未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

0歳 -土の陰月1-

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光陰矢の如しとは良く言ったもので、拠点に移り住んで既に阿修羅像の手の指の数でも足りない日数が過ぎていきました。土の極日という山の……というよりは大地の恵みが一番豊かな時期は過ぎ去り、今は既に土の陰月の終盤。死の月という異名を持つ無の月が目の前まで迫っています。

最近では曇りや雪とスッキリとしない天気の日が多く、それに比例するようにお昼を過ぎても雪が解けずに残るようになり、徐々に積雪量が増えていっています。

前世では冬になれば毎朝氷点下になるような場所に住んでいましたが、雪は滅多に積もらない地域でしたので、積りゆく雪にワクワクしてしまいます。


まぁ……そんな気持ちも最初の頃だけでしたけどね。


日に日に積っていく雪に、食材や林檎を始めとした加工したい材料の採取には出かけられず、試したいアレコレをするにも実験小屋には兄上が一緒では行くことは難しく……。雪が積る地域だという事に対し覚悟はしていたつもりだったのですが、不慣れだった事もあってか雪というものを少し甘く見ていたのかもしれません。

幸いな事に金さんが壁や床に通した温水の管を屋根にも通しておいてくれたおかげで、屋根の雪下ろしは(今のところだけかもしれませんが)必要無いので助かっています。こんなに何に使うんだろうと思う程の数の「保温」の霊石を、桃さんと一緒に作りまくった甲斐があったというものです。

蛇足ながらこの世界の屋根には明確なルールがあるのだそうで……。
役所や神社かむやしろを始めとした公共施設は黒い瓦葺の屋根なのですが、それ以外の家は華族などの上層民は檜皮葺、中層民は茅葺、下層民は板葺きと屋根を見る事で住んでいる人のだいたいのランクが解るのだそうです。勿論最下層民は洞窟だったり橋の下だったりと屋根すら無いところに住んでいるのですが……。

これは帝が住んでいる御所でも変わらず、大内裏(政治の中枢・公共施設)は瓦葺で、内裏(帝とその后、東宮が住む私的空間)は檜皮葺なんだそうです。そんな訳でここの屋根も檜皮葺で作られているのですが、私からすれば檜皮葺の方が神社やお寺っぽいと思うので、感覚の違いに戸惑ってしまいます。

閑話休題




この間に母上とつるばみは大きな布を仕上げてくれました。

「はーうえ、すっごいっ!」

私がそう言うと、母上は少し照れたように微笑みながら

「模様を入れたり、たくさんの色の糸で織ったりしていないからよ。
 何より精霊様が用意してくださった糸が、
 とても丈夫でなめらかで滑りが良くかったからだと思うわ」

と私の頭を撫でながら教えてくれました。凸凹と模様が浮き出るような特殊な織り方をしたり、何色もの糸を使い分けて織っていたらこんなに早くはできなかったそうです。糸の丈夫さとなめらかさは土蜘蛛の糸ならではなのでしょうが、それを母上たちに伝えたら卒倒してしまいそうなので、当分の間は内緒にしておきたいと思います。

その土蜘蛛の糸で作られた最初の布で、幅350cm×丈250cmの超巨大な袋を作りました。その中に念の為にもう一度洗浄して乾燥させた羽毛をたっぷりと入れて、羽毛の掛布団の完成です。

大きな布を作らなくてはいけない事に加えて羽毛を思っていた以上に使ってしまった事もあり、一度に全員分の寝具を作るのは無理だと判断した結果、まずは居間でみんなで眠る時に使う掛布団を作ったのです。当然のように橡は遠慮しましたが、母上と兄上、私、橡の4人で寝ても大丈夫なサイズを想定して作っていますし、温水式床暖房があるとはいえ掛布団が無いとツライ季節なので、私が寝る時に橡にくっつく事で問答無用で橡にも掛布団がかかるようにしました。

この雑魚寝用掛布団は、御帳台が完成したらそこで使う掛布団になります。
そう、このサイズがピッタリなぐらいに御帳台が大きいんです。というのも叔父上たちの身長でも問題無く使おうと思ったら、丈が2mでは全く足りない訳で……。

また天蓋をつけるにあたり、ある程度大きくないと圧迫感がありそうだった事や、最初のうちは一つの御帳台で母上と兄上が一緒に寝る事になりそうな事などを三太郎さんと相談した結果、最終サイズは250cm四方というとんでもなく大きなサイズの物になりました。

