯を終えたら食器を特製のシンクに入れて水を張り、「浄水」+「撥水」のコンボで食器をサクッ洗ってしまいます。洗濯機や掃除機、冷蔵庫よりも先に再現できた便利家電は食器洗い乾燥機でした。若干、こんなハズじゃなかったと思わなくもないのですが、これはこれで便利なのでOK!と開き直ります。

何より橡が嬉しそうにしているので、私も嬉しくなります。洗濯と同じく必要な事だと頭では解っていても、水の中に手を入れて洗うのはやはり怖かったのでしょうね。


食後の休憩後、母上と橡は作業部屋へと向かう事になりました。私と兄上は母上たちとは別行動の予定です。本当は兄上には母上たちと一緒に作業小屋へと行ってもらうつもりだったのですが、母上たちからそれは駄目だと言われたのです。

機織り作業をする際に使う道具の中にはハサミを含めた子供がうっかり触ると怪我をするような危ない道具が幾つかあり、子供を作業部屋に入れるのは危険だという事でした。

昨晩、どうも私が寝てしまった後に、浦さんや金さんから母上たちに話しが通っていたようで、出来るだけ早くに寝具に使える大きな布を織ってほしいという要望に応える為にも子供は連れて行けないと。その時点ではお昼寝の間に作業を進めるつもりだったようなのですが、みんなして寝坊してしまったので、今はまだ全然眠くないんですよね、私も兄上も。


ならばここで桃さんの事をぶっこみましょう。金さんと浦さんは優先順位の関係で後回しにした拠点整備がまだ残っています。なので私は桃さんと一緒にまた色々な事を試行錯誤をするつもりだったのですが、そこに兄上がいても大丈夫……なはず。

<桃さん、兄上が一緒でも大丈夫だよね?>

<あぁん? そりゃぁ あの危険物満載の小屋に入らないようにして、
 別の事をやってりゃ大丈夫だとは思うが>

<じゃぁ、今日は林檎狩りに行こう。
 林檎がたくさん必要になりそうだし、できれば幾つか木を拠点近くに植え替えたいの>

と中で相談してから、さぁ……爆弾投下です。


「はーうえ、うーばみ。
 あのね、うらしゃんときんしゃんと あとね、ももしゃんがいるの。
 あいうえとしゃくらは ももしゃんと いっしょに いゆから だいよーぶよ」

伝わってーー!!と願いながら一生懸命に話したところ、二人にちゃんと伝わったようで

「ももさん?」

と母上が可愛らしく首を傾げて聞き返してきました。

しょうそう! ももしゃん。 ももしゃーーーん!」

ちょっと芝居がかった感じで桃さんを呼ぶと、私のすぐ後ろに桃さんが実体化して現れて、私を抱き上げて左腕に座らせるようにすると、右手をちょいっと上げて

「よっ!」

と浦さん、金さんに比べてとっても軽い感じの挨拶をしました。


あっ、母上。お口が開きっぱなしですよ。
それから橡。マグカップが落ちてお茶がこぼれてますよ。

「な、なんですってっっ?!!!」

「どどどどど、どういう事なのですかっっ」

母上と橡、二人の精神というか常識というか……そういうのが粉砕されてしてしまったようで、阿鼻叫喚と呆然自失が交互にやってくるカオスな状況が落ち着くには少し時間がかかりました。

そうなっても仕方がないとは思います。一人の人間に三柱もの精霊が付く事は、この世界の長い歴史上例がなく、母上たちの常識からは著しく外れた事態なのですから。


あぁ、そうか……。
桃さんを紹介する事を無意識のうちに躊躇ってしまっていたのは、母上や橡が私を見る視線や表情に嫌悪や恐怖の色がついてしまう事が怖かったんだ。


桃さんの服をきゅっと掴んでいる手が、震えてしまいそうになるのを何とか抑え込みます。抑え込めたのは桃さんの右手がポンポンと私をあやすように背中を叩いてくれたから。うん、大丈夫。みんながいるからね。


「櫻」

そう私の名前だけを口にして手を私へと伸ばしてくる母上。名前を呼ばれて反射的に母上の顔を見れば、ただただ優しく微笑んでいて……。

「はーうえ……、はーうえっ!!」

私は母上へと手を伸ばし、そのまま母上へと居場所を変えました。そんな私を母上はぎゅっと抱きしめてくれて頭の上で頬ずりしてくれているのが解ります。

「あっ、さくら だけ!!
 ははうえ ぼくも、ぼくもっ!!」

足元で両手を上げて自分も抱っこしてとねだる兄上を見た母上は、しゃがんで私と兄上を同時に抱きしめてくれました。

「大切な、大好きな 私の子供たち」

そう言いながら。




その後、私と兄上、桃さんは林檎狩りに、金さんと浦さんは拠点の整備に、そして母上と橡は機を織りに行きました。

母上たちの作業部屋の近くを通った時、時代劇などで聞いた事のある機織りの音とは明らかに違う音が辺りに響いていました。

シャー (間) トントン  シャーー (間) トントン

というのが時代劇だとすれば、母上たちのは

ガシャトン!ガシャトン!ガシャトン!ガシャトン!

とまるで機械で織っているかのような音なのです。思わずどんな織り方をしているのか中を覗きたくなってしまいました。ですがこちらの世界でだって覗き見は褒められた行為ではありません。流石に鶴の恩返しのような事は無いだろうけれど、マナー違反は良くないので好奇心に蓋をする事にしました。


こうして私の異世界での快適生活(予定)は慌ただしく始まったのでした。
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