多分前世でいうところのセミダブルベッドが2個くっついたサイズぐらいはあります。しかもこれ、あくまでもマットレス部分のみのサイズなので、フレーム部分を入れたら更に大きくなってしまいます。

結果として寝具に使う布のサイズも大きくなり、その負担が全て母上と橡へとかかってしまいました。申し訳ないなとは思うのですが、全ては無の月を健康的に、そして快適に過ごす為なので無理のない範囲で頑張ってほしいです。




次に出来上がった布は250cm四方の袋にしましたが、掛布団と違ってまちを20cmほど作りました。中にきっちりとスプリングなどを詰め込めばベッドのマットレスになるような感じです。

もっともこの世界にスプリング的なものはありませんし、低反発・高反発のスポンジ的な物もありません。綿わたはありますが、全員の布団に使う分を用意するのはちょっと現実的ではないという程度にはお高いです。

そして意外な事に真綿まわたは存在しないようでした。真綿が無いっていう事は絹も無いという事です。三太郎さんやこの世界の人たちにとって糸は植物から作るもので、動物や虫から作るという発想は無いのだとか……。

という事は羊毛も無いって事ですね。羊に近い動物は希少ながらも存在しているらしいのですが、高山地帯の険しい岩場に住んでいるのであえて手を出す気にならないんだとか。そこでの捕獲作業となると人間も命がけになるので……。


兎も角、襠付きの巨大な袋を縫い目がある方を表にして、べとべとさんの殻の中核を浦さんの技能「溶解」で溶かした液体を満遍なく塗りつけます。あれから色々と試した結果、この液体にもちゃんと撥水効果が残っていました。

縫い目は特に念入りに、そして念の為に全体を2度塗りして乾かしてから袋をひっくり返すと超巨大な水袋の完成です。

勿論、ただの水袋を作りたかった訳じゃありません。
これを御帳台のマットレスを置く部分にセッティングして、壁の中の配管と連結すればペチャンコだった袋にどんどんとお湯が流れ込んできます。そうすればあっという間にウォーターベッドの完成です。

綿が無い、ウレタンスポンジも無い、スプリングだけなら何とか作れそうだけどそれだけじゃどうしようもない、と無い無い尽くしの中で私が考えた策が

ここってお湯と水は豊富にあるんだからそれを使えば良いんじゃ?

という事でした。幸いな事に撥水効果があるべとべと液が手に入りましたし、それを使えば作れそうだと思ったのがウォーターベッドです。前世でも実物を見た事がなくて知識でしか知らないそれを再現するには三太郎さんと色々と試す必要がありましたが、どうにか形になって良かったです。

本当に色々と迷ったんですよ、例えばマットレスの中にお湯を入れた状態で封をして、常に霊石「保温」を働かせつつ時々「浄水」する方が良いのか、それとも壁の中の配管と一体化させて常時「流水」で流し続ける方が良いのか……とか。

この問題は最終的には様々なコスト面で霊石が一つで済む「流水」使用の配管一体型に決めたのですが、それからもマットレスの中のお湯が綺麗に全部流れる仕組みを作る為に、中にちょっとした仕掛けを作ったりして本当に四苦八苦したんです。

他にも細々とした問題が色々とあったのですが、硬い床に寝るよりはマシだ!を合言葉に、小さな問題はスルーすることにしました。どうしても我慢できない問題が発生したら、その時に対処すれば良いですしね。

また御帳台は部屋のド真ん中にドンッと鎮座しているのが一般的なのですが、お湯を引き込まなくてはならない為に、壁際に設置することにしました。そうする事で天蓋用の御簾(或は布)も壁際は作らなくて済むようになるので、少しは布の節約になります。どうしてもぐるっと一周天蓋が欲しければ、余裕ができてから壁に布をかけるようにすれば良いですしね。

そもそも私としてはベッドは壁際にある方が落ち着くのです。でも母上たちは間取りを見た当初はちょっと戸惑ったようですが、その戸惑いもウォーターベッドを見た時に比べれば些細なもので……。

「この床、不思議な感触で……とても柔らかいわ」

と母上は目を丸くしたまま、手で何度も何度もポヨポヨとさせています。満水になればもう少し張りが出てくるのでしょうが、今はまだポヨンポヨンと袋の中で水が波打っている状態です。橡は少しずつ膨らんでいくウォーターベッドに困惑しているようで

「お嬢ちゃま、このような所で眠られるのですか?
 いえ、精霊様の御作りになられる物ですから間違いはないと思いますが
 万が一にも寝ている間に溺れてしまうなんてことは……」

「にゃいよ! だいよーぶっ!
 あと うーばみつるばみもいっしょらからねっ!」」

橡の手を引いてマットに触れさせてみます。前世でもそうでしたが、やはり年をとればとるほど柔軟な考え方って難しくなっていくんでしょうね。勿論例外な人もたくさんいるのでしょうけれど。

そして一番若い兄上はマットの上で嬉しそうに飛び跳ねまくっています。叔父上たちのような成人男性も使う物だから、頑丈である事にはかなり気を使いましたが……大丈夫かな、破けないかなぁ?とちょっとハラハラしてしまいます。何より転げ落ちて頭でも打ったらと思うと気が気ではありません。

そんな私に気付いたからかは解りませんが、余りにも兄上が飛び跳ねるので母上が「めっ!」と怒ってくれました。怒られてしょんぼりとした兄上は、その後はおとなしく母上と二人で手のひらでボヨンボヨンと水の感触を楽しむだけにしてくれました。


そういえば、初めて拠点に母上たちを案内した日の翌日。
三太郎さんたちに「母上たちがあまり驚かずに残念だった」と話した事がありました。私としては「なにこれ!」とか「なんだって!」的な驚愕に満ちた母上たちが見られるかと思ったのですが、温泉ではそこそこ驚いてもらったものの拠点の中では余り驚かれなくて、ちょっと残念だったのです。

それに対して溜息と同時に応えてくれたのが一緒に拠点案内をしてくれた浦さんでした。

<何を言っているのです。
 眠くてうつらうつらしている子供を抱きかかえた母親が
 大声を出したり大仰な身振りをとったり出来る訳ないでしょう>

と呆れた声で言われてしまいました。確かにあの時は私も兄上も疲れ果てて半分寝ているような状態でしたが……。浦さんから見れば、母上も橡もかなり驚いてはいたけれど、それを態度に出さないように必死に抑え込んでいたように見えたそうです。

そうなんだ、母親ってすごいなぁ……。
私は母上たちを驚かせたいのではなく喜ばせたいのだから驚かなくても良いやとは思うようにしていたけれど、母親の底力を見た気がしました。




その夜。みんなで初めてウォーターベッドで寝たのですがお湯の温度が高すぎて汗だくになってしまいました。私の体温と同じぐらいだったのですが……。

翌朝、金さんと浦さんにお願いして水を引いて温度調節をしたのですが、25度前後ぐらいのお湯が一番快適だという事が分かるまでに数日を要したのでした。

でもこれ、一人で寝る時ならもう少し温度を上げた方が良いだろうし、逆に夏場は下げた方が寝やすいだろうから、各御帳台で温度調節できるようにした方がよいかもしれません。そうなると結局霊石を複数消費することになってしまいますね。なかなか上手くいかないモノです……。






最近、歯茎がウズウズと疼くというか痒いというか……そんな不快感一歩手前のような感じがしていて、自分の指や腕を噛んだりしていたのですが……。


ねんがんの ミルクトゥースをてにいれたぞ!


えぇ、乳歯ですよ! 待望の乳歯が生えました!!

朝、指で触ってみたら下の前歯が2本、ちょろりと顔を覗かせていました。思わずガッツポーズですよ、むしろちょっとドヤ顔してしまったのでコロンビアポーズかもしれません。兎も角、これでようやく食べ物を噛み切る事ができます。離乳食も一歩前進です。

「はーうえ、はーうえー!」

母上にも歯が生えた事を誇示します。

「まぁまぁまぁまぁ、櫻にも歯が生えてきたのね」

と嬉しそうに微笑みながら抱き上げてくれました。

「本当に良うございました。
 お嬢ちゃまはお身体が小さい事もあってか食が細く、心配しておりましたが
 これで少しでも沢山食べられるようになると良いですね」

そう言って橡も笑ってくれました。でも喜んでくれるところを申し訳ないですが、沢山食べるのは無理だと思います。というより私は決して小食じゃないと言いたいです。皆が食べ過ぎなんですっ!!


乳歯が生えてウキウキ気分ではあるのですが、喜んでばかりいられない問題も生じました。この世界の歯ブラシというか歯磨き関係の問題です。

幸いにも歯を磨くという習慣はこの世界にもあるのですが、私にとって馴染みのある、あの歯ブラシというものがこの世界には存在しません。ではどうやるのかといえば、木片を煮て柔らかくしてから先端を叩き潰して繊維をほぐした……いわゆる「房楊枝」と呼ばれるもので歯を磨くのです。

ただ、この房楊枝。兄上が歯磨きを嫌がる理由でもあるのですが、口の中に小さな木片が残ったり少し痛かったりするんですよね。何より歯ブラシに比べると使いづらいという最大の欠点があります。

なので母上に

「今日からは櫻も歯磨きをしなくてはね」

とニッコリ笑顔で言われた私は、早急に対応策を考える事を決意したのでした。




最近では三太郎さんとも心話ではなく普通に会話で意思疎通を行うようにしています。基本的に難しい説明をしなくてはいけない時以外は、言葉の練習も兼ねて出来るだけ会話を使う用にしているのです。

ただ、就寝前の精神世界での四者会談は別です。効率重視でバンバン心話で問題解決にあたります。

<金さん、歯ブラシを作ってほしいんだけど>

<……順を追って、我に解るように説明いたせ。
 はぶらし? と言われても我には解らん>

どうやら此方の世界には歯ブラシが無い為、心話では変換できなかったようです。なので恒例の記憶のフレーム映像を見せて説明します。

<あぁ、お前の口の中を泡だらけにした棒の事か>

とは桃さん。別に歯ブラシから泡が出ている訳ではないんだけど、桃さんの目にはそう見えたようです。桃さんとは最近は常に一緒で、兄上も最初はちょっと人見知りを発動していたのですが、最近ではいっしょにお昼寝をする仲になりました。

<此方の世界の房楊枝では駄目なのですか?>

そう尋ねてくれるのは浦さん。浦さんは拠点の水回りを一手に引き受けていて、今でもあちこちと整備に追われる日々です。他にもまだ形になっていないとある施設を金さんと協力して作ってもらっている最中でもあります。

<絶対に駄目って訳ではないんだけど、使い勝手が悪いし……。
 あと口の中に木片が残ったりするのも嫌だし>

そう言う私に

<ふむ。……して どのようにして作るつもりだ?>

と、金さんは既に私の中に案がある事を前提で話し出します。流石に付き合いも長くなってきて、ツーカーとまではいかないかもしれませんが、お互いに話しが通じやすくなってきている気がします。

<幾つか案は考えたんだけど、どれが良いか解らなくて……。
 ブラシの部分は土蜘蛛の糸の硬いやつで作るのは決定なんだけど
 軸の部分の材質がねぇ。今、手に入る物だと木材と貝殻ぐらい?>

土蜘蛛の糸を口に入れる事に抵抗が全く無い訳ではないのですが、糸そのものに毒性がある訳ではないですし、浦さんの「浄水」と合わせれば目を瞑れる範囲かなと思います。

そうそう、糸は試行錯誤を繰り返した結果、

硬糸かたいと:テグスのように硬く透明度が高い。強度は10段階の10
艶糸つやいと:艶やかな白糸。ほんの少し透明感が残る。強度は10段階の7
伸糸のびいと:ゴム紐ならぬゴム糸。強度は10段階の2

という3種類を作る事に成功しました。それぞれ加工する際の温度や、様々なpHの液体を使って性質を変化させたりと試行錯誤の毎日でした。ただこの中の伸糸は、強度が低すぎて現状は使い道が全く無く、今後も試行錯誤が必要ではありますが。また全ての糸に共通して言えるのが汚れが付着しづらい反面、染色が全くできない事です。この辺りも試行錯誤あるのみですね。


その硬糸を適当な長さに切って何本も束ね、それをV字になるようにストッパーとなる金属片やそれに近いモノと一緒に軸の穴へと強引に押し込みます。これを繰り返して歯ブラシを作るのですが、問題は軸とストッパーの材質です。

<作り方は理解できた。形状もこの記憶映像で見て解った。
 ただ、これに合う材質となると木材も貝殻も不適ではないか?>

そう顎に指をかけながら悩む金さんに、私も「だよねー」と同意を返します。木材は水分を吸収しやすいですし、衛生面も考えると避けたい材質です。貝殻はその点は大丈夫ですが金属片を強引に埋め込もうなら割れてしまいそうです。

<とりあえず全部作ってみて、試したら良いんじゃね?>

と、考えるより行動だ!がポリシーの桃さんが言えば、珍しく浦さんもそれに同意して

<幸いにも今ここには私達以外にも試す事が出来る人がいます。
 沙羅や橡からも意見を貰えば、より良い品が作れますね>

と言いだし、とりあえず試作品を数種類、人数分作る事だけ決めてこの日は眠る事にしたのでした。
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